【完結】白夜の花嫁 〜赤い瞳の少女は精霊の花嫁になる運命から逃れたい〜

平田加津実

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待ち受ける運命

僕が……怖い?

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 ああ、やっぱり!

 輪郭のはっきりした精悍な顔立ちは、二十代半ばの大人の男性のもの。
 しかし、ニューリが成長したらきっとこんな顔になるだろうと、はっきりと分かる面影があった。

 長めの銀色の前髪の奥には、新緑を思わせる明るい色の瞳が不安げに揺れている。
 何を伝えようとしているのか、口を開きかけては躊躇して、唇を硬く結ぶ。

「ニューリ。あなたが、ニューリッキだったの?」

 その問いかけに、彼は辛そうに眉を寄せた。

「カティヤ。君は…………僕が怖い?」
「え?」

 あまりにも意外な言葉に目を見張ると、彼は切なげにもう一度問うてくる。

「僕が……怖い?」
「怖い訳ないじゃない。ただ……びっくりしただけ」

 慌てて首を横に振って否定すると、彼はほっとした様子で、目の前にすとんと両膝をついた。
 思わずといったように伸ばされた手が、頬に触れる直前に止まる。

「触れても……いい?」

 彼の躊躇いがちな言葉に頷きで答えると、彼の手が片方の頬を包み込んだ。

「ずっと、隠していてごめん。君が、精霊の花嫁であることを、あまりにも忌み嫌っていいたから、どうしても言えなかった。僕の正体を知ったら、君に嫌われてしまうかもしれないと思うと、怖かったんだ」

 優しい体温を伝えてくる大きな手が、少し震えながら頬から耳元、髪へと滑っていく。
 その手は、言葉以上に彼の想いを伝えてくる。

「それに、僕が失くした力を取り戻すには、精霊の花嫁との婚姻の契約を完全に結ぶしか方法がなかった。主がいなければ、森が死んでしまうことは分かっていたけど、そんな脅迫じみたことは、言えなかった。君に重荷を背負わせたくなかったんだ」

 そんな風に、思っていてくれたんだ……。

 森の主であった彼は、誰よりも精霊の花嫁の力を必要としていたはず。
 なのに、そんな見返りを求めることなく、ずっとカティヤを守ってきたのだ。
 大切な森が死んでも構わないとまで、思ってくれたのだ。

「ニューリ……」

 許しを請うような瞳で見つめながら、一生懸命弁明する彼に、胸がじんと熱くなる。
 そしてあっという間に胸から溢れた想いが、目の縁からこぼれ落ちる。

「え? わ……っ。ごめん、カティヤ。精霊なんて、嫌……だよね。あの……泣かないで」

 突然の涙に、ニューリッキが狼狽えた様子で、頬に触れていた手を引っ込めようとした。

「ちが……」

 その手を引き止めようと思わず両腕を伸ばすと、支えを失った身体はバランスを失って、がくりと彼の胸に倒れ込んだ。
 自由の利かない両手で必死に青い上着を掴み、顔を上げる。

 もうこれ以上、彼に後ろめたい思いをさせたくない。

「違うの! 嬉しかったの。ニューリッキが、あなたで良かったって思ったの!」

 一気にそこまで言うと、彼に強く抱きしめられた。

「……嬉しいって、本当に? 本当に、そう思ってくれるの」

 感極まったような声。
 抱きしめる腕からも、震えが伝わってくる。

「……ん」
「いいの?」
「うん…………」

 少年の姿の彼に抱きしめられたとき、いつももっと大きなものに包み込まれている気がした。
 今、自分をすっぽりと包み込む大きな身体は、その印象と完全に一致していた。

 息を吸い込むと、大好きな森林の匂いがして、深い安心感に満たされる。

 そう、この精霊ひとに、ずっと守られてきたんだ。
 おそらく、出会う前からずっと……。

 もっと近づきたくて彼の胸に頭を預けると、背中に回された腕に力がこもり、彼の膝に抱き上げられた。

「ああ、君ってこんなに小さかったんだね。なんて、かわいい……」

 頭の上に何度も頬ずりされ、甘く深い吐息が触れる。

「ねぇ、カティヤ。これから僕と恋をしよう」
「……うん」

 自分は、生涯恋などすることなく、精霊の花嫁として生きていく運命なのだと、一旦は覚悟した。
 そのために、初めて恋してみたいと思えた相手を、自分から捨て去ろうとした。

 だけど今、わたしはその彼の腕の中にいる。

 彼の腕の中も、囁かれる言葉も心地いい。
 疲れ果てた身体をすべて彼に預けて、淡い幸せの中にまどろんでいたが、続けられた彼の言葉に目が冴えた。

「僕らは、先に結婚してしまったけど、順序なんてささいなことだろう?」

 え?
 今、なんて……?

「待って! 結婚の契約はまだ半分だけなんでしょ? 相手の名前と、結婚するという意思を口にすると、契約の半分が結ばれるんだって、言ってたじゃない?」

 混乱しながら確認すると、彼は瞳で微笑んだ。

「うん。精霊と人間が婚姻契約を結ぶには、条件が二つあるんだ。一つはさっき君が言った通り。そしてもう一つは……口づけを交わすこと」
「だったら、まだ……」

 契約は半分だけのはずだと言おうとして、ふと思い出す。

 森に倒れていた幼い子ども。
 ムスティッカの甘酸っぱい味。
 今と全く同じように、疲れ切って力が入らなくなってしまった自分の身体。

「まさか、あのとき……」
「そうだよ。君が僕を助けてくれた時、僕らは偶然、契約の半分を結んでいたんだ。だから君はもう、僕の妻だよ。そして僕は君の夫」

 結婚という言葉は、どこかふわふわした夢のような感覚があった。
 「結婚する」と自分の口で宣言したにも関わらず、遠い世界の出来事のように思えた。
 けれども妻だ夫だという言葉になると、妙に現実味を帯びる。

 妻になったことが嫌なのではない。
 ただ、ここから逃げ出したくなるような強烈なくすぐったさ感じて、頬がかあっと熱くなる。

「妻……なの? もう、わたし」

 顔が上げられなくて上目遣いで訊ねると、彼は火照る頬をそっと撫でながら頷いた。

「そう。僕らはもう夫婦だよ。だけど僕は、最初の半分の契約のときのことを、全く覚えていないんだ。だから、やり直したい」
「ええっ? やり直すって、もしかして、あの……キ、キス、するの?」
「うん。だめかい? カティヤ」

 名前を囁く低い声が、心を甘く揺さぶる。
 自信なさげに懇願する彼の瞳の奥に、大人の色香が見える。

 突然キスしたいと言われても、心の準備も何もないからとまどうだけだ。
 だけど、どうしても、抗うことができない。

「でもあの……その……う、ん…………いい……けど?」

 胸がどきどきしすぎて、しどろもどろに答えると、喜びをかみしめる彼の顔が一瞬だけ見えた。

 そっと触れる温もりに、心が震える。

 結婚の契約というよりも、神聖な誓いと言った方がふさわしい、優しく長い口づけだった。

「ああ、なんて柔らかいんだろう。それにムスティッカなんかより、ずっと、甘い」

 彼は唇を離すと、名残惜しそうに指先でカティヤの唇をなぞる。

「もっと……欲し……い」

 返事をする間もなく重なった熱が、柔らかに唇を食む。
 じっくり味わうような、吐息まじりの愛撫は甘くて、優しくて。
 意識がゆっくりと溶かされる心地よさに身をゆだねる。

「……ん……ニュー……リ」

 ほとんど無意識に、彼の首に手を伸ばす。
 その手はしかし、すぐそばにいるはずの彼に届かなかった。
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