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民衆の前に降り立つ希望

未来の選択(二)

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 ヨウダキらを倒した日から二日間、ルイカ達は伊邪国の宮に滞在した。
 己百支国軍は全軍を引き上げ、邪馬台国と斯馬国の混合軍も、邪馬台国軍の一部を残してそれぞれ自国に戻っていった。

 伊邪国滞在中は前国王の異母兄弟だというミズミタが、姫巫女らの世話を買って出ていた。
 おそらく、この柔和な雰囲気の中年の男が次の伊邪国王となるだろう。

「輿をご用意いたしました。どうぞ、お使いください」

 出立の朝、ルイカの前に、ミズミタともう一人の男の手によって輿が引き出されてきた。
 黒漆が塗られた浅い箱型の台の下に、二本の担ぎ棒が渡されたものだ。
 事前に頼んであったらしく、砂徒長が彼らに礼を述べている。

「これに、わらわが乗るのか?」
「左様にございます。姫巫女様を歩かせる訳にはまいりません」

 砂徒長が当然のことのように言ったが、ルイカには輿で担ぎ上げられて運ばれることが、どうにも我慢ならなかった。
 皆と一緒に歩いて帰りたかった。

「嫌じゃ。こないなものには乗らぬ。わらわは歩く」
「無理ですよ。姫様は力を使い果たして、まだ、病み上がりのような状態です。国まで歩くような体力はありませんよ」

 ツクスナにたしなめられて、ルイカはむうっと眉を寄せた。

「ならばツクスナ。わらわはそなたの背で帰る」

 その言葉にツクスナは目を見開き、それから柔らかに微笑んだ。

「では、仰せのように」
「姫巫女様、本当にそれでよろしいのですか?」
「良いのじゃ。輿などという仰々しいもので担がれるのは、わらわには似合わぬ」

 ミズミタの驚く声に、ルイカが朗らかに笑って答えた。

 ツクスナに背負われるのにも慣れたものだ。
 ヤナナにも手伝ってもらい、彼の背中に乗りかかり両腕を首に回す。

「あ……れ?」
「どうかしましたか?」

 ツクスナが怪訝な顔をして、一旦、帯を緩めてくれた。
 ルイカが少し離れて首を傾げ、彼の広い背中をしげしげと眺める。

「ツクスナの背中、小さくなった?」
「え? コウでいたときは別にして、私は小さくなったことなどありませんが?」
「そうよね。……でも」

 なんだかよく分からない違和感を感じる。

 彼の背中を見つめながらその理由を考えていると、むき出しになった左肩の一点に目が止まった。
 腕と胸から伸びた二本の砂の文様が、肩甲骨の上で一本にまとまっている。

「これ……?」

 小さな女の子の笑い声が、耳の奥で聞こえた気がした。

 その声に誘われるように、右手の人差し指と中指で一本になった文様に触れる。
 そして、文様の上をとことこと歩くように指を動かして背中を上がり、文様が二つに分かれる箇所で歩みを止めた。

「右かえ? それとも左かえ?」

 その言葉と口調に、ツクスナの背中がはっとしたように大きく揺れた。
 彼は俯くと、ふうっと息を吐き出した。

「では右に……行ってください」
「右じゃな?」

 ルイカの指が楽しげに、胸に回り込む右の文様の道を進んでいく。
 右に行くことで、この後何が起こるのかは既に知っていた。

 予想通り、彼の肩の上まで指が進んだ時、小さな手は大きな手に捕まった。

「姫の記憶、取り戻したのですね」

 俯いたままの彼の声が、微かに震えている。

「うん。そうみたい」

 砂の文様が刻まれた肩に、ルイカがこつんと額を押し当てた。

 大きな大きな温かい背中に揺られ、銀色の月影の下をゆっくり進んでいく。
 太い首に回した小さな手の中に、つやつやした丸い小石の感触——。

 そんな優しく懐かしい記憶に、心が震え目を閉じる。

 彼の背中が小さくなった訳ではない。
 この記憶の時より姫の身体が成長しているから、彼の背中が小さくなったと感じただけだ。

「お帰り……姫」

 幼い姫とツクスナとの思い出が愛おしかった。
 いつか別の感情に変わっていくはずの、彼を兄のように慕う無邪気な想いが切なかった。

 ねぇ、姫。
 あなたの想いも、わたしが引き継いでもいい?

 ルイカは自由になる左腕を回して、ツクスナの肩をぎゅっと抱きしめた。




 ルイカ達一行は、ミズミタらに見送られて伊邪国の宮を後にした。

 ツクスナの背中で揺られるのは、やはり心地よい。
 イヨ姫の記憶が戻ったせいか、ほわりと幸せな懐かしさも感じる。
 ルイカは彼の首筋に頭を預けて、ぼんやりしていた。

「本当に、これで良かったのですか?」
「これって?」

 声を潜めた真面目な声に、ルイカが顔を上げた。

「この時代に残るだけならまだしも、倭国を預かるなどと言うなんて……。あれで、あなたの逃げ場はなくなってしまったのですよ。伊邪、己百支、斯馬の三国は、間違いなくあなたを倭国王に推挙するでしょうし、今回の件が広まれば、他の国も異論はないでしょう。あなたの将来は、あの一言で決まってしまった……」

 背中からでは彼の表情は分からないが、ひどく心配してくれていることが伝わってくる。
 彼は、ルイカがイヨ姫の魂を持って生まれた故に、この時代の紛争に巻き込まれてしまったことを知っている。
 そして、その発端に自分が関わったという負い目は、きっと消えることはないだろう。

 だけど、ルイカはもう、過去のことはどうでも良かった。
 この時代に、イヨとして生きていこうと、あの時心に決めたのだ。

「いいの。おそらく、わたしの時代に伝わっている歴史は正しいのよ。このまま放っておいても、わたしはきっと次の倭国王に担ぎ出されてしまう。でも、歴史に定められているからでも、邪馬台国の狸親父達の思惑でもなく、自分の未来は自分の意志で決めるわ。結果的に進む道は同じでもね」

 晴れやかな気分でそう答える。

「無理をしているのではないですか?」

 それでも、ルイカを気遣ってそっと声をかけてくるツクスナは、どこまでも優しい。

「大丈夫よ。わたしはわたしの持つ力で、わたしにできることをするわ。それに、女王でもやってないと、この時代、退屈でしかたがないでしょ?」
「退屈? ははっ……そうですか。それはあなたらしい」

 彼の笑い声と一緒に、肩が小刻みに揺れた。

 この人が側にいてくれたら、きっとわたしは大丈夫。
 この時代でも生きていける。

 ルイカは頭をまた彼の首筋に預け、抱きしめるように、首に回していた腕に力を込めた。

「で、ツクスナとヤナナには、この先ずーっと、わたしの側でわたしを守ってもらうんだから、覚悟してよね」

 軽い調子で言った言葉に、ツクスナが立ち止まった。
 彼の首に回した腕に大きな手が重なる。

「……御意に」

 ツクスナが静かに、喜びを噛み締めるように応えた。

「姫巫女様?」

 二人でぼそぼそと話していたため、話の内容はほとんど他には聞こえていなかったはずだが、自分の名前が耳に入ったらしい。
 隣を歩いていたヤナナも少し先で立ち止まり、もの問いた気に見上げてきた。

 ルイカがツクスナの背でにっこりと笑う。

「ツクスナとヤナナには、この先もずっとわらわを守ってもらうと、言ったのじゃ」

 周囲にも聞こえるように姫巫女の口調ではっきり言い直すと、ヤナナが瞳を輝かせた。
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