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番外編① 月下の憂鬱
「終わらない」の始まり(3)
しおりを挟む独特な食感が、信女の舌の上に乗り、途端に生臭い魚の臭いが口いっぱいに広がる。
まるで魚の食感とは思えない………数回噛んでみるが、硬く筋張っている。
魚というよりは、肉に近い。
「味はどう?」
女がそう問う。
そこにいた者全員の視線が、信女に集まった。
信女は正直、味なんてわからなかった。
寧ろ、今すぐにでも吐き出したい。
それでも、懸命に飲み込んだ。
「び……美味でございま————」
(熱い……)
加熱をしていないただの切り身だったはずなのに、信女は口の中に熱を感じた。
熱い湯を飲んだ時のような熱を感じる。
(何……これ…………)
何が起きているのか、信女にはわからない。
しかし————
「な、なんだ!? なんだその顔の痣は————!?」
受領は驚いて腰を抜かす。
久兵衛も、娘の肌の変わりように驚いて目が飛び出そうなくらい驚いた。
口元から徐々に信女の白く美しい肌に、鱗のような形をした赤い痣が広がってゆく。
「息が……息ができな…………い…………っ」
喉から熱が広がり、さらには呼吸がうまくできなくなっていく信女。
痙攣を起こした信女の手から、箸が音を立てて床に落る。
ガタガタと震える手を、首もとに手を持っていった時には、もう手遅れだった。
(助けて……————)
体が内側から燃えるように熱を発し、白く美しかった肌は真っ赤に腫れ上がり、全身が痛い。
左右も上下もわからなくなって行く。
立っていられる状態ではない。
信女は意識を失い、その場に倒れ込んだ。
この時、彼女が最後に見たのは、目を細めてニヤニヤと嗤う女の怪しく光る緋色の瞳だった。
「信女!!!!」
久兵衛は娘の名を呼んだが、返事を聞くことはできなかった。
* * *
信女が次に目を覚ましたのは、それから5日後のことだった。
最初に視界に入ったのは、見慣れた天井だった。
ゆっくりと上体を起こして、あたりを見渡すと、自分の家だということがわかる。
(どういうこと……? 夢だったのかしら?)
手を見ても、あの鱗のような赤い痣は跡形もなく消えているし、熱もないようだ。
呼吸も普通にできる。
わけがわからず、ぼんやりしていると扉を開けた男は持っていた巻を全部床に落とした。
「信女!! 気がついたのか……!?」
「兄さん……?」
兄は涙ながらに信女に駆けよって、信女を抱きしめる。
「よかった…………やっぱり、生きていたんだな」
「兄さん……一体何があったの?」
「覚えていないのか? お前は人魚の肉を食べて倒れたんだ」
一体どこからが夢で、どこからが現実だったのか…………
はっきりとした記憶がない信女に、兄は言った。
「その後、父さんが斬られたんだ————」
人魚の肉を口にして倒れた信女を見た受領は、久兵衛の首をその場で刎《は》ね、信女と久兵衛の遺体は捨てられていた。
受領の家の下人からその話を聞いた兄は、無惨に捨てられていた二人を見つけた。
死んでしまったのだと落胆し、遺体を家に運んだが、信女がまだ生きていることに気がつく。
信女が人魚の肉を口にした時、肌に現れた鱗のような痣は消えていたが、5日間信女は眠り続けたままだった。
「父上のことは残念だったけれど、お前だけでも生きていてくれて本当に良かった。受領様は最近おかしくなったと噂に聞いていたから、心配だったんだ」
兄は、受領の家で働く下人たちと仲が良かった。
数ヶ月前から、受領の人柄が変わったと、悪い噂を聞いたばかりだった為、自分が出かけている間に父と妹が受領のところに行ったと聞いて、肝を冷やしていたのだ。
「皆の話によると、受領様は以前は庶民にも分け隔てなく優しい人柄だったらしい。でも、ある日突然、聡明で美しい妻を娶ったかと思うと人が変わってしまったそうだよ」
その噂の中には、酒を飲んで暴れたとか、気に入らない下人を殺したなんて話もあった。
「美しい……妻?」
記憶が曖昧だった信女の脳裏に、緋色の瞳がよぎる。
ニヤニヤと嗤い、怪しく光る緋色の瞳の女————
(そうだ…………あの女が————)
信女は、ゆらりと立ち上がり、裸足のまま家の外へ出た。
夕日に照らされた、貧相な雑草だらけの庭の中に、真新しい墓標が見える。
数年前に亡くなった母の隣に久兵衛の遺体は埋まっている。
(あの女の……あの目————)
思い出しただけで、はらわたが煮え繰り返る。
(人魚の肉を食べると、こうなることがわかっていて、わざと私に毒味をさせたんだ)
信女は、腹の底から湧き上がる怒りの感情が抑えきれず、その足で受領の許へ向かった。
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