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岸辺と花の文字が並ぶ地名

彼女を攫ってきた村を教えろ

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「きゃ……」
「やめろ!」

 力づくでひったくられた細く軽い身体が、椅子に座ったまま待ち構えている首領の元に飛ばされる。
 しかし、少女を抱きとめようとした首領の腕は空を切る。

 首領が被っていた毛皮の帽子がぱさりと床に落ちた時には、決着が着いていた。
 あまりの早業に、誰一人、何が起こったのか分からなかった。

 テーブルの上に飛び乗った儚げな美少女が、左手で首領の髪の毛を鷲掴みにし、右手に握った短刀をのけぞった喉元にぴたりと当てていた。
 この場の支配者が誰であるかを知らしめる鋭い視線を周囲にめぐらせ、荒くれ者たちを威圧する。

 首領は、仰向けでテーブルに半分身を乗り上げた苦しい体勢に、うめき声を上げた。

「う……ぐっ!」
「首領っ!」

 状況が一変したことに驚いた大男に、隙が生まれた。

 ヴィルヨは大男の手から長剣を奪い取って膝を腹に叩き込み、こちらもあっという間に床に落とした。
 テーブルと壁との狭い隙間にうつぶせに倒れた大きな背中を右足で思い切り踏みにじり、目の前に長剣の先をちらつかせる。

「お前ら、下がれっ! 首領の命が惜しかったら離れろ!」

 ヴィルヨは呆然としている残りの男たちを威圧した後、少女に捕らえられた無様な様子の首領を斜めに見下ろした。

「なぁ、首領。いいかげん、カティヤを諦めてくれないか? 俺たちをこれ以上、つけ狙わないと約束するのなら、解放してやってもいいぜ」
「なんだと! 生意気言うなっ!」

 かつて下僕扱いしていたヴィルヨの高圧的な言葉に、下がった二人の男は腰が引けたまま怒りの声を上げた。
 しかし、首領は無様な体勢ながらも、にやりと笑う。

「ふっ……言うようになったもんだなぁ、ニコ坊。お前が娘を連れて逃げたことは許してやるから、団に戻ってこんか。お前もそうだが、儂を捕らえたこの娘の腕も相当なもんだ。お前らがいれば、儂らはもっと大きな仕事ができる。分け前は、たんまりやろう。豪勢な暮らしをさせてやるぞ。どうだ?」
「断る。俺はカティヤを故郷に返してやりたいんだ。彼女を攫ってきた村を教えろ」
「それは、そう簡単に教えられん……ぐっ」

 首領が拒否しようとすると、少女が髪を掴んだ腕をぐっと引いた。
 同時に、喉にちりりとした痛みが走り、首領は驚愕に目を見開いた。

 喉仏の上に細く引かれた赤い線から、同じ色の雫が伝い落ちる様に、盗賊団の男たちが息を飲んだ。

 冷え冷えとした視線を落としてくる少女には、一切の躊躇がない。
 どちらが優位にあるのかを見せつける美しすぎるその顔には、背筋が凍るほどの凄みがあった。

 しかし、長年、荒くれどもを率いてきた首領だ。
 こんな危機的状況でも、煙草のヤニで黄ばんだ歯をむいて、余裕のある表情を見せる。

「さすが、ニコ坊が育てた娘だなぁ。その腕と度胸はつくづく惜しい。まぁ、こうなったら仕方がねぇ。教えてやろう。お前を攫ってきたのは……」
「待て! それ以上しゃべるな!」

 相手がどんな男なのかをよく知っているヴィルヨが、首領の言葉を止めた。

「でたらめを教えられても困る。おい、スルホ、こっちへこい!」

 名を呼ばれて台所に入ってきたのは、顔に真新しい傷が縦横に走る痩せぎすの男。
 ヴィルヨが拾われた当時から団に所属しており、いつも首領と行動を共にしている団の古株だから、この事件のことも知っているはずだった。

「あんたも、カティヤを攫ってきた村を知っているはずだ。その名を、竃の炭で壁に書け。お前が書き終えたら、首領に改めてその名を聞く。もし、それが一致しなかったら……分かるな?」

 傷だらけの顔を憎々しげに歪めたスルホが窺うようにちらりとを首領を見ると、首領は諦めた様子で「書け」と目で合図した。

「ニコ。てめぇ、こんなことして、ただですむと思うなよ!」

 スルホは吐き捨てるように言うと、竃の炭で壁にいくつかの文字を書き付けた。
 それを確認してから、ヴィルヨが脅すような低い声で再度問う。

「首領、カティヤを攫ってきた村の名は?」
「……パンキクッカだ」

 パンキクッカ——岸辺の花。

 はっきりと聞こえたその地名を、カティヤは頭の中で繰り返した。
 その言葉の響きだけで身体が震えてくる。

 こんな美しい名前の村に、お父さんとお母さんがいるかもしれない——。

 昨日から、衝撃的な出来事ばかりに襲われたカティヤにとって、それは唯一の希望だった。

「その村はどこにある?」

 ヴィルヨの尋問は続く。

「この国の北の端。湖の近くにある村だ」
「彼女の両親の名前は?」
「そんなこと、儂がいちいち覚えてる訳ねぇだろう。それに、娘を直接攫ったのはヨウニだ。奴は三年前におっ死んじまったから、これ以上のことは誰も知らん」
「本当か?」
「……さあな」

 首領がふてぶてしい態度で、はぐらかす。

 首領の言葉のどこまでが真実かは分からないが、少なくとも地名だけは正しいはずだ。
 これ以上、尋問を続けても無駄だろう。

 ニューリが、窓枠にちょこんと止まっていた赤い小鳥に視線を送る。
 小鳥はそれを合図に飛び立ち、ぴゅるぴゅると高い声でさえずりながら空を舞った。
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