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第三章 崇拝者
崇拝者(5)
しおりを挟む「社くんだけじゃない。誰もいない給湯室で、飛鳥くんのマグカップを舐め回していた女性社員がいた。マグカップに頬ずりしていた女性社員も。私はカメラに映っていた全員と面談したよ。どうしてそんなことをしたのか、一体、勤務中に何をしているのかと……」
浜田社長は、当時のことを思い出したのか呆れているようで、むしろ少し笑いながら続ける。
「『私は飛鳥くんの彼女だからいいんです』とか『好きな人の持ち物に触りたいと思うのはいけないことですか?』とか、挙句には『社長だって、小学生の頃に女子のリコーダーを舐めたことくらいあるでしょう?』と言われたよ……————いい年をした大人が、何を言ってるんだと思ったが、彼女たちの目は本気だった」
兄と密かに付き合っていると主張している女性社員もいたため、本人に確認したところそんな事実はないとはっきり否定されたそうだ。
社さんもその一人。
ただ、社さんの場合は彼女が言っていた通り、離島で一度だけそういうことがあったのは事実らしい。
それも、酔っ払った社さんが兄に襲いかかったようなものだった。
それまで社さんは兄にとって、とても頼りになる上司だと信頼していたのに、裏切られ、どうでもよくなってしまったらしい。
外は大雨で、逃げ場はどこにもなく、仕方なく、要求されるまま、こんなのは現実じゃないとやり過ごしたそうだ。
「飛鳥くんは、強く拒否できなかった自分が悪いんだと言っていたけど、それから社くんは何度かそういう行為を要求してきたそうだ。流石に拒んだし、他の社員から常に飛鳥くんは見られていたからね、そのたった一度きりだったそうだよ」
社さんは、兄と付き合っていると言っていた。
はっきりと、肉体関係があったとも。
私にはそれがどうも信じられなかた。
だからこそ、浜田社長の話を聞いて、納得してしまった。
やっぱり、兄は社さんと付き合っていたわけじゃない。
社さんの一方的な片思いだった。
社さんの話が具体的だったのは、その一度きりの過ちのせいだろう。
兄は、前の会社を辞めた理由を知っている浜田社長にだけ相談していたようだ。
「社くんは仕事のできる人だし、うちの会社にとっては必要な人材だった。私としては、すぐに解雇したいくらいだったんだが、今の私にそれは出来ない相談だった。だからと言って、隠蔽するつもりもない。愚息たちの件で、パワハラやセクハラに対応するには明確な証拠が必要だとわかったからね、慎重に証拠を集めていた。そうしたら、もう女性社員の大半が、飛鳥くんに恋心というか……あれはもう、崇拝に近い状態になっていた。まるで、何かの宗教のようだったよ。今後どうするか相談していた矢先に、あんな事件が起きてしまってね……神棚にマグカップが置いてあっただろう? あんな非常識なことはやめるように言ったんだが、無駄だった」
浜田社長や他の男性社員たちは、女性社員たちの異常な行動を止めようとしたそうだ。
ところが、「あんたたちには人の心がないのか!? 私たちの飛鳥くんが殺されたのに、可哀想じゃないか」などと烈火の如く怒り狂って、しまいには全員辞職する勢いだった。
そんな人数に一度に辞められてしまっては困るため、今の状態のまま神棚に飾ってあるのだという。
「お葬式にもね、あまり大人数で押しかけたら迷惑になるからと言ったんだが……まったく私の意見なんて聞いてはくれなくてね。本当に申し訳ないことをしたと思っている。あんなに年甲斐もなく泣いている女がたくさんいる葬儀で驚いただろう。ご家族も、飛鳥くんの彼女だって……」
「え? 彼女……?」
「うん。料理上手な恋人がいるって言っていたけど……あれ? この話も、聞いていないのかい?」
私がまた首を傾げたので、浜田社長は驚いていた。
「え、飛鳥くん、家族にも紹介していなかったのかい? うちの社員以外でも泣いている若い人がいただろう? てっきり、その人が彼女だったと思ったんだが————」
兄に彼女がいた。
それは、家族全員知らないことだ。
しかし浜田社長は、兄の彼女に会ったことはないし、顔は知らないが、料理が上手で、昼食で彼女が作った弁当を持って来たこともあったと言っていた。
「詳しいことは知らないけれど、学生時代に知り合った人だって言っていたな……」
ここで出て来た新たな情報に、私は食いついた。きっと、その人こそ、あのベッドの下にあったピンクのTバックの人に違いないと思った。
「他に何か、その彼女について、兄が話していたことはありませんか?」
「うーん、そうだな……」
浜田社長は少し考えて、何か思い出したように続ける。
「確か、スーパーの店員さんだったはず。賞味期限が近くて割引になった外国の調味料とか、野菜とかが安く食材が手に入るから、それらをどう調理するかが趣味だとかで————」
そこで初めて、行方不明だったムクマムと、埃まみれのTバックが結びついた。
ヌクマムを買ったのは、その料理上手な彼女だ。
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