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帰ってくるんだもん……ね

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 昨日休業していた写真館は、この日は営業していた。
 中に入ると、白髪に白い髭をたくわえた恰幅の良い店主が、リュカを一目見て、驚いたような顔をした。

「おや? 君は……昨日広場で」

 どうやら、昨日の公演を見てくれた人らしい。

「あぁ、見てくれたんですか。うれしいなぁ」
「いやぁ、すごかったねぇ。最後にナイフが出てきたときにはヒヤヒヤしたよ」

 リュカは人懐っこい笑顔で右手を出し、店主の手を振り回すように握手をした。

『うっわー。おもしろい!』

 ミリアンのすっとんきょうな声が上がる。
 店に入る前に、亡霊たち、特にミリアンにおとなしくしているように、注意しておいたのだが、全く無駄だったようだ。

『写真って、こんなところで撮るの? アタシ、初めてだわ。すっごーい!』

 ミリアンがきゃあきゃあとはしゃいで、物珍しそうに、あちこち覗き込んでいる。
 写真というものを知らないと言っていた伯爵も、興味深そうに、あたりを見回している。
 ロイクはさすがに、アレットの足元でおとなしくしていた。

『ねぇねぇ、アレット。写真機ってどれなの?』
「えーと、あれじゃないかしら。あの脚がついてて黒い布が掛けてある……」

 ミリアンの浮かれた問いかけに、アレットがごく普通に写真機を指差して答えた。

「ちょっ……と、アレット!」

 これはまずい。

 そういえば、彼女に、亡霊としゃべらないようにとは言っていなかった。
 店主には、彼女が一人で唐突に話し出し、指まで指したように見えたはずだ。

「お嬢さん、どうなさいましたか」
「ミリアンに写真機がどれって聞かれた……む……」

 案の定、怪訝な顔をした店主に、アレットがにっこり答えようとしたものだから、慌てて彼女の口を後ろから手で塞ぐ。
 腕の中で、彼女の身体がかちかちに固まってしまったが、今は気にしていられない。

「あははは。彼女、写真機に興味があるみたいで、つい、はしゃいじゃって」

 引きつった笑顔で店主に取り繕い、素早くアレットに耳打ちする。

「アレット、亡霊たちとしゃべらないで。不自然だろ?」

 そんな間にも、興奮したミリアンは店内を飛び回っている。

「ミリアンの声は無視して」

 そう強い調子で囁くと、彼女はぎこちなく頷いた。

 リュカがアレットを後ろから抱きしめたような状態に、足元のロイクが眼をむいて全身の毛を逆立てた。
 全身を低くして威嚇の声を上げ始める。

 しょうがないだろ!
 この状況では、こうするしかないんだから。

 黒猫の怒りも当然無視して、心の中で言い訳をする。
 とはいえ、彼女に触れた感触や甘い香りには、軽い目眩を覚えていた。

「それで、今日は?」

 写真館の店主が当惑した顔をしながらも、用件を聞いてきた。
 リュカはようやくアレットを解放し、店主に向き合う。

「実は、お願いがありまして……。新しい奇術を思いついたので、その練習にご協力いただきたいのです」
「ほう、新しい奇術ですか。それは、どういった?」

 店主が、興味津々といった顔で、話に食いついてきた。

「まず、彼女一人だけの写真を撮ります。だけど、現像すると、その場にいなかったはずの人間も一緒に写っているんですよ」
「はぁ……別の人間ですか?」
「ええ。それって、ちょっと、不思議じゃないですか? 店主が撮影すると、彼女一人だけ。でも、俺が撮ると他の人物も一緒に映る。そんな奇術を考えているんです。だから、写真を撮るときに、俺にシャッターを押させてもらえませんか?」

 現像したときに、その場にいなかったものが写っている。
 それを納得させるのに、奇術という説明は都合が良かった。
 わざわざ大道芸人のメイクをして来たのは、話を進めやすくするためだ。
 たまたま店主が昨日の公演を見ていたので、より話が早かった。

「なるほど、それは面白いですな。いいでしょう、ご協力します。それじゃあ、お嬢さん、あちらの椅子へ」

 店主がいそいそと撮影準備に取りかかった。

 アレットが写真機の正面に置かれていた豪華な椅子に腰掛けると、ロイクが膝に飛び乗り、ミリアンが隣に立った。
 何をするのか理解していない伯爵には、ロイクに指示を出してもらった。
 亡霊同士の会話なら、店主には聞こえないから心配はない。

「こんな感じでどうかね」

 写真機を覗き込んでいた店主が、リュカに声をかけた。
 店主に代わって、暗幕の中から写真機を覗く。

 さすがに専門家の仕事らしく、画面の中央にはアレットがバランスよく納まっている。
 しかし、リュカには亡霊たちの姿も視えるから、全体としてはごちゃごちゃだ。

「伯爵、もうちょっとアレットに寄って。もうちょっと右。うん、そう。ミリアンはしっかり立って、前を見て。ロイク、あくびをしない!」

 身振り手振りの大げさな指示は、どう聞いても、椅子に座っている少女へ向けてのものではない。
 おまけに、「伯爵」なんて、この時代には縁のない言葉まで飛び出している。

「いいよ。じゃあ、これで行こう!」

 指示を出し終えて暗幕から顔をのぞかせると、案の定、店主がぽかんとした顔をしていた。

「ではご主人、先にこのまま写真を撮ってみてください。その後、俺にシャッターボタンをくださいね」

 あの謎を呼ぶ指示は、計算の上でのこと。
 実際には奇術などではないが、そうであるかのような話術にまんまとひっかかった店主は、首を傾げながら写真機を覗き込んだ。

「ううむ……。やっぱり、お嬢さん一人しか見えないがなぁ」

 暗幕の向こうからぶつぶつ聞こえる声に、リュカはにんまりした。

 店主が撮影した後は、リュカの番だ。
 自分が視えているものをそのまま写真に映し込むために、シャッターボタンを握る右手に念を込め、精神を集中させる。

「じゃ、いくよ。みんな笑ってー! いち、にの、さん!」

 四角く切り取られたレンズの向こう側が眩しく光った瞬間、視界がシャッターに閉ざされた。

 リュカのかけ声に、伯爵だけは笑わなかったが、全員の姿がきれいに撮れているはずだ。
 現像してみるまで結果は分からないが、成功する自信はある。

「どうもありがとう、ご主人。無理を言ってすみませんでした」
「いやいや。どんな写真になっているのか、仕上がりが楽しみだよ。夕方までには現像できるが、どうするかね?」
「じゃあ、夕方に取りに来ます。この奇術が成功したかどうかを、最初に目にするのは貴方です。そこに何が映っていても、びっくりしないでくださいね」

 そうにこやかに答えると、リュカ達は写真館を出た。

 太陽がずいぶん高くなっていた。
 もう、お昼に近いだろう。

 広場にはいろんな屋台や露店が出ていたから、そこでアレットと一緒にお昼でも……。

 そう思いついて、店の外に置いてあった台車の紐を拾いながら、後ろにいるアレットにさりげなく声をかける。

「アレット、この後の予定はどう? 俺はこれから午後の準備で広場に行くけど、そこで……」
「あ……の、ごめんなさい。今、急ぎの刺繍の仕事を抱えてて……無理……なの」

 申し訳なさそうな、上目遣いのアイスブルーの瞳。
 そんないじらしい目で見られると、本当に困る。
 振られたことにはなるが、彼女がすごく残念そうにしているから、ちょっと嬉しい。
 彼女がこれ以上落ち込まないようにと、笑顔で軽い言葉を返す。

「そっかー、それは残念。また今度ね。ついでだから写真は俺がもらってくるよ。夕方には帰るから、楽しみにしてて」

 その言葉に、アレットが驚いたように目を見開きリュカを見た。
 そして、そのままの顔で固まってしまった。

 ええっ? どうして?

 彼女がこれほどまでに驚いた理由に、全く思い当たらない。
 思わず、亡霊たちの顔を見回したが、彼らも不思議そうにしている。
 けれども、自分が言った言葉が原因には違いないから、恐る恐る聞いてみる。

「……アレット? 俺、なんか変なこと言った?」
「ううん。そんなことない」

 彼女は慌てて首を横に振ると、両手で口を押さえた。
 目が細められ、薔薇色に染まった頬が上がる。
 口元が見えなくてもはっきりと分かる。

 笑ってる?

「今度は何? なんで笑ってるの?」

 そう聞いても何も答えてくれず、ただ幸せそうに笑っているだけ。

 全く何が何だか分からない。
 奇術のタネを見破る方が、よほど簡単だ。

 ころころ変わる彼女の表情に困惑したリュカは、拗ねたように口を尖らせた。

「なんだよ、それ。まぁ……笑っているんなら、いいけどさ」

 聞き出すことを諦め、彼女の頭にぽんと手を置くと、彼女は肩をすくめてさらに嬉しそうに笑った。

 うわっ!
 何が起きた?
 どうしたらいいんだ、これ?

 混乱しすぎて、彼女の頭の上の手の扱いにすら困る始末だ。

「じ、じゃあ、俺、もう行くから、また後で……ね」

 しどろもどろにそう言って、彼女の頭から戻した手を、ぎこちなく横に振って見せた。
 そして、ごろごろ大きな音をたてる台車を引っぱりながら、そそくさと広場に向かった。

「……帰ってくるんだもん……ね」

 離れていく背中を見送りながら、アレットが幸せそうな顔でつぶやいた。

 その声はリュカには届かず、亡霊たちだけが聞いていた。

 腕組みをした伯爵が、アレットの後ろからじっと同じ方向を見ていた。
 ロイクは彼女の足にまとわりつき、頭をすり寄せる。
 ミリアンはその場に立ち尽くすアレットを、不思議そうに見上げていた。
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