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第3話 魏国夫人
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「……では、皇后様はまた御気色悪しくていらっしゃるの?原因は?」
仙月に問われた同輩の雪梅は、答える代わりに彼方のほうを扇で指した。
眼を向けた先には、黄色の袍を着た中年の男性と、桃色の裳と深紅の上着も鮮やかな若い女性が、柳の下で戯れているところだった。黄色の蝶が、桃色の牡丹の周りをひらひらと飛んでいるかのような眺めである。
前者は聖上、そして後者は武后の姪に当たる魏国夫人賀蘭氏であった。
武后の姉は韓国夫人といい、もとは賀蘭越石に嫁いで一男一女をなし、未亡人となったあと聖上の後宮に迎えられた女性である。
韓国夫人は今わの際に、決して自分の娘を後宮に納れてくれるなと聖上に頼んでいたが、聖上はその約束を反故にしてあっさりと娘を手に入れ、母親同様に寵愛しているというわけだった。
しかも賀蘭氏も賀蘭氏で、母親譲りの美貌と帝寵をかさに日を追って驕慢となり、叔母の武后何するものぞという勢いである。
賀蘭氏の嬌声が太掖池の蓮をなぎ倒し、水面を這ってこちらにも届く。仙月が眉をひそめて振り返ると、武后のおわす殿舎は全体がひっそりと静まり返っている。
「魏国夫人も少しはこちらに遠慮すべきでは?」
半ば上の空で雪梅の言葉に頷いた仙月は、大切なことを思い出した。
――そうだ、皇后様に茶菓を進める時刻だわ。
急ぎ足で女主人の居室に入ると、武后は眼をつむり、脇息に身をもたせかけていた。
「…仙月か」
物憂くこちらを見た武后は唇の端を上げた。彼女の手元には、錦にくるまれた包みがあった。
「先日、武惟良――我が従兄弟達が泰山封禅(注1)の帰途に入京した。食材などを幾たりか聖上に献じて参ったが、なかに極上の塩漬け肉があったので、賀蘭氏にも賜ろうかと思う。確かあれの好物だったはずゆえ……そなた、彼女のもとに使いとして行ってくれぬか?」
「かしこまりました」
一礼して、何気に武后の手を見た仙月はぞっとした。皇后の、脇息の縁をつかんだ右手の先が固くこわばり、血の色を失っている。追い打ちをかけるように、武后の低い声が仙月の耳朶を冷たくした。
「塩漬けは美味なものだが、食べ過ぎると身体に毒だ。……のう、そうは思わぬか?」
***
注1「泰山封禅」…天子が泰山で天を祀り、天下の安泰を報告する臨時の祭祀。
仙月に問われた同輩の雪梅は、答える代わりに彼方のほうを扇で指した。
眼を向けた先には、黄色の袍を着た中年の男性と、桃色の裳と深紅の上着も鮮やかな若い女性が、柳の下で戯れているところだった。黄色の蝶が、桃色の牡丹の周りをひらひらと飛んでいるかのような眺めである。
前者は聖上、そして後者は武后の姪に当たる魏国夫人賀蘭氏であった。
武后の姉は韓国夫人といい、もとは賀蘭越石に嫁いで一男一女をなし、未亡人となったあと聖上の後宮に迎えられた女性である。
韓国夫人は今わの際に、決して自分の娘を後宮に納れてくれるなと聖上に頼んでいたが、聖上はその約束を反故にしてあっさりと娘を手に入れ、母親同様に寵愛しているというわけだった。
しかも賀蘭氏も賀蘭氏で、母親譲りの美貌と帝寵をかさに日を追って驕慢となり、叔母の武后何するものぞという勢いである。
賀蘭氏の嬌声が太掖池の蓮をなぎ倒し、水面を這ってこちらにも届く。仙月が眉をひそめて振り返ると、武后のおわす殿舎は全体がひっそりと静まり返っている。
「魏国夫人も少しはこちらに遠慮すべきでは?」
半ば上の空で雪梅の言葉に頷いた仙月は、大切なことを思い出した。
――そうだ、皇后様に茶菓を進める時刻だわ。
急ぎ足で女主人の居室に入ると、武后は眼をつむり、脇息に身をもたせかけていた。
「…仙月か」
物憂くこちらを見た武后は唇の端を上げた。彼女の手元には、錦にくるまれた包みがあった。
「先日、武惟良――我が従兄弟達が泰山封禅(注1)の帰途に入京した。食材などを幾たりか聖上に献じて参ったが、なかに極上の塩漬け肉があったので、賀蘭氏にも賜ろうかと思う。確かあれの好物だったはずゆえ……そなた、彼女のもとに使いとして行ってくれぬか?」
「かしこまりました」
一礼して、何気に武后の手を見た仙月はぞっとした。皇后の、脇息の縁をつかんだ右手の先が固くこわばり、血の色を失っている。追い打ちをかけるように、武后の低い声が仙月の耳朶を冷たくした。
「塩漬けは美味なものだが、食べ過ぎると身体に毒だ。……のう、そうは思わぬか?」
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注1「泰山封禅」…天子が泰山で天を祀り、天下の安泰を報告する臨時の祭祀。
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