【完結】白夜の花嫁 〜赤い瞳の少女は精霊の花嫁になる運命から逃れたい〜

平田加津実

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交錯する想い

俺じゃ、カティヤを守れねぇのかよ

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 濡れた金色の髪を後ろに撫で付け、素肌に伝う水は手で払い飛ばした。
 夏の日差しは高く、このままでもすぐに乾くだろうと、ヴィルヨは桟橋にまるめて置いてあった服に袖を通した。

 脱いだブーツの隣には白樺のカップと、自分のものより少し大きな短刀が置かれている。

 ニューリが湖で落としたという短刀を探しにきた……というのは建前で、彼に頼るカティヤを見ていたくなかったというのが本音だ。

「とにかく、見つかってよかった」

 ヴィルヨは裸足の足を下ろして桟橋に座ると、短刀を手に取った。

 目の前に広がる緑に囲まれた湖は美しく、平和そのものだ。
 足の下で僅かに波立つ水は浅く透明で、水底の石や藻がはっきりと見える。
 ついさっき、カティヤが命を落としかけたとは到底思えない光景だが、水中で見つけ出した手の中の短刀が、あれが夢ではなかったことを証明している。

「くそ……っ!」

 この短刀の持ち主がいなければ、カティヤは溺れて息絶えていたか、無理やり水の精霊の花嫁にされて、手の届かないところに行ってしまっていただろう。

 自分では視ることも触れることもできない敵に立ち向かえるのは、あの少年だけ。
 だから、この短刀はカティヤのために必要だ。

「俺じゃ、カティヤを守れねぇのかよ。どれだけ力があっても、どんな武器を持っていても無理なのか……」

 無力感に奥歯を強く噛み、短刀の柄を強く握りしめて、ふと気付く。

 トナカイの角で作られたどっしりとした短刀の柄は、大柄な自分の掌にすら余る太さだった。
 先に向かって緩やかに反った刃は、一般的なものより長く鋭い。
 日常用というよりも武器としての側面が強い造りだ。
 とても、小柄な少年が持ち歩くような代物ではなかった。

「かなり物騒な短刀だな。もとは、あいつの親父さんのものだったのだろうか?」

 トナカイの角の柄は黒光りし、硬い素材だというのに握った指の形に微妙な凹凸がついている。
 ここまで使い込むには、数十年はかかるはずだ。
 父親から譲り受けたのなら、身体の大きさに不釣り合いな短刀を持っていても、納得はいく。
 しかしニューリは、これを自在に使いこなしていた。

 盗賊団の首領を捕らえた動きは、ヴィルヨの目から見ても見事だった。
 自分の目では視えない相手との、水中での戦いもそうだった。

 あの少年は、人間からも精霊からも、カティヤを守ることができるのだ。

「結局、カティヤは俺のものになならねぇのかよ!」

 彼女の身の安全をいちばんに考えるのなら、自分ではなくニューリがそばにいた方がいい。
 そう思っても、愛する女を他の男に任せなければならない無念が、身体の中で出口を求めて暴れ回る。

 小さな手が、初めて自分の指をぎゅっと握ったあの日から、あの手は自分だけのものだと思っていたのに。
 少女に成長したあの手は、別の男の手を頼っている。
 今、この瞬間にも。

「くそっ!」

 ヴィルヨはニューリの短刀を振り上げると、力任せに桟橋に突き立てた。
 鋭い刃はたいした抵抗も感じさせず、あっさりと橋板を突き抜けた。
 そんな、短刀の性能の高さにすら、嫉妬を覚えて仕方なかった。





 湖でたっぷり時間をつぶし、髪も服も完全に乾いてから、二人の待つ草地に戻ることにした。

 歩いていくと、草の中に、片手で抱えた膝に顔を伏せた少年の姿だけが見えた。
 カティヤはおそらく、横になって眠っているのだろう。

「まさか、あいつまで眠ってるんじゃねぇだろうな?」

 カティヤを見守っているはずの少年の無防備な様子に、怒りが込み上げてきた。
 しかし、もう一歩踏み出すと、まだかなり距離があるというのに、少年はゆっくりと顔を上げてこちらを見た。

 眠ってなどいなかった。
 いや、本当は眠っていたのかもしれないが、こちらに鋭い警戒の視線を向けた彼には、全く隙がなかった。
 もしも今、背後から何者かが襲ってきたとしても、彼は即座に動けるはずだ。

 相手が、人間であっても。
 精霊であっても。

「こいつ……っ!」

 年少者らしからぬ高い能力を、またしても見せつけられた気がして、頭にかっと血が上がる。
 思わず手にしていた短刀を、彼に向かって投げつけた。

 空を切る刃は、少しの理性の働きで、僅かに彼の頭上に外れるはずだった。

 しかしニューリは前を向いたまま平然と右手を上げ、短刀の柄をつかみ取る。
 そして、使い慣れた自分の短刀が手の中にあるのを見て、驚いたように目を見開いた。

 ニューリに対する渦巻く思いは、驚嘆にかき消された。

「すげぇな……。お前」
「ヴィルヨ。僕の短刀を、探してきてくれたのか」

 彼にとっては、投げつけられた短刀など脅威でも何でもないのだろう。
 ヴィルヨの悪意は確かに感じ取っていたはずなのに、林檎でも手渡されたかのように笑顔を見せている。

 こいつには、敵わない。

 そう思うと、ヴィルヨは脱力してその場に座り込んでしまった。

「良かった。こいつがないと、カティヤを守れないと思っていたんだ。ありがとう」

 ニューリは満足そうに短刀の刃を太陽の光にかざしてみてから、ベルトから下げた皮のシースに納めた。

「お前、いつまで俺たちについてくるつもりなんだ?」

 自分からカティヤを奪いかねないこの少年とは、一緒に旅をしたくなかった。
 しかし、彼がいなければカティヤを守れない。
 そんなジレンマの中訊ねると、彼は、すぐ隣に丸くなって安らかな寝息を立てている少女に、ちらりと視線を落とした。

 彼女は両手でしっかりと、ニューリの左手を握りしめている。

「決めていない。だけど、僕がいないと困るだろう?」
「それはそうだが、カティヤが精霊の花嫁である以上、今回のようなことは、この先ずっと続くんだろう? いつまでもお前に頼りたくはねぇよ。くそ……っ。何かいい方法はねぇのかよ」
「だったら、カティヤが善良な精霊と婚姻関係を結べばいい。そうすれば、他の精霊に狙われることはなくなる。彼女の身の安全を優先するのなら、それがいちばん良い方法だ」
「んなこと、できるわけねぇだろう!」

 ニューリの淡々とした声に思わず怒鳴り声をあげてしまい、慌てて口をつぐんだ。

 カティヤを起こしてしまったかと思わず顔を覗き込んだが、どれほど深く眠っているのか、身動き一つしなかった。
 ヴィルヨはふうと息をつくと、声を潜めた。

「こいつだって、あれほど嫌がっているんだ」
「それは僕も……よく分かってる」
「精霊なんかに、あんな化け物なんかに、かわいいカティヤを渡してたまるかよ。そうだろ?」
「ああ…………そうだな」

 急に歯切れの悪くなったニューリは、もう一度カティヤの寝顔に視線を向けた。

「こんなこと、お前に頼みたくはねぇが、頼む。精霊の花嫁にならなくてもすむ方法が見つかるまで、カティヤを守ってやってくれ。今はお前しか、そいつを守れない。だから……頼む」

 得体の知れない精霊にカティヤを渡すくらいなら、まだ、目の前の人間の少年に頼る方がましだ。

 ヴィルヨは渦巻く嫉妬とプライドを無理矢理押さえつけ、頭を下げた。
 血を吐くような気分だった。

「僕は僕の意思でここにいる。君に頼まれなくても、カティヤを守る」

 ゆっくりと顔を上げると、妙に大人っぽい少年の顔があった。
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