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13 初めてのキス

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 夜になって、レイナールの部屋のドアを叩く音がした。

「はい」

 俺だ、と聞くやいなや立ち上がり、出迎える。扉を開けると、冷気がスッと入り込んできて、身が縮こまった。

 ジョシュアはレイナールの姿を見て、少し顔を歪めた。中に入ってくるやいなや、ベッドの上の毛布を着せかけてくる。

「ヴァイスブルムに比べれば暖かいかもしれないが、夜は冷える」

 言われて初めて、寝間着の布が薄いことに気がついた。ありがたく受け取り、前を掻き合わせる。

 ジョシュアは葡萄酒と器、それから「アンディのとっておきをくすねてきた」と、小さな箱を取り出した。丁寧にかけられたリボンを、ジョシュアは無造作に取り外して、机の上に放り投げた。レイナールはそれを拾い上げて、心の中でアンディに謝罪する。

「チョコレートだ。食べたことはあるか?」

 首を横に振った。そういう名前の甘い食べ物があるらしい、というのは、国にいるときに聞いていた。だが、原材料となる実はずっと南方の国でしか収穫できず、そこからいくつも国を隔てなければならないヴァイスブルムでは、なかなか手に入らない代物だった。王宮で暮らしていない半端者には、回ってこない。

 初めて見るチョコレートは、艶があって、見た目から、滑らかな口触りだろうことがわかった。単純に丸や四角だけでなく、繊細な花をかたどったものもあり、レイナールは心惹かれた。

 視線の先にあるものを、ジョシュアは察知するのが上手い。花の形のチョコレートをひとつ摘まむと、レイナールに差し出してくる。

 自分で食べられるのに。

 そう思ったが、甘い香りを放つ未知の食べ物の誘惑には勝てず、レイナールは素直に口を開けた。

 入ってきた瞬間に、濃厚な甘さがいっぱいに広がって、レイナールは目を丸くする。

 なんだ、この食べ物は。

 ほのかに薔薇の香りがして、見るだけじゃなくて舌でも楽しめる花なのだということに、改めて感心した。舌触りも滑らかで、レイナールは夢中で舐め回した。

 チョコレートだけではなく、それを摘まんでいたジョシュアの指まで食んでいたことに気づいたのは、気まずい表情で目を逸らし彼に、「……レイ」と、小さな声で呼ばれてからだった。

「っ! 申し訳ありません……っ」

 あまりにも子どもっぽく、羞恥心に苛まれたレイナールは、真っ赤になって、ジョシュアに背を向けた。

 頬が熱い。両手のひらを頬に当てて冷まそうと試みるも、指先までぽわぽわと熱を持っていて、あまり効果はない。全身がもう熱くて、せっかく着せられた毛布を、レイナールは肩から落としてしまう。

 拾わなければと屈んだ瞬間、覆い被さってきたのは、毛布ではなくて、逞しく拍動する、生の肉体だった。

「ジョシュア様……?」

 背後から掻き抱く腕は、レイナールの身体に強く絡みつく。布越しとはいえ、密着しているものだから、お互いの心音は、耳ではなく皮膚から伝わる。

 最初は違うリズムを刻んでいたのが、すぐに同調し、同じ速度でトクトクと動いているのを感じたとき、レイナールの耳朶に、低く掠れた声が届いた。

「レイ」

 息遣い、それから唇が掠めていく感触に、レイナールの肌が粟立つ。決して、恐怖だったり、気持ち悪さだったりではなく、それはある種の快感と言い換えることができた。

 名前を呼び返し、返事をすることすらできず、レイナールは身じろぎひとつせず、ジョシュアの言葉をドキドキしながら待つ。

 首筋に、息が当たる。びくん、と大きく震えてしまう。

「昼間のこと、嬉しかった」

 昼間のこと?

 王から夜会の招待状が届いて、ジョシュアと一緒に出席する覚悟を決めた。ただそれだけのことだったから、レイナールは、振り向かされ、真正面から見つめられても、いまいちピンと来ない。ぽかんと間抜けな顔をしているだろうに、ジョシュアは一切からかったり笑ったりすることはなかった。

 あくまでも真剣そのものの表情で、彼はたった一言、「いいか?」と、尋ねてくる。

 何を、と疑問を返さなかったのは、どうしてだろう。ジョシュアが自分を傷つけたり、嫌がることをするわけがないのだと、絶対的な信頼を置いている。

 微かに頷いたレイナールに、ジョシュアは不器用に微笑みかけた。拍動がこれまで生きてきた中で、一番速い気がする。

 そっと再び触れられた頬に、レイナールは目を伏せた。凝視されて、照れくさかった。

 ジョシュアによって上向かされたあとは、一瞬の動作だった。

 風が吹いただけ。先ほど首筋に感じたように、息が掠めただけだと、思いたかった。

 けれど、レイナールが唇に「触れた」と思ったのは、指とは異なる、柔らかな肉の感触だった。驚きに目を開ければ、ごく近い場所に、瞳を閉じたジョシュアの顔がある。

 険のある目が閉ざされていると、美丈夫であるという点だけが強調されて、レイナールの体温を上げていく。

 唇が触れたのはほんのわずかな間で、離れていったジョシュアの耳の端は、わずかに赤くなっている。

「……」

 無言のまま、彼はレイナールから身体を離した。チョコレートも葡萄酒もそのままに、武人とは思えぬぎくしゃくとした動きで、部屋を出て行った。

 呆然と見送って、レイナールはへなへなとベッドの上に座り込んだ。無意識に唇に触れていることに気がついて、今度は横になる。

 そうだ。キスだ。

 額にだったなら、子どもへの「おやすみ」のキスだと言い訳もできたけれど、唇へのキスは、友人や家族に対してはしない。少なくとも、レイナールは実父や義妹に対して、したことがない。

 口を触れあわせるのは、そう、恋人や夫婦、唯一無二の相手。

 レイナールは昼間の自分の発言を、ようやく思い出した。

『ジョシュア様の妻として』

 なんて。

 パートナーとは夜会の間だけではなく、そういう意味だと思われたということか? 自分から誘ったのだと勘違いされたのは、恥ずかしい。

 今から追いかければ、ジョシュアに誤解であることを説明できる。

 だが、レイナールは行動する気にならなかった。

「……っ」

 顔を覆い、足をジタバタさせる。

 キスは、嫌じゃなかった。一瞬のことすぎて、もっと長く触れてほしいとすら思った。

 これは恋だ。

 母国では、あまり他人と交流していなかった。だから、誰かに触れたい、触れられたいという感情が、自分にもあったのだということを忘れていた、

 幼い頃の淡すぎる初恋とは違い、成就する公算が高いことに、レイナールはの興奮は、冷めやらなかった。

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