元聖女だった少女は我が道を往く

春の小径

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第四章

傷口をナイフで抉る行為だ

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降神祭こうしんさいの騒動は偶然からきたものだった。

「カミさんの花石鹸がきれててさあ。あれ、結構気にいってるんだが、この前買いにいったら売り切れちまっててさ。そのせいで、いま超絶機嫌悪いんだよ。どうせだったら降神祭こうしんさいで売ってくれんかねえ」
「ああ、サフェールの商人とこのだろ? そんな遠くまで買いに行けるのかよ」
「ルリアールは竜騎ギルドがある。金がかかろうが、カミさんの機嫌がなおるならどんなに遠くても俺は行くぜ」
「あー、屋台でも出してくれたら竜騎で向かうのにな」

そんな話がどこかの国のとある町にある普通の酒場であった。
それを偶然、近くの席で聞いた男がいた。
彼は全部を聞いたわけではない。

『花石鹸を売っているサフェールの商人』
降神祭こうしんさい
『ルリアール』
『屋台』
『買いに行く』

聞き取れたこの言葉を勝手に繋ぎ合わせて話を作り出した。

『花石鹸を売っている商人がルリアールの町の降神祭こうしんさいで屋台を出す』

その男は冒険者だった。
冬を迎える前に家に帰る途中だった。
そんな彼は行く先々の町や村でその話をして回った。

「こんな良いニュースをタダで広めてやる自分はなんて親切なんだろう」

男は自分に酔っていた。
そして家に帰ったときに新たな情報が飛び込んだ。

『花石鹸の商人が代理人に指定したのが、冒険者でトップに入るレティシアだ』

冒険者である自分にとって憧れの人物だ。
レティシアはまだ独り者だ。
そんな彼女を配偶者にしようとする冒険者たちは多い。
それができなければパーティに加えようという冒険者たちもいる。
男は既婚者だ。
しかし、レティシアとお近付きになれるなら、と欲をだした。

「タダで宣伝してやったんだから感謝するだろう。だったら売り上げの何割かお礼として請求してもバチは当たらないはずだ」

そしてレティシアに顔と恩を売れば箔が付くというものだ。

男は竜騎でサフェール国のルリアールに乗り込んだ。
しかし、肝心の商人の居どころを知らない。
男は商業ギルドへと向かった。
────── そして彼は捕まった。


「冒険者のレティシアならわかるだろう! 俺は善意で宣伝してやったんだ。感謝されこそすれ、このような仕打ちを受ける筋合いはない!」

捕まった男はレティシアの姿を見るとそう叫んだ。
何がわかるというのか。
立ち会っている者もレティシア自身も、彼の言葉が理解できなかった。

「ウソを広めてなぜ感謝される?」
「───────── は?」

レティシアの冷たい視線とさらに冷たいその声に、男は思考と口が停止した。

「行商人が店を出すことはない。たとえお祭り騒ぎだろうが、屋台が空いていようが。それは商業ギルドの規則に反することだ」
「しかし俺は聞いたんだ! 降神祭こうしんさいの期間中、ここで屋台を出す、と」
「それは商人本人からか?」
「いや、違う。しかし酒場でそう話していたのを聞いたから間違いない」
「それは商人本人からか?」
「そ、そうだ」
「ほう。───────── 私の名でコイツを『悪意あるウソをついて商人を貶めた』として訴える」

レティシアの言葉に青ざめた男。
彼は知らなかった。
その商人一家は今はなく、少女が一人で続けていることを。
それでも言い訳という罪を重ねようとした男は、レティシアから自らの罪の深さを思い知らされた。

「さっきから寝惚けたことを言っているが、ここではっきりさせよう。お前が言っている商人とは十三歳の少女だ。そしてあの子の家族は全員亡くなった。お前が見たという男はあの子の父親ではない。家族はあの子が十一歳のときに全員が目の前で殺されたのだからな」

カタカタと震える男の顔は青ざめて脂汗を床に落としている。
自分は今、家族を目の前で亡くした子供に対し「君の父親と会った」と言おうとしていたのだ。
これは傷口をナイフでえぐる行為だ。
世界で決められた重罪のひとつなのだ。

「あの子は私の大切な姪よ。そして、ルリアールに住む全員があの子の後見人。そんな私たちがあの子の代わりに宣言するわ。─── 重罰を望みます」

欲望という絵の具で思い描いていた未来絵図は、彼の目が覚めたときには自らの手で黒く塗り潰していた。

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