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姫巫女の記憶とルイカの決意

誰より強い力(一)

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 宮の中には東西南北に四つの物見櫓がある。
 ルイカは悪夢を誘う浅い眠りに耐えて、早朝、一人で北の櫓に上っていた。

 明け方に天候が変わったらしく、そろそろ初夏だというのに、昨日までとはうってかわって風が冷たかった。
 どんよりとたれ込める鼠色の雲が、東の空にあるはずの太陽の姿を隠している。
 遠くに霞むように、緑の茂みが見えていた。

 昨晩、あの林に蛇の少年がいた。
 そして、城柵の陰に悲劇があった。

 ルイカはつま先立ちの踵を下ろすと、薄い衣の肩を自分で抱いた。
 冷たい風が大袖や裳の裾をはためかせ、下ろしたままの髪を大きく流していく。
 しかし、身体が震えるのは寒さのせいだけではなかった。

「やっと、見つけました」

 声に振り向くと、梯子の上から顔をのぞかせたツクスナと眼が合った。

「勝手にどこへでも行かないでください。探す方の身にもなってくださいよ」

 大げさな溜め息をつきながら近づいてくるが、怒っている風ではない。

「どうしてここにいるって、分かったの?」
「ここから人払いしたでしょう? 物見櫓の下に、見張りの武人がうろうろしていたら、職務怠慢だと思って声をかけます。それに、あなたの行動パターンは読めますよ」

 彼は小脇に抱えていた赤い縁取りのある掛布を広げて、頭からすっぽりと包んでくれた。
 あまりの準備の良さは、櫓の上にいることを見越していたかのようだった。

 どうやら、今すぐ連れ戻すつもりはないらしく、彼は手摺の壁にもたれて床に座り込んだ。
 ルイカもすとんと、隣に腰を下ろす。

「今日この後、あの林とウダ山、市に捜索隊が出ることになりました。私も林に向かう隊に同行します」

 そう言いながら、ツクスナはあくびをかみ殺した。

 あの後、ルイカは強制的に館に戻されたが、彼は姫の館の警護を二人の若い砂徒に任せたまま夜が明けても戻らなかった。
 おそらく、朝まで軍議が続いたのだろう。
 疲労の色が僅かに見える。

「そう……」
「大丈夫ですか? ちゃんと眠れなかったのではないですか?」

 ぼんやりとしたルイカの顔を、彼が気遣わしげに覗き込んだ。

「ヤナナと九徒って、恋人同士だったの?」

 昨晩のヤナナの姿が頭から離れなかった。
 彼女の悲痛な叫び声が、今でも耳の奥に反響している。

 包まれた掛布の中で、ルイカは両手で膝を抱え小さく身を縮めた。

「恋人……というか、夫婦だったようですよ。私たちがこっちに戻ってくる少し前に、結婚したらしくて。私も、昨日まで知らなかったのですが」
「ふう……ふ? あんなに若いのに、結婚してたの?」
「この時代では普通ですよ。こちらで十七歳だと、むしろ遅いくらいです。普通、女性が結婚するのは十四、五歳ぐらいですから」
「そ……か。旦那さん、だったんだ」

 ルイカが膝に顔を埋めると、小さな布の塊になった。

「ヤナナは大事な人を、亡くしたのね……。わたしが、外に出たいなんて我が儘を言わなかったら、こんなことにならなかったのに。……わたしのせいだ」

 一晩中、自分を苛み続けた自責の思いを、くぐもった震える声で口にした。

 どれだけ後悔しても自分を責めても、もう、九徒をヤナナに返してあげることができない。
 自分のせいで誰かが犠牲になることだけは、絶対に嫌だったのに……。

 すっぽりかぶった掛布の上に、大きな手が置かれたのを感じた。

 あぁ、この感じ……。
 懐かしい。

 布越しに伝わるその手の大きさが、イヨ姫の記憶に重なる。
 すぐ耳元で、言い聞かせるような低く優しい声がする。

「それを言うのでしたら、外出の許可を出したのは、オシヒコ様です。王が許可しなければ、こんなことは起こりませんでした」
「……だけど」
「手を出してください」

 涙まじりの否定を遮る彼の言葉に、ルイカが掛布の間からそっと手を出した。
 その掌に注ぎ落とされる、繊細な砂の感触。

「心が落ち着きますから」と、彼はよくその砂を手に握らせてくれた。
 イヨ姫の記憶の中でも、ルイカの時代でコウの姿をしていたときも……そして、今も。

 ひんやりとした砂を握りしめると、キュと微かな音を立てて鳴く。
 ルイカは掛布の中で眼を閉じて、その優しい感触を確かめる。

「昨日の警備の計画は、私と砂徒長とで立てたものです。もっと厳重な警備をしいておけば、蛇の少年を捕らえられたかもしれない。あの時、私は撤退の指笛を吹くべきだったかもしれない。現場の指揮に当たっていた伍徒が、もっと早く撤退の判断をすれば良かったかもしれない。皆……似たようなことを思っているのです」

 彼の言葉には強い無念がにじみ、かすかに震えていた。

「それに、奴の手に落ちたのは、九徒の落ち度です。彼が死んだ責任は彼自身にある。……そう言って、ヤナナは彼を恨んでいました。二番目に憎いのは彼だと」
「二番目? じゃあ、一番は誰? やっぱり、わたしなんでしょ!」

 ルイカが彼の手ごと、かぶっていた掛布を乱暴にはぎ取った。

 きっと上げた顔に、涙がいく筋も伝っている。
 ツクスナは赤い縁の布端でその雫をそっと拭った。

「そんなはずありません。一番憎いのは、蛇の少年に決まっているではないですか。私はヤナナから、姫巫女様に感謝を伝えてほしいと頼まれました。あの黄金の火矢を射がけさせてもらえたことで、救われたと言っていました。あなたが、彼女を支えたのです」

 彼はそう言うと、また、ルイカの頭からすっぽりと布を被せてしまった。
 そして、布の塊をそっと抱き寄せると、身体の震えが止まるまでずっと寄り添ったままでいてくれた。
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