33 / 69
姫巫女の記憶とルイカの決意
黄金の炎を纏う矢(一)
しおりを挟む
糸のように細い月が、東の空に低く見えている。
宮の城柵の外側は深い闇と静けさにすっぽりと包まれていたが、宮中には数多くの篝火が焚かれており、宮全体が闇の中にぼおっと浮かび上がっていた。
この夜、緊急の軍議が招集された。
夜間は、充分な明かりが取れない主祭殿の議場ではなく、高床式の柱に囲まれた主祭殿下の屋外に仮の議場が設けられる。
ムシロが敷き詰められた空間の東側に簡易な祭壇が設置され、祭壇に向かって左右一列に並べられた円座に男達が座していた。
「そうか。やはり襲われたか……」
昼間の襲撃の報告を受け、列の左奥に座していた邪馬台国の現王オシヒコが、難しい顔で呟いた。
彼は先代の女王ヒミコの政を補佐してきた年の離れた弟で、女王亡き後王位に就いた。
姫巫女の身体に宿っているのがルイカという別の人格であることを知っている、数少ない一人だった。
一国の王の風格を漂わせるオシヒコは、白髪の目立つ灰色の髪をきれいになで付け、大きく下がる美豆良を結い、顎に蓄えた長い髭をしきりに撫でている。
灰がかった紺色の筒袖の衣に、王族を示す貝紫の腰帯。
生成りの袴には貝紫の足結いを締めている。
三つの翡翠の勾玉と碧玉の管玉とを組み合わせた頸玉は、姫巫女が首に掛けているものと同じだ。
王と同じ列には渋茶の筒袖の衣をまとった高官が並んで座し、向かいの列には武人達が並んでいた。
武人の半数以上は、独特の揃いの風貌をした砂徒だ。
砂徒のいちばん上座は、長い灰色の髪を後ろで束ねた壱徒とも呼ばれる砂徒長。
左頬と左腕に砂紋を刻み、左肩をあらわにした生成りの袈裟衣に、ヒミコから授けられた紺青の腰帯を締めている。
長の隣には、同じく紺青の腰帯の弐徒——ツクスナが座っていた。
「ウダの山まで敵を追ったのですが、陰から蛇の力で襲って来るため近づけず、弐徒から深追いするなとの指示もありましたので、追跡を断念しました。しかし、九徒が……」
無念の表情で説明しているのは、市に出かけた姫巫女達の周辺警護を指揮していた伍徒だ。
ツクスナより少し年長の生真面目そうな彼は、怪我を負ったのか右腕に布を巻いており、顔や身体のあちこちにも擦り傷ができていた。
「深追いするな……だと?」
武人の列の最奥、無精髭のがっしりした体格の将軍トシゴリが、四つ隣に座るツクスナをぎろりと見やると、野太い声で問いただした。
「はい。奴は、二年前の参徒とは比べ物にならない力の持ち主でした。私の左腕だけで防ぎきれないほどでしたので、危険と判断いたしました」
「そうか。お前の左腕で無理だったのなら、他の者では敵うまいな」
弐徒の答えに、砂徒長が顎に手をやりながら眉をひそめた。
彼の愛弟子である弐徒は、左腕にしか文様がなかった頃から卓越した砂の使い手であった。
その弐徒の判断であるなら、間違いはないだろうと考える。
「……となれば、九徒の身が気がかりだな。どこで行方不明になったのだ」
「ウダ山に入ってすぐです。撤退の指笛を吹いたのですが、九徒だけが戻らず……。怪我で動けなくなっているかもしれないと思い、付近を捜索したのですが……」
重苦しい空気が流れる中に、二人の巫女を従えた白装束の姫巫女が足を踏み入れた。
話し声がぴたりと止み、左右の男達の視線が一斉に集まる中、祭壇に向かってゆっくりと歩いていく。
あれ?
あの人はたしか……ヤナナ?
敷き詰められたムシロの外側に、小さく跪く人影が見えた。
伏せているために顔は見えないが、頭の高い位置で結った長い髪と、細くしなやかな体つきに見覚えがある。
軍議の場に、女王や巫女以外の女が入ることは許されないはずだが、咎められる様子はない。
ルイカは訝しく思いながら、祭壇の前に立った。
橙色の篝火の色を映す青銅の鏡の前で、目を伏せて精神を集中させる。
左の高杯に盛られた卜骨を一つ左手に取り、右の高杯の上で火にかけられていた長い串を右手に取る。
赤く燃える串の先を骨に押し付けると、骨に黒い焦げ跡がつき、微かな音を立ててひびが入った。
ルイカは慣れた手つきで串を右の高杯に戻すと、骨に目を落とした。
え?
ルイカは事前に、行方不明の九徒と、蛇の男の行方を占ずるように言われていた。
ルイカ自身は占の経験などなかったが、姫巫女の記憶のおかげでこれまで何の苦労もなく姫巫女としての役割を果たしてきたのだ。
しかし今、左手に握った卜骨には、黒々とした焦げ跡と、はっきりしたひび割れが生じているのに、そこからは何一つ読み取ることができない。
普段なら占の結果は映像のように頭に浮かぶのだが、それを邪魔するように黒く濃いもやがかかっているのだ。
どうして、こんなことが……。
「姫巫女様、どうなされましたか?」
骨を見つめたまま硬直している姫巫女に、後ろに控えていた巫女が心配そうに声をかけた。
姫巫女は細かく震える手で、卜骨をその巫女に手渡した。
彼女は不思議そうにその骨を見つめると、あっと小さな声を上げて、骨を取り落とした。
姫巫女は無言で祭壇に向き直り、もう一度同じ手順を繰り返した。
先程と全く同じ焦げ跡とひび割れができた卜骨を見つめて、唇を噛んで首を横に振る。
そして、三回目。
男たちの視線が集まる中、姫巫女はとうとう、骨を地面に投げつけムシロに膝を折り両手をついた。
宮の城柵の外側は深い闇と静けさにすっぽりと包まれていたが、宮中には数多くの篝火が焚かれており、宮全体が闇の中にぼおっと浮かび上がっていた。
この夜、緊急の軍議が招集された。
夜間は、充分な明かりが取れない主祭殿の議場ではなく、高床式の柱に囲まれた主祭殿下の屋外に仮の議場が設けられる。
ムシロが敷き詰められた空間の東側に簡易な祭壇が設置され、祭壇に向かって左右一列に並べられた円座に男達が座していた。
「そうか。やはり襲われたか……」
昼間の襲撃の報告を受け、列の左奥に座していた邪馬台国の現王オシヒコが、難しい顔で呟いた。
彼は先代の女王ヒミコの政を補佐してきた年の離れた弟で、女王亡き後王位に就いた。
姫巫女の身体に宿っているのがルイカという別の人格であることを知っている、数少ない一人だった。
一国の王の風格を漂わせるオシヒコは、白髪の目立つ灰色の髪をきれいになで付け、大きく下がる美豆良を結い、顎に蓄えた長い髭をしきりに撫でている。
灰がかった紺色の筒袖の衣に、王族を示す貝紫の腰帯。
生成りの袴には貝紫の足結いを締めている。
三つの翡翠の勾玉と碧玉の管玉とを組み合わせた頸玉は、姫巫女が首に掛けているものと同じだ。
王と同じ列には渋茶の筒袖の衣をまとった高官が並んで座し、向かいの列には武人達が並んでいた。
武人の半数以上は、独特の揃いの風貌をした砂徒だ。
砂徒のいちばん上座は、長い灰色の髪を後ろで束ねた壱徒とも呼ばれる砂徒長。
左頬と左腕に砂紋を刻み、左肩をあらわにした生成りの袈裟衣に、ヒミコから授けられた紺青の腰帯を締めている。
長の隣には、同じく紺青の腰帯の弐徒——ツクスナが座っていた。
「ウダの山まで敵を追ったのですが、陰から蛇の力で襲って来るため近づけず、弐徒から深追いするなとの指示もありましたので、追跡を断念しました。しかし、九徒が……」
無念の表情で説明しているのは、市に出かけた姫巫女達の周辺警護を指揮していた伍徒だ。
ツクスナより少し年長の生真面目そうな彼は、怪我を負ったのか右腕に布を巻いており、顔や身体のあちこちにも擦り傷ができていた。
「深追いするな……だと?」
武人の列の最奥、無精髭のがっしりした体格の将軍トシゴリが、四つ隣に座るツクスナをぎろりと見やると、野太い声で問いただした。
「はい。奴は、二年前の参徒とは比べ物にならない力の持ち主でした。私の左腕だけで防ぎきれないほどでしたので、危険と判断いたしました」
「そうか。お前の左腕で無理だったのなら、他の者では敵うまいな」
弐徒の答えに、砂徒長が顎に手をやりながら眉をひそめた。
彼の愛弟子である弐徒は、左腕にしか文様がなかった頃から卓越した砂の使い手であった。
その弐徒の判断であるなら、間違いはないだろうと考える。
「……となれば、九徒の身が気がかりだな。どこで行方不明になったのだ」
「ウダ山に入ってすぐです。撤退の指笛を吹いたのですが、九徒だけが戻らず……。怪我で動けなくなっているかもしれないと思い、付近を捜索したのですが……」
重苦しい空気が流れる中に、二人の巫女を従えた白装束の姫巫女が足を踏み入れた。
話し声がぴたりと止み、左右の男達の視線が一斉に集まる中、祭壇に向かってゆっくりと歩いていく。
あれ?
あの人はたしか……ヤナナ?
敷き詰められたムシロの外側に、小さく跪く人影が見えた。
伏せているために顔は見えないが、頭の高い位置で結った長い髪と、細くしなやかな体つきに見覚えがある。
軍議の場に、女王や巫女以外の女が入ることは許されないはずだが、咎められる様子はない。
ルイカは訝しく思いながら、祭壇の前に立った。
橙色の篝火の色を映す青銅の鏡の前で、目を伏せて精神を集中させる。
左の高杯に盛られた卜骨を一つ左手に取り、右の高杯の上で火にかけられていた長い串を右手に取る。
赤く燃える串の先を骨に押し付けると、骨に黒い焦げ跡がつき、微かな音を立ててひびが入った。
ルイカは慣れた手つきで串を右の高杯に戻すと、骨に目を落とした。
え?
ルイカは事前に、行方不明の九徒と、蛇の男の行方を占ずるように言われていた。
ルイカ自身は占の経験などなかったが、姫巫女の記憶のおかげでこれまで何の苦労もなく姫巫女としての役割を果たしてきたのだ。
しかし今、左手に握った卜骨には、黒々とした焦げ跡と、はっきりしたひび割れが生じているのに、そこからは何一つ読み取ることができない。
普段なら占の結果は映像のように頭に浮かぶのだが、それを邪魔するように黒く濃いもやがかかっているのだ。
どうして、こんなことが……。
「姫巫女様、どうなされましたか?」
骨を見つめたまま硬直している姫巫女に、後ろに控えていた巫女が心配そうに声をかけた。
姫巫女は細かく震える手で、卜骨をその巫女に手渡した。
彼女は不思議そうにその骨を見つめると、あっと小さな声を上げて、骨を取り落とした。
姫巫女は無言で祭壇に向き直り、もう一度同じ手順を繰り返した。
先程と全く同じ焦げ跡とひび割れができた卜骨を見つめて、唇を噛んで首を横に振る。
そして、三回目。
男たちの視線が集まる中、姫巫女はとうとう、骨を地面に投げつけムシロに膝を折り両手をついた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
『神山のつくば』〜古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー〜
うろこ道
恋愛
【完結まで毎日更新】
時は古墳時代。
北の大国・日高見国の王である那束は、迫る大和連合国東征の前線基地にすべく、吾妻の地の五国を順調に征服していった。
那束は自国を守る為とはいえ他国を侵略することを割り切れず、また人の命を奪うことに嫌悪感を抱いていた。だが、王として国を守りたい気持ちもあり、葛藤に苛まれていた。
吾妻五国のひとつ、播埀国の王の首をとった那束であったが、そこで残された后に魅せられてしまう。
后を救わんとした那束だったが、后はそれを許さなかった。
后は自らの命と引き換えに呪いをかけ、那束は太刀を取れなくなってしまう。
覡の卜占により、次に攻め入る紀国の山神が呪いを解くだろうとの託宣が出る。
那束は従者と共に和議の名目で紀国へ向かう。山にて遭難するが、そこで助けてくれたのが津久葉という洞窟で獣のように暮らしている娘だった。
古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー。

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
あかるたま
ユーレカ書房
歴史・時代
伊織の里の巫女王・葵は多くの里人から慕われていたが、巫女としては奔放すぎるその性格は周囲のものたちにとっては悩みの種となっていた。彼女の奔放を諫めるため、なんと〈夫〉を迎えてはどうかという奇天烈な策が講じられ――。
葵/あかるこ・・・・・伊織の巫女王。夢見で未来を察知することができる。突然〈夫〉を迎えることになり、困惑。
大水葵郎子/ナギ・・・・・伊織の衛士。清廉で腕が立つ青年。過去の出来事をきっかけに、少年時代から葵に想いを寄せている。突然葵の〈夫〉になることが決まり、困惑。
山辺彦・・・・・伊織の衛士頭。葵の叔父でもある。朗らかだが機転が利き、ひょうきんな人柄。ナギを葵の夫となるように仕向けたのはこの人。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる