上 下
21 / 25

21 シュニー家の血

しおりを挟む
 ジョシュアが旅立って、三日経った。

 アルバートが手の者をこっそりとつけているので、一行があと二日で国境を抜けるという情報が入ってきていた。本当なら、とっくに隣国に入り、帝国まで続く街道をひた走っている頃であるから、相当のんびりと旅をしているようだ。

 周辺の国は、ボルカノよりも小さな国ばかりで、横断するのに時間はかからない。関所で時間をとられるにしても、たかが知れている。

「あと二週間……」

 レイナールは、ばさりと書類の束を机に無造作に置いて、呟いた。ジョシュアたちが皇帝に謁見を許されるまでに手を打たなければならないから、実際に残された時間は、もうほとんどない。

 アルバートやカール、それからヴァンの力も借りて、レイナールは帝国や皇帝のことを調べていた。

 帝国は、五つの州に別れており、それぞれを治める家が、帝位の継承権を持っている。代替わりの際には、五つの家が候補者を出し、合議や選挙によって新帝が選ばれる。国の名前は新帝を擁した家の家名に変わるため、「帝国」とだけ呼ばれている。

 現在の皇帝は、六十代。軍人気質の男だが、近年は肉体が衰えるにつれ、心までも弱くなってきた様子で、お抱えの占い師が我が物顔で城内を闊歩しているらしい。占い師が白と言えば白、黒と言えば黒という判断しかできなくなり、周囲は次第に皇帝を見放し、次代の選定の準備に入っているという。

「占い師、か」

 そこにつけいる隙があるように思った。こちらの手の者を高名な占い師……いや、予言者として仕立て上げ、皇帝のもとに潜入させる。ボルカノとの戦争について不吉な言葉を吐いてでっち上げ、ジョシュアを殺すのも止められれば……。

 だが、さすがに時間が足りない。今現在、信頼を得ている占い師と意見が対立したら、こちらの用意した偽者では敵わない。密偵を忍び込ませ、使えるようにするためには、長い時間がかかる。

 もっと即効性があって、有無を言わさず皇帝がジョシュアのことを解放するような方策がないだろうか。

 寝る間も惜しんで知恵を絞るのだが、うまくいかない。

 レイナールの銀の目の周囲は、寝不足で真っ黒になっている。白金の髪も、日に何度も掻き毟ってばかりいるために、パサパサになっていた。

「レイナール様」

 カールの声がして、レイナールは呻き声に近い返事をした。茶の準備をしてきた彼に、少しだけ顔をしかめる。休んでいる暇などない。自分が一息入れている間にも、ジョシュアは帝国へ一歩一歩、近づいてしまう。

「あなたが倒れたら、元も子もありません。どうか、これを飲み終わるまでは、ご休憩を」

 カップに注がれる茶は、熱湯そのものだった。まだ沸騰しているのか、ぽこりと音を立てる。わざわざ適温ではないものを持ってくるあたり、一気飲みしようとしていたのを、見越されている。

 レイナールは諦め、カールが机の上にカップを持ってきてくれるのを見つめる。まだ当分、口をつけられそうにない。

「カール。あとは?」
「と、申しますと?」

 素知らぬふりをしているが、レイナールの寝不足のあまり鋭くなった眼光にさらされて、カールは渋々、ポケットの中に突っ込んでいた封筒を取り出した。

「本当に、懲りない男……」

 封蝋はボルカノ王家の紋章。宛先はレイナールのみ。ペーパーナイフで中身まで切らないように、という配慮はもはやない。指でビリビリに破って開封して、中身に目を通す。返事を書く気は毛頭ない。

 相変わらず、色惚けした国王は、レイナールを愛妾にしようとあれこれ誘ってくる。宝石やボルカノ王国の公爵に叙するなどという口約束、果ては法律を捻じ曲げて、王妃にしようなどと妄言を吐く。

『お前は現状、ジョシュア・グェインの妻にはなれない。ただのレイナール・シュニーなのだぞ。余の命令を聞かぬのならば、再びヴァイスブルムを……』

 と、脅してくる。

 どんなに愛し合おうとも、レイナールはジョシュアと婚姻関係になることはできない。最初からわかりきっていることを、改めて思い知らせようとする。宛名も「グェイン侯爵預かり レイナール・シュニー」と書かれている。

 ヴァイスブルム王家の名前なんて、自分にとっては呪わしいばかりだった。白金と銀の色彩を持つだけで引き取られ、最初から最後まで利用することしか考えていない人間の血筋に、名前だけとはいえ、連なっているのが悔しい。

 ……呪わしい?

 ハッとして、レイナールは皇帝の人となりについて、再び目を通した。目まぐるしく頭を回転させる。

 確か、帝国にも大昔、シュニー家から嫁いだ白金の姫君がいたはずだ。

「いける、かもしれない……!」

 バン、と机に手を強く叩きつけた弾みで、カップの中の熱湯が零れた。慌ててカールが持っていたハンカチで拭こうとするが、レイナールが先に、手元にあった報告書で拭いてしまった。

「カール。お祖父様のところへ行こう」

 思い浮かんだ案は、もちろん絶対に成功するとは言えなかった。話を聞いたアルバートも難色を示したが、それ以上の名案は浮かばず、時間の制約もあり、賭けに出ようと決めた。

 レイナールは筆を執り、いつも以上に丁寧に、流麗に、それでいてこちらの意図をしっかりと伝える文章を綴る。何度も読み返してできあがった書状を、封筒に入れる。

 封蝋に刻むのは、グェイン家の紋ではない。雪の結晶を模したそれは、シュニー家の紋だ。

 これだけでは不足するかもしれない。そう思ったジョシュアは、ナイフを手にした。

「レイナール様?」

 何を、とカールが止める間もなく、迷うことなく、レイナールは自分の髪の毛を一束、切り取った。
「さあ、カール。ヴァンを呼んでくれ。アーノン家の者と、グェイン家の者。力を合わせて、ジョシュア様より先に、皇帝の元へ」

 気圧されたカールは、迅速に動き出した。

 どうか、間に合いますように。

 レイナールは切り取った自分の髪を、ぎゅっと握りしめ、祈る。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

聖女ではないので、王太子との婚約はお断りします

カシナシ
BL
『聖女様が降臨なされた!』 滝行を終えた水無月綾人が足を一歩踏み出した瞬間、別世界へと変わっていた。 しかし背後の女性が聖女だと連れて行かれ、男である綾人は放置。 甲斐甲斐しく世話をしてくれる全身鎧の男一人だけ。 男同士の恋愛も珍しくない上、子供も授かれると聞いた綾人は早々に王城から離れてイケメンをナンパしに行きたいのだが、聖女が綾人に会いたいらしく……。 ※ 全10話完結 (Hotランキング最高15位獲得しました。たくさんの閲覧ありがとうございます。)

婚約破棄と国外追放をされた僕、護衛騎士を思い出しました

カシナシ
BL
「お前はなんてことをしてくれたんだ!もう我慢ならない!アリス・シュヴァルツ公爵令息!お前との婚約を破棄する!」 「は……?」 婚約者だった王太子に追い立てられるように捨てられたアリス。 急いで逃げようとした時に現れたのは、逞しい美丈夫だった。 見覚えはないのだが、どこか知っているような気がしてーー。 単品ざまぁは番外編で。 護衛騎士筋肉攻め × 魔道具好き美人受け

撫子の華が咲く

茉莉花 香乃
BL
時は平安、とあるお屋敷で高貴な姫様に仕えていた。姫様は身分は高くとも生活は苦しかった ある日、しばらく援助もしてくれなかった姫様の父君が屋敷に来いと言う。嫌がった姫様の代わりに父君の屋敷に行くことになってしまった…… 他サイトにも公開しています

【完結】健康な身体に成り代わったので異世界を満喫します。

白(しろ)
BL
神様曰く、これはお節介らしい。 僕の身体は運が悪くとても脆く出来ていた。心臓の部分が。だからそろそろダメかもな、なんて思っていたある日の夢で僕は健康な身体を手に入れていた。 けれどそれは僕の身体じゃなくて、まるで天使のように綺麗な顔をした人の身体だった。 どうせ夢だ、すぐに覚めると思っていたのに夢は覚めない。それどころか感じる全てがリアルで、もしかしてこれは現実なのかもしれないと有り得ない考えに及んだとき、頭に鈴の音が響いた。 「お節介を焼くことにした。なに心配することはない。ただ、成り代わるだけさ。お前が欲しくて堪らなかった身体に」 神様らしき人の差配で、僕は僕じゃない人物として生きることになった。 これは健康な身体を手に入れた僕が、好きなように生きていくお話。 本編は三人称です。 R−18に該当するページには※を付けます。 毎日20時更新 登場人物 ラファエル・ローデン 金髪青眼の美青年。無邪気であどけなくもあるが無鉄砲で好奇心旺盛。 ある日人が変わったように活発になったことで親しい人たちを戸惑わせた。今では受け入れられている。 首筋で脈を取るのがクセ。 アルフレッド 茶髪に赤目の迫力ある男前苦労人。ラファエルの友人であり相棒。 剣の腕が立ち騎士団への入団を強く望まれていたが縛り付けられるのを嫌う性格な為断った。 神様 ガラが悪い大男。  

マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜

明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。 その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。 ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。 しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。 そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。 婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと? シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。 ※小説家になろうにも掲載しております。

婚約破棄されるなり5秒で王子にプロポーズされて溺愛されてます!?

野良猫のらん
BL
侯爵家次男のヴァン・ミストラルは貴族界で出来損ない扱いされている。 なぜならば精霊の国エスプリヒ王国では、貴族は多くの精霊からの加護を得ているのが普通だからだ。 ところが、ヴァンは風の精霊の加護しか持っていない。 とうとうそれを理由にヴァンは婚約破棄されてしまった。 だがその場で王太子ギュスターヴが現れ、なんとヴァンに婚約を申し出たのだった。 なんで!? 初対面なんですけど!?!?

婚約破棄された俺の農業異世界生活

深山恐竜
BL
「もう一度婚約してくれ」 冤罪で婚約破棄された俺の中身は、異世界転生した農学専攻の大学生! 庶民になって好きなだけ農業に勤しんでいたら、いつの間にか「畑の賢者」と呼ばれていた。 そこに皇子からの迎えが来て復縁を求められる。 皇子の魔の手から逃げ回ってると、幼馴染みの神官が‥。 (ムーンライトノベルズ様、fujossy様にも掲載中) (第四回fujossy小説大賞エントリー中)

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。

処理中です...