10 / 25
10 約束
しおりを挟む
その夜、ジョシュアはレイナールの部屋を訪れた。
入ってくるなり頭を下げたジョシュアに、面食らってしまう。慌てて顔を上げさせるべく説得するが、彼はなかなかに頑固で、最敬礼の角度を崩さなかった。
「ジョシュア様?」
「昼間のことを、カールから聞いた。感謝する」
すぐにでも返信をしなければならないことはわかっていたが、書類仕事ですら億劫なのに、文面を考えて書かなければならない手紙は、もっと苦手だった。気の利いた言葉は思い浮かばないし、字も自信がない。
「サインをする前に、すべて目を通したが、相手によって書く内容も違っていたし、何よりもまず、字がきれいだ。本当に助かった」
「いいえ。私にできるのは、あのくらいのことですから」
謙遜ではなく、レイナールは本当に、たいしたことがないと思っている。幼い頃、実父に届いていた手紙は膨大だった。そのひとつひとつに目を通し、丁寧に迅速に返事を綴っていく父の足下で、自分は遊んでいたのである。
実父に比べれば、レイナールが今回代筆した分量はさほど多くはなかったし、祝福に丁寧に礼を述べればよいだけだったから、悩むこともなかった。
だが、ジョシュアたちに取って見れば、「たいしたこと」であった。真剣な顔で、
「これからも頼む」
と、頭を下げてきた彼に、レイナールは快く請け負った。
「それから、これはカールから。悪かった、と」
「カールが?」
謝られる意味がわからないまま、差し出されたのは手紙の束だった。無骨な字に見覚えはなく、レイナールは送り主を確認する。
「ヴァン……!」
ボルカノに着いて早々、病に倒れたヴァンからの便りに、レイナールは興奮した。ペーパーナイフを用意するのも惜しく、手でビリビリと封筒を開けて、目を通す。
彼も今はすっかり治っているようだ。国へ帰れとレイナールは言ったが、アーノン公爵の命令どおり、ボルカノでのレイナールの生活を支えるべく、王都へとやってきている。
グェイン邸での扱いも難しいだろうから、傍に仕えることはしないが、いつでも動くことは可能だという、頼もしい言葉。
「よかった……」
胸に手紙を抱いたレイナールに、ジョシュアは再び謝罪する。
「カールが隠していたんだ。心から謝っていた。悪い奴ではないから、許してやってほしい」
執事として、信頼できない人間の私信を制限するのは、当たり前だ。レイナールは気にしていない。
「大丈夫。気にしないようにお伝えください」
「ああ……ありがとう。カールのことも、手伝ってやってほしい」
これまで、レイナールは家の中で役割を与えられたことがなかったように思う。
忘れがちだが、この国での自分は客人ではなく人質で、おとなしくしているのが仕事のようなものだから当然として、母国でも、レイナールはただ持ち上げられるだけの人形であった。王族の一員となっても、政治的な役割を求められたことはない。神殿ですら、行事の度に民の前に顔を出す程度で、他の神官たちのように、きつい奉仕活動の順番が回ってきたことがない。
唯一、今回ボルカノに送られることになったときに下された命令が、自分の役割であった。
嫌なことを思い出してしまった。
レイナールは、自分自身の行く末を、幸せだと信じることができない。母国では幸福の象徴として、市民から分不相応なほどに敬われていたが、ボルカノでは違う。
幸福ではなく、自分がこの国にもたらすものは、むしろ。
「レイ?」
訝しむ呼びかけに、ハッとする。じっとこちらを覗き込むジョシュアに、レイナールは「ごめんなさい。ぼんやりしてしまいました」と、謝った。
「いや。疲れたのか?」
「い、いえ……そうなんでしょうか……」
追い立てられるようにヴァイスブルムを出立し、ボルカノ王と謁見。どうにか切り抜けて、グェイン邸に迎え入れられて、ようやく人心地ついた。それに、今日カールと和解したことで、厄介な居候から、彼らの友人くらいの地位にはなれたように感じたこともある。
緊張が抜けると、それまで蓄積した疲労感に初めて気がつく。レイナールは、自分が余計な不安を覚えてしまうのも、すべては疲れのせいだと結論づけた。
「今日は早くに休んだ方がいいかもしれませんね」
ジョシュアに笑ってみせると、彼は真剣に心配している顔だった。大丈夫だと笑って顔の前で両手を振ると、その手を取られる。
「ジョシュア様?」
力強いのに、痛くない。レイナールの両手首を片手でまとめられそうなくらい、彼の手のひらは大きい。ところどころ硬いのは、剣だこだろうか。
またぼんやりと物思いに耽っていると、「いいか?」と、突然問われ、詳しい内容を聞かずに、レイナールは反射的に頷いていた。
「あ、え? すいません、何のお話でしたか?」
怒られても仕方のない失態だったが、ジョシュアは決して声を張り上げたりしない。顔は強面だし、軍を率いる立場としては、怒鳴ったりすることもあるのだろうけれど、レイナールの前では、基本的に荒々しい一面は封印している。
彼は噛んで含めるように、ゆっくりともう一度説明をしてくれた。
「次の休みに、一緒に出かけよう」
入ってくるなり頭を下げたジョシュアに、面食らってしまう。慌てて顔を上げさせるべく説得するが、彼はなかなかに頑固で、最敬礼の角度を崩さなかった。
「ジョシュア様?」
「昼間のことを、カールから聞いた。感謝する」
すぐにでも返信をしなければならないことはわかっていたが、書類仕事ですら億劫なのに、文面を考えて書かなければならない手紙は、もっと苦手だった。気の利いた言葉は思い浮かばないし、字も自信がない。
「サインをする前に、すべて目を通したが、相手によって書く内容も違っていたし、何よりもまず、字がきれいだ。本当に助かった」
「いいえ。私にできるのは、あのくらいのことですから」
謙遜ではなく、レイナールは本当に、たいしたことがないと思っている。幼い頃、実父に届いていた手紙は膨大だった。そのひとつひとつに目を通し、丁寧に迅速に返事を綴っていく父の足下で、自分は遊んでいたのである。
実父に比べれば、レイナールが今回代筆した分量はさほど多くはなかったし、祝福に丁寧に礼を述べればよいだけだったから、悩むこともなかった。
だが、ジョシュアたちに取って見れば、「たいしたこと」であった。真剣な顔で、
「これからも頼む」
と、頭を下げてきた彼に、レイナールは快く請け負った。
「それから、これはカールから。悪かった、と」
「カールが?」
謝られる意味がわからないまま、差し出されたのは手紙の束だった。無骨な字に見覚えはなく、レイナールは送り主を確認する。
「ヴァン……!」
ボルカノに着いて早々、病に倒れたヴァンからの便りに、レイナールは興奮した。ペーパーナイフを用意するのも惜しく、手でビリビリと封筒を開けて、目を通す。
彼も今はすっかり治っているようだ。国へ帰れとレイナールは言ったが、アーノン公爵の命令どおり、ボルカノでのレイナールの生活を支えるべく、王都へとやってきている。
グェイン邸での扱いも難しいだろうから、傍に仕えることはしないが、いつでも動くことは可能だという、頼もしい言葉。
「よかった……」
胸に手紙を抱いたレイナールに、ジョシュアは再び謝罪する。
「カールが隠していたんだ。心から謝っていた。悪い奴ではないから、許してやってほしい」
執事として、信頼できない人間の私信を制限するのは、当たり前だ。レイナールは気にしていない。
「大丈夫。気にしないようにお伝えください」
「ああ……ありがとう。カールのことも、手伝ってやってほしい」
これまで、レイナールは家の中で役割を与えられたことがなかったように思う。
忘れがちだが、この国での自分は客人ではなく人質で、おとなしくしているのが仕事のようなものだから当然として、母国でも、レイナールはただ持ち上げられるだけの人形であった。王族の一員となっても、政治的な役割を求められたことはない。神殿ですら、行事の度に民の前に顔を出す程度で、他の神官たちのように、きつい奉仕活動の順番が回ってきたことがない。
唯一、今回ボルカノに送られることになったときに下された命令が、自分の役割であった。
嫌なことを思い出してしまった。
レイナールは、自分自身の行く末を、幸せだと信じることができない。母国では幸福の象徴として、市民から分不相応なほどに敬われていたが、ボルカノでは違う。
幸福ではなく、自分がこの国にもたらすものは、むしろ。
「レイ?」
訝しむ呼びかけに、ハッとする。じっとこちらを覗き込むジョシュアに、レイナールは「ごめんなさい。ぼんやりしてしまいました」と、謝った。
「いや。疲れたのか?」
「い、いえ……そうなんでしょうか……」
追い立てられるようにヴァイスブルムを出立し、ボルカノ王と謁見。どうにか切り抜けて、グェイン邸に迎え入れられて、ようやく人心地ついた。それに、今日カールと和解したことで、厄介な居候から、彼らの友人くらいの地位にはなれたように感じたこともある。
緊張が抜けると、それまで蓄積した疲労感に初めて気がつく。レイナールは、自分が余計な不安を覚えてしまうのも、すべては疲れのせいだと結論づけた。
「今日は早くに休んだ方がいいかもしれませんね」
ジョシュアに笑ってみせると、彼は真剣に心配している顔だった。大丈夫だと笑って顔の前で両手を振ると、その手を取られる。
「ジョシュア様?」
力強いのに、痛くない。レイナールの両手首を片手でまとめられそうなくらい、彼の手のひらは大きい。ところどころ硬いのは、剣だこだろうか。
またぼんやりと物思いに耽っていると、「いいか?」と、突然問われ、詳しい内容を聞かずに、レイナールは反射的に頷いていた。
「あ、え? すいません、何のお話でしたか?」
怒られても仕方のない失態だったが、ジョシュアは決して声を張り上げたりしない。顔は強面だし、軍を率いる立場としては、怒鳴ったりすることもあるのだろうけれど、レイナールの前では、基本的に荒々しい一面は封印している。
彼は噛んで含めるように、ゆっくりともう一度説明をしてくれた。
「次の休みに、一緒に出かけよう」
97
お気に入りに追加
160
あなたにおすすめの小説
聖女ではないので、王太子との婚約はお断りします
カシナシ
BL
『聖女様が降臨なされた!』
滝行を終えた水無月綾人が足を一歩踏み出した瞬間、別世界へと変わっていた。
しかし背後の女性が聖女だと連れて行かれ、男である綾人は放置。
甲斐甲斐しく世話をしてくれる全身鎧の男一人だけ。
男同士の恋愛も珍しくない上、子供も授かれると聞いた綾人は早々に王城から離れてイケメンをナンパしに行きたいのだが、聖女が綾人に会いたいらしく……。
※ 全10話完結
(Hotランキング最高15位獲得しました。たくさんの閲覧ありがとうございます。)
婚約破棄と国外追放をされた僕、護衛騎士を思い出しました
カシナシ
BL
「お前はなんてことをしてくれたんだ!もう我慢ならない!アリス・シュヴァルツ公爵令息!お前との婚約を破棄する!」
「は……?」
婚約者だった王太子に追い立てられるように捨てられたアリス。
急いで逃げようとした時に現れたのは、逞しい美丈夫だった。
見覚えはないのだが、どこか知っているような気がしてーー。
単品ざまぁは番外編で。
護衛騎士筋肉攻め × 魔道具好き美人受け
撫子の華が咲く
茉莉花 香乃
BL
時は平安、とあるお屋敷で高貴な姫様に仕えていた。姫様は身分は高くとも生活は苦しかった
ある日、しばらく援助もしてくれなかった姫様の父君が屋敷に来いと言う。嫌がった姫様の代わりに父君の屋敷に行くことになってしまった……
他サイトにも公開しています
【完結】健康な身体に成り代わったので異世界を満喫します。
白(しろ)
BL
神様曰く、これはお節介らしい。
僕の身体は運が悪くとても脆く出来ていた。心臓の部分が。だからそろそろダメかもな、なんて思っていたある日の夢で僕は健康な身体を手に入れていた。
けれどそれは僕の身体じゃなくて、まるで天使のように綺麗な顔をした人の身体だった。
どうせ夢だ、すぐに覚めると思っていたのに夢は覚めない。それどころか感じる全てがリアルで、もしかしてこれは現実なのかもしれないと有り得ない考えに及んだとき、頭に鈴の音が響いた。
「お節介を焼くことにした。なに心配することはない。ただ、成り代わるだけさ。お前が欲しくて堪らなかった身体に」
神様らしき人の差配で、僕は僕じゃない人物として生きることになった。
これは健康な身体を手に入れた僕が、好きなように生きていくお話。
本編は三人称です。
R−18に該当するページには※を付けます。
毎日20時更新
登場人物
ラファエル・ローデン
金髪青眼の美青年。無邪気であどけなくもあるが無鉄砲で好奇心旺盛。
ある日人が変わったように活発になったことで親しい人たちを戸惑わせた。今では受け入れられている。
首筋で脈を取るのがクセ。
アルフレッド
茶髪に赤目の迫力ある男前苦労人。ラファエルの友人であり相棒。
剣の腕が立ち騎士団への入団を強く望まれていたが縛り付けられるのを嫌う性格な為断った。
神様
ガラが悪い大男。
マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜
明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。
その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。
ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。
しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。
そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。
婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと?
シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。
※小説家になろうにも掲載しております。
婚約破棄されるなり5秒で王子にプロポーズされて溺愛されてます!?
野良猫のらん
BL
侯爵家次男のヴァン・ミストラルは貴族界で出来損ない扱いされている。
なぜならば精霊の国エスプリヒ王国では、貴族は多くの精霊からの加護を得ているのが普通だからだ。
ところが、ヴァンは風の精霊の加護しか持っていない。
とうとうそれを理由にヴァンは婚約破棄されてしまった。
だがその場で王太子ギュスターヴが現れ、なんとヴァンに婚約を申し出たのだった。
なんで!? 初対面なんですけど!?!?
婚約破棄された俺の農業異世界生活
深山恐竜
BL
「もう一度婚約してくれ」
冤罪で婚約破棄された俺の中身は、異世界転生した農学専攻の大学生!
庶民になって好きなだけ農業に勤しんでいたら、いつの間にか「畑の賢者」と呼ばれていた。
そこに皇子からの迎えが来て復縁を求められる。
皇子の魔の手から逃げ回ってると、幼馴染みの神官が‥。
(ムーンライトノベルズ様、fujossy様にも掲載中)
(第四回fujossy小説大賞エントリー中)
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる