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第2章 琥珀哀歌
第1話 草原の都
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「ふふん、そなたのご執心の梅香な、昨夜から俺のものになったからな」
「何だと!俺の女を取りやがって!」
酒家の広間では怒声が響き渡った――かと思うと、酒器や皿が派手に割れる音が続き、むさくるしげな男どもの取っ組み合いが埃を舞わせ、そして女たちの悲鳴が上がる。契丹人の武官の一人の腰には剣がさしてあるが、柄の先には蓮の彫られた琥珀が揺れている。
「……なんだなんだ、またあいつ等が女を取り合っているのか、武官だか何だか知らんが暇な連中だな」
「ふん、蛮族め……二日にあげず、あの騒ぎだ。おまけにいつも同じ女の名前が出てくるぞ。真ん中の二人が特にご執心らしい」
喧嘩騒ぎをよそ眼に見て、中庭を隔てた反対側では漢族の中年男二人がちびちびと酒をなめている。
「梅香だったか、どこかの妓楼の売れっ子かね」
「いや、それが違うんだよ。堅気の――ええと、後家さんとかいう奴だそうだ」
「後家さんかぁ。それにしてもすご腕の女だな、あの連中を手玉に取るんだから」
一人がのんびりしたような、うらやましいような声を出したところで、「もし」と声をかけてきた者たちがいる。「何だい」と中年男たちが振り向くと、その先にはやはり漢族の男二人。しかしこちらはというと、同性でも目を見開いてしまうほどに垢抜けした美男子たちで、ともに官服を着こんでいる。
「お尋ねするが、梅香というのはあのような争いの種になるほどの女性なのだろうか?」
聞かれたほうは肩をすくめた。
「いや、彼女については知りませんね。興味あんなさるのかい、お役人さま?」
「そこまで奪い合いになるとは、よほどの女性ではないかとね。この上京臨潢府は広いといっても、そこまで男心を掻き立てる女性はなかなかいるものではない」
文官の一人はそう答えると中年男に教示を謝し、もう一人を促してその場を離れた。彼ら粋な文官たちは目立たぬ隅の席に腰を下ろす。
「……この上京一の色男め、さっそく食指を動かしているな。もう色恋沙汰や火遊びはごめんだと、先日言ったばかりなのを忘れたのか?」
郭文雅が李朝慶の肘をつつけば、お返しに李は卓の下で郭の脛を軽く蹴り返す。
「そなたこそ、ひとたび街中を歩けば、衛玠が見殺されんばかりに人だかりがするくせに。で、その容貌を利用して、どれだけの女を泣かせてきた? それはともかく、私はただ、むくつけき契丹人どもの鼻を明かしてやりたいと思うだけさ。そなたこそ、謎の女性に興味津々といったところではないか?」
「まあ、それもあるが……いや、連中の一人、柄に琥珀を下げていた男がいただろう?」
「ふむ、いたかな?」
「名前を知っている、耶律牌という男さ。あ、いや、振り返らんほうがいいぞ、目が合うと厄介だからな。とにかくあいつの琥珀、見覚えがあってな。元の持ち主を知っていたからだと気が付いた」
「元の持ち主?」
「ああ、耶律牌に奪われたということだ。そなたも知っている、わが父の友人である劉将軍。気に入りの従卒とともに拙宅によくおいでくださるが、その従卒はあれと同じ形、同じ色の琥珀をやはり剣の柄から吊るしているのだ。石自体が素晴らしいものだし、何より珍しい形だったからよく覚えていたのだが、昨日の来訪の際は持っておらず、ふと気になって当人に聞いたのだよ」
郭はすっと眼を細める。
「それが、あれか……」
「そうだ。哀れな従卒は『母親の形見なのに……』とうつむいていた。何でも、呂に目をつけられて無理やり取り上げられたあげく、劉将軍に告げ口すれば家族ともどもひどい目に遭わせると脅されたそうだ」
「ひどいものだな」
「そうさ」
李は意地悪げな笑みを浮かべる。
「琥珀を取り返すことはできるかわからんが、一泡吹かせてやったら面白い。いい退屈しのぎになる、そうは思わんか?」
郭も負けじと、にっと口の端を上げる。
「そうだ、ただ寝取るのもつまらんから、どうせならそなたと私で競争しないか?どちらが先に例の女性を口説き落とすかで」
「何だと!俺の女を取りやがって!」
酒家の広間では怒声が響き渡った――かと思うと、酒器や皿が派手に割れる音が続き、むさくるしげな男どもの取っ組み合いが埃を舞わせ、そして女たちの悲鳴が上がる。契丹人の武官の一人の腰には剣がさしてあるが、柄の先には蓮の彫られた琥珀が揺れている。
「……なんだなんだ、またあいつ等が女を取り合っているのか、武官だか何だか知らんが暇な連中だな」
「ふん、蛮族め……二日にあげず、あの騒ぎだ。おまけにいつも同じ女の名前が出てくるぞ。真ん中の二人が特にご執心らしい」
喧嘩騒ぎをよそ眼に見て、中庭を隔てた反対側では漢族の中年男二人がちびちびと酒をなめている。
「梅香だったか、どこかの妓楼の売れっ子かね」
「いや、それが違うんだよ。堅気の――ええと、後家さんとかいう奴だそうだ」
「後家さんかぁ。それにしてもすご腕の女だな、あの連中を手玉に取るんだから」
一人がのんびりしたような、うらやましいような声を出したところで、「もし」と声をかけてきた者たちがいる。「何だい」と中年男たちが振り向くと、その先にはやはり漢族の男二人。しかしこちらはというと、同性でも目を見開いてしまうほどに垢抜けした美男子たちで、ともに官服を着こんでいる。
「お尋ねするが、梅香というのはあのような争いの種になるほどの女性なのだろうか?」
聞かれたほうは肩をすくめた。
「いや、彼女については知りませんね。興味あんなさるのかい、お役人さま?」
「そこまで奪い合いになるとは、よほどの女性ではないかとね。この上京臨潢府は広いといっても、そこまで男心を掻き立てる女性はなかなかいるものではない」
文官の一人はそう答えると中年男に教示を謝し、もう一人を促してその場を離れた。彼ら粋な文官たちは目立たぬ隅の席に腰を下ろす。
「……この上京一の色男め、さっそく食指を動かしているな。もう色恋沙汰や火遊びはごめんだと、先日言ったばかりなのを忘れたのか?」
郭文雅が李朝慶の肘をつつけば、お返しに李は卓の下で郭の脛を軽く蹴り返す。
「そなたこそ、ひとたび街中を歩けば、衛玠が見殺されんばかりに人だかりがするくせに。で、その容貌を利用して、どれだけの女を泣かせてきた? それはともかく、私はただ、むくつけき契丹人どもの鼻を明かしてやりたいと思うだけさ。そなたこそ、謎の女性に興味津々といったところではないか?」
「まあ、それもあるが……いや、連中の一人、柄に琥珀を下げていた男がいただろう?」
「ふむ、いたかな?」
「名前を知っている、耶律牌という男さ。あ、いや、振り返らんほうがいいぞ、目が合うと厄介だからな。とにかくあいつの琥珀、見覚えがあってな。元の持ち主を知っていたからだと気が付いた」
「元の持ち主?」
「ああ、耶律牌に奪われたということだ。そなたも知っている、わが父の友人である劉将軍。気に入りの従卒とともに拙宅によくおいでくださるが、その従卒はあれと同じ形、同じ色の琥珀をやはり剣の柄から吊るしているのだ。石自体が素晴らしいものだし、何より珍しい形だったからよく覚えていたのだが、昨日の来訪の際は持っておらず、ふと気になって当人に聞いたのだよ」
郭はすっと眼を細める。
「それが、あれか……」
「そうだ。哀れな従卒は『母親の形見なのに……』とうつむいていた。何でも、呂に目をつけられて無理やり取り上げられたあげく、劉将軍に告げ口すれば家族ともどもひどい目に遭わせると脅されたそうだ」
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「琥珀を取り返すことはできるかわからんが、一泡吹かせてやったら面白い。いい退屈しのぎになる、そうは思わんか?」
郭も負けじと、にっと口の端を上げる。
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