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番外編① 月下の憂鬱
「終わらない」の始まり(4)
しおりを挟む信女は裸足のまま、日が沈み始めた漁村を駆け抜ける。
足から血が出ていたが、湧き上がる怒りの感情は全ての感覚を忘れさせてしまったようで、彼女は何も感じていなかった。
その異様な光景に、制止しようとする門番を振り払い、受領が住まう屋敷の門を蹴破って、侵入すると真っ直ぐにあの日受領がいた部屋へ向かう。
殴られ蹴られようが、斬られようが、受領とあの女を殺すことだけを考えている信女には、なんの意味もなかった。
そして、この世のものとは思えない美しい庭に差し掛かった時、騒ぎを聞きつけ逃げようとしていた受領と鉢合わせする。
「な……なんだ!!?」
驚いて腰を抜かした受領に馬乗りになると、信女は怒りのまま恐怖に怯える受領の顔を殴りつけた。
何度も、何度も殴りつける彼女の姿は、若い女とは思えないほどだった。
美しい中庭に、血の海ができる。
その血は、受領のものか、それとも制止しようとした門番に斬られた彼女のものか。
もう、誰もわからない。
腹の底から湧き上がる怒りが、彼女の思考を止めていた。
怒りと殺意に満ちた彼女を止めることは、誰にもできなかった。
「ば……化け物!!」
月下の彼女の姿を見て、制止に来た者がそう叫んだ。
その声に、ピタリと動きが止まる信女。
(化け物? 誰が…………私が?)
浜辺に横たわる人魚の姿が、信女の脳裏によぎる。
上半身が人間で、下半身が魚で……青い瞳をした人魚の…………化け物の姿だ。
ふと、我に返り、自分の体に痛みを感じる。
制止しようとした者たちにつけられた傷が、痛い。
腹を切られている。
血が出ている————しかし……
ピタリと血が止まって、傷が塞がれて、もとの綺麗な白い肌へ戻っていく。
斬られているのは着物だけ。
信女の着物を赤く染めているのは、今目の前にいる生き物の血だ。
彼女のものではない。
殴りつけた際に剥けた拳の皮も、折れた骨も、元に戻っていく。
どんなに傷つけられても、彼女の体は元の状態に戻っていく。
——人魚の肉を食べると、不老不死になれるらしい——
「————噂は、本当だった」
そう彼女が実感した時には、その生き物はすでに生き絶えてた。
(————あの女は……どこだ)
立ち上がって、屋敷の中に入った信女。
ペタペタと赤い足跡を残しながら、一目散にあの御簾の前へ行く。
しかし、御簾の向こうには誰もいなかった。
顔を隠す際に使われた扇子だけが、畳の上に落ちていた。
「まぁ、なんと恐ろしい……まるで化け物ね」
聞き覚えのある声が、背後から聞こえる。
振り返ると、そこにいたのは緋色の瞳でニヤニヤと嗤う女が立っていた。
そして、女の隣には、女と同じく緋色の瞳をした受領の姿。
「この者を捕らえろ!」
信女が殴り殺したのは、確かに受領だったはずなのに————
「どうして……————!?」
————まるで狐に化かされたようだった。
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