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奪われた想い出

卑劣な奇襲(三)

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 夕暮れが近づき、あちらこちらに篝火が焚かれ始めている。
 東の祭殿を後にした二人は、そのまま、正門近くの見張りの詰所に向かった。

 詰所とその周辺では、負傷者の手当てや炊き出しが行われていた。
 到着直後の戦場のような慌ただしさはある程度収まっており、手当ての終わった負傷者や迎えに出ていた兵達に、山菜の入った雑穀の雑炊と、笹の葉に包んで蒸した猪肉が配られているところだった。

 宮の下仕えの者達の中には姫巫女の顔を知っている者もおり、ルイカの姿に気づくと慌てて跪いたりひれ伏したりする。
 その様子を目にした周囲の人達も、よく分からないまま慌てて同様の礼をとっていく。

「怪我人がそのようにせずとも良い。ゆっくり休まれよ。そなたらも、わらわに跪く暇があったら、この者達の世話をせよ」

 顔に疲労と苦痛を浮かべた傷ついた者、せっせと立ち働く者の双方に、いたわりやねぎらいの言葉をかけながら、ルイカはその場の様子を見て回った。

 イヨ姫であれば、このような場に姿を現すことは決してなかっただろう。
 ルイカも姫の記憶から、姫巫女は宮の奥で神聖を保つべき存在であることは分かっていた。
 しかし、いても立ってもいられずに、自分の価値観に従って行動していた。
 自分自身は何もできなくても、姫巫女という存在が、人々を力づけるかもしれないと思っていた。

 人混みの中、白い装束に松明の炎の色を映して浮かび上がる小さな姫巫女の姿。
 人々の間に、静かな感動がさざ波のように立っていく。
 中には、姫巫女を熱っぽく見つめ涙を流す者までいた。

「わ……きゃっ!」

 その空気を台無しにするように、ルイカが何かにつまずいて派手に尻もちをついた。
 姫巫女の悲鳴に、周りの人々が思わず息を飲む。
 近くに控えていたツクスナが慌てて駆け寄ってきた。

「お怪我はありませんか、姫様!」
「いたたた……」

 彼に助け起こされ、ルイカは慌てて辺りをきょろきょろと見回した。
 周囲はしんと静まり返り、人々の注目を一身に集めている。

 うそっ!
 姫巫女なのに、恥ずかしいっ!

 真っ赤になった頬を両手で押さえて恥ずかしそうに小さくなった少女は、先程までの神々しいまでの姫巫女とはまるで別人だった。
 周囲の人々は呆気にとられた後、年相応の可愛らしい様子に、つい口元を緩める。

「もぉー! 笑うでない」

 周囲の温かな視線がいたたまれない。

 ますます顔を赤らめ、拗ねたように言うと、人々はなんとか表情を引き締めようとした。
 ルイカのすぐ目の前にいた頭と腕に怪我をした少年も、笑いをこらえ鼻を膨らませていた。

「ぷっ……その顔! あはははは」

 少年の必死な顔があまりにも面白くて、こらえきれずに吹き出した。

「ひ……姫巫女様?」

 ぎょっと身を引いた少年の顔を見て、しまったと思ったがもう遅い。

 もう、こうなったらやけくそ。
 笑ってごまかしちゃえ。

「あははは、もう良い。皆、我慢せずに笑うが良い……ふふっ。笑えば、次は良いこともあろう。あはははっ」
「はははっ。姫様らしい」

 周囲の人々が唖然とする中、声を立てて笑い始めた姫巫女に合わせて、最初に笑い出したのがツクスナ。
 二人につられて、目の前の少年。
 その後は、姫巫女を中心に明るい笑いの輪が広がっていった。

 ひとしきり笑った後、名残惜しそうにする人々と別れ次の場所に向かった。

「足は大丈夫ですか? 転んだときに、くじいたりはしていませんか」

 ルイカは、さっき滑った足で地面を踏みならして確認する。

「うん。大丈夫。どこも、痛くないわ」
「よかった……。それにしても、先程はお見事でした」
「何が?」

 特に何かをしたという覚えはない。
 しいていえば、とても恥ずかしい思いをしただけだ。
 ルイカは、きょとんとした顔で彼を見上げた。

「気づいていないのですか? あなたはあの場にいた者達の心を、あっという間に掴んでしまわれたのですよ。もしかして、あれほど派手に転んだのは計算だったのですか?」
「そんなわけないでしょ! 痛かったし、すごーく恥ずかしかったんだからっ!」

 ふくれてそっぽを向いた先に、ルイカは見覚えのある姿を見つけた。
 髪を高い位置に結った、日に焼けた若い女が、かいがいしく周囲の怪我人の食事の世話をしている。

「え……? ヤナナ?」

 呟くような声でも聞こえたらしい。
 振り返ったヤナナは姫巫女の姿を認めると、足早に近づいてきてさっと跪いた。

 彼女が身につけている簡素な貫頭衣は泥に汚れ、左肩には赤黒く染まった布が巻き付けられている。
 周囲の怪我人達と、なんら変わりない姿だ。

「跪かずとも良い。ヤナナ、そなた、怪我をしているではないか」
「ほんのかすり傷でございます」

 ルイカに促されても、彼女は忠誠の姿勢を崩すことはなかった。

「その姿はどうした。喪に服していたのではなかったのか?」

 彼女の姿を見たツクスナも、訝しげに問うた。

「一人でいても、あらぬことばかり考えてしまいますので、今回の派兵に志願したのですが、敵に一矢報いることすらできず……。申し訳ありません」

 彼女は顔を背け、悔しそうに唇を噛んだ。

「なんと。心の傷も言えぬ間に、身体にも傷を負うたのか……」

 ルイカは小さく呟くと、跪くヤナナの前に膝をついた。

 大人っぽく見えても、実際には自分と同い年の少女だ。
 結ばれたばかりの夫を亡くして十日ほどしか経たないうちに、自ら戦場に赴き傷を負った。
 それでも強がってみせる姿は、痛々しいとしか言いようがなかった。

「怪我の手当もまだのようではないか。わらわに見せてみよ」

 ルイカが、彼女の傷を隠す汚れた布に手を伸ばした。

「いいえ、大丈夫でございます」

 ヤナナは身体を僅かにひねって小さな手を避けようとするが、姫巫女の好意を無下にできる訳もない。
 困った顔で弐徒を見上げると、彼は一つ頷いただけで口を出さなかった。
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