【完結】白夜の花嫁 〜赤い瞳の少女は精霊の花嫁になる運命から逃れたい〜

平田加津実

文字の大きさ
上 下
32 / 40
変わり果てた森

一体、何が起こっている!

しおりを挟む
「やっぱりおかしい」
「どうしたの?」
「ずっと変だと思ってたんだ。一体、何が起こっている!」

 いらついた様子のヴィルヨは、頭上に密集するトウヒの枝を仰ぎ見た。

「南に向かっているつもりなのに、すぐ、西にずれてしまう。これまで何度、方角を修正したことか。なのに、どれだけ注意して歩いていても、いつの間にか頭がぼんやりして、気付けば西に向かって進んでいるんだ」

 とげとげした葉の向こう側に少しだけ見える空は、いつの間にか鉛色に沈み、太陽の位置から方角を知ることはできなくなっていた。
 しかし、森の中では方角を見失うことはない。
 冬の間、北の方角からの厳しい風雪にさらされるこの地方は、木の北側は枝が少ない。
 枝振りが良く、幹が微妙に傾いている方角が南だ。

「本当だわ」

 辺りを見回して自分でも方角を確認すると、足先は確かに南ではなく西を向いていた。
 俯き加減で、ヴィルヨが引くロバの尻尾だけを見ながら歩いていたから、向かっている方向がずれてしまうことも、それをヴィルヨが必死に修正しようとしていたことも、全く気付かなかった。

「僕も今まで気付かなかった」

 ニューリも同様だったようだ。

「こんなの、おかしいだろう? これも、森の主がいないせいなのか? 森の中に、方向を狂わせるような何かがあるっていうのか?」

 いらついた言葉に、ニューリが考え込む。

「いや……、森にそんな力はないよ」
「頭をぼおっとさせる、変な臭いがする草があるとかよ?」
「そんなものは、ない」
「じゃあ、精霊とか妖精の仕業なの?」
「どうだろう……。主がいないせいで、変なモノが森に入り込んでいても不思議はないけど、もしそんなモノが近くにいたら、カティヤと僕は気付くはずだ」

 ニューリはカティヤの手を強く握り、目を閉じた。
 カティヤも彼の真似をして目を閉じ、近くに妙な気配がないか神経を集中させる。

「少なくとも、近くには何もいそうにない」
「……そうね」

 彼の言葉にカティヤも同意した。

 周囲のどれくらいの範囲を調べられたのかは分からないが、気になる気配は見つからなかった。
 追っ手が来る様子もない。
 これだけ深い森の中なのに、木々や草花の息吹や、小動物の気配すら感じないことが、逆に不気味だ。

「森のせいでも、精霊のせいでもねぇなら、原因はなんだっていうんだよ? まるで、俺らを西の方向に誘っているみてぇじゃねぇかよ」
「だったら、やっぱり……精霊のせいじゃないの? 花嫁を手に入れようと誘っているのかも」

 水の中に引きずり込まれた恐怖を、まざまざと思い出す。

 ——早く、こっちへおいで。私の花嫁。
 ネアッキは、そんな言葉でカティヤを誘ったのだ。

「いや……。怖い」

 今でも、全身に緑色の髪が絡み付いている気がして、思わずニューリにすがりつく。

 すると彼は、背中に手を回して、そっと撫でてくれた。
 落ち着かせようとしてくれているのだろう。
 言い聞かせる声も優しい。

「そんなはずないよ。君だって、何もいないって分かっただろう?」
「……うん。そうなんだけど……」

 強い視線を感じて振り向くと、ヴィルヨの不機嫌な顔があった。

 二人は慌てて身体を離すが、手はしっかりと握ったままだ。
 これだけは、放すことができない。

「今度は、僕らが先に歩いてみるよ。二人で周りを注意しながら歩けば、真っすぐ南に進めるかもしれない」

 二人で両側の木々の枝振りを確認しながら、ゆっくりと南に向かって進んでいく。
 しかし。

「くそっ! だめだ」

 ニューリの声にはっとなった。
 あわてて周りを見回し、呆然となる。
 今、二人の身体は、間違いなく西を向いていた。

「どうして……?」

 決して惑わされるまいと、一本一本の木を確かめながら慎重に歩いていたはずだった。
 なのに、いつの間にか集中力は途切れ、頭がぼんやりしていた。
 絶句して立ち尽くしている彼もまた、自分と同じ状態だったに違いない。

「……だろ? 絶対、何かあるんだ。俺も今まで、西に向かっているなんて気付かなかった。真っすぐ歩いていたはずだった」

 後ろから着いてきていたヴィルヨも、悔しそうに唇を噛んだ。

「何かって……一体?」

 それが、自分たちに好意的なものだとは到底思えない。
 得体の知れない見えない敵に身震いした時、それとは別のぞわりとした恐怖を、背後から感じた。

「いやぁぁぁ! 何かこっちに来る!」
「カティヤ、こっちへ!」

 叫び声と同時に、ニューリはカティヤを素早く背後に庇った。
 腰の長剣を抜いて、身構える。

「僕につかまっていて! 決して離れないで!」
「う……うん」

 ヴィルヨが引いていたロバが何かを感じ取ったのか、急に悲鳴を上げて暴れ出した。

「お、おいっ。どうしたんだ、急に!」

 自分以外の者たちの尋常でない様子に、ヴィルヨもよく分からないまま腰の剣を抜いた。
 手綱を手放したため、ロバが森の奥へと逃げていく。

「おいっ! 何が来るんだ! こっちから来るのか? 何も見えねぇよ!」
「おそらくこれは……ヒイシだ!」

 ニューリが言うか言わないかのうちに、ヒイシの大群が真っ黒な濁流となって押し寄せてきた。
 その数と密集した圧力は凄まじく、とても剣一本でどうにかできるものではなかった。

「きゃぁあああー!」
「くそっ! こいつら、どうしても僕らを西に連れて行きたいのか!」

 ヒイシたちに以前のような攻撃性はなかった。
 ただ、二人をもみくちゃにしながら、西の方角に押し流そうとする。
 ニューリが必死に振るう刃に数十体のヒイシは消え失せたが、勢力は全く衰えない。

「なんだよ! 何が起こっている。俺はどうしたらいいんだ!」

 カティヤとニューリの目には、森林の中はおびただしい数のヒイシが溢れ、四方が真っ黒に染まって視えた。
 しかしヴィルヨには、二人が何に抗っているのか全く視えない。
 それどころか、押し寄せるヒイシの洪水の中にいても、平然と立っていられる。
 もちろん、何の抵抗も感じないから、普通に動き回ることもできた。

「カティヤ、今、そっちに行く」

 ヴィルヨは急いで、二人の背後に回り込んだ。
 見えない力に押され、じりじりと後ずさるカティヤの背中を両手で支える。

「うおっ?」

 細い背中を通してはじめて、彼は目に視えない力を感じ取ることができた。
 どれだけ足を踏ん張っても、両足は土の上をずるずると滑り、後方に押しやられていく。

「くっ……。なんて力だ。どうなってるんだ!」
「もの……すごい数の、ヒイシ……に、取り囲まれてる……の!」
「大丈夫か?」
「苦し……い。潰されちゃう」

 前後から強い力で押される格好のカティヤは、息も絶え絶えになっていた。

「ヴィルヨ、無理だ! どんどん西に押しやられてしまう。ここはいいから、向こうに何が待ち構えているのか、先に行って見てくれ!」
「カティヤを置いていけるかよ!」
「僕が少しでも時間を稼ぐから、行ってくれ! ヴィルヨ!」
「行って! お兄ちゃん」

「…………分かった。カティヤ、無事でいろ」

 ヴィルヨは断腸の思いで、その場を走り去った。

「きゃあ!」

 背中を支えていたものが急になくなってしまい、カティヤは後ろにつんのめった。
 しかし、背中側にもヒイシが入り込み、倒れることはなかった。

 地面に低く伏せれば、ヒイシをやり過ごしやすいだろうが、周囲をぐるりと取り囲まれてしまいできない。
 大木にしがみつくことも無理だった。
 二人の体力はどんどん削られ、押し流される速度は増していった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】百年に一人の落ちこぼれなのに学院一の秀才をうっかり消去しちゃいました

平田加津実
ファンタジー
国立魔術学院の選抜試験ですばらしい成績をおさめ、百年に一人の逸材だと賞賛されていたティルアは、落第を繰り返す永遠の1年生。今では百年に一人の落ちこぼれと呼ばれていた。 ティルアは消去呪文の練習中に起きた誤作動に、学院一の秀才であるユーリウスを巻き込んでしまい、彼自身を消去してしまう。ティルア以外の人の目には見えず、すぐそばにいるのに触れることもできない彼を、元の世界に戻せるのはティルアの出現呪文だけなのに、彼女は相変わらずポンコツで……。

野良竜を拾ったら、女神として覚醒しそうになりました(涙

中村まり
恋愛
ある日、とある森の中で、うっかり子竜を拾ってしまったフロル。竜を飼うことは、この国では禁止されている。しがない宿屋の娘であるフロルが、何度、子竜を森に返しても、子竜はすぐに戻ってきてしまって! そんなフロルは、何故か7才の時から、ぴたりと成長を止めたまま。もうすぐ16才の誕生日を迎えようとしていたある日、子竜を探索にきた騎士団に見つかってしまう。ことの成り行きで、竜と共に城に従者としてあがることになったのだが。 「私って魔力持ちだったんですか?!」 突然判明したフロルの魔力。 宮廷魔道師長ライルの弟子となった頃、フロルの成長が急に始まってしまった。 フロルには、ありとあらゆる動物が懐き、フロルがいる場所は草花が溢れるように咲き乱れるが、本人も、周りの人間も、気がついていないのだったが。 その頃、春の女神の生まれ変わりを探し求めて、闇の帝王がこちらの世界に災いをもたらし始めて・・・! 自然系チート能力を持つフロルは、自分を待ち受ける運命にまだ気がついていないのだった。

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

私のアレに値が付いた!?

ネコヅキ
ファンタジー
 もしも、金のタマゴを産み落としたなら――  鮎沢佳奈は二十歳の大学生。ある日突然死んでしまった彼女は、神様の代行者を名乗る青年に異世界へと転生。という形で異世界への移住を提案され、移住を快諾した佳奈は喫茶店の看板娘である人物に助けてもらって新たな生活を始めた。  しかしその一週間後。借りたアパートの一室で、白磁の器を揺るがす事件が勃発する。振り返って見てみれば器の中で灰色の物体が鎮座し、その物体の正体を知るべく質屋に持ち込んだ事から彼女の順風満帆の歯車が狂い始める。  自身を金のタマゴを産むガチョウになぞらえ、絶対に知られてはならない秘密を一人抱え込む佳奈の運命はいかに―― ・産むのはタマゴではありません! お食事中の方はご注意下さいませ。 ・小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 ・小説家になろう様にて三十七万PVを突破。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】炎輪の姫巫女 〜教科書の片隅に載っていた少女の生まれ変わりだったようです〜

平田加津実
ファンタジー
昏睡状態に陥っていった幼馴染のコウが目覚めた。ようやく以前のような毎日を取り戻したかに思えたルイカだったが、そんな彼女に得体のしれない力が襲いかかる。そして、彼女の危機を救ったコウの顔には、風に吹かれた砂のような文様が浮かび上がっていた。 コウの身体に乗り移っていたのはツクスナと名乗る男。彼は女王卑弥呼の後継者である壱与の魂を追って、この時代に来たと言うのだが……。

うっかり女神さまからもらった『レベル9999』は使い切れないので、『譲渡』スキルで仲間を強化して最強パーティーを作ることにしました

akairo
ファンタジー
「ごめんなさい!貴方が死んだのは私のクシャミのせいなんです!」 帰宅途中に工事現場の足台が直撃して死んだ、早良 悠月(さわら ゆずき)が目覚めた目の前には女神さまが土下座待機をして待っていた。 謝る女神さまの手によって『ユズキ』として転生することになったが、その直後またもや女神さまの手違いによって、『レベル9999』と職業『譲渡士』という謎の職業を付与されてしまう。 しかし、女神さまの世界の最大レベルは99。 勇者や魔王よりも強いレベルのまま転生することになったユズキの、使い切ることもできないレベルの使い道は仲間に譲渡することだった──!? 転生先で出会ったエルフと魔族の少女。スローライフを掲げるユズキだったが、二人と共に世界を回ることで国を巻き込む争いへと巻き込まれていく。 ※9月16日  タイトル変更致しました。 前タイトルは『レベル9999は転生した世界で使い切れないので、仲間にあげることにしました』になります。 仲間を強くして無双していく話です。 『小説家になろう』様でも公開しています。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

処理中です...