桜の綾が香るとき

月影

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第4話:夢じゃないだろうか?

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次の日、何の気なしに昨日綾香が聞き込みをしていた場所の周辺を見渡してみる。
『少しずつ会いに来る』と言っていたので、もしかしたらと思ったのだ。
すると、俺の視線はとある一点に吸い寄せられる。
木陰にひっそりと立って俺のことを待っていたのは、幼馴染の綾香だ。

「綾香」
「夜宮くん、お疲れ様」

そう言うと翳りのない笑顔で俺の隣に並ぶ。
こういうところは少し変わったのかもしれない。
俺の知る昔の彼女は、人見知りで人間関係を苦手としていた。
初めは彼女に怯えられたのだが、少しずつ慣れてくると俺の半歩後ろをついてきたものだった。
その半歩の差は今はもうない。
むしろ、俺に合わせて彼女が隣り合ってくれていた。

「ああ、これからどこかに行くのか?」
「最終目的地は夜宮くんの家までだけど、少し歩きながら話そうよ」

綾香の提案に俺は頷く。

……いや、ちょっと待て。今、何か変なことが聞こえなかったか?

「目的地が俺の家までってどういうことだ!?」

俺が焦るのも無理のない話である。
あんな誰がどの角度から見ても『安い』の二文字しか思い浮かばないようなアパートを見せたくない。
根暗な俺にだって、同年代で幼馴染の女の子に見せるには恥じらいというものを覚える。

「そのままだよ。夜宮くんがどんな感じで過ごしているのかなって気になっちゃって」

「ごめん、まずかったかな……?」という表情を浮かべながら、眉尻を下げる綾香に俺は小さくため息をつく。
俺はなけなしの思考力を駆使して思いつく限り、年頃の女子が嫌がることを口にする。

「年頃の男子の部屋だぞ。Gがいるかもしれないし、俺が襲うかもしれない。それに、そこに入ったら二度と出てこられないぞ。それでもいいのか?」

貧弱な発想力と凡庸な語彙力に泣けてきそうだ。
そんな俺の心中をすべて察したわけではないだろうが、彼女は苦笑する。

「ん~それは嫌かな?」
「よし、なら諦めような」

この勝負、貰ったり。
俺が安堵の息をつき、この会話を打ち切ろうとすると、綾香は妙案思いついたり、という悪戯な笑みを浮かべる。
あ、これ負けるやつだ。

「夜宮くんは何かやましいものをお部屋に隠してるんだね……? それなら仕方な――」
「分かった。俺の部屋に来ていい。その代わり、お互いに知らないことが多いだろ? だからいくつか質問をし合おう」
「うん、分かったよ」

いらぬ誤解を受けそうだったので、早々に白旗を上げる。
まさか『G』や『襲う』という言葉を無視して、カウンターを食らうとは思わなかった。
だが、綾香には聞きたいことがあるから、よくよく考えてみれば損ばかりではない。

「そうだなあ……まずは夜宮くんから聞いていいよ。わたしに色々と聞きたくて仕方なさそうにしてるし」
「なら、遠慮なく。昨日の綾香の話だと、綾香のお母さんに聞いて俺を追ってきたってことだろ? どうしてだ?」

俺はあえて昨日した質問と似通った問いかけをする。
どうしても綾香の真意を知りたかったのだ。
それに対し、綾香は困ったような、嬉しそうな表情をのぞかせる。

「昨日も言ったけど、夜宮くんに会いたかったからだよ。小学六年生の最後、君にあんまりに突然『引っ越す』って言われてさ、話す時間が取れなかったから。わたしはもっと夜宮くんといたかったし、君の描く絵をもっともっと見たかったんだ」

『絵』という単語が耳に木霊する。
幼い頃の俺の夢は父さんと同じように、人を感動させる絵を描くことだった。
だからこそ、一生懸命に技術を磨いたし、その副産物である絵は綾香や時雨にプレゼントしていた。
中学校時代も「描いてほしい」と言われれば、多くの人に描いた。
そして、その『多く』の中に俺が絵を描くのをやめたきっかけの人間がいて、朝露事件にも関わっていた。

「っ……はぁはぁ……」
「夜宮、くん……?」

手が伸びてくる。
怖い。怖い。怖い。

「触らないでくれ……!」
「っ!」

思わず、綾香の手を跳ねのけてしまう。
パシッという音がかなり強い力で弾いてしまったことを示していた。

「……ごめん」
「ううん。わたしこそ、ごめんね」

綾香からすれば、普通に会話していたようなもので、唐突な拒絶に戸惑っているように見える。
訳の分からない行動に憤りを覚えてもいいはずなのに、気遣いの視線を向けてくる。

「あのね、もしよかったらなんだけど、この三年間で夜宮くんに何があったのかを教えてくれないかな……? 触られたくない傷なのかもしれないけど、わたし、折角君の近くにいられるんだから。ね?」
「……今は、話したくない」
「そっか……。うん、分かった。じゃあ、もう過去のことは聞かないことにするからさ、一緒に遊びに行こ!」
「わっ……! ちょっと待てって……!」

綾香は俺の不愛想な対応にも嫌な顔一つせず、手を引いてくる。
その顔はどこまでもまっすぐに前を見つめていて、俺とは対極の存在だ。
だからこそ、その言葉が聞こえたとき、耳を疑った。

「――今日から、わたしが夜宮くんの彼女になるから……!」

今までの陰鬱な空気に――勝手に居心地の悪さを感じていた俺に、一陣の風に巻かれた桜の花弁が吹雪く。
目を開くとそこには、清澄な笑顔を向ける妖精がいた。
今だけはすべてを捨て去って、俺は声を大にして言おう。

「――夢じゃないだろうか……?」
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