類を惹く

星来香文子

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第三章 崇拝者

崇拝者(2)

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 ビルは古い建物なはずなのに、その神棚だけが真新しかった。
 鏡や塩、米、酒などと一緒に、兄が使っていたはずのマグカップが、どうしてそこにあるのか、さっぱりわからない。
 お供え物……だとしても、おかしい。仏壇に故人が生前好きだったものを置く————ならまだわかるが、そもそも、ここは会社であって、あれはどう見ても神棚だ。
 仏壇じゃない。

 明らかにおかしい。

「あぁ、あれね。飛鳥くんが使っていたマグカップよ。形見分けをどうするかみんなで相談してね、他のものは平等にじゃんけんで分けたんだけど、やっぱり、飛鳥くんが使っていたものはみんな欲しがって……仕方がないから、みんなのものってことであそこに飾ってあるの」
「形見分け……? じゃんけん……?」

 理由を聞いても、やっぱり理解できない。
 私の記憶が間違いでなければ、形見は、家族とか近親者がもらうものだったはずだ。
 確かに兄はこの会社で働いていたが、同じ会社で働いていた人たちは、近親者ということになるのだろうか?

 いや、それ以前に、あのマグカップは一個人の私物だ。私の兄のものであって、遺族の了承もなしに、勝手にそんなことをしていいはずがない。
 それに、他のものってなんだ。
 会社に残っていた兄の私物は、うちに送られて来たもの以外にもあったと言うことか?

「ちょっと待ってください。誰の許可を得て、形見分けなんかしたんですか? うちの父や母の了承は得ているんですか?」
「了承……? 何言ってるの?」

 この人は兄の上司。
 それも、課長。
 正確な年齢まではわからないが、あのおしゃべりな受付嬢よりは年上に思える。
 話しやすい落ち着いた雰囲気のせいで、私はてっきり、まともな大人だと思い込んでいた。
 
 でも、違う。

「陽菜ちゃん、あなたのお兄さんはね、みんなの飛鳥くんだったの。私たちの王子様だったの。それが、突然、あんなことになってしまって————それがどんな気持ちかわからない? 殺されたのよ? 大事に大事に守って来た、私の……私たちの飛鳥くんが、あんなどこの馬の骨かもわからない女に奪われたの」

 この人も、同じだ。兄に対して、異常な感情を持っている。
 顔は笑っているのに、目が笑っていないというのは、こういう人のことを言うのだと初めて知った。

 欠如している。
 大人の女性なのに、常識が欠如している。

「あのマグカップだって、本当は私が飛鳥くんからもらったものなの。それなのに……」
「え? 兄から、もらった?」

 兄があのマグカップを人にあげていたなんて信じられなくて、つい声が大きくなってしまった。
 その瞬間、それまでこちらのことは気にせずに仕事をしていた社員たちが一斉にこちらを見る。

「あ……えーと……」

 社さんは、慌てて私の耳元に顔を近づけ、小声で言う。

「ここではちょっと……給湯室の方で詳しく話すわ。この話は、みんなには秘密なの」



 * * *


 案内されてた給湯室は、休憩室スペースと一緒になっているようで、大きなテーブルや自社製品の自動販売機が置いてある。
 金額は社員割で安くなっているのかと思えば、定価のままだった。
 私たち以外に誰もいないのを確認すると、社さんは私に椅子に座るように促し、鍵を閉めてから私の向かいに座る。

「ごめんなさいね。オフィスの内部は後でちゃんと案内するから……この話は、堂々と話せるものではないのよ」
「どういうことですか?」
「飛鳥くんはみんなのものって決まってるのよ。飛鳥くんの特別には、なっちゃいけないの。表向きはね」
「意味がわかりません、兄と社さんは、一体どういう関係だったんですか? なんで、あのマグカップを、兄があなたに?」

 私は少しムッとしながら質問した。
 あのマグカップは私が作ったもので、兄が気に入ったと言うからあげたものだ。
 それを、どうしてこの人が「もらった」なんて言うのか……親しい人間でなければ、あの兄がそんなことをするとは思えなかった。

 つまり、そう言うことなのだろうか。
 兄は、こんなおかしな人と、そう言う関係だったのだろうか。
 そうだったとしても、なんでこんな女なんだと思ってしまった。

「私たち、お付き合いしていたの」

 まるで恋する乙女かのように、恥ずかしそうに頬を紅潮させながら、社さんがそう言った瞬間、私は自慢の兄に傷をつけられたような気がした。
 どうしてこんな女を選んだのだと、初めて兄にがっかりさせられてしまった。
 具体的にどんな相手なら納得できたかまでは説明できないが、この人じゃない。
 あの兄が選ぶのだから、きっと私にも好印象な人だと思っていた。

 それが今目の前にいるこの女なのかと思うと、不快でたまらなかった。
 まるで信じられない。

「……どんな?」
「どんなって、それは、その男女の関係に決まっているじゃない。うちは社内恋愛を禁止しているわけじゃないけど、飛鳥くんの方が八歳も年下で————私なんかで、本当にいいのかなって、最初は思ったけれど……」

 年の差は別にどうでもいい。
 そんなことより重要なのは、それが事実かどうかだった。
 もし本当に、兄と社さんが付き合っているなら、あの写真の女は誰だろう。
 まったく別の人間と付き合っていると勘違いされて、殺されたということだろうか。

「いつからですか?」
「え? そうねぇ、最初は四年前ね。出張で離島に行くことになって、一日で戻ってこられるはずが、帰りのフェリーが悪天候で欠航してしまって……その日の夜だったわ」

 恍惚とした表情で、社さんは兄との間に合ったことを話した。
 帰れなくなって、どうにか宿を見つけたけど部屋は一つしかなかったこと。
 兄は自分は廊下で寝ると言って、出てこうとしたのを引き止めて、結局二人で朝まで飲み明かすことにしたこと。

 そして、その時酔っ払った勢いで、肉体関係を持ったこと。
 最初に誘ったのは自分の方だったけれど、兄がそれを受け入れたということ。
 激しく熱い夜だったこと。まるで夢のようだったこと。

「飛鳥くんは、みんなの王子様だったの。だから誰にも、飛鳥くんとそういう関係になったなんて、言えなかったわ。だって、今までも何にも知らない馬鹿な女が何人も飛鳥くんを落とそうと必死にアプローチしていたのを、みんなで止めていたのよ? みんなの王子様が、誰か一人のものになるなんて許せない。タブーを犯した人間には、ペナルティが与えられた。そのペナルティを与えていた側の私が、まさか、飛鳥くんと付き合っているなんて、言えるはずがないわ」

 兄との関係は、その一度きりではなく、離島から戻ったあとも続いていたと、社さんは言った。
 事細かに、いつ、どこで、どんな風に抱かれたか、事細かに話しているその表情は、とても幸せそうに見えたが、あまりに具体的すぎる内容に、私は吐きそうになる。

「それにね、飛鳥くんが風邪を引いた時もね、私、看病に行ったの。でも、風邪を移しちゃいけないからって、玄関で追い返されちゃったこともあったわ。私の顔を見ちゃうと、我慢できなくなっちゃうからって……うふふ」


 その表情が、兄に一方的に恋をしていた新任教師を彷彿とさせた。

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