類を惹く

星来香文子

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天国でも地獄でも 敬具

飛鳥 ♢・30歳・被害者(3)

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 大学を卒業してから、就職して一人暮らしを始めた。
 やっと手に入れた自由をこれから謳歌しようと思っていた。
 一発で内定をもらったAJIYA食品は、俺が昔から好きだったお菓子を作っているメーカーだ。

 それだけじゃない、面接の前に会社のホームページを調べていた時、この会社には音成という専務がいることを知った。
 同じ苗字で、もしかしたら親戚ではないかと思った。
 それに俺を面接した味屋さんという女性社員も、どことなく音成に顔が似ているような気がしたんだ。

 だからここを選んだ。
 他にも内定をもらった会社はあったが、あんな地獄を経験するとは思わずに、音成の面影を追って入社した。

 俺の上司は、頭のおかしい女だった。
 会長の孫でまだ若いがとても優秀で、社員からの評判も良かったのに、いざ働いてみれば、あの女はアヤ先生みたいに俺を特別扱いした。
 仕事だと嘘をつかれて呼び出され、ホテルに連れ込まれたことが何度もある。
 そのうち、薬を盛られて……今思い出しただけでも、恐ろしくて仕方がない。

 記憶がない間、勝手に、俺の体であの女は何をしたんだろう。
 俺の体のどこをどう触って、どこをどう弄っただろうか。
 吐き気がする。


 転職した後も、俺は女が怖くてたまらなかった。
 特に同世代くらいの女が怖かったが、転職先は同年代の女性社員はほとんどいない会社だった。
 働いてみれば、いつも近所のおばさん達から向けられる「イケメンがきた!」くらいの感じで安心した。

 ほぼみんな既婚者だし、俺にあんな無理強いをするような人はいなかった。
 新しい上司の社さんは、あの女と違ってセクハラもパワハラもしない。
 節度を持った常識のある大人の女性。
 こういう人も世の中にはいるんだなと、最初はそう感心したくらいだった。

 営業の仕事も、この顔のおかげで成績が落ちることもなく、俺は自分の才能を十分に発揮し、多少ブラックな面もある会社ではあったが、仕事は充実していた。


 一方で、プライベートの方は散々だ。
 誰だかわからない見知らぬ女に何度もストーカー被害にあって、短期間に八回は引っ越した。
 引っ越し代金だけで貯金が底をつきそうだった頃、会社が訴えられて炎上。
 それがきっかけで社内のでの状況も変わった。
 パワハラ・セクハラの常習犯だった男性社員が次々いなくなって、一緒に大変な時期を乗り越えた女性社員の発言力が増していく。

 だから離島で嵐の中、酔っ払った社さんに襲われるなんて、最初は何が起きたのか理解できなかった。
 信頼していた上司からの明らかなセクハラだ。
 酒が入ったことで、本性を現したんだ。
 この人も、俺をそういう目で見ていた。
 もう何もかもどうでもよくなって、流されるまま好きにさせてしまった。

 これが一番良くなかったことに気づいたのは、すべてが終わった後のことだ。
 あれ以来社さんは、自分は俺と密かに付き合っていると思い込み、優越感に浸っていた。
 たった一度、間違いを犯しただけなのに……


 また引っ越しても、別の頭のおかしい女が、同じようストーカーになる。
 勝手に俺についてくる。
 ストレスのはけ口に煙草を覚えたり、何度か知らない男と寝たこともあるけれど、あの時のような幸福は得られなかった。

 音成に会いたい。

 そんな思いだけが膨らんでいた頃、運命の時がやってくる。
 貯金を使い果たしてまた引っ越した安いアパートの隣の部屋に、音成が住んでいたのだ。

 これまで何度も神を恨んでいたが、この時ばかりは神に感謝した。
 やっと見つけた。
 俺の初恋の人。
 ただ一人、心から愛した人。

 相変わらず知らない女からストーカー行為にはあっていたけれど、音成がいるなら、俺はそれでよかったんだ。
 妹はあれからすっかり大きくなって、今ではアヤ先生にそっくりになった。
 もう俺の天使だった頃の面影はわずかしか残っていない。
 だから、音成と再会できたことは俺にとっての最大の幸福だった。


 音成の書いた小説も面白かったし、毎日作ってくれていた弁当も美味しかった。
 音成の匂いを仕事中も感じたくて、音成が吸っていた煙草と同じものを吸うようになった。
 ところが、奇妙なことに、近頃、見覚えのないタッパーが冷蔵庫の中に増えていた。
 音成が作ったものではない。

 お裾分けで大家さんが持ってきたものとは中身が違う。
 宅配の荷物が、勝手に開けられていることもあった。
 ストーカー被害が過激になっている。
 それでも音成のそばを離れたくはなかったから、引っ越しは考えなかった。

 しかし、どうもその音成の様子もおかしい。
 俺の前ではたまにしかしていなかった女装で、俺の部屋に来るようになった。
 まるで本当に別人のようになっていく。

「私はユウ。ユウって呼んで。女優のユウよ」
「なんだよ、新しい遊びか?」
「うん。だって、類はやぱり私のような偽物の女より、本物の女が好きなんでしょう?」
「は……? なんだよそれ」

 そんなようなことを俺に抱かれながら言うようになった。
 最初は冗談だと思っていたが、ある日、ユウはベッドの下を指差した。
 一体何があるんだと覗いてみると、そこには見覚えのないピンクの女性ものの下着。

「私以外に、女がいるんでしょう? 冷蔵庫の中の料理は、その女が作ったの?」
「違う……! 俺は、こんなの知らない」
 誰だ。誰が、こんなことを……
「嘘よ。私、見たわ。あの人、誰? 女の人。この部屋の前に立ってた。郵便屋さんと鉢合わせしてね、言ったのよ」
「何を……?」
「『飛鳥の彼女なんで、渡しておきます』って」

 誰だ。
 そんな女、俺は知らない。

 音成は俺を信じてくれなかったし、その誰だかわからない女に嫉妬して、俺がやめてほしいと言っても、ユウでいることをやめなかった。
 音成としてじゃなく、ユウとして俺に会いに来るようになったんだ。
 誰が俺の音成を、こんな風に変えてしまったのかわからなかった。

 音成はどんどんおかしくなった。
 俺を取り巻く環境もおかしくなった。
 勝手に冷蔵庫に入っているのが気持ち悪くて、中身もタッパーも全部捨てた。

 こんなものがあるから悪いんだ。
 最初はアヤ先生が母親だからと大家に頼んで開けてもらい、勝手に入っているのかと思ったが、妹に聞けばアヤ先生は普通に仕事に行っている。
 アヤ先生はこれまでも何度かこの街に住んでいる友人に会いにきたついでに俺に会いに来ることはあったが、一年のうちに数回程度だ。

 実家からここまでは、そんなに頻繁に来られる距離ではない。
 タッパーは大家さんが持って来るものと全く同じだ。
 なら、向かいのマンションに住んでいるあの人かと窓から外を見ると、屋上に光るものがあった。

 肉眼では見ずらかったので、スマホのカメラ機能で確認すると一眼レフのカメラが見えた。
 すぐにやめるように言いに行ったが、話がまるで通じない。
 数回しか話したことはなかったが、おかしな女だとすぐにわかった。
 目や口調が、俺に異常な好意を向けている女と同じだ。

 最近、ユウの目もこんな風に、気持ちの悪いものになりつつある。

 会社でもそうだ。
 給湯室にある妹が作ったマグカップを、社さんをはじめとした女性社員たちが勝手に触って、口をつけて、よだれでベトベトになるまで舐め回していることが判明したばかりだった。

「勝手に俺宛の荷物を受け取ったのもあんたか?」
「荷物? そんなことはしていないわ。私はただ、飛鳥くんが疲れているのに家事をするのは大変だろうから、少しでも助けになればと冷蔵庫に入れただけよ? 飛鳥くんがお腹をすかせていたら大変だもの。本当は、直接こうしてお話ししながら渡したかったけど、飛鳥くんはお仕事でほとんど日中は家にいないし、最初から私が中に入って、冷蔵庫に入れておけば安心でしょう? 部屋の合鍵は私が持っているのだから」

 荷物を勝手に開けている犯人はこの女ではなさそうだが、やはり頭がおかしい。
 大家とはいえ、その鍵で勝手に鍵を開けて入ってくるなんて、ありえない。

「大丈夫よ、飛鳥くん。勝手に飛鳥くんの荷物を漁るなんて、そんな妙な女、私が見つけて警察に突き出してあげるわ。飛鳥くんはそんなことは気にしないで、なんの心配もいらないわ。私が守ってあげるから」
「だから、それをやめてくれと言っている!!」
「もう、遠慮しないで。ふふふふ、任せてちょうだい」
「……」

 任せられるものか。
 誰も頼れない。
 早く引っ越した方がいい。
 でも、もうそんな金はない。
 どうしたらいいかわからない。

 呆然としながら自分の部屋に戻ろうと歩いていると、スマホにメセージが届いた。
 妹からだった。
 父へ誕生日プレゼントが届いたというのだ。

 このアパートに引っ越してきてからは、近くのコンビニで展開しているギフトサービスを利用している。
 今年はそれをすっかり忘れていたというのに、俺の名前で、父宛に届いたそうだ。

「誰が、こんなこと……を……」

 もう何が何だかわからなくて、視界がぐるぐると周り、俺は自分の部屋へたどり着く前に音成が住んでいた201号室の前で倒れて気を失った。
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