上 下
40 / 40
花咲く故郷へ

行こう。カティヤ

しおりを挟む
 主の戻った森は、カティヤが大好きだった優しい場所に戻った。
 森の奥深くには太陽の光が細く降り注ぎ、鮮やかな緑の苔を丸く浮かび上がらせている。
 針葉樹が途切れた日当りの良い林には、色とりどりの花が咲き乱れ、甘酸っぱい香りを漂わせるベリーがそこかしこにに実っている。
 小鳥たちは空をさえずり、リスの兄弟が白樺の枝の上でを追いかけっこする。

「僕の知っている場所がパンキクッカなら、もうそろそろ到着するはずだよ」

 片腕でカティヤを支えながら馬を操っているニューリッキが、すぐ耳元で囁いた。

 キーラと名乗ったカティヤの双子の姉妹は、ヴィルヨと一緒に後ろを走る馬に乗っている。

 二頭の馬は、森の中に残されていた盗賊団のものだ。
 おかげで予定より早く、目的地に到着しようとしていた。

「ほら、見てごらん」

 立ち並ぶ木々の隙間にちらちらと見え始めたのは、目にも鮮やかな真紅。
 今はまだ、花かどうかすら分からないが、密集した燃えるような色が左右に大きく横たわっている。

「一気に行こう!」

 ニューリッキが馬の腹を蹴って、スピードを上げた。
 緑の風を切って、トウヒとマツの大木の間を縫い、白樺の明るい林を駆け抜ける。
 目の前の赤い花の形が徐々に見えてきた。

「う……わぁ!」

 風が吹いてもゆらぐことのない力強く大きな真っ赤な房が、密集した濃い緑の葉の上で競うように空を目指していた。
 一面に咲き乱れる花は、鮮やかな色を水面に映しながら湖をぐるりと取り囲み、ずっと向こう岸までをも同じ色に染めている。

 ニューリッキは花畑のすぐそばで、馬を止めた。

「なんて素敵なの! これって……ルピナス?」
「ああ、そうだよ」

 ルピナスはこの国のどこにでも自生しているが、ほとんどは紫やピンク、黄色の花だ。
 ただでさえ珍しい赤のルピナスが一本の混色もなく群生し、赤と青と緑だけしかない鮮やかな世界を作り上げている様は、圧巻としか言いようがなかった。

「すげえな……これは」
「ここがわたしたちの生まれ故郷だったら、なんて素敵なのかしら!」

 遅れて到着したヴィルヨとキーラも、感嘆の声を上げた。

 四人は、ルピナスの花畑に沿った小道に馬を進めた。
 奇跡のような光景を眺めながらしばらく進んでいくと、弓矢を担いだ中年の男が向こうから歩いてくる。

「すみません。ここは、パンキクッカでしょうか?」

 馬から降りたキーラが恐る恐る声をかけると、男は、妙な組み合わせの四人組をじろじろと見た後、「そうだ」と頷いた。




 湖に沿って進み、最初の集落の二つ目の路地を森に向かって少し行くと、玄関先にナナカマドの木が立つ小さな家がある。
 そこがマルヤの家だと、男は教えてくれた。

 パンキクッカは、十四年前に盗賊団に襲われ、大きな被害を被ったのだという。
 マルヤはそのときに、幼い双子の姉妹を攫われた女性だ。
 彼女は三年前に夫を病で亡くし、今は一人で暮らしているそうだ。

「どうしよう。どうしよう……」

 満開のナナカマドの白い花が目に入ると、カティヤの足が止まった。

 そこに住む女性が自分たちの母親であることは間違いない。
 夢にまで見た実の母親が、すぐそこにいるのだ。

 早く、お母さんに会いたい。

 気ははやるのに、大きすぎる期待と、それに負けないほどの不安が入り交じり、足がすくんで動けない。

「行こう。カティヤ」

 隣で同じように立ち止まったキーラが、決意を込めたようにぎゅっと手を握ってきた。

「さあ、しっかり」

 歩みを促すように、ニューリッキの大きな手が肩をそっと押す。

「お前ら、気合い入れて行ってこい!」

 ヴィルヨに背中をばしりと叩かれて、双子は弾かれたように駆け出した。

 あと少し。
 もう少し——。

 二人は手をしっかり握り合い、息を切らせて小道を走った。
 ナナカマドの木を通り過ぎ、玄関前までたどり来た時、建物の陰から大きな籠を抱えた女性が現れた。

「どなた?」

 二人は、自分たちにとてもよく似た声に息を飲み、その女性の顔を見つめた。

 金色の髪を後ろで束ねた女は四十代ぐらいだろうが、充分に若々しい。
 そして顔立ちもやはり、自分たちに似ていた。

「あ、あぁ……あなたたち……」

 彼女の、キーラにそっくりの青い瞳が大きく見開かれ、手にしていた籠が落ちる。
 鮮やかな赤や紫色のベリーが、緑の草の上で弾んで転がっていった。






 辺りをぐるりと見渡すと、濃い緑色の針葉樹の海がずっと向こうまで広がっていた。
 風が吹けば波が寄せるように枝葉がそよぎ、涼やかな音が重なり合う。
 夏だというのに大木の上は、思った以上に風が冷たかった。

「怖い?」

 カティヤが身体を震わせると、その理由を誤解したニューリッキが、腕に少し力を込めて抱きしめてくれた。

 狩猟の神とも呼ばれる精霊のニューリッキは、花嫁の力で人と変わらぬ身体を手に入れた。
 けれども、森の中では精霊の力も発揮する。

 今もカティヤを腕に抱いたまま、木の枝から枝へと飛び移り、この辺りでいちばん大きなトウヒの木のてっぺんに登ってきた。
 彼が両足を乗せている枝は、二人分の体重を支えるにはあまりにも細いのだが、びくともしない。

「ニューリと一緒だから、怖くなんかないわ。ちょっと寒かっただけよ」

 そう笑って答えると、彼は「そうか」と照れた様子を見せ、風にたなびく上着をたぐり寄せてカティヤを包み込んだ。

 一面の緑の中、一カ所だけ丸く凹んで見えるのは、美しく澄んだ水をたたえた大きな湖だ。
 空の色と太陽の輝きを映したその青い色の周辺を、赤い色がぽつぽつと縁取り始めていた。

 大勢の村人たちが忙しそうに、けれども楽しげに行き来し、岸辺の一角に木材や木の枝を高く積み上げている。
 その手前には、たくさんの草花で飾り付けられたポールが立っていた。

 今宵は夏至祭だ。
 カティヤの瞳の色が真紅に変化した運命の日から、一年経った。

 カティヤが感慨にふけりながら村人たちの様子を眺めていると、木の陰からよく知った二人の姿が現れた。

 金色の髪の少女は、色とりどりの野の花をたくさん入れた籠を抱え、体格の良い若い男は二本の白樺の枝を肩に担いでいた。
 二人は何やら楽しげに話しながら、家路を急いでいる。

「あの二人も、結婚しちゃえばいいのにね!」
「それは、そう遠い話でもないだろう」

 仲睦まじい様子の二人を見送っていると、木の上に立つ狩猟の神とその妻の姿に気付いた村人たちが大きく手を振ってきた。

 自分が精霊の花嫁だと分かったあの日、こんな幸せな未来が訪れるとは思ってもみなかった。

「今年の篝火は、ここから見たいわ」
「いいよ。夜になったら、もう一度来よう」

 一年前のあの日、小さな焚き火を一緒に囲んだ彼が、新緑色の瞳を細めて穏やかに微笑んだ。


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

アメイジング・ナイト ―王女と騎士の35日―

碧井夢夏
ファンタジー
たったひとりの王位継承者として毎日見合いの日々を送る第一王女のレナは、人気小説で読んだ主人公に憧れ、モデルになった外国人騎士を護衛に雇うことを決める。 騎士は、黒い髪にグレーがかった瞳を持つ東洋人の血を引く能力者で、小説とは違い金の亡者だった。 主従関係、身分の差、特殊能力など、ファンタジー要素有。舞台は中世~近代ヨーロッパがモデルのオリジナル。話が進むにつれて恋愛濃度が上がります。

Sランク冒険者の受付嬢

おすし
ファンタジー
王都の中心街にある冒険者ギルド《ラウト・ハーヴ》は、王国最大のギルドで登録冒険者数も依頼数もNo.1と実績のあるギルドだ。 だがそんなギルドには1つの噂があった。それは、『あのギルドにはとてつもなく強い受付嬢』がいる、と。 そんな噂を耳にしてギルドに行けば、受付には1人の綺麗な銀髪をもつ受付嬢がいてー。 「こんにちは、ご用件は何でしょうか?」 その受付嬢は、今日もギルドで静かに仕事をこなしているようです。 これは、最強冒険者でもあるギルドの受付嬢の物語。 ※ほのぼので、日常:バトル=2:1くらいにするつもりです。 ※前のやつの改訂版です ※一章あたり約10話です。文字数は1話につき1500〜2500くらい。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~

一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。 しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。 流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。 その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。 右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。 この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。 数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。 元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。 根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね? そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。 色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。 ……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

【完結】愛猫ともふもふ異世界で愛玩される

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
状況不明のまま、見知らぬ草原へ放り出された私。幸いにして可愛い三匹の愛猫は無事だった。動物病院へ向かったはずなのに? そんな疑問を抱えながら、見つけた人影は二本足の熊で……。 食われる?! 固まった私に、熊は流暢な日本語で話しかけてきた。 「あなた……毛皮をどうしたの?」 「そういうあなたこそ、熊なのに立ってるじゃない」 思わず切り返した私は、彼女に気に入られたらしい。熊に保護され、狼と知り合い、豹に惚れられる。異世界転生は理解したけど、私以外が全部動物の世界だなんて……!? もふもふしまくりの異世界で、非力な私は愛玩動物のように愛されて幸せになります。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/09/21……完結 2023/07/17……タイトル変更 2023/07/16……小説家になろう 転生/転移 ファンタジー日間 43位 2023/07/15……アルファポリス HOT女性向け 59位 2023/07/15……エブリスタ トレンド1位 2023/07/14……連載開始

処理中です...