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4 実父との別れ
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見送りの神官は、ごくわずかだった。
寝食をともにしたところで、白金の王子を友と呼んでくれる人間はいない。崇拝の目を向けられる生活は居心地が悪かった。
ボルカノでも宗派は違うものの、同じ神を祀っている。英雄視される始祖がいない分、向こうの方が生きやすいのかもしれない。許されるのなら、あちらでは本格的に出家して、俗世との関わりを一切絶って生きていくのはどうだろう。
それは、とても心が軽くなる思いつきだった。背負わされた重圧も、神に本格的に仕えるうちに、消えていくに違いない。ボルカノだって、中途半端な王族など持て余すだろうから、機を見てこちらから提案しよう。
「お世話になりました」
レイナールと直接関わることの多かった大司教に頭を下げ、レイナールは馬車に乗り込みかける。
馬車は神殿で所有しているものだ。清廉、質素を掲げる教団だから、造りは頑丈なものの、王家の人間が乗っているとは思えない無骨な外観をしている。
「お待ちください」
かけられた声に、振り返る。危うく転げ落ちるところであった。
「アーノン公……」
父上、と呼びかけて、飲み込んだ。父とは、国王陛下でなければならない。公爵も公爵で、跪き臣下の礼を取ってから、
「殿下の送迎を、申しつかりました」
戸惑い着いていくレイナールは、公爵家の紋が堂々と刻まれた、豪奢な馬車に乗せられた。父は向かい側に座り、御者に合図を出す。見た目以上に乗り心地にこだわって作られているようで、揺れても尻や腰への衝撃が少なかった。
密室の中、父子ふたりきりの旅は、これまでの心の距離を埋めるように過ぎていった。話をして、笑い、泣き、これから訪れる別れを振り切って、馬車はガタゴトと進んでいく。途中で立ち寄った宿では、無理を言って同室し、眠るのさえ惜しかった。
王都を出発して次の日の午後、とうとう港街に着いてしまった。馬車を降りたら、もう父上とは呼べない。名残惜しく振り向いたレイナールは、父からの最後の抱擁を受けた。
アーノン公爵は、旅の従者を用意していてくれた。港で合流した男は、愛嬌のある笑顔を浮かべていたかと思うと、真面目な顔をして、レイナールに最敬礼した。
「ヴァン・ゴルムです。ボルカノでのレイナール様の生活をお支えいたします」
「よろしく、ヴァン」
国王はレイナールを疎んじていたから、まともな供が選ばれないのではないかと、ヒヤヒヤしていた。レイナールは世間知らずの坊ちゃんだ。ボルカノの港には、出迎えがいるだろうが、船の上で困ったことが起きても、対処できない。
「レイナール様。リザベラ様から餞別がございます」
公爵は、机に置ける大きさの額縁を取り出し、レイナールに手渡した。中にはすでに、リザベラの肖像画が挟み込まれている。
「ボルカノでも、自分のことを忘れないでいてほしい、とのことです」
「ああ……」
「本当は、ここまで一緒に見送りに来るとおっしゃっていたのですが……」
さすがに未成年の姫君を、荒々しい海の男たちが闊歩する港街に連れてこられなかった。ここはボルカノの攻撃を唯一、直接受けた街でもあり、活気というよりも、物々しい怒りによって動いている。家屋も損壊しているものがほとんどだった。
「それからこちらを」
「公爵、それは」
レイナールは顔をしかめた。鉢植えは、そもそも贈り物には適さないものだ。割らないように注意しなければならないのはもちろんだったが、植物自体が問題だった。その花は、人に贈ることが禁忌とされている。
今の段階では、まだ蕾もついていない。レイナールは神殿でも植物を育てるのが好きだったから、葉を見るだけで、それが何の花だかわかる。
レイナールが最も愛している花だ。
雪深い谷で、目を凝らして探さなければならない、小さく白い花。可憐な見た目とは裏腹に、固く冷たい地面を割って地上で花を咲かせるのは、生命力そのものだ。雪をものともせずに生えてくるその様を、雪割草と名づけた人は、冬があまり得意ではなかったのかもしれない。
彼はきっと、雪割草を見て、自分自身も冬を耐え忍び、春を待ったはずだ。そうじゃなきゃ、花言葉を「希望」とするはずがない。
レイナールは、白に近い自分の髪色と、この花を重ねていた。自分も強くあらねばならぬと、幼い頃は公爵家の庭に、雪割草を植えていた。
『レイナール坊ちゃま。雪割草を、他の人にあげてはなりませんよ』
教えてくれたのは、朴訥な印象の庭師だった。植物の言葉がわかるかのように、水や肥料の量や与える時期を間違えない彼のことを、レイナールは心から尊敬していた。
雪割草の花言葉は、「希望」。だが、他人に贈与することで、それは忌まわしい言葉へと変貌する。
白金の王子であるレイナールは、禍々しい花言葉を知ってなお、むしろそれまでよりもずっと、その花を愛するようになった。
ヴァイスブルムにいれば、レイナールは民たちの希望の象徴としていられる。けれど、ボルカノに行けば……。
アーノン公爵は、鉢を受け取ろうとしないレイナールの手を取った。 頭を撫でられたのは、もうずっと、小さい頃。もっと大きい手のひらだと思っていたのに、いつの間にか、自分の手は、父のものと変わらない大きさに成長していた。
胸がぎゅっと詰まる。声を出せない。きっと、震えてしまう。
「これは、もともとあなたのものですから……差し上げたことにはなりませんよ」
優しい言葉に、ハッとして鉢の中を見た。秋とはいえすでに空気は冷え切っており、突き刺すような潮風にうち震えている草を、公爵は、あの庭師は、今の今まで大切に育ててくれていた。
ならば、断ることはあるまい。震えながらも寒さに決して萎れることのない雪割草を、レイナールは受け取った。
「レイナール様。そろそろ……」
ヴァンが遠慮がちに声をかけてくる。わかった、と頷きながらも、ぐずぐずと行動に移せないでいるレイナールは、父の顔をこの目に焼き付けようと必死なのに、涙の膜が邪魔をする。
父もまた、ぐっと男泣きを堪えている顔で、レイナールの手を強く、ただ強く握ったのだった。
寝食をともにしたところで、白金の王子を友と呼んでくれる人間はいない。崇拝の目を向けられる生活は居心地が悪かった。
ボルカノでも宗派は違うものの、同じ神を祀っている。英雄視される始祖がいない分、向こうの方が生きやすいのかもしれない。許されるのなら、あちらでは本格的に出家して、俗世との関わりを一切絶って生きていくのはどうだろう。
それは、とても心が軽くなる思いつきだった。背負わされた重圧も、神に本格的に仕えるうちに、消えていくに違いない。ボルカノだって、中途半端な王族など持て余すだろうから、機を見てこちらから提案しよう。
「お世話になりました」
レイナールと直接関わることの多かった大司教に頭を下げ、レイナールは馬車に乗り込みかける。
馬車は神殿で所有しているものだ。清廉、質素を掲げる教団だから、造りは頑丈なものの、王家の人間が乗っているとは思えない無骨な外観をしている。
「お待ちください」
かけられた声に、振り返る。危うく転げ落ちるところであった。
「アーノン公……」
父上、と呼びかけて、飲み込んだ。父とは、国王陛下でなければならない。公爵も公爵で、跪き臣下の礼を取ってから、
「殿下の送迎を、申しつかりました」
戸惑い着いていくレイナールは、公爵家の紋が堂々と刻まれた、豪奢な馬車に乗せられた。父は向かい側に座り、御者に合図を出す。見た目以上に乗り心地にこだわって作られているようで、揺れても尻や腰への衝撃が少なかった。
密室の中、父子ふたりきりの旅は、これまでの心の距離を埋めるように過ぎていった。話をして、笑い、泣き、これから訪れる別れを振り切って、馬車はガタゴトと進んでいく。途中で立ち寄った宿では、無理を言って同室し、眠るのさえ惜しかった。
王都を出発して次の日の午後、とうとう港街に着いてしまった。馬車を降りたら、もう父上とは呼べない。名残惜しく振り向いたレイナールは、父からの最後の抱擁を受けた。
アーノン公爵は、旅の従者を用意していてくれた。港で合流した男は、愛嬌のある笑顔を浮かべていたかと思うと、真面目な顔をして、レイナールに最敬礼した。
「ヴァン・ゴルムです。ボルカノでのレイナール様の生活をお支えいたします」
「よろしく、ヴァン」
国王はレイナールを疎んじていたから、まともな供が選ばれないのではないかと、ヒヤヒヤしていた。レイナールは世間知らずの坊ちゃんだ。ボルカノの港には、出迎えがいるだろうが、船の上で困ったことが起きても、対処できない。
「レイナール様。リザベラ様から餞別がございます」
公爵は、机に置ける大きさの額縁を取り出し、レイナールに手渡した。中にはすでに、リザベラの肖像画が挟み込まれている。
「ボルカノでも、自分のことを忘れないでいてほしい、とのことです」
「ああ……」
「本当は、ここまで一緒に見送りに来るとおっしゃっていたのですが……」
さすがに未成年の姫君を、荒々しい海の男たちが闊歩する港街に連れてこられなかった。ここはボルカノの攻撃を唯一、直接受けた街でもあり、活気というよりも、物々しい怒りによって動いている。家屋も損壊しているものがほとんどだった。
「それからこちらを」
「公爵、それは」
レイナールは顔をしかめた。鉢植えは、そもそも贈り物には適さないものだ。割らないように注意しなければならないのはもちろんだったが、植物自体が問題だった。その花は、人に贈ることが禁忌とされている。
今の段階では、まだ蕾もついていない。レイナールは神殿でも植物を育てるのが好きだったから、葉を見るだけで、それが何の花だかわかる。
レイナールが最も愛している花だ。
雪深い谷で、目を凝らして探さなければならない、小さく白い花。可憐な見た目とは裏腹に、固く冷たい地面を割って地上で花を咲かせるのは、生命力そのものだ。雪をものともせずに生えてくるその様を、雪割草と名づけた人は、冬があまり得意ではなかったのかもしれない。
彼はきっと、雪割草を見て、自分自身も冬を耐え忍び、春を待ったはずだ。そうじゃなきゃ、花言葉を「希望」とするはずがない。
レイナールは、白に近い自分の髪色と、この花を重ねていた。自分も強くあらねばならぬと、幼い頃は公爵家の庭に、雪割草を植えていた。
『レイナール坊ちゃま。雪割草を、他の人にあげてはなりませんよ』
教えてくれたのは、朴訥な印象の庭師だった。植物の言葉がわかるかのように、水や肥料の量や与える時期を間違えない彼のことを、レイナールは心から尊敬していた。
雪割草の花言葉は、「希望」。だが、他人に贈与することで、それは忌まわしい言葉へと変貌する。
白金の王子であるレイナールは、禍々しい花言葉を知ってなお、むしろそれまでよりもずっと、その花を愛するようになった。
ヴァイスブルムにいれば、レイナールは民たちの希望の象徴としていられる。けれど、ボルカノに行けば……。
アーノン公爵は、鉢を受け取ろうとしないレイナールの手を取った。 頭を撫でられたのは、もうずっと、小さい頃。もっと大きい手のひらだと思っていたのに、いつの間にか、自分の手は、父のものと変わらない大きさに成長していた。
胸がぎゅっと詰まる。声を出せない。きっと、震えてしまう。
「これは、もともとあなたのものですから……差し上げたことにはなりませんよ」
優しい言葉に、ハッとして鉢の中を見た。秋とはいえすでに空気は冷え切っており、突き刺すような潮風にうち震えている草を、公爵は、あの庭師は、今の今まで大切に育ててくれていた。
ならば、断ることはあるまい。震えながらも寒さに決して萎れることのない雪割草を、レイナールは受け取った。
「レイナール様。そろそろ……」
ヴァンが遠慮がちに声をかけてくる。わかった、と頷きながらも、ぐずぐずと行動に移せないでいるレイナールは、父の顔をこの目に焼き付けようと必死なのに、涙の膜が邪魔をする。
父もまた、ぐっと男泣きを堪えている顔で、レイナールの手を強く、ただ強く握ったのだった。
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