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深い森には精霊がいるから気をつけろ

僕の森を荒らす者は許さない!

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 はっと目を開くと、折り重なって空を隠すトウヒの枝が目に入った。
 濃緑の隙間から柔らかな日差しが降ってくる。
 いつもと変わらない、穏やかな森の中。

「気を失っていたのか……」

 ニューリッキは上半身にかかる重みを不思議に思いながら、ゆっくりと身体を起こした。
 そして、自分の上からずり落ちたものに息を飲んだ。

 このは——。

 慌てて抱きとめた少女はうつぶせで顔が見えなかったが、緩やかにうねる明るい金色の髪に見覚えがあった。
 身につけている赤と緑のストライプのスカートや、黒いベスト、少し汚れた白いエプロンも見たことがある。

 驚きながらも、少女の身体を上向きにした。

「ああ……。やっぱりそうだ」

 いつも薔薇色に染まっていた頬は青白く、長い睫毛から落とされた影もあいまって、普段と違った儚げな印象を与えている。
 そしてどういう訳か、小さく整った唇とその周りが鮮やかな紫色に染まっていた。

 ふっと、甘酸っぱい香りが鼻についた。
 同時に、同じものを自分の口中に感じる。

 それがムスティッカの香りだということにはすぐに気付いたが、口の中の違和感をどう表現していいのか分からなかった。
 口の中を舌でぐるりと探ってみると、その感覚はふわりと優しく、決して嫌な感じではない。
 しかし、これまで経験したことがない感覚だ。

 思わず手の甲で口を拭うと、肌が彼女の口の周りと同じ色に染まった。

「なぜ、ムスティッカが……?」

 しかし、その理由を考える前に、目に留まった自分の手の大きさに息を飲んだ。

 彼女の手と見比べると、大きさは同じぐらい……いや、むしろ小さい。
 慌てて自分の細い腕や肩、小さな足を確認する。
 明らかにおかしい。
 夢などではない。

「いったい……何が起こったというんだ」

 どうやら自分は、五百年以上昔の、少年時代の姿をしているようだ。
 呆然としながらも、無意識のうちに腕の中の少女をぎゅっと抱きしめた。

 よく森で見かけていた可憐な少女の、ふにゃりと柔らかな感触。
 重み、体温。
 若返ったかのような自分の姿。

 自分の身に一度に起きた、信じられない現象の数々に混乱する。
 顔の周りにつきまとうように漂う、ムスティッカの甘酸っぱい香りに頭がくらくらした。

「……何が起こった?」

 もう一度、自分に問うように同じ言葉を繰り返す。

 そうだ。ヒイシが……。

 ニューリッキはことの発端を、記憶の中からたぐり寄せた。




 ヒイシは大樹に宿った精霊が、その木が朽ち果てた後も消えずに残ったもので、自然豊かな森の中では珍しくない。
 霊感の強い人間が、黒くぼんやりとした姿を目撃して悪霊だと騒ぎ立てるが、実際にはそこに漂っているだけの限りなく無に近い存在だ。
 父親である森の王タピオに代わってこの森を治めるニューリッキにとっては、彼らもまた、大切な自分の森の一部だった。

 しかし、そのヒイシたちが、一変して自分に襲いかかってきた。
 意志らしい意志を持たず、群れることもないはずの彼らが、はっきりとした悪意を向けて、自分を取り囲んでいたのだ。

 もとは無害な存在だと知っているから、ニューリッキは最初、手出しできなかった。
 腰の短刀プーッコを抜いて構え、彼らに命じる。

「やめろ。お前たち! おとなしくねぐらヒートラに戻れ!」

 森の主であるニューリッキは、その声だけで森の全ての生き物を従わせることができる。
 しかし、狂ったように暴れ回るヒイシたちには、全く効かなかった。

 こんなことは初めてだった。

「くそ……っ。どうなっている」

 より凶暴化し、次々と襲いかかってくるヒイシに、とうとう応戦せざるを得なくなった。
 儚い存在の彼らは、短刀で斬りつけるだけであっという間に消えてしまう。
 しかし、後から後から涌いて出てきて、きりがない。

 このままでは、いつかやられる。

 ニューリッキはヒイシの大群を相手にしながらも、彼らがこれほどまでに狂ってしまった原因を探っていった。
 森の木々や草花、鳥や獣や虫たちの意識を読み取り、広大な森全体を捜索していく。

 すると、森の北の奥に邪悪な存在を発見した。

「見つけた! 全ての元凶はあれか!」

 あまりに遠いため正体までは分からないが、強烈な悪意がまっすぐ刺すようにこちらに向かってくる。
 その力が、ヒイシたちを操っていることは疑いようがなかった。

「僕の森を荒らす者は、許さない!」

 左の拳を軽く握り、北の方角に突き出すと、次の瞬間、その手に大きな弓が握られた。
 次いで、何も持たない右手でその弦を引くと、空中に矢が現れる。
 鋭い視線で森の奥を睨み、弓をきりきりと最大限に引きしぼる。

「やあっ!」

 その緊張を解き放つと、風を切る鋭い音が空を切り裂いていった。

 狩猟の神とも呼ばれるニューリッキの矢は、森の中であれば、目標に向かってどこまでも飛んでいく。
 放たれた矢は、重なり合う木の幹を縫うように避けながら、速度を落とすことなく森の奥に消えていった。

 矢は敵に命中したのだろう。
 しばらくして、ヒイシたちの動きがぴたりと止まった。
 彼らの悪意も火が消えるように失われ、続いてその姿がさらさらと崩れていく。

「よかった」

 風に吹かれて消えていく生き残ったヒイシたちは、きっとねぐらに戻っていくだろう。
 安堵しながらその頼りない影を見送っていると、足元がぐらりと揺れた。

 しまった。
 力を使い果たした……か。

 そう思うか思わないかのうちに、意識が遠のいていった。
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