魔女の足跡

大神雨乃

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第3話 勇敢な臆病者

ただ1人の臆病者

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鉛色の雲に覆われた空の下に、荒れた道が続いている。
今にも雨が降りそうな冷たい風が吹く中、テオは雨宿りが出来る場所を探して走る。しかし、どこまでも続く平原は、葉の少ない木や小さな木しかなく、テオは焦っていた。

「平原しかない...街に着けばいいが、それらしきものは見えないな。」

揺れる背中の上に乗っていたシオンが、何かに気がついた。

「テオ、視野が狭い。向こうを見て。」

道から大きく逸れた場所に、小さな家が立っていた。その家に行く道は無く、草原を駆け抜けるしかなかった。

「あそこなら休めそうだな。」

テオは道から外れ、家に向かって走っていく。
すぐに家まで辿り着くと、シオンはテオから飛び降りた。目深に被った帽子を脱ぐと、扉を何回か叩いた。

「誰かいますか?」

返事が無い。
シオンはノブをゆっくりと回して扉を引くが、内側から鍵が掛けられているのか、扉は開かなかった。

「居ないのか?」

「そうみたい。」

返事は無いが、所々に人が住んでいた形跡がある。

「家の周りを見て、本当に人が居なければ扉を壊そう。」

「あぁ、俺は右から回る。お前は左から行け。」

「分かった。」

二手に分かれて家の周囲を探索すると、シオンは人が住んでいる形跡を見つけた。

「服だ。まだ湿ってる。」

成人用の男性衣服が、2本の柱の間に掛けられた縄に通して干されていた。
その他にも、家の裏手には作物が植えられた畑や井戸があった。

「まだ断面が綺麗な薪を見つけた。」

「こっちは洗濯物。」

「人間が住んでるのか。少し面倒だな。」

「話せば分かってくれる筈だよ。」

家の正面に戻ると、再び扉の前に立った。

「すいません。私は旅の者です。少しの間休ませて頂けないでしょうか?」

声を掛け、耳を済ませる。風の音に紛れて、建物の中から物音が聞こえた。
扉に耳を当て、中の音をよく聞こうとすると、鍵を開ける音が響いた。

「良かった。休ませていただけ...」

「だ、誰なんだよ!」

扉が開いた先には、散弾銃を構えた男が立っていた。テオは間髪入れずにシオンの前に立ち、男を睨みつける。
テオを見た男は突然悲鳴を上げ、その場に膝から崩れ落ちた。

「け、けけ獣!?来るな!来るな!」

男は散弾銃を振り回してテオを追い払おうとするが、テオは冷めた目で見下ろしていた。

「馬鹿なのか?」

「テオ、下がってて。」

テオを下がらせると、シオンは震える男に近付いた。

「怯えないで。テオは優しいから。」

「獣が優しい筈はない!そいつは化物と同じだ!」

男は震える手でテオに銃口を向ける。しかし、テオが1歩踏み出すだけで、激しく取り乱してしまい、会話も出来なくなってしまう。

「仕方ない。テオは外で待ってて。」

「その方が良さそうだな。」

「ありがとう。」

テオは諦めて家の軒下に荷物を降ろしてから、家の外でシオンを待った。
シオンは男を落ち着かせながら、家の中に入っていく。

「す、すまない...取り乱してしまった。」

「大丈夫。私はシオン。さっきも言ったと思うけど、旅人だよ。」

「俺はアストラ...」

「雨が降りそうだから少しここで休んでもいい?」

「ああ、構わないよ...ただ、あまり長居はしないでくれ。」

「あと少しで雨が降る。雨が止んだら出て行くよ。」

「雨か...」

アストラはそう呟くと、部屋の中央に置かれた椅子に腰掛けた。
部屋を見渡すと、普通の家では無いことが明らかになる。

「窓が無い。」

「...そうだよ。灯りは常に点いてるから。」

天井や壁、至る所に灯りが点っている。そのせいからか、足元にある筈の影は消えていた。

「でも、陽の光や風を入れた方が健康的だと思うけど。」

「外が見えては駄目なんだよ。」

そう言うアストラの顔は、深刻な表情を浮かべていた。
他にも家財が目立って少ない事も気になったが、何よりも気になっていた事があった。

「貴方は...何に怯えているの?」

「.......」

アストラは黙り込んでしまった。しばらくの間、沈黙が続く。
シオンが暇そうにしていると、ようやくアストラが口を開き、震えた声で話し始めた。

「ば、化物だ...」

「テオの事?あの表にいる狼。」

「違う...あんな獣じゃない...もっと、訳の分からない...ぐちゃぐちゃした化物だ...」

シオンは首を傾げていた。今までの旅の中、文献でもそんな物は見た事がなかった。

「訳が分からなくて...ぐちゃぐちゃな...獣じゃない生き物...?」

「そうだ...化物...うぅ...」

アストラは頭を抱えて震え出した。

「来る...闇の中から...影の中から...今も俺を見てるんだ...」

「アストラ?」

「来るなぁ!」

再び散弾銃を持ったアストラは、辺りを見渡す。しかし、すぐに落ち着きを取り戻した。

「...今も、影や暗闇からあの化け物が覗いている気がするんだ...」

「だから影が出来ないような灯りになってるんだ。」

「あぁ...生きているだけで、あの化物の姿が影にチラつくんだ...」

アストラは散弾銃を椅子の横に立て掛けると、シオンをじっと見つめた。

「同情はするけど、私にはどうしようも出来ないよ。」

「いや...あぁ...そうだよな...」

その言葉を最後に2人は黙り込んでしまった。
部屋の隅に座っていると、外から雨の音が聞こえた。シオンがテオの様子を見に行こうと、立ち上がるとアストラが叫んだ。

「何処に行く!」

「外の様子を見に行くだけ。駄目なら止むまで家の中に居る。」

「あっ...いや、大丈夫だ。」

立ち上がって呼び止めたアストラの眼は、別の何かが見えているようだった。

「...少し様子を見てくるから。」

シオンはそう言い残すと、アストラを残して外に出た。

「どうした?追い返されたか?」

雨に濡れないように扉の前で丸くなっているが、大きな体は小さな軒では雨を防ぎきれなかった。

「大丈夫?」

「慣れている。そっちはどうだ?怒鳴り声が聞こえていたが。」

「...テオは化物って見た事ある?」

「俺の目の前にいるだろ?」

「真面目に答えて。獣よりぐちゃぐちゃな見た目の化物を見た事がある?」

「化物か...絶対に獣じゃないのか?」

「それは分からない。」

「...見間違いだろ。長い間森に住んでいたが、俺は聞いたことも見たことがない。」

「そっか...」

テオの傍らに座り込むと、雑に頭を撫でた。

「気になるのか?」

「知らないものを知りたくなるのは、人の性でしょ?」

「お前は...いや、勝手にしろ。だが、獣かもしれない。行くのなら、逃げる準備だけはしておけよ。」

「うん。銃はちゃんと整備するから。」

「ソシエか?あれは整備しなくてもいいんだろ?」

「魔術式を見ておかないと。もし少しでも術式が壊れてたら使い物にならない。」

「雨が止むまでには終わらせろよ。」

「分かってる。アストラに追い出されないように、早く終わらせるよ。」

シオンは荷物の中から銀色のケースを取り出すと、家の中に戻った。
家の中に入ると、アストラに怯えた目で見つめられている。笑みを浮かべると、アストラは安心したように目を瞑った。

「さてと...」

シオンは上着を脱ぐと、ハーネスホルスターに収められている自動式拳銃【ソシエ】を、ホルスターから抜いた。

「お、おい...何をしてる...」

「銃の整備。」

銀色のケースから銃の弾倉を取り出すと、今取り付けている断層と交換した。すると、シオンを囲む様にして、魔法陣が展開された。その様子を見ていたアストラは、呆気にとられてしまった。

「魔法...?」

「エリアス国の人は魔女の歴史があるのに、見た人は少ないんだ。」

シオンは展開された魔法陣をじっと見つめている。魔法陣の中では、常に文字が規則正しく動き続けている。

「少しズレてる。」

動きがズレている文字を見つけると、そっと指先で触れる。
触れた文字のズレを修正すると、すぐに別の文字を見る。

「何をしてるんだ?」

「魔術式の修正。分かりやすく言うと、仲間外れを元に戻してるだけ。」

「その魔法は...何が出来るんだ?」

「ソシエの魔法陣は、魔力の空間固定をしてから凝縮、形成術式で魔力を銃弾の形にする。置換術式で、弾頭、雷管、薬莢、火薬に置換する。この魔法を速くする術式とか、別の魔法を付与する術式。その他にも複数の術式が組み込まれてるよ。」

「ま、待ってくれ...理解が追いつかない...」

「大丈夫。人に理解出来る物じゃないから。」

全ての文字列が均一の正しい動きをし始める。ソシエをホルスターに収めると同時に、魔法陣も消えた。

「魔法か...羨ましいな...」

「魔法が使えたら何をする?」

「俺ならあの化物を殺す為に使う...」

「化物はまだ居るの?」

「.....居る。」

その言葉を聞いて、シオンは笑みを浮かべそうになった。子供故の好奇心か、魔女故の探究心か分からない。それとも、他の考えがあるのか。
しかし、シオンはアストラに聞いてしまった。

「その化物は、何処にいるの?」

「この先の深い森だ...光も通さない暗い森...俺の住んでいた街では、賢者の森と言われている...」

「そこに行けばいいんだ。」

「や、やめておけ!」

「どうして?」

「アイツは化物だ...いくら魔法が使えても...無理だ...」

「やってみないと分からない。それに、私にはテオがいる。」

「お、俺は止めたからな...」

「私に何があっても貴方の責任にはならないから大丈夫。」

シオンが無邪気な笑顔を浮かべると、扉を叩く音が聞こえた。その直後にテオの呼ぶ声が聞こえる。

「雨も止んだみたい。」

「行くのか...?死にに行くようなものだぞ...?」

「もし死んだら、運がなかっただけだよ。」

「.....分かった...もう止めない。だが、俺の頼みをひとつ聞いてくれ...」

「別にいいけど、何?」

「森の手前に街がある。そこに俺の親友がいる筈だ。そいつに伝えてくれ...済まなかったと...」

「...いいよ。伝えておく。」

シオンは扉を開けた。アストラも出ようとしたが、テオの姿を見た途端、家の奥に姿を消した。

「...臆病者め。」

「仕方ないよ。行こう。」

シオンはテオの背中に荷物を載せてから、テオに跨った。

「あっ」

「どうした?」

「少し待ってて。」

シオンは家の左側に向かうと、雨に濡れた洗濯物を見て少し罪悪感を感じていた。

「私達が来なければ濡れなかったのにね。」

シオンは洗濯物に手を向けると、洗濯物の上下に魔方陣を展開した。

「新品になっちゃうけど...いいよね?『崩壊ルイナ』。」

シオンが去ってから暫くして、アストラは洗濯物を干していたことに気がついた。ため息をつきながら濡れた洗濯物を見に行くと、そこには洗った時よりも綺麗な服が干されていた。

「か、乾いてる...確かに雨が降っていた筈だ...」

地面を見下ろすと、濡れた土が泥になって靴を汚している。不思議に思いながら洗濯物を取り込んでいると、支柱に紙が貼り付けられていた。

「紙...?」

紙を手に取り、書かれている文字を読む。そこには、「ごめんなさい。新しくなったけど、これはお礼だと思って。」と書かれていた。

「...」

アストラは街道に続く大きな足跡を見て、口元を緩ませた。
濡れた街道を走るテオの白い毛並みは、少しずつ泥に染められていく。

「クソっ...道が乾くまで待ってれば良かった...」

「後で洗ってあげるから我慢して。」

テオの腹部が真っ黒に染まった頃、アストラの言っていた街が見えてきた。その奥には、広大な森が大地を覆い尽くしていた。

「金はあるだろ?今日は高くてもいい。広い風呂がある場所に泊まれ。」

「良いよ。じゃあ、早く走って。」

シオンの上から物を言う態度に腹が立ったのか、突然走る速度を上げた。シオンは振り落とされないようにテオにしがみつき、声も出せなかった。
ようやく街の小さな検問所に着くと、テオは速度を落とした。

「テオ...川でいいの?」

「ちょっとしたスキンシップだ。気にするな。」

「あれのどこが...」

「早く手続きを済ませてこい。」

「...馬鹿。」

シオンは背中から降りると、検問所の警備員に話しかけた。

「ようこそ、旅人さん。ちょっと手続きをしてもらうよ。」

「手短にお願い。」

シオンは簡単な手続きを済ませると、テオと一緒に街の中へ入った。
街は豪華絢爛でもなく、廃れてる訳でもない。何の変哲もない街だった。

「...つまらない街だな。」

「平和でいいと思うけど。」

「ふん。ここの人間と話しても意味が無い。早く宿に行くぞ。」

「じゃあ聞いてくるね。」

シオンは街を歩く人に、宿の情報を聞いた。1番大きな宿は、街の中心にあるとの事だった。テオに伝えると、シオンを背中に乗せて、勝手に走り出してしまった。

「汚れて嫌なのは分かるけど、そんなに急がなくても...さっきもいきなり走り出したり...」

「獣避けが泥に混じってる。そのせいでさっきから鼻が利かないんだよ。」

「獣避け...早く言ってくれれば、薬でどうにか出来たかもしれないのに。」

「洗った方が早い。お前が成分を理解するのが早ければ、お前に頼んでいた。」

「まだ未熟者で悪かったね。」

話している間に宿に辿り着いた。
かなり大きな宿で、宿泊料も値が張ったが、金銭に余裕があったので、泊まることにした。
宿の従業員が案内をしてくれているが、汚れたテオを見て、分かりやすく嫌な顔をしていた。しかし、テオはそんな事は微塵も気にしていなかった。

「あ、テオの足を拭き忘れてた。」

背後を見ると見事に、テオの足跡が残っていた。
部屋に案内された後、迷惑を掛けた詫びとして追加の金を払った。その間にもテオは風呂へ向かっていた。掠れたテオの足跡を追うと、大きな風呂が広がっていた。

「早く洗ってくれ。」

ふてぶてしい態度のテオを見て、シオンはシャワーのノズルを持ち、冷水を浴びせた。

「っ!?何をする!?」

「軽いスキンシップ。」

シオンとテオは風呂でひと騒ぎすると、さっぱりした顔でふかふかのベッドに倒れ込んだ。

「やっぱり野宿よりベッドの方が気持ちいい...」

「寝る前に明日は何をするか考えておけよ。」

「決まってる...おやすみ。」

「言ってから寝ろ。」

「...アストラの親友を探す。言伝を頼まれたから。」

「その親友の特徴は?」

「さぁ...聞いてない。」

「...仕方ない。聞きまわるしかないな。」

「そうだね...」

「もう寝ていいぞ。」

「うん...」

宿で一夜を過し、日が昇る頃にはシオンも起きていた。
普段通り寝起きは良くないが、1時間後には準備を終えていた。

「探しに行くか。」

「すぐ見つかればいいけどね。」

宿を出ると、すぐに聞き込みを始めた。
長丁場になると思っていたが、アストラの名前を出すと、すぐに見つけられそうな程の知名度だった。しかし、その知名度は、いい方ではなかった。

「アストラ?あぁ、あの臆病者か。」

「あんな人の親友?もし居るなら、その親友もかなりの変わり者か臆病者でしょうね。」

「あの臆病者の名前を出さない方がいいよ。君もそう言う人だと思われるからね。」

街の人々は口を揃えて臆病者と言う。

「...探さない方がいいかも知れないな。」

「テオは臆病者だね。私はなんて呼ばれてもいい。私は私の約束を果たすだけ。」

「口約束だろ?」

「約束は約束。」

シオンはめげずに聞き込みを続けた。そして、日が暮れ始めた頃、ようやくアストラの親友の居場所を知る者が現れた。

「アストラの親友?あぁ...知っているよ。こっちだ...」

壮年の男性は、卑屈な笑みを浮かべ、シオンとテオを街の外れに連れていく。案内されたのは、賢者の森だった。

「賢者の森...ここにいるはずさ。」

「ひとつ聞くけど、ここに化物が出たって話を聞いたことがある?」

「な、ないなぁ...そんな話は聞いたことがないなぁ...」

あからさまに嘘をついてる態度だった。銃で脅そうか考えていると、1人の美しい女性が近づいてきた。

「旅人さん。その男の言葉を信じない方が良いですよ。」

「な、ナター...」

「旅人さんから離れてください。」

軍服の様な服を着たナターと呼ばれた女性は、背中に背負った長銃を構えた。

「だ、騙すつもりはなかったんだ...」

「早く消えないと、撃ちますよ。」

ナターの脅しで男は脱兎のごとく逃げ出した。
長銃を背負い直すと、ナターはシオンに頭を下げた。

「私はこの街の警備隊長のナターです。私が居ながら危険な目に遭わせてしまい、誠に申し訳ございません。」

「いいよ。気にしてないから。」

「それと、旅人がアストラの事を聞き回っていると聞いたのですが、貴方達ですか?」

「アストラを知ってるの?」

「アストラが街を出る前は、私達は心の通じあった友でしたので。」

「...この人かな?」

「そいつだろうな。」

アストラの親友ナターは、自分が尋ね人だと知らずに首を傾げていた。
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