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わたしの居場所

でも、ここにいるのは怖い

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「おーい、カティヤ! ニューリ! どこにいる」

 微かな呼び声が聞こえてきて、ニューリが僅かに身体を起こした。
 その動きでカティヤも目を覚ます。

「ヴィルヨが戻ってきたよ」

 まだぼんやりしているカティヤの頭を何度か撫でてから、ニューリが立ち上がった。
 道の上できょろきょろと辺りを見回すヴィルヨを、木の陰からそっと手招きする。

「どうした?」

 身を隠していた二人に気付いたヴィルヨは、何かを察したのか、あたりを警戒しながら慌てて近づいてきた。

「お兄ちゃん、どうしよう……。町の人に、赤い目を見られちゃった。それで、精霊の花嫁じゃないかって疑われて……」
「なんだって!」
「僕が目の病気だって説明したけど、納得していないみたいだった」

 二人はヴィルヨが留守の間に起きた事件を、事細かに説明した。

 トントゥにスカーフを奪われたこと。
 道に飛び出して、馬車に轢かれそうになったこと。
 そして、真紅の瞳を見てしまった農夫とのやり取りの一部始終。

「そうか、まずいことになったな。変な噂にならなきゃいいが……」
「ねぇ、すぐに出発しよう。ここにいるのは怖いわ」

 その言葉に、ヴィルヨは空を仰ぎ見た。
 高く広がっているのは、憎らしいぐらいの青空だ。
 夏の日差しの眩しさに、思わず目を細める。

「なるべく早く、ここを離れたいところだが、まだこんなに明るいからな。下手に町の中を歩いて、また誰かに気付かれたら厄介なことになる」

 ヴィルヨは腕を組んで考え込んだ。

 さっきまで買い物に出かけていた町は、これまで通過してきた町の中ではいちばん大きく、人通りも多かった。
 通り抜けるにも、かなり時間がかかりそうだ。

「でも、こうしている間に、あの男が精霊の花嫁がいたと言いふらしてしまったら、どうするの?」

 化け物でも見るような視線を、まざまざと思い出す。

 噂が広まれば、真相を確かめようとした人が、ここまでやって来るかもしれない。
 嫌悪と好奇に満ちた目をした大勢の人々に、取り囲まれるかもしれない。
 だから、危険が伴うことは分かっていても、少しでも早くここから逃げたかった。

「お前の気持ちも分かるが、判断に迷うところだな。……うわっ!」

 少し先に見える町に視線を向けようとしたヴィルヨが、途中で動きを止めて、いきなり大声を上げた。

「どうしたの?」
「あいつ、寝ちまいやがった。今日は少し無理をさせたから、あの様子じゃ、なかなか起きねぇぞ」

 ヴィルヨが指差す先を木の陰から覗いてみると、買い物の荷物を背負ったままのロバが、草の上にくたりと寝そべっていた。
 ああなってしまったら、無理矢理起こしたところで、不機嫌になって言うことをきいてくれないだろう。
 このまま寝かせておくしかない。

「そんなぁ……」

 頭を抱えて小さくなったカティヤの横に、ニューリが腰を下ろす。

「あれじゃ、しょうがないよ。きっと、今は行くなっていうことなんだよ」
「でも、ここにいるのは怖い」
「僕もヴィルヨもいるんだから、平気さ。今のうちに、できるだけ安全な方法を、じっくり考えよう……ね?」

 そう言われても、今はなす術がないことにじりじりとした焦りを覚え、カティヤは膝に顔を伏せるとうめき声を上げた。
 その頭の上に、大きな手がぽんと乗った。

 その重みだけで分かる。
 ヴィルヨだ。

「まぁ、そんなに焦るな。俺がついてるからよ」

 少々乱暴な仕草で髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜられ、顔を上げると、いきなり何かを口に突っ込まれた。

「む……くっ」

 一瞬、息が詰まったが、すぐにふわりと感じたシナモンの香り。
 ふかふかした食感。
 少し遅れて、強い甘味と香ばしさも。

「おいしいっ!」

 口の中のものを夢中で飲み込み、かじりかけのパンを手にヴィルヨを見上げると、彼は少し照れながらも満足そうに笑った。

「だろ? ちょうど焼きたてだったから買ってきたんだ。お前、甘いパンが好きだっただろう? ほら、もっと食いな」

 彼は袋からもう一つパンを取り出すと、カティヤの手に押し付けた。
 甘い香りを漂わせる二つのパンを、カティヤはじっと見つめる。

 お兄ちゃんは、わたしのことをいちばん知っている人だ。
 何が好きなのか、どうすれば喜ぶのかを誰よりも分かっている。
 そして、何よりもわたしを大切にしてくれる。

 あぁ、わたしの居場所はここにもあった。

 当たり前すぎてこれまで気付かなかった、兄と慕ってきた人の大きさと優しさに、胸が震えた。

「お……兄ちゃん」

 顔を上げると、ヴィルヨはぎょっとしたような顔になった。
 そして、慌てた様子でパンの袋を脇に置くと、両膝を草に落とす。

「な、なんだ? どうした! そんなに怖かったのか?」

 心配そうな青い瞳が覗き込む。
 とまどいを隠せない大きな親指が、カティヤの目の縁に浮かんだ涙をぬぐっていく。

 それでようやく、自分が泣いていたことに気付いた。

「ううん、違う! うれしかったの。これ、ほんとにおいしい! ありがとう」

 カティヤはパンを握ったままの両手の甲で涙をごしごし消すと、食べかけの甘いパンを口いっぱいに詰め込んだ。
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