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奪われた想い出
卑劣な奇襲(四)
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衣服を裂いて巻き付けただけの応急処置の布は、乾いた血で固く強ばっていた。
それを慎重に解いていくと、肩に一直線に切ったような大きな傷があった。
出血は止まっており、さほど深い傷ではなさそうだ。
「痛くはないか?」
「大丈夫です」
「矢がかすめただけのようですね。心配ありませんよ、姫。……誰か、水と布を!」
横から傷を覗き込んだツクスナもそう判断して、周囲を見渡して指示を出した。
その時。
突然、ヤナナの傷口から黒いもやが吹き出してきた。
それは一瞬のうちに、鎌首をもたげた小さな黒蛇の姿に変化する。
「なっ!」
ルイカが驚愕に目を見開いた。
おぞましさに身がすくむ。
獲物を見つけた蛇は、深紅の目を光らせると、ルイカの左胸めがけて突進した。
周囲に目を向けていたツクスナが、背筋に強烈な禍々しさを感じて振り返り、左手を伸ばして砂の力を放った。
しかし彼の砂は、蛇の後ろに障壁を作っただけだった。
「くっ……」
蛇の身体が、鋭い矢のように左胸に突き刺さる。
息が止まるほどの激しい衝撃と激痛に、ルイカは身体を二つに折った。
「ルイカっ!」
胸をかきむしり悶えながら地面に崩れていくルイカを、ツクスナが抱きとめた。
胸に突き刺さっていく蛇の姿は、彼の目にも確かに見えたのだ。
「ルイカ、しっかり! ルイカ!」
苦痛に歪むルイカの顔を覗き込み、必死に呼びかける。
最悪の事態が胸をよぎり、とっさに、姫巫女を別の名で叫んでいることにも気づかなかった。
ヤナナを含め周囲の誰一人、何が起こったのかは視えていなかった。
蛇の姿も、砂の障壁も、常人には視ることができないのだ。
しかし、胸を押さえて苦しむ姫巫女と尋常でない弐徒の様子に、辺りは騒然となる。
「姫巫女様!」
「姫様、どうなさったのですか!」
「ルイカ! しっかりしてください、ルイカっ!」
「だ……いじょう……ぶ」
震える手でツクスナの腕を掴むと、ルイカが掠れた声を絞り出した。
反対の手で胸を強く押さえたまま、彼の腕にすがってゆっくりと身体を起こし、ふうと大きく息をつく。
左胸には衝撃の余韻が残っているだけで、もう何の苦痛もなかった。
あの時立ち上がった黒いもやも、背筋を凍らせるおぞましさも、辺りからすっかり消え失せている。
まるで、一瞬の悪夢を見たようだ。
「慣れぬことをした……ゆえ、少し……疲れたようじゃ。皆には、心配をかけた」
ルイカは青ざめた顔に、気丈な笑みを浮かべてみせた。
周りの人々に、この異変を悟らせてはならない。
不安を与えてはならない。
特に、ヤナナに知られたら、彼女は自分を責めるだろう。
これ以上、彼女を苦しめたくなかった。
「姫様。ここは他の者達に任せて、館に戻りましょう。少しお休みください」
ルイカの意図を読み取り、ツクスナも気遣わしげな声で話を合わせた。
「よい。自分で歩ける」
自分を抱き上げようとする彼の腕をきっぱりと制し、自力で立ち上がる。
「では、参りましょう」
ツクスナは小さな背中に腕を回し肘を抱えるようにしてルイカを支え、歩き出した。
ゆっくりと立ち去る姫巫女を、たくさんの心配そうな顔が見送っていた。
人目のないところまで、二人は黙って歩いてきた。
その間、抱きかかえているルイカの身体がわなわなと震えているのに、ツクスナは気づいていた。
「……これ……だったの?」
「ルイカ……?」
呟くような言葉とともに立ち止まると、ツクスナが心配そうに顔を覗き込んできた。
先程のショックで震えているのだと彼は思っていたが、ルイカは想像とは全く違った表情を浮かべていた。
「……ムカつく」
吐き捨てるように言うと、ルイカはツクスナの袈裟衣を両手でぐっと掴んだ。
「これが目的だったの? 本当の狙いはわたしだったの? そんなことのために、関係のない人を三人も殺して、大勢を傷つけたっていうの!」
ここまでずっとこらえていた激情を、叩き付けるように一気に吐き出す。
涙を溜めた大きな瞳は、激しい炎を宿していた。
「許さない! 卑怯者! 来るんだったら、わたしのところに直接来なさいよ! あの蛇、絶対に許さない」
「……ルイカ」
「あの三人を、ヤナナの大事な人を返して! わたしが狙いなら、わたしの命だけを奪えばいいのよ! なんでいつも関係ない人……まで」
大粒の涙がぱたぱたと地面に落ちる。
激しい感情をどうすることもできず、膝から崩れかけたところをツクスナに抱きとめられた。
彼はそのまま身体を屈めて、逞しい両腕と胸で囲い込むように、激しく泣きじゃくるルイカを拘束する。
「は、放して!」
怒りが頂点に達したまま身体の自由を奪われて、ルイカは喚きながら必死に身をよじった。
しかし、小さな子どもの身体でいくら暴れたところで、屈強な武人のツクスナは全くびくともしない。
「やだ! 放してったら! うあぁぁぁ」
「落ち着いてください、ルイカ」
「あんな……こと、許さない! 絶対に、許さないっ!」
「ルイカ……落ち着いて」
頭の上から降ってくる静かな声が何度目かで耳に入り、ルイカはようやく動きを止めた。
無理矢理に拘束しているようでも、この腕は優しい。
息苦しいほど狭く温かな場所が、怒りに燃え上がった心を鎮めていく。
彼に守られているのだと、強く感じて安堵する。
——はっ!
とてつもなく恥ずかしい状況になっていることに、ふと気付いた。
慌てて、ほとんど身動きが取れない中で身をよじるが、彼の腕は少しも緩まなかった。
「ちょ……っ、ツクスナ。放して」
抗議の声を上げると、彼は逆に腕に力を込めた。
それを慎重に解いていくと、肩に一直線に切ったような大きな傷があった。
出血は止まっており、さほど深い傷ではなさそうだ。
「痛くはないか?」
「大丈夫です」
「矢がかすめただけのようですね。心配ありませんよ、姫。……誰か、水と布を!」
横から傷を覗き込んだツクスナもそう判断して、周囲を見渡して指示を出した。
その時。
突然、ヤナナの傷口から黒いもやが吹き出してきた。
それは一瞬のうちに、鎌首をもたげた小さな黒蛇の姿に変化する。
「なっ!」
ルイカが驚愕に目を見開いた。
おぞましさに身がすくむ。
獲物を見つけた蛇は、深紅の目を光らせると、ルイカの左胸めがけて突進した。
周囲に目を向けていたツクスナが、背筋に強烈な禍々しさを感じて振り返り、左手を伸ばして砂の力を放った。
しかし彼の砂は、蛇の後ろに障壁を作っただけだった。
「くっ……」
蛇の身体が、鋭い矢のように左胸に突き刺さる。
息が止まるほどの激しい衝撃と激痛に、ルイカは身体を二つに折った。
「ルイカっ!」
胸をかきむしり悶えながら地面に崩れていくルイカを、ツクスナが抱きとめた。
胸に突き刺さっていく蛇の姿は、彼の目にも確かに見えたのだ。
「ルイカ、しっかり! ルイカ!」
苦痛に歪むルイカの顔を覗き込み、必死に呼びかける。
最悪の事態が胸をよぎり、とっさに、姫巫女を別の名で叫んでいることにも気づかなかった。
ヤナナを含め周囲の誰一人、何が起こったのかは視えていなかった。
蛇の姿も、砂の障壁も、常人には視ることができないのだ。
しかし、胸を押さえて苦しむ姫巫女と尋常でない弐徒の様子に、辺りは騒然となる。
「姫巫女様!」
「姫様、どうなさったのですか!」
「ルイカ! しっかりしてください、ルイカっ!」
「だ……いじょう……ぶ」
震える手でツクスナの腕を掴むと、ルイカが掠れた声を絞り出した。
反対の手で胸を強く押さえたまま、彼の腕にすがってゆっくりと身体を起こし、ふうと大きく息をつく。
左胸には衝撃の余韻が残っているだけで、もう何の苦痛もなかった。
あの時立ち上がった黒いもやも、背筋を凍らせるおぞましさも、辺りからすっかり消え失せている。
まるで、一瞬の悪夢を見たようだ。
「慣れぬことをした……ゆえ、少し……疲れたようじゃ。皆には、心配をかけた」
ルイカは青ざめた顔に、気丈な笑みを浮かべてみせた。
周りの人々に、この異変を悟らせてはならない。
不安を与えてはならない。
特に、ヤナナに知られたら、彼女は自分を責めるだろう。
これ以上、彼女を苦しめたくなかった。
「姫様。ここは他の者達に任せて、館に戻りましょう。少しお休みください」
ルイカの意図を読み取り、ツクスナも気遣わしげな声で話を合わせた。
「よい。自分で歩ける」
自分を抱き上げようとする彼の腕をきっぱりと制し、自力で立ち上がる。
「では、参りましょう」
ツクスナは小さな背中に腕を回し肘を抱えるようにしてルイカを支え、歩き出した。
ゆっくりと立ち去る姫巫女を、たくさんの心配そうな顔が見送っていた。
人目のないところまで、二人は黙って歩いてきた。
その間、抱きかかえているルイカの身体がわなわなと震えているのに、ツクスナは気づいていた。
「……これ……だったの?」
「ルイカ……?」
呟くような言葉とともに立ち止まると、ツクスナが心配そうに顔を覗き込んできた。
先程のショックで震えているのだと彼は思っていたが、ルイカは想像とは全く違った表情を浮かべていた。
「……ムカつく」
吐き捨てるように言うと、ルイカはツクスナの袈裟衣を両手でぐっと掴んだ。
「これが目的だったの? 本当の狙いはわたしだったの? そんなことのために、関係のない人を三人も殺して、大勢を傷つけたっていうの!」
ここまでずっとこらえていた激情を、叩き付けるように一気に吐き出す。
涙を溜めた大きな瞳は、激しい炎を宿していた。
「許さない! 卑怯者! 来るんだったら、わたしのところに直接来なさいよ! あの蛇、絶対に許さない」
「……ルイカ」
「あの三人を、ヤナナの大事な人を返して! わたしが狙いなら、わたしの命だけを奪えばいいのよ! なんでいつも関係ない人……まで」
大粒の涙がぱたぱたと地面に落ちる。
激しい感情をどうすることもできず、膝から崩れかけたところをツクスナに抱きとめられた。
彼はそのまま身体を屈めて、逞しい両腕と胸で囲い込むように、激しく泣きじゃくるルイカを拘束する。
「は、放して!」
怒りが頂点に達したまま身体の自由を奪われて、ルイカは喚きながら必死に身をよじった。
しかし、小さな子どもの身体でいくら暴れたところで、屈強な武人のツクスナは全くびくともしない。
「やだ! 放してったら! うあぁぁぁ」
「落ち着いてください、ルイカ」
「あんな……こと、許さない! 絶対に、許さないっ!」
「ルイカ……落ち着いて」
頭の上から降ってくる静かな声が何度目かで耳に入り、ルイカはようやく動きを止めた。
無理矢理に拘束しているようでも、この腕は優しい。
息苦しいほど狭く温かな場所が、怒りに燃え上がった心を鎮めていく。
彼に守られているのだと、強く感じて安堵する。
——はっ!
とてつもなく恥ずかしい状況になっていることに、ふと気付いた。
慌てて、ほとんど身動きが取れない中で身をよじるが、彼の腕は少しも緩まなかった。
「ちょ……っ、ツクスナ。放して」
抗議の声を上げると、彼は逆に腕に力を込めた。
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