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変わり果てた森
他に逃げ場はないのね
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「いい加減、諦めたらどうだ!」
弱者をいたぶるような声に、ニューリはカティヤの手を放しぱっと振り向いた。
その手には、いつの間に取り出したのか、弓が握られていた。
ひゅんと風を切る音が響く。
間近から放たれた矢は馬の目元をかすめていき、驚いた馬は悲鳴を上げ、大きく棹立ちになった。
「うわぁぁぁあ!」
馬上の男はあっけなく振り落とされ、地面の上でうめき声を上げた。
その様子を見て、後ろから追いかけてきたもう一頭の馬が、慌てて向きを変えた。
ニューリが矢筒からもう一本の矢を引き抜き、弓をぎりぎりと引き絞った。
片目を閉じて狙いを定める。
しかし、途中で諦めたように力を抜いた。
「くそっ。この弓じゃだめだ」
カティヤの家から持ち出した弓は、小動物を猟るための小型のものだ。
長い距離を正確に射るには向いていなかった。
「でも、逃げていったんだから、いいじゃない」
「いや……だめだ。あの男が、別の仲間を呼んでくるかもしれないだろう?」
そう言いながらニューリは弓矢を地面に置くと、短刀を取り出した。
「き……さま……」
落馬した男は腰を強く打ったらしく、地面に伸びたまままともに動けない。
ニューリは短刀をちらつかせながら、その男の襟元を掴んで上半身を起こした。
「悪いけど、少し寝ててもらわないと困るんだ」
「ぐっ……」
みぞおちに踵を受けた男は、詰まった声を上げると草の上に崩れ落ちた。
ニューリは屈み込むと、男の腰から剣の鞘を奪い、自分の腰に下げた。
そして、少し離れた場所に落ちていた剣を拾い上げた。
「こういう武器は使ったことないけど、悪くはないかな。長い方が有利なこともあるし」
二、三度振って感触を確かめると、鞘に納める。
「お兄ちゃんは、大丈夫かしら?」
「あの人だったら、三人を相手にしても平気だろう。そろそろ、決着がついた頃じゃないかな」
耳を澄ませてみても、白樺の葉が風に揺れる微かな音がするだけで、剣戟の音や叫び声などは聞こえてこない。
いつの間にか短い夜はすっかり明け、低く重なり合う雲の隙間から太陽が顔をのぞかせていた。
周囲に注意を払いながら二人が道まで戻ると、ヴィルヨが、倒した最後の一人を灌木の後ろに隠しているところだった。
「おお、カティヤ。ニューリ。無事だったか?」
「お兄ちゃん!」
自分たちを逃がし、たった一人で三人の男に向かっていった彼の無事な姿に大きく安堵したカティヤは、わだかまりも忘れて、彼の胸に飛び込んだ。
ヴィルヨはカティヤを抱き止めると、愛おしそうに目を細めた。
「怖かっただろう? 怪我はないか?」
しばらく金色の髪を撫でた後、身体を離したヴィルヨが心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫よ。ニューリが守ってくれたから。お兄ちゃんこそ大丈夫? それ……」
見ると、彼のシャツの左肩が少し裂けて血がにじんでいる。
「ああ、ほんのかすり傷だ。心配すんな」
ヴィルヨはその傷を手で隠し、反対の手でカティヤの頭をぐしゃぐしゃと混ぜた。
「すまない、ヴィルヨ。一人逃がしてしまった」
「ああ、馬が町の方向に逃げていくのが見えた。だが、カティヤが無事ならそれで十分だ。よくやってくれたよ」
「ここから町までは近いから、すぐに別の者を呼んでくるかもしれない」
「それを考えると、道を歩くのは危険だな。相手が馬なら簡単に追いつかれてしまう。これ以上騒ぎを起こしたくない」
ヴィルヨが白樺の林の奥をじっと見つめた。
ニューリも苦々しい表情をしながら、同じ方向に視線を向けた。
白樺の白い幹の重なりのずっと向こうには、濃い緑色の塊が横たわっている。
トウヒや松を中心とした、針葉樹の深い森だ。
「森を抜けるの?」
「そうするしかないだろう」
ヴィルヨの答えを聞いたカティヤの顔に、強い不安が浮かんだ。
森林の木々の頂は朝日を受けて明るいが、根元には闇がうずくまっているように見える。
そこはまるで、悪霊ヒイシのねぐらのようだ。
「この森にはヒイシはいないの? もしかして、ここはもうニューリッキの森じゃないの? だったら、大丈夫よね?」
もしかしたらとの期待を込めてニューリを見つめたが、彼は辛そうに視線をそらせた。
「いや、ここもニューリッキの森だよ。隣の国までずっと続いているんだ」
「……でも、他に逃げ場はないのね」
急に寒気を感じで、カティヤは両腕で自分を抱いた。
人が肩を寄せ合って生活する町や村も、国の大部分を覆う豊かな森林も、青く澄んだ水をたたえた湖も、どこも危険な場所になった。
そんな中で人間に追われ、精霊や悪霊には狙われる。
自分の周りのすべてが敵だった。
肩をすくめ、二の腕を強く握って震える手にニューリの手が伸びた。
強ばった手をそっと腕から引きはがし、自分の手で包み込むようにぎゅっと握る。
「こうしていれば、僕にもヒイシは視えるし戦える。僕が君を守るから、そんなに震えなくても大丈夫だよ。ね」
「うん……」
温かな手が心強い。
ただ少し、胸の奥がちくりとしてヴィルヨを見ると、シャツの肩を赤く染めた彼は苦々しい表情で、森の方向に顎をしゃくった。
「とりあえず、南に向かおう」
ロバを引いたヴィルヨが先に立って、森の中に入っていった。
弱者をいたぶるような声に、ニューリはカティヤの手を放しぱっと振り向いた。
その手には、いつの間に取り出したのか、弓が握られていた。
ひゅんと風を切る音が響く。
間近から放たれた矢は馬の目元をかすめていき、驚いた馬は悲鳴を上げ、大きく棹立ちになった。
「うわぁぁぁあ!」
馬上の男はあっけなく振り落とされ、地面の上でうめき声を上げた。
その様子を見て、後ろから追いかけてきたもう一頭の馬が、慌てて向きを変えた。
ニューリが矢筒からもう一本の矢を引き抜き、弓をぎりぎりと引き絞った。
片目を閉じて狙いを定める。
しかし、途中で諦めたように力を抜いた。
「くそっ。この弓じゃだめだ」
カティヤの家から持ち出した弓は、小動物を猟るための小型のものだ。
長い距離を正確に射るには向いていなかった。
「でも、逃げていったんだから、いいじゃない」
「いや……だめだ。あの男が、別の仲間を呼んでくるかもしれないだろう?」
そう言いながらニューリは弓矢を地面に置くと、短刀を取り出した。
「き……さま……」
落馬した男は腰を強く打ったらしく、地面に伸びたまままともに動けない。
ニューリは短刀をちらつかせながら、その男の襟元を掴んで上半身を起こした。
「悪いけど、少し寝ててもらわないと困るんだ」
「ぐっ……」
みぞおちに踵を受けた男は、詰まった声を上げると草の上に崩れ落ちた。
ニューリは屈み込むと、男の腰から剣の鞘を奪い、自分の腰に下げた。
そして、少し離れた場所に落ちていた剣を拾い上げた。
「こういう武器は使ったことないけど、悪くはないかな。長い方が有利なこともあるし」
二、三度振って感触を確かめると、鞘に納める。
「お兄ちゃんは、大丈夫かしら?」
「あの人だったら、三人を相手にしても平気だろう。そろそろ、決着がついた頃じゃないかな」
耳を澄ませてみても、白樺の葉が風に揺れる微かな音がするだけで、剣戟の音や叫び声などは聞こえてこない。
いつの間にか短い夜はすっかり明け、低く重なり合う雲の隙間から太陽が顔をのぞかせていた。
周囲に注意を払いながら二人が道まで戻ると、ヴィルヨが、倒した最後の一人を灌木の後ろに隠しているところだった。
「おお、カティヤ。ニューリ。無事だったか?」
「お兄ちゃん!」
自分たちを逃がし、たった一人で三人の男に向かっていった彼の無事な姿に大きく安堵したカティヤは、わだかまりも忘れて、彼の胸に飛び込んだ。
ヴィルヨはカティヤを抱き止めると、愛おしそうに目を細めた。
「怖かっただろう? 怪我はないか?」
しばらく金色の髪を撫でた後、身体を離したヴィルヨが心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫よ。ニューリが守ってくれたから。お兄ちゃんこそ大丈夫? それ……」
見ると、彼のシャツの左肩が少し裂けて血がにじんでいる。
「ああ、ほんのかすり傷だ。心配すんな」
ヴィルヨはその傷を手で隠し、反対の手でカティヤの頭をぐしゃぐしゃと混ぜた。
「すまない、ヴィルヨ。一人逃がしてしまった」
「ああ、馬が町の方向に逃げていくのが見えた。だが、カティヤが無事ならそれで十分だ。よくやってくれたよ」
「ここから町までは近いから、すぐに別の者を呼んでくるかもしれない」
「それを考えると、道を歩くのは危険だな。相手が馬なら簡単に追いつかれてしまう。これ以上騒ぎを起こしたくない」
ヴィルヨが白樺の林の奥をじっと見つめた。
ニューリも苦々しい表情をしながら、同じ方向に視線を向けた。
白樺の白い幹の重なりのずっと向こうには、濃い緑色の塊が横たわっている。
トウヒや松を中心とした、針葉樹の深い森だ。
「森を抜けるの?」
「そうするしかないだろう」
ヴィルヨの答えを聞いたカティヤの顔に、強い不安が浮かんだ。
森林の木々の頂は朝日を受けて明るいが、根元には闇がうずくまっているように見える。
そこはまるで、悪霊ヒイシのねぐらのようだ。
「この森にはヒイシはいないの? もしかして、ここはもうニューリッキの森じゃないの? だったら、大丈夫よね?」
もしかしたらとの期待を込めてニューリを見つめたが、彼は辛そうに視線をそらせた。
「いや、ここもニューリッキの森だよ。隣の国までずっと続いているんだ」
「……でも、他に逃げ場はないのね」
急に寒気を感じで、カティヤは両腕で自分を抱いた。
人が肩を寄せ合って生活する町や村も、国の大部分を覆う豊かな森林も、青く澄んだ水をたたえた湖も、どこも危険な場所になった。
そんな中で人間に追われ、精霊や悪霊には狙われる。
自分の周りのすべてが敵だった。
肩をすくめ、二の腕を強く握って震える手にニューリの手が伸びた。
強ばった手をそっと腕から引きはがし、自分の手で包み込むようにぎゅっと握る。
「こうしていれば、僕にもヒイシは視えるし戦える。僕が君を守るから、そんなに震えなくても大丈夫だよ。ね」
「うん……」
温かな手が心強い。
ただ少し、胸の奥がちくりとしてヴィルヨを見ると、シャツの肩を赤く染めた彼は苦々しい表情で、森の方向に顎をしゃくった。
「とりあえず、南に向かおう」
ロバを引いたヴィルヨが先に立って、森の中に入っていった。
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