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変わり果てた森

この森は……冷たいわ

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 久しぶりに足を踏み入れる、大好きだった森。
 だけど……。

「この森は……冷たいわ」

 カティヤは怯えながら辺りを見回した。

 最初は、自分がヒイシや精霊を怖がっているせいだと思ったが、そうではなかった。
 いつも自分を温かく迎え入れてくれた優しい森は、今は作り物のように生気を失っていた。
 夏の若い緑はどんよりと沈み、重なり合う枝の隙間から差し込む太陽は、寒々しい光の筋でしかない。

「これは……ひどい」

 ニューリも衝撃を受けた様子だった。

「そうか? 俺には、普通の森にしか見えんがな」

 ヴィルヨは目を細めると、針葉樹の枝が隠す空を仰いだ。

「僕は旅に出てから、猟りのために何度か森に入ったけど、そのときは全く何も感じなかった。だけど、今はカティヤのおかげで分かる。この森は、真冬の森よりもっと冷たい。まるで死んでしまったようだ」
「これは、森の主が力を失くしたせいなの?」
「……間違いなく、そうだ。まさか、ここまで酷いことになっているなんて」

 彼は辛そうに俯いた。

 森で暮らしていた彼は、森の主が力を失くしたせいでヒイシに襲われ、住む場所もなくなってしまった。
 そう思っているカティヤは、これまでのお返しとばかりにニューリの手を強く握った。

「大丈夫よ。いつか森は元に戻るわ。ニューリッキが力を失くしても、森の王タピオがいるじゃない。きっと、なんとかしてくれるわよ。だから、元気を出して!」
「……そうだね」

 元気づけてあげたかったのに、彼は一瞬驚いたように目を見開いた後は、さらに辛そうに口を結んで前を見る。

 どうしよう。
 わたし、何か間違えた?

「あ……あのっ。わたしも森が大好きなの。森はいつも優しく迎えてくれて、綺麗でおいしいベリーやきのこがたくさんあるし、いい匂いがするし、空気は澄んでいて気持ちいいし、小鳥とかりすとか集まってきてくれるし……。遊びに行ったときは、いつも家に帰りたくなかったの。だから、わたしも森がこんなになっているのは悲しいわ」

 手を引きながら、ほんの少しだけ前を歩く彼に、必死に想いを伝えた。

 ヴィルヨに話しても、いまひとつ分かってもらえなかった森林に対する強い愛着は、ニューリにだけは必ず伝わるはず。
 きっと同じ気持ちを持っているはずだと信じていた。

「いつか森が元に戻ったら、ニューリの好きな焼きたてのパンとジャムを持って、遊びにこようよ。あなたと一緒だったら、森はもっと楽しいと思うわ。だから……」

 彼の足がぴたりと止まった。
 繋いでいた手が強く引き寄せられて、次の瞬間、痛いほどに抱きしめられていた。

「ニュー……リ?」
「ああ、カティヤ。君が、そんな風に思っていてくれたなんて……。君がそんなに、僕の森を好きになってくれるなんて」

 感動……なのだろうか?
 彼の声は高めにうわずり、抱きしめる腕も震えている。
 カティヤは彼の華奢な背中に腕を回した。

「しばらくの辛抱よ。きっと森は元通りになる。だから……ね?」

 彼がいつもしてくれるように、軽く背中を叩いて慰めると、彼は首筋にすりつけるように頭を預けてきた。

「だけど、ごめん……。君の大好きな森は、きっと……元には戻らない」

 急に低く小さくなった声は、掠れて聞きづらい。

「え? 何? どうしたの?」
「僕は……」

 さらに小さくなった声を拾おうと耳を澄ませると、言葉の続きは叫び声になった。

「うわぁあっ!」
「ニューリ?」

 抱きしめていた腕が外れ、引き離された身体の間に、寒々とした空気が入り込む。
 驚いて顔を上げると、苦しそうにのけぞったニューリのすぐ後ろに、殺気立ったヴィルヨが壁のように立っていた。
 その大きな手には銀色の三つ編みの先が握られている。

「このクソガキ! カティヤに何しやがるっ!」

 すぐに空いた方の手がニューリの首に回り、羽交い締めにする。
 何倍も違う体格差でこんなことをされては、華奢なニューリは簡単に折れてしまいそうだった。

「ちょっと、やめてよ! お兄ちゃん、乱暴しないで!」

 慌ててヴィルヨの腕に手をかけるが、少女の非力な手ではびくともしない。
 しかし、同じように非力に見えるニューリがヴィルヨの手首を掴むと、あっさり外れた。

「くっ……」

 僅かに顔をしかめたヴィルヨを尻目に、ニューリが無言のままカティヤの手を取って歩き出す。

「え? え? 待って、ニューリ」
「おい、カティヤ! お前は、こっちに来い!」
「きゃ……」

 反対の手を強引に引かれ、ニューリの手を放してしまった。
 とたんに、闇の中に一人で放り出された気がして、ぞわぞわした不安が背中を這い上がってくる。
 足元が凍り付いて動かない。

「や……だ。怖い」
「俺がついているから、大丈夫だ」
「無理……。怖い。お兄ちゃん、この森は……怖い。怖いの!」

 ニューリの手じゃないと、怖くてたまらない。
 けれども、ヴィルヨに残酷なことをしているという自覚はあるから、はっきりそうとは言えなかった。
 ただ、小さな子どもがだだをこねるように首を振る。

「くそ……っ」

 ヴィルヨは頭をかきむしると、カティヤの手を放し、くるりと背を向けた。

「早く行くぞ。追っ手が来るかもしれない」

 離れていくそっけない言葉に、無念が滲んでいた。

 ごめんなさい——。

 おそらくこの言葉も、言ってはいけない気がして立ち尽くしていると、ニューリに肩を叩かれた。

「ヴィルヨの言う通りだよ。先を急ごう」
「うん……」

 しっかりと握ってくれる彼の手は優しくて温かい。
 自分だけしか感じることができない恐怖を、彼も負担してくれることが心強い。

 けれども彼は、それ以上口を開かなかった。
 先を歩くヴィルヨも、ときどき監視するように後ろを振り返りはするが、ずっと黙ったままだ。
 冷たく静まり返った森の中を、三人はそれぞれ気まずい思いを抱えながら、黙々と歩いていく。

 枯れ枝や木の根、苔を踏む微かな音だけを聞く時間がどれくらい続いただろうか、突然ヴィルヨが足を止めた。
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