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姫巫女の記憶とルイカの決意
黄金の炎を纏う矢(一)
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糸のように細い月が、東の空に低く見えている。
宮の城柵の外側は深い闇と静けさにすっぽりと包まれていたが、宮中には数多くの篝火が焚かれており、宮全体が闇の中にぼおっと浮かび上がっていた。
この夜、緊急の軍議が招集された。
夜間は、充分な明かりが取れない主祭殿の議場ではなく、高床式の柱に囲まれた主祭殿下の屋外に仮の議場が設けられる。
ムシロが敷き詰められた空間の東側に簡易な祭壇が設置され、祭壇に向かって左右一列に並べられた円座に男達が座していた。
「そうか。やはり襲われたか……」
昼間の襲撃の報告を受け、列の左奥に座していた邪馬台国の現王オシヒコが、難しい顔で呟いた。
彼は先代の女王ヒミコの政を補佐してきた年の離れた弟で、女王亡き後王位に就いた。
姫巫女の身体に宿っているのがルイカという別の人格であることを知っている、数少ない一人だった。
一国の王の風格を漂わせるオシヒコは、白髪の目立つ灰色の髪をきれいになで付け、大きく下がる美豆良を結い、顎に蓄えた長い髭をしきりに撫でている。
灰がかった紺色の筒袖の衣に、王族を示す貝紫の腰帯。
生成りの袴には貝紫の足結いを締めている。
三つの翡翠の勾玉と碧玉の管玉とを組み合わせた頸玉は、姫巫女が首に掛けているものと同じだ。
王と同じ列には渋茶の筒袖の衣をまとった高官が並んで座し、向かいの列には武人達が並んでいた。
武人の半数以上は、独特の揃いの風貌をした砂徒だ。
砂徒のいちばん上座は、長い灰色の髪を後ろで束ねた壱徒とも呼ばれる砂徒長。
左頬と左腕に砂紋を刻み、左肩をあらわにした生成りの袈裟衣に、ヒミコから授けられた紺青の腰帯を締めている。
長の隣には、同じく紺青の腰帯の弐徒——ツクスナが座っていた。
「ウダの山まで敵を追ったのですが、陰から蛇の力で襲って来るため近づけず、弐徒から深追いするなとの指示もありましたので、追跡を断念しました。しかし、九徒が……」
無念の表情で説明しているのは、市に出かけた姫巫女達の周辺警護を指揮していた伍徒だ。
ツクスナより少し年長の生真面目そうな彼は、怪我を負ったのか右腕に布を巻いており、顔や身体のあちこちにも擦り傷ができていた。
「深追いするな……だと?」
武人の列の最奥、無精髭のがっしりした体格の将軍トシゴリが、四つ隣に座るツクスナをぎろりと見やると、野太い声で問いただした。
「はい。奴は、二年前の参徒とは比べ物にならない力の持ち主でした。私の左腕だけで防ぎきれないほどでしたので、危険と判断いたしました」
「そうか。お前の左腕で無理だったのなら、他の者では敵うまいな」
弐徒の答えに、砂徒長が顎に手をやりながら眉をひそめた。
彼の愛弟子である弐徒は、左腕にしか文様がなかった頃から卓越した砂の使い手であった。
その弐徒の判断であるなら、間違いはないだろうと考える。
「……となれば、九徒の身が気がかりだな。どこで行方不明になったのだ」
「ウダ山に入ってすぐです。撤退の指笛を吹いたのですが、九徒だけが戻らず……。怪我で動けなくなっているかもしれないと思い、付近を捜索したのですが……」
重苦しい空気が流れる中に、二人の巫女を従えた白装束の姫巫女が足を踏み入れた。
話し声がぴたりと止み、左右の男達の視線が一斉に集まる中、祭壇に向かってゆっくりと歩いていく。
あれ?
あの人はたしか……ヤナナ?
敷き詰められたムシロの外側に、小さく跪く人影が見えた。
伏せているために顔は見えないが、頭の高い位置で結った長い髪と、細くしなやかな体つきに見覚えがある。
軍議の場に、女王や巫女以外の女が入ることは許されないはずだが、咎められる様子はない。
ルイカは訝しく思いながら、祭壇の前に立った。
橙色の篝火の色を映す青銅の鏡の前で、目を伏せて精神を集中させる。
左の高杯に盛られた卜骨を一つ左手に取り、右の高杯の上で火にかけられていた長い串を右手に取る。
赤く燃える串の先を骨に押し付けると、骨に黒い焦げ跡がつき、微かな音を立ててひびが入った。
ルイカは慣れた手つきで串を右の高杯に戻すと、骨に目を落とした。
え?
ルイカは事前に、行方不明の九徒と、蛇の男の行方を占ずるように言われていた。
ルイカ自身は占の経験などなかったが、姫巫女の記憶のおかげでこれまで何の苦労もなく姫巫女としての役割を果たしてきたのだ。
しかし今、左手に握った卜骨には、黒々とした焦げ跡と、はっきりしたひび割れが生じているのに、そこからは何一つ読み取ることができない。
普段なら占の結果は映像のように頭に浮かぶのだが、それを邪魔するように黒く濃いもやがかかっているのだ。
どうして、こんなことが……。
「姫巫女様、どうなされましたか?」
骨を見つめたまま硬直している姫巫女に、後ろに控えていた巫女が心配そうに声をかけた。
姫巫女は細かく震える手で、卜骨をその巫女に手渡した。
彼女は不思議そうにその骨を見つめると、あっと小さな声を上げて、骨を取り落とした。
姫巫女は無言で祭壇に向き直り、もう一度同じ手順を繰り返した。
先程と全く同じ焦げ跡とひび割れができた卜骨を見つめて、唇を噛んで首を横に振る。
そして、三回目。
男たちの視線が集まる中、姫巫女はとうとう、骨を地面に投げつけムシロに膝を折り両手をついた。
宮の城柵の外側は深い闇と静けさにすっぽりと包まれていたが、宮中には数多くの篝火が焚かれており、宮全体が闇の中にぼおっと浮かび上がっていた。
この夜、緊急の軍議が招集された。
夜間は、充分な明かりが取れない主祭殿の議場ではなく、高床式の柱に囲まれた主祭殿下の屋外に仮の議場が設けられる。
ムシロが敷き詰められた空間の東側に簡易な祭壇が設置され、祭壇に向かって左右一列に並べられた円座に男達が座していた。
「そうか。やはり襲われたか……」
昼間の襲撃の報告を受け、列の左奥に座していた邪馬台国の現王オシヒコが、難しい顔で呟いた。
彼は先代の女王ヒミコの政を補佐してきた年の離れた弟で、女王亡き後王位に就いた。
姫巫女の身体に宿っているのがルイカという別の人格であることを知っている、数少ない一人だった。
一国の王の風格を漂わせるオシヒコは、白髪の目立つ灰色の髪をきれいになで付け、大きく下がる美豆良を結い、顎に蓄えた長い髭をしきりに撫でている。
灰がかった紺色の筒袖の衣に、王族を示す貝紫の腰帯。
生成りの袴には貝紫の足結いを締めている。
三つの翡翠の勾玉と碧玉の管玉とを組み合わせた頸玉は、姫巫女が首に掛けているものと同じだ。
王と同じ列には渋茶の筒袖の衣をまとった高官が並んで座し、向かいの列には武人達が並んでいた。
武人の半数以上は、独特の揃いの風貌をした砂徒だ。
砂徒のいちばん上座は、長い灰色の髪を後ろで束ねた壱徒とも呼ばれる砂徒長。
左頬と左腕に砂紋を刻み、左肩をあらわにした生成りの袈裟衣に、ヒミコから授けられた紺青の腰帯を締めている。
長の隣には、同じく紺青の腰帯の弐徒——ツクスナが座っていた。
「ウダの山まで敵を追ったのですが、陰から蛇の力で襲って来るため近づけず、弐徒から深追いするなとの指示もありましたので、追跡を断念しました。しかし、九徒が……」
無念の表情で説明しているのは、市に出かけた姫巫女達の周辺警護を指揮していた伍徒だ。
ツクスナより少し年長の生真面目そうな彼は、怪我を負ったのか右腕に布を巻いており、顔や身体のあちこちにも擦り傷ができていた。
「深追いするな……だと?」
武人の列の最奥、無精髭のがっしりした体格の将軍トシゴリが、四つ隣に座るツクスナをぎろりと見やると、野太い声で問いただした。
「はい。奴は、二年前の参徒とは比べ物にならない力の持ち主でした。私の左腕だけで防ぎきれないほどでしたので、危険と判断いたしました」
「そうか。お前の左腕で無理だったのなら、他の者では敵うまいな」
弐徒の答えに、砂徒長が顎に手をやりながら眉をひそめた。
彼の愛弟子である弐徒は、左腕にしか文様がなかった頃から卓越した砂の使い手であった。
その弐徒の判断であるなら、間違いはないだろうと考える。
「……となれば、九徒の身が気がかりだな。どこで行方不明になったのだ」
「ウダ山に入ってすぐです。撤退の指笛を吹いたのですが、九徒だけが戻らず……。怪我で動けなくなっているかもしれないと思い、付近を捜索したのですが……」
重苦しい空気が流れる中に、二人の巫女を従えた白装束の姫巫女が足を踏み入れた。
話し声がぴたりと止み、左右の男達の視線が一斉に集まる中、祭壇に向かってゆっくりと歩いていく。
あれ?
あの人はたしか……ヤナナ?
敷き詰められたムシロの外側に、小さく跪く人影が見えた。
伏せているために顔は見えないが、頭の高い位置で結った長い髪と、細くしなやかな体つきに見覚えがある。
軍議の場に、女王や巫女以外の女が入ることは許されないはずだが、咎められる様子はない。
ルイカは訝しく思いながら、祭壇の前に立った。
橙色の篝火の色を映す青銅の鏡の前で、目を伏せて精神を集中させる。
左の高杯に盛られた卜骨を一つ左手に取り、右の高杯の上で火にかけられていた長い串を右手に取る。
赤く燃える串の先を骨に押し付けると、骨に黒い焦げ跡がつき、微かな音を立ててひびが入った。
ルイカは慣れた手つきで串を右の高杯に戻すと、骨に目を落とした。
え?
ルイカは事前に、行方不明の九徒と、蛇の男の行方を占ずるように言われていた。
ルイカ自身は占の経験などなかったが、姫巫女の記憶のおかげでこれまで何の苦労もなく姫巫女としての役割を果たしてきたのだ。
しかし今、左手に握った卜骨には、黒々とした焦げ跡と、はっきりしたひび割れが生じているのに、そこからは何一つ読み取ることができない。
普段なら占の結果は映像のように頭に浮かぶのだが、それを邪魔するように黒く濃いもやがかかっているのだ。
どうして、こんなことが……。
「姫巫女様、どうなされましたか?」
骨を見つめたまま硬直している姫巫女に、後ろに控えていた巫女が心配そうに声をかけた。
姫巫女は細かく震える手で、卜骨をその巫女に手渡した。
彼女は不思議そうにその骨を見つめると、あっと小さな声を上げて、骨を取り落とした。
姫巫女は無言で祭壇に向き直り、もう一度同じ手順を繰り返した。
先程と全く同じ焦げ跡とひび割れができた卜骨を見つめて、唇を噛んで首を横に振る。
そして、三回目。
男たちの視線が集まる中、姫巫女はとうとう、骨を地面に投げつけムシロに膝を折り両手をついた。
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