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姫巫女の記憶とルイカの決意

二人の未来(三)

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 二人が黙り込んだまま風に吹かれていると、視界を一瞬の影が通り過ぎた。
 甲高い独特の鳴き声に呼ばれて空を見上げると、晴れた空に一羽の鳶が円を描いている。
 この世界では見慣れた鳥だが、現代人のルイカには珍しい。

 主祭殿から見下ろす宮の中の様子は、映画のセットを見学しているかのようだ。

 自分がいた世界と同じものは、空の色ぐらい。
 しかし、この広い空も、あの懐かしい世界にはつながっていない。
 同じ空の下にはいないのだ。

「みんな、どうしているのかな」

 両親も友達も、誰一人生まれていない太古の時代にいるというのに、つい、そんな思いが口をついて出た。

「帰りたい……ですよね?」
「…………」

 帰りたくないはずがない。
 ほんのひと月ほど前までは、ごく平凡な日々を送っていた普通の中学生だったのだ。
 受験の不安はあったが、今、自分が置かれている状況と比べれば、なんてちっぽけで幸せな不安だったのだろうと思う。

 この時代に来ることを決めたのは自分だったから、後悔はしたくなかった。
 それでも、目覚めることのない娘を目の前にした両親に、どれほど辛い思いをさせたかと思うと胸が痛む。
 それが、残してきた人々を危険から遠ざけるために、仕方がないことだったとしても——。

 帰りたい。

 その思いを口に出すと挫けてしまいそうで、しっかりと唇を結ぶ。
 見上げた空の青が、少し滲んで見えた。

「ヨウダキを倒したら、あなたはあなたの世界に戻ってください」
「……え?」

 思いがけない言葉に、ルイカはツクスナの顔を見た。

 この国にとって、姫巫女が重要な存在であることは、しばらくその立場で過ごしてきて身にしみて分かっている。
 だから、引き止められることはあっても、戻れと言われるとは思わなかった。

「あなたの身体は、私があの時代に行った時のコウのように、病院に大切に残されているはずです。戻る時代さえ間違えなければ、きっと元通りの生活に戻れます」
「でも、無理よ。どうやったら元に戻れるのか分からないもん。私がこの時代に来られたのだって、偶然なんだし」
「私をルイカの時代に送ってくださったのは大巫女様です。ですから、きっと何か方法があるはずです。あなただって、時の狭間に飛ばされたのは偶然だったとしても、その後、自分の意志でこの時代に来たのですから」

 確かにあのとき、現代に戻るのではなく弥生時代に行くことを選んだ。
 しかし、どうやってこの時代にたどり着いたのか分からない。
 気付いたら、イヨ姫の身体の中にいたのだから。

「本当に戻れるのかな」

 帰れるものならそうしたい。

「ええ、きっと。あなたが望むのなら」
「でも……」

 本当に、戻っても良いのだろうか。

 迷いを見せるルイカに、ツクスナは言葉を続ける。

「あなたは、この世界の責任を負わなくても良いのです。奴を倒しさえすれば、あの世界に戻っても、あなたに危害が及ぶことはありません。だからあなたは、あの世界に戻ってください。ここでのことを忘れて、佐野留以花として自分の時代を生きてください」

 ああ……。
 時の狭間にいたときと同じだ。

 ツクスナの言葉の中に、彼の姿はなかった。
 佐野留以花の未来に彼はいないのだ。

 おそらく、皓太の身体も病院に残されている。
 ルイカが現代に戻れるのなら、彼も一緒に現代に行き、彼の身体に戻ることもできるだろう。
 けれど、彼はこの時代に生まれ育った人だから、「一緒に来て」とは言えない。

「わたしが戻ったら、ツクスナはどうするの?」

 本心を押し隠し、平静を装って訊ねると、彼は波波迦の花に目を向けた。

「私は、ずっと姫様をお守りするだけです」
「それ……って……」

 彼の言う姫は、ルイカではない。
 彼は、ルイカが去って魂の抜け殻になったイヨ姫の身体を、守り続けるつもりなのだ。
 決して目覚めることがないと分かっている姫に寄り添う日々が、どれくらい続くのだろう。
 それはなんと、寂しく辛い生き方なのだろう。

 彼は、わたしを案じて「戻れ」と言ってくれている。
 「ずっと、そばにいる」と誓ってくれたはずの彼が、わたし一人を現代に帰そうとするのは、その方が幸せだと考えているからだ。

 彼自身は、決して幸せだと言えない生涯を送ることになるのに——。

「なんとしても手がかりを見つけましょう。あなたが一日でも早く、元の世界に戻れるように」

 元気づけてくれようとしているのか、ツクスナが穏やかに笑う。
 けれども彼の手は髪を撫でてくれることも、肩に置かれることもなく、自分の膝に縫い止められていた。

 ルイカは割り切れない思いを抱えながらも、小さく頷いた。
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