隅の麗人

久浄 要

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Case.1

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 その奇妙な死体が東京駅で発見されたのは2014年も明けて間もなくの1月12日のことだった。

 明けて成人の日を迎える三連休二日目のこの日、世間では仕事始めを迎えて間もなくの日曜日で、冬休み期間中ということもあってか例によって多数の旅客が在来線や地下鉄各路線への乗り換え、遠方への新幹線や特急の利用に駅を利用しており、朝から詰めかけた旅客で駅内はごった返していた。

 エキナカのグランスタや近隣の大丸デパートやグランルーフ、八重洲地下街、丸ビル、新丸ビル、KITTEなどを含む多くの施設のショッピングエリアや飲食店へは言うに及ばず、東京ディズニーリゾートへの主要なアクセスである八重洲南口付近の京葉・武蔵野線や成田空港第2ターミナルビルへの特急成田エクスプレスも発着する地下ホームの総武線などへのアクセスも可能なターミナルであるから、早朝から利用客の数は尋常ではなく北、南、中央通路と主要な一階のコンコース部分は、定期的に新幹線改札や各路線のホーム、各改札口から出入りする旅客の波によって雑踏ができるほどの混雑ぶりであった。

 駅のサービスマネージャーや案内の人員も各所に増員され対応に追われる中、地下のグランスタやレストランゾーンも軒並み盛況で、多くの旅客が食事やショッピングなどを楽しんでいたが、丸の内南口改札付近の山手線と京浜東北線のホームへと続く南通路の階段付近にある、Aの表記が付いたコインロッカーでその異変は起こった。

 東京駅は多数の旅客が利用する為、改札内の北通路と南通路や地下の各所などを中心にコインロッカーが設けられ、その数実に4000個はあるのだが昼までには完全に満杯状態となるのが常で、昼のピーク時にはコインロッカーが一番集中している地下の南乗り替え地下広場も満杯になり、その付近にあるクロークにでさえ行列が出来るほどであった。

 その最中、時間はちょうど正午頃のことであったという。

 異変は旅客の中年女性の一人から駅の改札付近にいたサービスマネージャーにもたらされたもので、コインロッカーの中から延々と携帯電話が鳴っていてうるさいという内容であった。

 サービスマネージャーの女性が到着したところ音はどうやらスマートフォンのアラーム音で一番大きなサイズの右から二番目のロッカーから最大音量で鳴らされており、さらにスヌーズ設定までしてあるものか一旦止まっても一分間隔で再び鳴り続けていて一切鳴りやむ様子がなかったのである。

 遺失物や盗難品の可能性もあり、何にせよ旅客から出た迷惑行為に対する苦情の為、一時的にでもアラームを止めようとサービスマネージャーはすぐさまロッカー事務所の係員に問い合わせた。係員が現場に到着したところ、果たしてロッカーは三日前から荷物が預けられた状態であった為、すぐに中身は取り出されることとなった。

 中には黒いスクエア型のキャリーバッグが入っていてアラーム音はどうやらケースの中から延々と発せられている。

 黒いキャリーバッグはすぐさま地下のロッカー事務所に運ばれ、係員がそのけたたましく鳴動するアラームの音を止めようとしたがキャリーバッグの持ち手の部分には数字錠が掛けられていた。幸いナンバーは0107で空けられる状態のまま数字が動かないように固定されていた為、係員によってバッグは開けられた。

 開けた途端とたんに新品のスマートフォンが床に転げ落ちたが、事務所内に総勢3名いた係員達はバッグの中身に釘付くぎづけで一様に腰を抜かすほど驚くこととなる。中には死体が綺麗に梱包こんぽうされた状態で入っていたのだ。

 地元丸の内警察署に最初に通報があったのは午後12時24分。駅内の鉄道警察隊によってすぐさま発見されたコインロッカーとロッカー事務所のある地下のクローク周辺には立入禁止の規制線が設けられ、警察官が次々と現場に増員される中、駅の係員は元より近隣の警備会社の警備員や売場担当の職員まで旅客整理に駆り出され、丸の内南口の改札外の広場や外のタクシー乗場まで車両の交通整理にあたらねばならないほどの騒ぎとなった。

 黒いキャリーバッグに入っていた死体の性別は男性で死体は切断されておらず、バッグの中の死体の背中が当たる側は若干膨らんでおり、まるで新品の電化製品のようにビニール袋が被せられ、胡座あぐらをかいてやや反り返った姿でみっしりと箱詰めされていた。

 死体入りのビニール袋はこうめられたような匂いが残留しており、係員の一人は発見時の死体の様子を見て“高齢の男性が殺されたか、死体の処理に困った身内が保険金や年金目的で遺棄したのだろう”と供述したが、状況は大きく異なっていた。

 死体はどうやら若い男性で、まだ二十代もそこそこのせ細った若者であることが一目で解ったからである。そして、それこそまさにこの死体が異常な死体たらしめる理由であった。なぜなら男性は薄い灰色の作務衣さむえのような衣服を着用していたが、遺棄されてから数日経つというのに一切腐敗していなかったからである。腐臭もしていなかった為に誤解されたが、これが発見から遅れてロッカー付近で中身が空けられていた状況だったならば、その異臭と異常な中身によって現場付近の混乱はパニックにまで発展していたことは必至ひっしであったろう。

 問題のコインロッカーは丸の内南口の改札を入ってすぐにある600円で預け入れが可能なL型サイズと呼称される10個あるうちの一つで、前述のように最下段の右から二番目の場所に入れられていた。硬貨や紙幣以外でもSuicaスイカPASMOパスモなどの交通系ICカードやJR系のクレジットカードなどでも支払うことができ、預けた際にレシートが発券されるタイプのコインロッカーであったが、後の調査の結果1月9日の午前8時37分に600円を硬貨で支払い、預け入れ操作がされたものであることが解った。

 キャリーバッグは全体のサイズが76×51×31㎝、本体内部が67×47×31㎝で外面はスクエア型のデザインで色は黒。重量は約5.9キログラムで容量は約95リットル。

 材質は形状記憶フレームを用いた対衝撃性に優れ、軽量で柔軟性がある100%日本製のポリカーボネイトをうたった製品で、スーツケースの幅を約4cm拡張できるようケース同士の繋ぎ目にアコーディオン型の伸縮機能まで搭載されている最新型で海外旅行で長期滞在する旅行客向けのものだった。

「死亡していた男性は杉並区西荻窪に在住の会社員で名前は木村憲仁きむらのりひと。年齢は29才か。僕らより若いんだな…」

 私は捜査資料をひとしきり読みながら、確認するように呟いていた。必要なかったがチェイサーで一旦喉を潤し、再びバーボンに口をつける。こうした興奮状態をもたらす謎に直面すると不思議とアルコールの存在がかえって集中力を刺激した。

「ええと…現場から発見された新品のスマートフォンの契約者情報から身元が判明したものでキャリーバッグには遺体の着ていた着衣の他に遺留品の類は一切残されていない状態だった…と。死因は…えっ!? 餓死? 飢え死にしたのか?
…ねぇ、これって殺されて遺棄されたものですらない可能性があるっていうのかい?」

 私は思わず顔を上げて西園寺に問いかけた。彼はサービスについてきたミックスナッツを食べる手を止め、指に付いた塩を皿の上で払いながら大きく頷いた。

「ああ、まだ確定的じゃない。もちろん虐待死や監禁致死や殺人の可能性も視野に入れて捜査してるよ。お馴染みの保険金目当ての動機って線も含めてな。腐敗してないってのがこれまた厄介でな…。死亡推定時刻の詳細が絞り込みにくいんだよ。去年から今年にかけて暖冬とは言われてるが、ただでさえ今年に入って年始から気温が低い日が続いてる。密閉されて梱包こんぽうされてると更に絞り込みにくくなるんだそうだ。
 普通は腐敗の進行速度ってのは外気に触れた状態の経過時間でもある程度は見積もれるらしいんだが、この腐らない死体って非常識極まりねぇ死体は、そうした手掛かりを綺麗に潰してくれてる訳だよ」

 西園寺はカウンターの写真を顎でしゃくって示すと今度はアーリータイムスのソーダ割りを注文した。オーダーに訪れた品のいいバーテンダーに追加する間は裏側に伏せておいたが、私はカウンターに広げられた木村憲仁の異様な死体の写真を表返して今一度視線を落とした。

 布団圧縮袋ふとんあっしゅくぶくろのような大型のビニールがぴっちりと死体を覆って綺麗に梱包されて光を反射しているのが見てとれる。その姿はまるで、先ほど入口で見た深海魚のブロブフィッシュの滑りを残した体表を連想させた。

「直腸内温度や胃の内容物、死斑しはんや死後硬直の推移から考えて、少なくとも1月の7日にはケースに遺棄された状態で死んでたってのは間違いないらしいんだがな…」

「目撃者はいなかったのかい? 改札口から近い上にコインロッカーなら周辺や天井に防犯カメラがあるはずで、映した映像は駅の内勤室なり担当地区の防災センターのモニターなりに必ず残されているはずだけど?
 発見から一ヶ月経ってる訳でもないし、映像記録は上書きされていない状態でそのまま残されているはずだ」

「真っ先に調べたさ! だが、答えは残念ながら“預けた映像記録は残っていたが、誰が預けたのかまでは特定できない”だ」

「そりゃまた…どういうことだい?」

「いいか? こいつは日曜日に発見されたが預けられたのはその三日前だ。つまり1月9日の木曜日の8時37分に預け入れ操作が行われた。つまり平日の…」

「そうか、朝の通勤ラッシュの時間帯を狙ったのか!」

 私は思わず舌打ちをしていた。つまりこういうことだろう。映像記録も預けた時間も大型のキャリーバッグという目立つ特徴まではっきりしているのに預けた人物が解らないのは、それが“見えなかった”からだ。

「旅客が死角になっていてロッカーが見えなかっただなんて…そんな馬鹿なことがあり得るのかい?」

「事実そうなんだから仕方がないんだよ。映像は残されてたが、駅のホームを映した映像からも、改札口からロッカーを映した映像も、画角を変えたり人同士の切れ目をピンポイントで拡大して見たりしてみても全く役に立ちゃしないんだ。
 冬休み期間中で、なおかつ仕事始め間もなくの三連休ってのが運が悪すぎだ。もちろん遺棄した人間にしてみりゃ、願ったり叶ったりか、そもそも計画的なものでカメラに映らないような工夫なりはしていたんだろうがな。
 黒山の人だかりが死角になって、映像が証拠になりませんだなんてあり得ないことだとは思うが、事実その時間にして30秒もかからない間に犯人はコインロッカーに死体を入れて、600円を入れてレシートを取り出して現場から立ち去ってるんだ。目撃者探しも難航してる」

「全て死体を遺棄した犯人の計画通りだったってのは、さすがに無理がありすぎないかい? 東京駅の地理に詳しい人物だろうということは想像つくけど、予めロッカーの空き状況まで前もって遺棄した犯人が確認できた訳がないよ」

「そいつもアウトだ。残念ながら今は東京駅の地図やロッカーの空き状況までリアルタイムで確認できちまう。専用のアプリまで無料で落とせちまうくらいだからな」

 西園寺はスマートフォンを懐から取り出してヒラヒラと私に振って見せた。

「そうか…。ネットであらかじめ空き状況を調べておけば誰にでも可能なのか」

 打つ手なしだ。私は思わず大きなため息をついていた。私は思いついたことを、とにかく質問してみることにした。

「そうだ、死体や目撃者以外からは何か出なかったのかい? たとえば遺棄されて詰め込まれたのなら、ビニールやキャリーバッグに指紋なり遺棄した人物の毛髪なり衣服の繊維なりが付着したり残ったりとかは?」

 西園寺は私の問いにがっかりしたようにため息をついてアーリーのハイボールを一口飲んでから首を振った。

「何も出なかった。ビニールは業務用スーパーでも売ってる大型の圧縮袋で、綺麗に中の空気が外側から掃除機か何かで抜き取られてたってことくらいだ。キャリーバッグももちろん調べたさ。海外旅行に過去に行ったか宅急便を利用したことがあるのか、木村憲仁以外にも新旧入り乱れて複数人が触った形跡があって、これも絞り込みようがない」

「キャリーバッグ自体の入手ルートなんかはどうだい? 日本製でしかも大型の物ならかなりしぼり込めるんじゃ?」

「お前、大型のキャリーバッグを今どれだけの人間が使うか分かっていてるか? 駅を歩いたり電車に乗ってて、チンタラ邪魔くさいキャリーバッグとスマホのながら歩きを見かけて後続のリーマンが顔をしかめてイライラするなんざ日常茶飯事だろうが。道路もまともに舗装されてないド田舎いなかで見かけたってのなら話も解るが、首都圏じゃもはやキャリーバッグなんざこれっぽっちもめずらしくねぇぞ。通販ならともかく海外から直接現地調達で買いつけてきた物ならもう辿たどりようがない」

「100%日本製ポリカーボネイト素材でも?」

「そりゃ特許の話で、製造がメイドインジャパンとは限らないってこった。がっかりさせるようだがキャリーバッグは現地の日本メーカーが作った中国製で日本でグッドデザイン賞なんてとった上に爆買いにちょうどいいもんだから、向こうじゃきわめてメジャーでスタンダードになりつつある代物だそうだぜ。
 要は人気商品で大量にさばかれてる物で特定には相当な時間がかかるし、事件の解決にあまり貢献できるとは捜査本部でも考えてないってことだ」

 ここまで徹底的に手を封じられていたとなると正直しょうじき自信がなくなってくる。今さらだが事件記者とはいえ素人の私が思いつくことなど本職の刑事が調べていない訳がないし、その警察を手こずらせている以上、悪魔的な知恵を振り絞って法だの倫理だのといった概念をかなぐり捨てて犯行を成し、己の人生の安寧あんねいの為に逃げきっている狡猾こうかつな犯人の知恵や思惑は万人の及ぶ無難な思考の範疇はんちゅうに入っている訳がないのだ。

 犯人は万人に紛れる為に万難ばんなんはいして犯行を成したのだろう。失敗の代償に支払う人生の莫大なリスクと負債をチップに換えて堂々とヤマを張っている犯人の方が一枚も二枚も我々よりも上手なのだと思うと単純に悔しいものがある。もちろんギャンブルや勝ち負けの問題ではないのだが。

 現実の未解決事件には何かしらそれを未解決たらしめる構成要素が必ずあるものだが、この事件にも同種の作為を感じるのである。

 私はやや憮然ぶぜんとしてグラスを空け、グレンフィデックのソーダ割りを注文した。注文して始めて万人受けする無難な思考というものから抜け出せない自分をやや恥じた。

「ワクワクすると同時にモヤモヤするね。今さらだが警察が辿れていない情報を僕が提供するってのは今のところは無理そうだな…。悔しいけどね」

「そう腐るなって。俺だって悔しいし、このクソッタレの犯人にいいようにされてると思うとしゃくなんだぜ、相棒。
 かといって“たった一人で難事件を華麗に解決。真実はいつも君と共にある”なんてガキが喜びそうなフレーズをゴタゴタ並べるつもりもねぇし、100%作り物の名探偵なんてふざけた珍種なんか現実にいる訳がねぇと思ってる。…ノリは嫌いじゃないけどな。まぁ一人でできることなんて最初からたかが知れてるよ。だからこその一人より二人。ギブアンドテイクの交換条件…なんだろ?」

「そうだったね…僕には僕なりのアプローチの仕方があるってことを忘れてたね」

 そう言って私はコートの懐からクリアファイルを出してカウンターに置いた。民間人からのリークとて馬鹿にならないと思いたい。

「メインディッシュに入る前にこちら側が仕入れた情報を共有しといた方がよさそうだ。しかし、この事件ときたらフルコースとしちゃ豪勢過ぎるね。今のがオードブルでしかないんだからね。さしずめ、これは食前酒かな?」

 そう言って私が再び席に着くと毎度タイミングのいいバーテンがハイボールをコースターに載せてくれた。

「ご注文の品だよ。いいツマミになってくれると嬉しいんだけどね」

「ありがたいぜ。どうにも被害者の顔が見えてこない背景に、ここが絡んでるのは間違いなさそうだからな」

「思っていた以上に厄介やっかいな団体なんだよ。情報の出所でどころまでマークしてるのか、四六時中ネットに張りついてる専門の部署でもあるのか、それがどうも信者のようで念入りにチェックしてるようだしね。マスメディアへの根回しも怠らないって噂だ。
 身内の情報は極力外部には洩らさないようにしてる割には表向き宗教法人として活動しながら、堂々と芸能界や司法や医療関係にとあらゆる方面に食い込んでる団体だから、正直期待に添えるものかどうかは解らないよ。さすがネットを問わずに黒い噂が絶えないだけはある」

「悪いな、東城。コイツは本来ウチが挙げなきゃいけないような連中なんだが、信教の自由は警察官だって同じな訳で、宗教団体となると身内は公安だし、奴らは秘密主義で情報が共有できなくてな…。だが、今回の件を調べる以上は避けて通れない。どの程度からんでるのかも解らないし、危険で怪しげな噂がある連中でもある」

「かまわないよ。ウチの会社も何度か扱ってるし、その度に悪質な嫌がらせを受けたこともあるから、せいぜい意趣返しさ。それに、今や世間の関心は完全にここに向いてるからね。やはり若い世代を中心にネットの影響力は相当に大きいようだね」

「戦後に勢力を拡大してきた古狸の新興宗教も徐々に化けの皮が剥がれてきたってとこなんだろうさ。時代の流れだな」

 西園寺はそう言って私が持ってきた資料やパンフレットや冊子に目を通していた。ほとんどが警察官でも手に入る類の物が混じっているのだが、刑事が表立って調べられない理由があるのだろう。

 それは今回の事件の被害者の身元に関係しているであろう、ある宗教法人の情報で聖創学協会という団体に関する資料だった。であろうと表記したのは推察にしか過ぎないからで西園寺からは聖創学協会を調べてくれないか、としか言われていなかったからである。だが西園寺の態度を見るにつけ、どうも間違いないようである。木村憲仁の奇妙な死にはおそらく聖創学協会が大きく関係している。

 聖創学協会は戦後、雨後のたけのこのように生まれた新興宗教の一つで真言宗系の在家仏教の団体で、国内では主に首都圏を中心に活動し公称212万世帯を擁するともいわれている宗教法人だ。

 聖という字がつくと、いかにもキリスト教系を連想させるが教団のパンフレットによれば、設立のきっかけは土中入定した聖なる御神体の奇跡に触れ、真言密教から枝分かれしたと公言し新興宗教を設立、運営して勢力を拡大してきたとある。

 教祖の木村太輔きむらだいすけという人物が興したもので教団のパンフレットには主に、彼が興した奇跡なり理論なり教団の歴史なりが写真つきで随所に載せられていた。

 創とは創世の意味であるらしい。聖創学協会の基本理念は“生命の尊厳に重きを置き、それに基づいた人類の幸福と世界平和の実現を目標としており、新たな世界秩序は精神世界からもたらされる自己の安寧によって実現し創世されるべきだ”とある。

 1954年(昭和29年)に創立。1977年(昭和52年)に宗教法人の資格を取得。そして、現在は在家信者を中心に海外へも進出展開するという目標を掲げているようである。

 信者は幅広く、政治家に弁護士にTV業界に大手芸能プロダクション、大企業の社長に銀行家まで網羅もうらしており、そうしたコネクションが幅広く布教活動に影響して勢力を拡大してきたという経緯があった。

 だが、前述の私達の会話のように黒い噂が絶えない団体だと専らの評判で、脱会した幹部や学者らによると聖創学協会には盗聴体質があるといい、週刊紙や新聞でも大々的に取り上げられたことがある。教団が行っている組織的な盗聴や盗撮、ストーカーや個人情報、通信通話記録窃盗などの違法行為は、各方面から厳しい批判を受けた。

 盗み出された個人情報や通信通話記録には、脱会者のほか教団に批判的な団体、政治家、評論家などが含まれており、個人情報が盗まれ悪用されるだけでなく、脅迫や暴力、ストーカー被害にも遭ったという。 

 そのため、インターネットの普及に伴い、組織的な嫌がらせ=集団ストーカーというインターネット造語まで作られ、広く認知される主な原因になった教団と言われている。

 多くの新興宗教がそうであるように聖創学協会も例外ではなく下流層から中流層の人間を対象に“入信すれば幸せになれる、病気が治る”などと宣伝して、病気、貧困、争いで苦しむ人を中心に勧誘を行い、信者を獲得してきた。

 また勧誘活動の中で、キリスト教会や仏教寺院に出向いて改宗を迫り、未成年や高齢者へも強引で暴力的な勧誘が度々行われたため、入信強要を苦にした自殺が頻発し社会問題にまで発展した経緯がある。

 会員を増やした協会は、本や新聞、宗教用品の販売、金融、学校の運営のほか、教団内の部署を一部企業化して不動産業、広告代理店など各方面で幅広く事業を展開したのである。 宗教法人のメリットである営業利益の非課税を生かして効率的に集金できるビジネスモデルを構築し、大きな資金を獲得してきたのだ。

 総資産数千億円とまでいわれる聖創学協会は宗教団体といいながらも営業活動に非常に熱心であるため、宗教団体ではなく営利企業や政治結社という表現が近い。

 前述のように税金を納めず、国から補助金を受けながら政治活動、営業活動、海外進出、マスメディアの買収などに力を入れているため、政治活動の為の宗教だとして批判されることも少なくなかったのである。

 教団は収支の一切を非公開としており、収入源は何か、何にどれだけ金を使ったのか全く不透明でこれが市民の大きな不信や嫌悪の原因であろう。

 国教や市教であるキリスト教などは、内部が透明で公正だが宗教団体の枠を超えて活動している仏教団体が不透明な会計をしていることは不健全であり、現在の社会的風潮に反するとして指摘されている。

 聖創学協会の運営側の実態はどうやらファミリー企業であり、教祖の木村太輔を中心に教団幹部は全て身内で構成されている。

 資料を読みけっている西園寺に補足の説明を交えながら、私の胸の内には既に嫌なモヤモヤが再燃していた。今回の事件の腐らない遺体もまた、名字が“木村”なのである。

「西荻窪にある教団本部以外にも、教団施設は都内に二ヵ所ある。西荻窪の教団本部は厳重に警戒警備がされていて施設を管理運営する信者達が付近を徘徊している。彼らは無線機やカメラ付きの携帯電話やスマートフォンの携帯が許可されていて、これはおそらく信者の逃走や脱走防止の意味もあるのだろうね。
 入口には立派な門があって周囲は高さ2mはある塀に囲まれている。四周を防犯カメラで固めるという念の入りようで傘下の警備会社が24時間体制で交替して監視している。これは外側への対策だね。
 半ば要塞ようさいと化している為、肝試しの名所にされたり東京危険スポットに登録されたりもしていてね…秘密結社みたいな宗教団体って噂は本当みたいで、ネットじゃ散々な書かれ方をされているようだよ」

「実際に被害が多いからだろ。“協会を批判する輩は、大勢で攻撃を仕掛けて社会から抹殺しても構わない”なんて普通は言わない教団の本音を、一部信者達が盲信して実際に事件まで起こしてしまったケースが過去にあったってんだからタチが悪い。
 事件を起こした信者は除名して教団とは一切関係ありませんで通すんだから、批判されない訳がないぜ。新聞まで発行して刷り込むんだから、そこは徹底してるよ。家ごと入信してる訳だから連中は日常的にそうした新聞を読み、教団が運営する学校を出て、やがてコネのある企業へと巣立っていく。
 生まれも育ちも筋金入りの教団の信者達は、自分達の感覚が世間とどれだけズレているか、はたまたイカレてるかなんて考えもしないのさ。既に経済活動も含めてシステムとして完成されているんだから、ムカつくが文句のつけようもないしな」

「西荻窪は昔からスピリチュアルスポットみたいな扱われ方されてるみたいだけど、実際に15もの宗教団体がひしめいてる変わった街だよ。
 他宗の団体を攻撃する教団なんて馬鹿みたいなカルト集団なんて、この日本にいる訳がないと思うけど、実際にいるのだから仕方がないよね」

 実際に狂信というのは恐ろしいものなのである。聖創学協会は海外からはカルト認定されていると聞くが、その理由もわかろうというものだ。カルトの恐ろしさとは、かつての宗教テロ事件で駆逐されたように思われがちだが、こうした闇はまだまだこの国に残っている。それは政治を歪め、経済の流れすら変えかねない危険性を孕んでいるからに他ならない。私の述懐に西園寺も溜め息混じりに言った。

「今でも信者への教えは“お布施ふせをいっぱいすれば必ず有難い功徳くどくがあります。黙って教祖様を信奉しましょう。他宗の教えはよこしまで耳を貸す必要ありません。幸福はそこから始まるのです”と説くんだからな。
…いやはや、盲信や狂信ほど怖いものはねぇな。奴らにしてみれば正しいし、当たり前のことだと思って行動してるんだからな」

「ああ、まったくだね…」

 事件記者の私が思うに、かつての宗教テロ事件を経て、日本人はこうした新興宗教の台頭や、彼らが起こした事件等の影響で本来は精神的などころであり支柱であるべきはずの宗教や国家観に対して、とことん懐疑的になってしまったのではないだろうか。

 それはかつての廃仏毀釈や神仏分離に政教分離といった歴史を経て、戦後民主主義の台頭と国家の繁栄と物質的な豊かさに裏打ちされ、高度経済成長時代やバブル期の狂騒でも証明された、拝金的で排他的で独善的な資本主義至上と個人主義至上のタッグコンビがもたらした弊害や要求と完全に合致したのではないだろうか。

 それは金のあるもの=力を持つ者であり、格差が当たり前にまかり通り、金持ちは敬われ尊敬されて好きにできて当たり前とするいびつな社会構造である。

 三高(高収入、高身長、高学歴)の人を選ぶのは当たり前。3K(キツい、汚い、危険)の人を選ぶなんて有り得ない。容姿の良さと年収と銀行口座の残高で赤の他人を優良物件と平気で称し、そんな世相を疑いもせず否定もしない。インターネットを中心とする娯楽やコンテンツは多岐に渡り、仕事は多忙で余暇は自分の趣味に費やし、男が女を敬わなくなり、女は男をあてにしない晩婚型社会の完成である。

 ある右寄りの軍事評論家によれば、日本がこれだけ繁栄でき、かつ高齢化を経て衰退している背景は戦勝国や周辺諸国による徹底的な日本弱体化政策がもたらした成功例だという説があるようだ。日本が憲法を改正せず武力を持つことは好まない。その安定した基軸通貨を以て好きなだけ繁栄してもらい、いくらでも金を引き出せるATMのような国であればいい。このグローバル時代でも未だにそうした浅ましい考え方から脱却できない国や人々というのは未だいる、という訳である。

 冠婚葬祭は仏式に神道式に教会式と様々でバレンタインデーにホワイトデー、ハロウィーンにクリスマスといった通年のイベントには積極的に参加する。その反面、節分や端午の節句に桃の節句に年末年始の御参りなど約束事も大事にする。

 あらゆる宗教に寛容的で違和感なく受け入れて、拘泥こうでいせず腐心ふしんもせず、かつ頓着とんちゃくしない。それは日本人の柔軟さであり、賢さでもあるのだろうが、同時に諸外国からは相当に奇異に見える光景だろう。

 それは同時に心の隙間を強引に埋めてくる乱暴な手口に対してきわめて弱いということではないだろうか。宗教には道徳観や倫理観、公共心や公徳心を育むだけでなく、人にはどうにもならないことを人でなく神仏に仮託かたくできるという側面がある。

 かつてマスメディアが騒いだマインドコントロールや洗脳やサブリミナルという言葉の持つ忌まわしさは、けっして払拭されることはない。日本はそれを経験してきた国なのである。

 記者として耳の痛い話だが、昨今とみに耳にするマスメディアが腐敗した根底には、こうしたグローバル社会のもたらす弊害や外国企業の過剰な台頭を平気で許してきた土壌に問題があると私ですら思う。

 聖創学協会は人の弱さや隙間を集団で埋めてくる団体である。鬱積うっせきした不満を以てネットで叩かれる背景には相応の理由があるのだろう。

「被害者のことだけど…」

 私がやや唐突に気になっていた質問をぶつけると西園寺は来たな、とばかりに少し表情を強張こわばらせた。

「ああ、お前が言いたいことは解ってるよ。別に遺体の身元については最初から隠し立てする必要ないからな。この後が少し込み入ってるからな…まとめて説明するつもりだったのさ」

 ほらこれだ、と言って西園寺は先ほどの書類をめくって私に示して見せた。

「コインロッカーで死んでいた木村憲仁はお察しの通り、聖創学協会の教団関係者だ。奴は血縁上は教祖の木村太輔の孫にあたる。義理のな」

「ということは、孫娘とでも結婚したってことなの?」

「いや、まだ籍を入れている段階で木村というのは元々の名字らしい。偶然にもな。
 教祖の木村太輔の孫娘は木村美也子きむらみやこといって今年25才になる米国帰りの帰国子女で、これがなかなかの美人なんだが、木村憲仁とはフィアンセで今年の春に婚約する予定だったんだそうだ」

「婚約を目前にして旦那が謎の死を遂げたって訳か。なんだかやりきれないな…」

「まあな。木村憲仁は元々は内科の医師で、短期間で教団の幹部になった優秀な人材だったらしいんだが、木村美也子が体調を崩した際に教団の医務室で出会ったそうだ。
 一緒の名字という面白い偶然が二人の馴れ初めのきっかけだったらしいんだな」

 人生、本当に何が幸いするか解らないものである。たかが名字の一致でも、男女が恋愛関係にまで発展するとなれば、そこは運命ともいえるだろう。宗教団体の幹部ならずとも、それこそ理由は後からいくらでもつけられる訳である。

たま輿こしという訳か。穿うがった見方をする訳じゃないけど、きっと妬ましく思った人間も周りにはいたことだろうね。
 何せ資産にして総額数千億の教団の中枢に入り込んだ訳だからね」

「もちろんそうした嫉妬や羨望は立派な動機になるし、いわゆる痴情の縺れって線も含めて捜査してるが、今のところ有力な証言は出てきていないな。例の事件のゴタゴタですっかり霞んじまったからな…」

 そう言って西園寺は、バツが悪そうにガリガリと頭を掻いた。

「いよいよメインディッシュの登場…だね」

「ああ、まったくもってフルコースとはいいたとえだ! お前はさっき、この教団を食前酒と謙遜けんそんしたが、俺には上等なスープにすら思えてきたぜ。人の心の底にこごった悪意や敵意をこれでもかと濃縮してダシをとった極上ごくじょうの一品だな。でなきゃこんなイカレた事件は起きねぇよ!」

 そう言って西園寺は、ややヤケクソ気味にバサリと別の捜査資料をふところから取り出して書類を広げ、最前と同じような茶色の封筒から別の写真を数枚取り出して、タロットカードをスプレッドするようにカウンターの上に広げた。

「本日のメインディッシュ。“一都三県あちこちから発見された聖創学協会幹部、河西夫妻のバラバラ死体”でございます、だ!」

 写真には目を覆いたくなるような凄惨せいさんな光景が写し出されていた。
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