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6 はじめての喧嘩(バトル)
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妹が不在の時間をなるべく狙って、飛天は映理を招いていた。今日で三回目、すでに撮影は始まっている。
飛天は撮影現場にも見学に行っていた。太陽は真剣に、細かく演出を演者に伝えていた。少しだけ印象はよくなったが、気に入らない奴というカテゴリからは動かない。
演者は映理とほとんど変わらない、素人ばかりだった。特に、ヒロインを守護する謎の男を演じる役者――おそらく、特技研の部員なのだろう。太陽への態度が馴れ馴れしいし、媚びている。こいつは大根だ。
ただ、動きのキレはなかなかいい。怪獣メインの映画だから、変身ヒーローが出てくることはないが、守護者は素のままの姿(いわゆる「素面」というやつらしい)で高いところから飛び降りる場面があることを、映理から改めて見せてもらった台本で知っていた。
おそらくは、身体能力ありきの配役だろう。太陽のこだわりで、アクションをするためだけのいわゆるスタントマンは、使わない方針だ。顔もばっちり見えるように撮影する。
太陽の演技指導も、この男に対してはおざなりだった。たぶんいろいろ、諦めている。
その分、怪獣の心をテレパシーで感じ取ってしまうヒロイン・サヤを演じる映理への指導には、熱が入っていた。
飛天は太陽の演技プランを逐一メモを取った。特技研の人間には、謎のマネージャー的存在だと思われているだろう。
太陽と飛天の中のヒロイン像は、そんなにかけ離れていない。だが、演技プランには納得がいかなかった。
舞台ではないので、セリフの完璧な暗記は必要ない。ワンカットごとに覚え直せば、それで済む。だが、きちんと感情の籠った演技をするためには、やはりある程度は頭に入れておくべきだ。
幸い、映理は記憶力がよかった。最初のうちは恥ずかしさもあり、覚えた言葉をただ吐き出しているだけだったが、すぐに「演技をしよう」という意識が芽生えた。
ヒロインが身体を張って、暴走する怪獣を止めるシーンだ。
ここは最大の見せ場だ。それまで怪獣とシンクロし、感情を揺さぶられながらも耐えてきたサヤが、すべてを爆発させる。
だから飛天は、もっと大げさな演技を彼女に求めた。けれど、太陽の指示は「大げさになりすぎないように」。
それ以外のシーンでも、太陽は演技にこだわる割に、役柄の個性や性格が際立つようなことは、一切させなかった。
「もっと! 本当に泣くくらいの勢いで!」
つい熱が入ってしまうのは、やはり悔しさからだろう。
映理の気を引いたことに対して、というよりも、曲がりなりにも役者をしていた飛天のことを、否定するから。
太陽は飛天のことをとことん無視する。たまたま近くにいるときに、ぽつりと演技について、「こうしたほうがいい」とこぼしたこともある。太陽は、何も聞かなかったことにした。
自分が演者ならば、もっと貢献できるのに。
素人映画とはいえ、監督に選ばれるのは名誉なことだ。何も悪くない映理にまで、嫉妬してしまう。
「でも、それは中野さんが……」
「監督の言われたとおりにしかできないようじゃ、いい作品は生まれないんだよ!」
熱が入っていた。対抗心でおかしくなっていた。些細なことで素人の映理の演技を責めて、何度もやり直しをさせる。
普段は穏やかで、飛天の我儘も許す鷹揚さを持っている映理も、あまりのしつこさにキレた。
「飛天さんは、何にもわかってない!」
「演技については、君よりわかってるつもりだ!」
学園ドラマの生徒役でレギュラーだったこともある。経験値は特技研の人間たちの何倍も稼いでいる。
「いいえ、わかってない! 私はヒロイン役かもしれないけど、主役じゃない!」
そして映理は、決定的な一言を言い放つ。
「わからないから、あなたはまだ、ヒーローを演じられないの!」
彼女は吐き出した言葉を、咄嗟に飲み込もうとした。けれど、それは不可能なことで。
結局彼女は、静かに溜息をつくと、「……今日は、帰ります」と、部屋を出ていった。
飛天は何も言い返すことができなかった。後ろ姿をただ呆然と見送って、それから「くそっ」と毒づき、壁を一発殴った。
スマートフォンが鳴っている。ポケットに入れたままだったそれを、のろのろと取り出した。相手が誰なのかも確かめずに、通話ボタンを押す。
「……はい」
映理ではないか。少しだけ期待した。怒鳴ってごめんなさい、が聞こえてきたのなら、自分の血が上がり切った頭も、少しは冷めるのではないか。
しかし、耳元で聞こえるのは男の声。
懐かしい、声。
『飛天? 元気だったか?』
アイドル時代、同じグループで切磋琢磨してきた男。飛天とともに、デビューには至らなかった永瀬敦。
落胆を隠さずに、飛天は「何の用?」と淡々と応対した。感情の波が一定であれば、もっとテンション高めのワントーン高い声で返事ができたのに。
敦は、飛天の不機嫌を察知して、「……かけ直そうか?」と気遣ってくる。
ああ、そういえばこういう男だったな。メンバー内で喧嘩が勃発したときも、放っておけばいいと言う飛天と違い、自ら積極的に仲裁に動いていた。
飛天はわずかに気分を落ち着けた。
「いや。大丈夫だよ。久しぶり。何かあった?」
事務所を辞めた直後は、何度かやり取りがあった。でも、ここ最近……飛天が次の事務所も辞めて、ニートになってからは一切、連絡が来なくなった。
きっと、敦も飛天のあの一件を、知っているのだろう。
『あのさ……俺、デビューできることになったんだ』
「え?」
事務所に所属して苦節十五年。三十手前になって、ようやくCDを発売して、夢だってデビューを果たす。グループではない、ソロだ。
『だから飛天……お前も腐らずに、頑張ってくれよな』
「そっか……うん。ん。じゃあな」
まともな相槌を打つこともできず、飛天は通話を切った。力を失った腕がだらりと落ちて、スマートフォンが落下する。
ふらふらと、倒れ込むようにソファに座った。天を仰ぎ、腕で顔を隠す。
敦に、「おめでとう」をまともに言えたのだろうか。
飛天は自分が何を彼と喋ったのかも、記憶にない。
飛天は撮影現場にも見学に行っていた。太陽は真剣に、細かく演出を演者に伝えていた。少しだけ印象はよくなったが、気に入らない奴というカテゴリからは動かない。
演者は映理とほとんど変わらない、素人ばかりだった。特に、ヒロインを守護する謎の男を演じる役者――おそらく、特技研の部員なのだろう。太陽への態度が馴れ馴れしいし、媚びている。こいつは大根だ。
ただ、動きのキレはなかなかいい。怪獣メインの映画だから、変身ヒーローが出てくることはないが、守護者は素のままの姿(いわゆる「素面」というやつらしい)で高いところから飛び降りる場面があることを、映理から改めて見せてもらった台本で知っていた。
おそらくは、身体能力ありきの配役だろう。太陽のこだわりで、アクションをするためだけのいわゆるスタントマンは、使わない方針だ。顔もばっちり見えるように撮影する。
太陽の演技指導も、この男に対してはおざなりだった。たぶんいろいろ、諦めている。
その分、怪獣の心をテレパシーで感じ取ってしまうヒロイン・サヤを演じる映理への指導には、熱が入っていた。
飛天は太陽の演技プランを逐一メモを取った。特技研の人間には、謎のマネージャー的存在だと思われているだろう。
太陽と飛天の中のヒロイン像は、そんなにかけ離れていない。だが、演技プランには納得がいかなかった。
舞台ではないので、セリフの完璧な暗記は必要ない。ワンカットごとに覚え直せば、それで済む。だが、きちんと感情の籠った演技をするためには、やはりある程度は頭に入れておくべきだ。
幸い、映理は記憶力がよかった。最初のうちは恥ずかしさもあり、覚えた言葉をただ吐き出しているだけだったが、すぐに「演技をしよう」という意識が芽生えた。
ヒロインが身体を張って、暴走する怪獣を止めるシーンだ。
ここは最大の見せ場だ。それまで怪獣とシンクロし、感情を揺さぶられながらも耐えてきたサヤが、すべてを爆発させる。
だから飛天は、もっと大げさな演技を彼女に求めた。けれど、太陽の指示は「大げさになりすぎないように」。
それ以外のシーンでも、太陽は演技にこだわる割に、役柄の個性や性格が際立つようなことは、一切させなかった。
「もっと! 本当に泣くくらいの勢いで!」
つい熱が入ってしまうのは、やはり悔しさからだろう。
映理の気を引いたことに対して、というよりも、曲がりなりにも役者をしていた飛天のことを、否定するから。
太陽は飛天のことをとことん無視する。たまたま近くにいるときに、ぽつりと演技について、「こうしたほうがいい」とこぼしたこともある。太陽は、何も聞かなかったことにした。
自分が演者ならば、もっと貢献できるのに。
素人映画とはいえ、監督に選ばれるのは名誉なことだ。何も悪くない映理にまで、嫉妬してしまう。
「でも、それは中野さんが……」
「監督の言われたとおりにしかできないようじゃ、いい作品は生まれないんだよ!」
熱が入っていた。対抗心でおかしくなっていた。些細なことで素人の映理の演技を責めて、何度もやり直しをさせる。
普段は穏やかで、飛天の我儘も許す鷹揚さを持っている映理も、あまりのしつこさにキレた。
「飛天さんは、何にもわかってない!」
「演技については、君よりわかってるつもりだ!」
学園ドラマの生徒役でレギュラーだったこともある。経験値は特技研の人間たちの何倍も稼いでいる。
「いいえ、わかってない! 私はヒロイン役かもしれないけど、主役じゃない!」
そして映理は、決定的な一言を言い放つ。
「わからないから、あなたはまだ、ヒーローを演じられないの!」
彼女は吐き出した言葉を、咄嗟に飲み込もうとした。けれど、それは不可能なことで。
結局彼女は、静かに溜息をつくと、「……今日は、帰ります」と、部屋を出ていった。
飛天は何も言い返すことができなかった。後ろ姿をただ呆然と見送って、それから「くそっ」と毒づき、壁を一発殴った。
スマートフォンが鳴っている。ポケットに入れたままだったそれを、のろのろと取り出した。相手が誰なのかも確かめずに、通話ボタンを押す。
「……はい」
映理ではないか。少しだけ期待した。怒鳴ってごめんなさい、が聞こえてきたのなら、自分の血が上がり切った頭も、少しは冷めるのではないか。
しかし、耳元で聞こえるのは男の声。
懐かしい、声。
『飛天? 元気だったか?』
アイドル時代、同じグループで切磋琢磨してきた男。飛天とともに、デビューには至らなかった永瀬敦。
落胆を隠さずに、飛天は「何の用?」と淡々と応対した。感情の波が一定であれば、もっとテンション高めのワントーン高い声で返事ができたのに。
敦は、飛天の不機嫌を察知して、「……かけ直そうか?」と気遣ってくる。
ああ、そういえばこういう男だったな。メンバー内で喧嘩が勃発したときも、放っておけばいいと言う飛天と違い、自ら積極的に仲裁に動いていた。
飛天はわずかに気分を落ち着けた。
「いや。大丈夫だよ。久しぶり。何かあった?」
事務所を辞めた直後は、何度かやり取りがあった。でも、ここ最近……飛天が次の事務所も辞めて、ニートになってからは一切、連絡が来なくなった。
きっと、敦も飛天のあの一件を、知っているのだろう。
『あのさ……俺、デビューできることになったんだ』
「え?」
事務所に所属して苦節十五年。三十手前になって、ようやくCDを発売して、夢だってデビューを果たす。グループではない、ソロだ。
『だから飛天……お前も腐らずに、頑張ってくれよな』
「そっか……うん。ん。じゃあな」
まともな相槌を打つこともできず、飛天は通話を切った。力を失った腕がだらりと落ちて、スマートフォンが落下する。
ふらふらと、倒れ込むようにソファに座った。天を仰ぎ、腕で顔を隠す。
敦に、「おめでとう」をまともに言えたのだろうか。
飛天は自分が何を彼と喋ったのかも、記憶にない。
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