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民衆の前に降り立つ希望

身代わりの炎(一)

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 その夜、闇にまぎれて、砂徒長と十数名の砂徒達が各所での準備や根回しの為の先発隊として出発した。

 一方、後発隊は翌日の夜明け前から準備が始まった。
 表面的には、定期的に軍の半数を入れ替える、通常の斯馬国への派兵と変わりがない。
 いつもと違うのは、この中に姫巫女と弐徒、将軍トシゴリがまぎれて加わる点だ。

 篝火に照らし出された主祭殿周辺に、普段と違った緊張感を漂わせた武人達が続々と集まってくる。
 夜明けとともに隊列を組み、宮を発つ予定になっていた。

 王の館でも、姫巫女が出立の準備を進めていた。

 姫巫女はいつもの装束ではなく、いつかの質素な貫頭衣に、膝下を足結で締めた袴を合わせていた。
 艶やかな髪を頬の両側で美豆良に結った、少年のような姿だ。
 顔色はまだあまり良くはないが、小さな唇には赤みが少し戻っていた。

「姫巫女様。こちらが先程、頼まれていたものです」

 侍婢頭のタダキがそう言うと、大きく軽い包みを手渡してくれた。

「どうか、ご無事で」
「ご武運をお祈りしております」

 侍婢たちが姫巫女を取り囲み、手を握り、頬に触れ、涙ながらに声をかけた。
 誰もが、今回の旅がどういうものであるか、簡単にではあるが聞かされているのだ。

「そう心配せずとも大丈夫じゃ。必ず戻るゆえ、それまでにわらわの館を片付けておくれ」

 そう笑顔で言い残したが、彼女達に背を向けるとしんみりとした気分になる。
 ツクスナにそっと背中を押されて、二人は王の館を出た。

「姫巫女様」

 館の外には、束ねた生成りの帯を手にしたヤナナが待っていた。
 姫巫女の姿を認めるとさっと跪いて顔を伏せる。

 彼女の身なりはこれまでとほとんど変わりないが、紺青の色も鮮やかな真新しい倭文布の腰帯を締め、同じ色の帯を巻いた素環頭大刀を腰に佩いている。

「わぁ、ヤナナ。その帯、すごく似合う!」

 姫巫女のはしゃいだ言葉に、ヤナナがぎょっとしたように顔を上げた。
 姫巫女の顔を見上げ、信じられないものを見ているかのように何度か瞬きする。

「ルイカ。いきなりその調子では、ヤナナがびっくりするではありませんか」

 弐徒のその言葉に、ヤナナはさらに驚く。

「いいじゃん。わたし、ヤナナには全部話すつもりでいるんだし」
「だとしても、順序というものがあるでしょう?」

 二人の会話は何かおかしかった。
 言葉遣いがまるで違うし、意味のわからない言葉も混じっている。
 弐徒の態度も、主に対するものとは到底思えない。
 おまけに、姫巫女の呼び名まで違うのだ。

 混乱したヤナナは、どうしていいか分からず、また顔を伏せた。

「ああ、もういいから、立って!」

 ルイカが笑いながら、小さくなっている彼女の腕を引っ張った。
 ヤナナはこわごわ立ち上がると、悪戯っぽい笑みを向けている姫巫女の顔を見る。

「今は説明してる暇がないんだけど、後でちゃんと話すから、わたし達がおかしな話をしてても気にしないで。それから、この荷物、ヤナナに預けるわ。大事に運んでね」

 ルイカは先程タダキから受け取った包みをヤナナに押し付けるように手渡すと、彼女の二の腕をぽんぽんと親しげに叩いた。
 本当は肩を叩きたかったのだが、姫巫女の身長では届かなかった。

「はっ。御意に」

 ルイカの言葉に、ヤナナは固い返事を返した。

 どれほど親しげに話しかけられても、相手は姫巫女で自分の新しい主だ。
 そして隣にいるのは砂徒の序列二位、武人としてもこの国随一の実力を誇る弐徒。
 彼女が緊張しないはずはなかった。

 引きつった顔のヤナナに、ルイカはくすりと笑う。

「そんなに固くならないでよ。わたし、同い年の友達が欲しかったから、ヤナナが近くにいてくれるのは、すごく嬉しいの」

 姫巫女はこの時代で十三歳。
 ヤナナは十七歳だ。
 自分の胸までしか身長のない幼い姿の姫巫女に、嬉しそうに同い年だと言われ、ヤナナは一層困惑する。

「だから、ルイカ。そんなことを言ったら、余計に混乱するではないですか。さあ、もう行きますよ」
「あ、待って! 主祭殿に行く前に、ちょっと寄りたいところがあるんだけど」

 あきれ顔で歩き始めたツクスナを、ルイカが小走りに追っていく。
 そんな二人の後ろを、放心状態のヤナナがついていった。

「まだ少し時間はありますから構いませんが、どこに行くのですか?」
「ちょっと、わたしの身代わりを作ろうと思って」
「身代わり?」
「うん。わたしがヨウダキ達の居場所を知ろうとしていたように、きっとあいつもわたしのことをチェックしてると思うのよね。だから、わたしがこのまま宮の結界を出たら、きっとバレちゃう」
「それでは、今回の計画は最初から失敗するということじゃないですか!」

 彼の顔色が変わった。
 ルイカが宮を出たことどころか、伊邪国に向かっていることまで、敵に読まれてしまうことになるのだ。
 ツクスナは砂の文様が刻まれた、自分の左手の甲をじっと見つめた。

「いや……、あなたを敵の目から隠すことはできます。しかし、この宮から姫巫女が突然消えてしまっては、怪しまれます」
「うん。だから、身代わりが必要なのよ」

 ルイカが幼い顔に不敵な笑みを浮かべた。
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