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転校したら変な美少女に目をつけられた件③

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 質問の意味がわからず、瑞樹先輩に視線で助けを求めた。彼はにこにこ笑うばかりで、俺に対してなんのリアクションも起こさない。いくつめなのかわからないプリンを、コンビニの袋から取り出す。

 一応仙川にも目を向けたが、彼は俺に一切の興味がなく、大切なお嬢様が怒涛のマシンガントークを繰り広げるのを、うんうん頷いて、幸せそうに見守っているだけだった。

 おっとりふんわりした呉井さんが、早口になっている。この現象を、俺はよく知っている。

「どこの漫画の世界からいらしたのかしら。スポ根モノ? アイドル? ホラー? それともゲームの世界? 乙女ゲームというものがあるんですって? そこの攻略キャラクターかしら」

 オタク、自分の興味のある物に対してのみ、超絶早口。俺にもある悪い癖だ。あまりの勢いに飲まれそうになる。うっかり適当な経歴を述べそうになるが、俺は今までもそしてこれからも、明日川匡以外の何者でもない。

「円香様。この男の貧弱な身体、平凡な顔立ちから推測するに、スポーツでもアイドルでもなければ、乙女ゲームの攻略キャラでもないでしょう。せいぜいが主人公の友人、あるいは噛ませ犬。もっと言えば、モブ以外にありえません」

 興奮するお嬢様の肩を、仙川が失礼極まりないことを言いながら叩いて落ち着かせた。つか、本当に失礼だな! 誰がモブだ、誰が!

「……それもそうね」

 納得すんのかよ、おい!

「モブならモブでも構いませんわ。異世界転移、あるいは転生をしたという事実が、私にとっては最重要事項なのです」

 呉井さんは、狂的だった。クラスにいるときよりも楽しそうな表情は、ますます魅力的だ。しかし、話している内容が、一切理解できない。

 俺もオタクの端くれとして、異世界転生や異世界転移する物語には、一通り触れてきている。いわゆる「なろう系」と言われる、地味で冴えない主人公が、チート能力を手に入れて他を圧倒し、現代知識で異世界を治め、さらには可愛い女の子たちのハーレムを形成する。書籍化された有名作品は、一通り目を通してきたから、彼女の言う「転移」「転生」については意味はわかる。

 だが、所詮それらは夢物語だ。人間の想像力が生み出した物に過ぎない。だから、彼女が「本気で」異世界転生について捉え、話をしているように見えるのが、異様に思えた。高校二年生にもなって、本気で。

 俺の防衛本能が警告する。こいつに巻き込まれちゃ、たまらない。ピンクの髪になんてしなけりゃよかった。

 ちなみにピンクにしたのは、少し前にやっていたドラマが理由だった。出演していたイケメン俳優がピンク髪の高校生で人気を博し、「最強ピンク」とメディアにもてはやされているのを見た。俺はイケメンではないが、その人気にあやかろうとした。女子に「最強ピンクじゃない。面白過ぎる~」と言ってもらうことだけを楽しみにしていた。

 他人の人気を借りようとした罰が、呉井円香という頭のねじが数本抜けた女子に絡まれるということなのか。

「つか、これ、地毛じゃもぐうう」

 頭の色は染めただけだと説明すれば、解放されるかも。そう思って言ったのだが、口に何かを詰め込まれて言えずに終わった。甘い。スティックドーナツを無理矢理押し込んでくるのは、瑞樹先輩だった。身体に見合わぬ俊敏さで、俺の言葉を封じ込めた。

「ぐううう」

 口の中の水分が持ってかれるタイプのドーナツだ。俺が咀嚼しきらないうちに、どんどこどんどこ中に入ってくるので、窒息しそうだ。

「匡くん、ドーナツ食べるのに牛乳が欲しいって。円香ちゃん、買ってきてくれる?」

 瑞樹先輩は、のほほんと呉井さんに告げた。俺の様子を、目を白黒させて心配そうに見守っていた彼女は、「わかったわ!」と請け負って、財布を片手に被服室を出ていく。その後ろを、音もなく仙川が追った。ちらりと瑞樹先輩とアイコンタクトをしているのが、視界の端に映るが、気にしている場合じゃない。

 パタパタと二人の足音が遠ざかるのを確認して、瑞樹先輩は手を止めた。ようやく俺は、ドーナツを口の中から取り出す。美味しいけど、食べ方っていうもんがある。

「なんなんすか、瑞樹先輩!」

「ごめんね。でも君が、余計なことを言いそうだったからさ」

 ごめんごめん、と柔和な声で言う瑞樹先輩の口元には、微笑みが浮かんでいる。しかし、ゲホゲホむせて文句を言った俺が、涙目で見上げると、まったく笑っていなかった。思わず動きを止める。

「円香ちゃんは、本気で異世界転生ができると思っている」

 先程の呉井さんを見ていなければ、冗談でしょうと一蹴する話だった。だが、俺はばっちり見てしまっているし、何なら至近距離でピンクの髪をまじまじと観察された被害者だ。神妙な顔を作って、瑞樹先輩の話に耳を傾ける。

「転生したときに、きちんとこちらの世界の知識を向こうに伝えられるように準備をしておくのが、この同好会の目的なんだ」

 瑞樹先輩の顔は真剣そのものだった。頬肉が邪魔をしているけれど、その瞳には剣呑な光が宿っている。

 クレイジー・マッド。

 教室の片隅から、廊下の端から聞こえてきた陰口を思い出す。名前のもじりにしては、悪意のあるあだ名だとは思ったが、きっとみんな、呉井さんの奇妙な思考と行動を知っていたのだろう。上も下も、狂ってる、なんて彼女にぴったりの名前だと思ってしまう。

「あの、呉井さんはどうして異世界転生を……したいのでしょうか」

 まごつきながら聞いてみるが、瑞樹先輩は唇に刻んだ笑みを深くしただけだった。

「そんなこと、今日が初対面の君に話ができると思う?」

 あ、ごめんなさい。すいませんでした。もう聞きません。

 少なくとも俺に理解できたのは、呉井さんが一見清楚なお嬢様に見えて、内面はどこかおかしいこと。それから、そんな彼女の夢見る異世界を、瑞樹先輩も仙川も守ろうとしていること。

「地毛だなんて、彼女の前で嘘をついたのが運の尽きだったね。明日川くん」

 肩をぽんぽん、と叩かれた。

 この髪の毛が実はただ染めただけのものだと告げることは、呉井さんの世界観にひびを入れることになる。それを彼らは決して許さない。

「えええ……じゃあ俺、しばらくはこのまんまってことっすか!?」

 そうなるねぇ、とのんびり言った瑞樹先輩からは、もう険はすっかり抜けていた。同時に、呉井さんと仙川が戻ってくる。

「ただいま戻りました」

 ずいぶん長かったな。きっと仙川があれこれ話しかけて、時間稼ぎをしていたのだろう。瑞樹先輩が、俺に説明するための時間を作るために。

 呉井さんは「はい、明日川くん」ときれいな笑顔を浮かべて、牛乳パックを手渡してくれた。

「ありがとう」

 受け取ろうとして一瞬、指が触れ合って、ドキドキする。俺の反応を不思議に思ったのか、彼女は小首を傾げた。

「明日川くん?」

「あ、いや。なんでもない。ありがとう」

 ストローを差し、牛乳を一口飲んだのを確認すると、呉井さんは再び、可愛いお嬢様からクレイジー・マッドへと変貌する。

「この世界の牛乳は、お口に合いますか?」

 うん……たぶん牛乳はどこの世界でも、同じ味なんじゃないかな。

 瑞樹先輩と仙川の鋭い視線に晒されながら、俺は今まで慣れ親しんできたゲームや漫画の世界を思い出し、どうにかこうにか、自分の出自をでっちあげることにした。

 頭の片隅では、担任になんて言い訳をして、この頭を維持しようか考えながら。
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