【完結】炎輪の姫巫女 〜教科書の片隅に載っていた少女の生まれ変わりだったようです〜

平田加津実

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姫巫女の記憶とルイカの決意

最期の記憶(二)

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 宮からいちばん近い市は、邪馬台国最大の市でもある。
 他国やムラ単位での取引にも使われるため、役所や警備の詰め所なども置かれ、敷地の一角には高床式の倉庫がずらりと建ち並んでいた。

 奥の広場では近隣のムラの人々が、自由に取引をしていた。
 ムシロに売り物を並べる者、その間を行き交う者双方が、それぞれに声を張り上げて交渉している様子は熱気に溢れている。

「うわ……すご。なんだか、フリマに来たみたい」
「ルイカの時代のように、お金は使いませんけどね」

 豊富な種類の山菜や魚の干物、袋に入れられた穀物、幾何学模様が施された大小さまざまな土器、生成りの織物に毛皮。
 贅沢品はないが、生活に必要なあらゆる物が取引されている。

「何か欲しいものがあれば、買ってもいいですよ。塩を少し持ってきましたので」
「塩?」
「ええ。塩は貴重ですからね。塩とであれば、交換を断られることはまずありません。でも、ここにはルイカの欲しそうな物はなさそうですが」
「うん。山菜を買っても、しょうがないもんね」

 二人はゆっくりと市の様子を見て回る。
 平和で退屈、そして窮屈な宮の中と違って、人々の活気に溢れた市は開放感たっぷりで、歩いているだけでも楽しい。

 しかし、ただ一つ、面白くないことがあった。
 あちこちから、女たちの熱い視線がツクスナに注がれているのだ。
 視線だけならまだしも、さりげなく、あるいはあからさまに言い寄ってくる女もいる。
 彼の方は適当にあしらっているものの、やけに慣れた様子が気に入らなかった。
 おまけに、女たちが自分をツクスナの娘だと勘違いしている様子だから、余計に腹が立つ。

「ねぇ、ツクスナは文様のせいで目立つって言ってたけど、目立っているのはそのせいだけじゃないでしょ」

 睨むような視線を向けると、彼はバツの悪そうな顔をした。

「まあ……そうですね。文様があるから、より目立つということです」

 彼は市にいる他の男達よりも、頭一つ分は背が高い。
 鍛え上げられた逞しい身体と、精悍な顔立ち。
 宮に仕えているせいか、周囲の者たちとは纏う空気がどこか違う。
 女たちの目には、かなり魅力的に映るに違いない。

 この時代の人から見ても、イケメン……なんだろうな。

 そう思うと、なんだか妙に腹立たしくて、ぷいと後ろを向いた。
 そのまま足早に離れていくと、彼は大股でゆっくり歩きながら追いかけてくる。
 その余裕な歩き方も憎たらしい。

 息を弾ませながら人混みの外に出たとき、いきなり、ぞわりと肌が粟立った。
 直後に、覚えのある不気味な気配を感じ、はっと足を止める。

「うわっ」

 ほとんど小走りになっていたルイカが突然立ち止まったため、すぐ後ろにいたツクスナは危うくぶつかりそうになる。

「急に止まらないでくださいよ。危ないではないですか…………ルイカ?」

 ツクスナが不思議そうに長身を屈めて後ろから顔を覗き込むと、ルイカは眉間にしわを寄せて固く目を閉じていた。

 どこにいる——。

 意識を研ぎすまし、辺りを探る。

 市のはずれの草地に立ち並ぶ倉庫群。
 そのいちばん奥からこちらに向けられた、おぞましいほどの悪意。

「ツクスナ! あの向こうの建物の陰に何かいる!」

 緊迫した言葉に、彼の表情も変わった。

「ルイカ、こっちへ!」

 彼はルイカの手を取ると、人混みの中に駆け込んだ。
 左右に並べられたムシロの間を縫うように走り、市の中央にある大きな楼の裏に回り込む。
 そして、ルイカを背と板壁の間にかばうと、懐に仕込んであった素環頭刀子そかんとうのとうすを抜いた。

「ツクスナ、右から来る!」
「くそっ!」

 ツクスナは砂の文様が刻まれた左腕を、目の前にかざすようにして身構えた。

「来た!」

 ルイカの叫び声と同時に、建物の角から現れた人影がすっと右手を前に伸ばした。

「ヨウダキか!」

 ツクスナも腹に力を込め、気合いを入れる。

 耳をつんざく衝撃音が走り、向かい合う人影から禍々しい力が放たれた。
 稲妻のように視えたそれは、瞬時に巨大な漆黒の蛇の姿に変化する。

 ツクスナの左腕からは、乾いた音とともに、銀色の砂が放たれる。
 光り輝く細かな粒子は、一瞬で二人の周囲を取り囲み、突進する大蛇の前に強固な砂の壁を作り上げた。

 顎を大きく開いた大蛇が、銀色の壁に何度も激しく衝突する。
 そのたびに、ビリビリとした衝撃が伝わり、双方の力が火花を散らすように爆ぜる。

「くっ!」

 左腕だけでは埒が明かないと悟ったツクスナが、刀子を握った右手も前に掲げた。
 砂の文様が刻まれた全身からぶわりと銀色の砂が立ち上って渦巻き、二人を守る結界を強めていく。

「あ……。これは……」

 尋常でない力が激しくぶつかり合う光景を、かばわれた背の後ろから見ていたルイカが、大きく眼を見開いた。

 ——やめて! その人を殺さないで!

 突然、頭の中に少女の悲痛な叫び声が響いた。

 襲い来る蛇の力。
 自分を惨劇の場から隔離しようとする銀色の壁。
 高く響く金属音。
 目の前に広がる血の海。
 閃光のように脳裏に閃く凄惨な場面。

 現代でヨウダキに襲われた時と状況は似ているが、全く違う。
 今、目の前で繰り広げられている熾烈な攻防とも違う。

 これは……。
 この記憶は、あの日の!

 必ずあるはずなのに、これまで何度探っても、姫の記憶の中に見つけることのできなかったもの。

 ——イヨ姫の最期の記憶。

 怖い!

 ルイカは反射的に両手で頭を抱え込み、必死に悪夢のような記憶を遠ざけようとした。
 それを目の当たりにするのは、あまりにも恐ろしかった。
 しかし、どれだけ拒んでも、恐ろしい記憶は強制的に脳内に再生されていく。

 ——お願い! 死なないで! ツクスナ!

 どんなに叫んでも、彼には届かない。
 駆け寄りたくとも、彼が築いた銀色の壁に阻まれる。
 真紅に染まりながら崩れ落ちた彼の首に、残酷に振り上げられる大刀。
 蛇の文様が絡み付く男の手から放たれた、おぞましい力。

 ——いやぁぁぁぁ!

 世界を埋め尽くしていく絶望。
 全身が心臓になってしまったかのような、強い鼓動。

 苦しい。
 息が……できない。

 胸を押さえたルイカは、板壁に身体を預けるようにして、ずるずると冷たい土の上に崩れていった。
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