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姫巫女の記憶とルイカの決意
最期の記憶(一)
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五日後、ルイカは宮にいちばん近い市に限り、外出を許可された。
「どうして、姫巫女様がこのようなお姿をなさらなければならないのですか」
侍婢頭のタダキが、ふくよかな身体を揺すって不満をあらわにした。
彼女はイヨ姫が宮に引き取られてきた当初から、姫に仕えている。
長年慈しんだ大事な姫に、ましてや永い眠りから目覚めたばかりの主に、みすぼらしい姿をさせることが腹立たしいらしく、先ほどから延々とぼやいている。
柔らかな茜色の絹の衣から、粗末な生成りの腰布と貫頭の衣に着替える。
王族を表す貝紫の鮮やかな腰帯の代わりに、麻紐を前で結ぶ。
美しい飾り物は全て取り外し、長い髪は色のない組紐で後ろで一つに束ねられた。
麻で荒く織られた衣はほどよくくたびれて、肌触りは悪くない。
ほっそりとした手足がむき出しになり、風通りが良すぎてすーすーするが、手足にまとわりつく動きづらい衣装や、じゃらじゃらする飾り物から解放されて、ルイカは満足だった。
「この衣は動きやすうて、なかなか良いわ。わらわは気に入った」
イヨ姫の言葉遣いで、おっとりと微笑んでみせる。
しかし、言葉と表情が同じだけで、話す内容はまるで別人。
そもそも、姫巫女がこんな姿をすることも、宮の外に出て行くことも、前代未聞なのだ。
「ああ、なげかわしや。今すぐにでも、元のお姿にお召し替えさせとうございます」
タダキは大いに嘆くと、出てもいない涙を拭う振りをした。
ルイカは後ろを向くと、こっそり舌を出した。
「姫様、もうよろしいでしょうか」
館の外からツクスナの声がした。
タダキに次いで姫の側仕えとして長いツクスナは、男でありながら姫の館に入ることを許されているが、お召し替え中ということで外で待っていた。
ルイカが侍婢たちに見送られて館の外に出ると、跪いて待っていたツクスナがすっと立ち上がった。
彼もまた、いつもと違った格好をしていた。
普段、後ろで一つに束ねている髪は、耳の前で雑な美豆良に結ってある。
着ている衣はくたびれた貫頭衣のみ。
いつもの紺青の腰帯や、素環頭大刀は身につけていない。
衣の裾から、砂の文様が刻まれた長い両足がにゅっとのぞいていた。
「ツクスナ、その姿、よう似合うておるわ」
笑いをかみ殺しながら感想と逆のことを言うと、彼はむうっと眉をひそめた後、朗らかな笑顔を見せた。
「さすが姫巫女様は、そのようなお姿もお可愛らしい。ですが、これではいささか、お綺麗すぎるかと。……失礼いたします」
彼はルイカの後ろに回ると、髪を結んでいた組紐を解いて、美しく整えられていた黒髪を両手でぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
そして、無造作に一つに束ね直すと、確認するように顔を覗き込む。
しかし、いくらみすぼらしい姿をさせ髪を乱しても、姫巫女として育てられた品の良さは隠せないどころか、かえって際立つほどだった。
「うーん。困りましたね」
彼は腕組みをしてしばらく考えた後、あっけにとられている女たちを放置して館に入っていった。
ほどなくして戻ってきたツクスナは、膝をつくと、ルイカの頬を掌で撫でた。
姫巫女の透き通るような白い頬が、黒く汚されていく。
「な、なんじゃ? ツクスナ」
何をしているのか分からないが、肌にざらついた感触を覚え、ルイカが驚いた顔で目をぱちくりさせた。
「弐徒! 姫様になんということを!」
「姫様はあまりにお綺麗ですから、こうでもしておかないと、ムラに出たときに目立って危険でしょう?」
目を剥くタダキにしれっと答えながら、ツクスナは両手につけた煤を、ルイカの顔や首、両腕になすり付けていく。
「ふふふ。よい。これも面白いではないか」
ルイカは煤を塗りたくられる自分や侍婢たちの反応が面白くて仕方なかったが、爆笑する訳にもいかず、無理やり押さえつけた微笑を浮かべた。
「どうして、姫巫女様がこのようなお姿をなさらなければならないのですか」
侍婢頭のタダキが、ふくよかな身体を揺すって不満をあらわにした。
彼女はイヨ姫が宮に引き取られてきた当初から、姫に仕えている。
長年慈しんだ大事な姫に、ましてや永い眠りから目覚めたばかりの主に、みすぼらしい姿をさせることが腹立たしいらしく、先ほどから延々とぼやいている。
柔らかな茜色の絹の衣から、粗末な生成りの腰布と貫頭の衣に着替える。
王族を表す貝紫の鮮やかな腰帯の代わりに、麻紐を前で結ぶ。
美しい飾り物は全て取り外し、長い髪は色のない組紐で後ろで一つに束ねられた。
麻で荒く織られた衣はほどよくくたびれて、肌触りは悪くない。
ほっそりとした手足がむき出しになり、風通りが良すぎてすーすーするが、手足にまとわりつく動きづらい衣装や、じゃらじゃらする飾り物から解放されて、ルイカは満足だった。
「この衣は動きやすうて、なかなか良いわ。わらわは気に入った」
イヨ姫の言葉遣いで、おっとりと微笑んでみせる。
しかし、言葉と表情が同じだけで、話す内容はまるで別人。
そもそも、姫巫女がこんな姿をすることも、宮の外に出て行くことも、前代未聞なのだ。
「ああ、なげかわしや。今すぐにでも、元のお姿にお召し替えさせとうございます」
タダキは大いに嘆くと、出てもいない涙を拭う振りをした。
ルイカは後ろを向くと、こっそり舌を出した。
「姫様、もうよろしいでしょうか」
館の外からツクスナの声がした。
タダキに次いで姫の側仕えとして長いツクスナは、男でありながら姫の館に入ることを許されているが、お召し替え中ということで外で待っていた。
ルイカが侍婢たちに見送られて館の外に出ると、跪いて待っていたツクスナがすっと立ち上がった。
彼もまた、いつもと違った格好をしていた。
普段、後ろで一つに束ねている髪は、耳の前で雑な美豆良に結ってある。
着ている衣はくたびれた貫頭衣のみ。
いつもの紺青の腰帯や、素環頭大刀は身につけていない。
衣の裾から、砂の文様が刻まれた長い両足がにゅっとのぞいていた。
「ツクスナ、その姿、よう似合うておるわ」
笑いをかみ殺しながら感想と逆のことを言うと、彼はむうっと眉をひそめた後、朗らかな笑顔を見せた。
「さすが姫巫女様は、そのようなお姿もお可愛らしい。ですが、これではいささか、お綺麗すぎるかと。……失礼いたします」
彼はルイカの後ろに回ると、髪を結んでいた組紐を解いて、美しく整えられていた黒髪を両手でぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
そして、無造作に一つに束ね直すと、確認するように顔を覗き込む。
しかし、いくらみすぼらしい姿をさせ髪を乱しても、姫巫女として育てられた品の良さは隠せないどころか、かえって際立つほどだった。
「うーん。困りましたね」
彼は腕組みをしてしばらく考えた後、あっけにとられている女たちを放置して館に入っていった。
ほどなくして戻ってきたツクスナは、膝をつくと、ルイカの頬を掌で撫でた。
姫巫女の透き通るような白い頬が、黒く汚されていく。
「な、なんじゃ? ツクスナ」
何をしているのか分からないが、肌にざらついた感触を覚え、ルイカが驚いた顔で目をぱちくりさせた。
「弐徒! 姫様になんということを!」
「姫様はあまりにお綺麗ですから、こうでもしておかないと、ムラに出たときに目立って危険でしょう?」
目を剥くタダキにしれっと答えながら、ツクスナは両手につけた煤を、ルイカの顔や首、両腕になすり付けていく。
「ふふふ。よい。これも面白いではないか」
ルイカは煤を塗りたくられる自分や侍婢たちの反応が面白くて仕方なかったが、爆笑する訳にもいかず、無理やり押さえつけた微笑を浮かべた。
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