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時の彼方に消えた姫巫女
金木犀の葬送(三)
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守りたい。
助けたい。
自分はどうなっても構わないから……。
本当に、皓太の記憶の最後にはこれしかなかった。
この強い念が、強烈に刻み込まれていた。
これほどまでに彼は、彼女を想っていたのだ。
おそらく彼が生きていれば、姉弟のようだった二人の間には、いつか違った関係が生まれていただろう。
少なくとも、彼の方はそれをずっと望んでいた。
彼女がこんなふうに泣いていれば、涙を拭ってあげたいと思った。
辛い思いをしているときは、そばにいて力になりたいと願った。
留以花の髪に、頬に触れたかった。
抱きしめたい衝動にも駆られた。
それでも、どうしても一歩踏み出せなかった。
何もかもを壊しそうで、怖かったのだ。
しかし、時が経てばいつか、彼の想いはすべて叶ったのではないか。
彼と彼女にはきっと、そんな未来があっただろう——そんな、気がする。
ツクスナが手を伸ばし、留以花の髪にそっと触れた。
その滑らかな感触は、彼の幼い頃の思い出の中だけにしかなかった。
だから、もう一度……いや、この先ずっと、自分のものにしたかったのだ。
皓太が強く望み続けながら、どうしてもできなかったこと。
もう、叶えることのできない望みならば、せめて彼の同じ手で……と、ツクスナは思う。
自分が、二人の未来をも壊してしまったのだから……。
俯いて涙をこぼす彼女の髪に、ゆっくりと掌を滑らせた。
その手触りは、皓太の切ない記憶と混ざり合い、別の少女のあどけない面影を呼び起こす。
胸をつきりと刺す痛みに、ツクスナは思わず彼女の髪から手を離そうとした……が、身体がいうことを聞かなかった。
溢れ出す皓太の渇望の記憶が、ツクスナの意志を超えていく。
彼女の髪から滑り落ちた手は、そのまま華奢な背中へと回る。
気付けば、彼女を両腕で抱きしめていた。
抱き締められた留以花は、驚いて身を硬くしたが、そのまま身体を預けてむせび泣いた。
そして、皮肉なことに、皓太がもうここにいないのだという実感を強くした。
皓太はこれまで、こんなことをしたことがなかったのだから……。
泣きつかれてツクスナにもたれていた留以花の髪を、金木犀の香りの風がさらさらと流していった。
彼女は、何かを思いついたように顔を上げ、ゆっくりと立ち上がると、近くにあった金木犀に向かって歩いていった。
「ルイカ……?」
彼女は木の前に立つと、芳香の立つ黄金色の花冠を指先で一つずつ摘んでいく。
そして、左手に十個ばかりの花を集めると、そのまま無言で歩き出した。
「ルイカ、どこへ?」
ツクスナの声など耳に入っていないのか、彼女は唇を硬く結び、きっぱりと前を向いて足早に歩いていく。
さっき怖いと言って進むことができなかった、あの川が見える路を横切り、街路樹の間を抜け、土手を下り、川へと近づいていった。
水際にたどり着いても、全く躊躇することなく、靴を履いたままザブザブと水に入っていく。
「ルイカ!」
ツクスナは呆気にとられて、彼女の背中を見送った。
留以花は水に足を取られて転びながらも、川の中程まで進んだ。
ゆったりと流れる川の水はその場所でも、彼女の膝ほどの深さしかなかった。
秋の冷たい水が、彼女の手前で少しだけ白い泡を作り、ゆるやかに蛇行していく。
目の高さで開かれた彼女の左手から、黄金色の小さな花冠がこぼれ落ち、ふわりと風に舞った。
落ちた花は水面をゆっくり滑り、やがて視界から消えていく。
ああ……これは、儀式だ。
花を手向け、皓太を送っているのだ。
水面に反射してきらめく陽の光が、彼女の輪郭をくっきりと縁取っている。
風に吹かれて広がる髪は、まるで繊細な金の糸だ。
ツクスナが、眩しさに目を細めた。
彼女に、別の少女の姿が重なって見えた。
しばらくして、留以花が戻ってきた。
濡れた夏の制服が素肌に貼り付き、重く下がったスカートのひだの角からは、ぽたぽたと水滴が落ちている。
九月の終わりの川の水はかなり冷たく、身体が冷えきってしまったのだろう。
彼女の唇は紫がかって震えていた。
しかし、真っすぐ前を向いた瞳には、強い炎のような熱を感じる。
「こんなの、ありえない! こんな浅い川で人が死ぬなんて。なんで、コウが死ななきゃならなかったの? トラックの事故も、今日のことも、何もかもすべて、おかしいじゃない。一体、何が起こっているの! 誰がこんなことをするの!」
感情を一気に叩き付けるように吐き出した彼女の激しさに、ツクスナは目を見はった。
「許さない……」
留以花は怒りをこらえるかのように、硬く目を閉じた。
両手を震えるほど握りしめ、肩を大きく上下させている。
「……ツクスナ」
ゆっくりと、留以花が目を上げた。
「あなたは何か知ってるんでしょ。教えて。すべて話して」
さっきまでとは打って変わった凛とした瞳が、ツクスナを捕らえた。
彼女の声には、抗うことを許さないような、超然とした響きがあった。
ああ、やはりこの人は……。
ツクスナは瞳を伏せ、すっと片膝を折った。
突然目の前に跪いたツクスナを見て、留以花が我に返る。
「え、な、なに? なんでこんな……ちょっと、立ってよ」
慌てふためいて、ツクスナの腕を両手で掴んで引っぱり、立たせようとする。
「とりあえず、帰りましょう。そのままでは風邪をひいてしまいます」
ツクスナはゆっくりと立ち上がり、柔和な瞳で彼女を見つめた。
助けたい。
自分はどうなっても構わないから……。
本当に、皓太の記憶の最後にはこれしかなかった。
この強い念が、強烈に刻み込まれていた。
これほどまでに彼は、彼女を想っていたのだ。
おそらく彼が生きていれば、姉弟のようだった二人の間には、いつか違った関係が生まれていただろう。
少なくとも、彼の方はそれをずっと望んでいた。
彼女がこんなふうに泣いていれば、涙を拭ってあげたいと思った。
辛い思いをしているときは、そばにいて力になりたいと願った。
留以花の髪に、頬に触れたかった。
抱きしめたい衝動にも駆られた。
それでも、どうしても一歩踏み出せなかった。
何もかもを壊しそうで、怖かったのだ。
しかし、時が経てばいつか、彼の想いはすべて叶ったのではないか。
彼と彼女にはきっと、そんな未来があっただろう——そんな、気がする。
ツクスナが手を伸ばし、留以花の髪にそっと触れた。
その滑らかな感触は、彼の幼い頃の思い出の中だけにしかなかった。
だから、もう一度……いや、この先ずっと、自分のものにしたかったのだ。
皓太が強く望み続けながら、どうしてもできなかったこと。
もう、叶えることのできない望みならば、せめて彼の同じ手で……と、ツクスナは思う。
自分が、二人の未来をも壊してしまったのだから……。
俯いて涙をこぼす彼女の髪に、ゆっくりと掌を滑らせた。
その手触りは、皓太の切ない記憶と混ざり合い、別の少女のあどけない面影を呼び起こす。
胸をつきりと刺す痛みに、ツクスナは思わず彼女の髪から手を離そうとした……が、身体がいうことを聞かなかった。
溢れ出す皓太の渇望の記憶が、ツクスナの意志を超えていく。
彼女の髪から滑り落ちた手は、そのまま華奢な背中へと回る。
気付けば、彼女を両腕で抱きしめていた。
抱き締められた留以花は、驚いて身を硬くしたが、そのまま身体を預けてむせび泣いた。
そして、皮肉なことに、皓太がもうここにいないのだという実感を強くした。
皓太はこれまで、こんなことをしたことがなかったのだから……。
泣きつかれてツクスナにもたれていた留以花の髪を、金木犀の香りの風がさらさらと流していった。
彼女は、何かを思いついたように顔を上げ、ゆっくりと立ち上がると、近くにあった金木犀に向かって歩いていった。
「ルイカ……?」
彼女は木の前に立つと、芳香の立つ黄金色の花冠を指先で一つずつ摘んでいく。
そして、左手に十個ばかりの花を集めると、そのまま無言で歩き出した。
「ルイカ、どこへ?」
ツクスナの声など耳に入っていないのか、彼女は唇を硬く結び、きっぱりと前を向いて足早に歩いていく。
さっき怖いと言って進むことができなかった、あの川が見える路を横切り、街路樹の間を抜け、土手を下り、川へと近づいていった。
水際にたどり着いても、全く躊躇することなく、靴を履いたままザブザブと水に入っていく。
「ルイカ!」
ツクスナは呆気にとられて、彼女の背中を見送った。
留以花は水に足を取られて転びながらも、川の中程まで進んだ。
ゆったりと流れる川の水はその場所でも、彼女の膝ほどの深さしかなかった。
秋の冷たい水が、彼女の手前で少しだけ白い泡を作り、ゆるやかに蛇行していく。
目の高さで開かれた彼女の左手から、黄金色の小さな花冠がこぼれ落ち、ふわりと風に舞った。
落ちた花は水面をゆっくり滑り、やがて視界から消えていく。
ああ……これは、儀式だ。
花を手向け、皓太を送っているのだ。
水面に反射してきらめく陽の光が、彼女の輪郭をくっきりと縁取っている。
風に吹かれて広がる髪は、まるで繊細な金の糸だ。
ツクスナが、眩しさに目を細めた。
彼女に、別の少女の姿が重なって見えた。
しばらくして、留以花が戻ってきた。
濡れた夏の制服が素肌に貼り付き、重く下がったスカートのひだの角からは、ぽたぽたと水滴が落ちている。
九月の終わりの川の水はかなり冷たく、身体が冷えきってしまったのだろう。
彼女の唇は紫がかって震えていた。
しかし、真っすぐ前を向いた瞳には、強い炎のような熱を感じる。
「こんなの、ありえない! こんな浅い川で人が死ぬなんて。なんで、コウが死ななきゃならなかったの? トラックの事故も、今日のことも、何もかもすべて、おかしいじゃない。一体、何が起こっているの! 誰がこんなことをするの!」
感情を一気に叩き付けるように吐き出した彼女の激しさに、ツクスナは目を見はった。
「許さない……」
留以花は怒りをこらえるかのように、硬く目を閉じた。
両手を震えるほど握りしめ、肩を大きく上下させている。
「……ツクスナ」
ゆっくりと、留以花が目を上げた。
「あなたは何か知ってるんでしょ。教えて。すべて話して」
さっきまでとは打って変わった凛とした瞳が、ツクスナを捕らえた。
彼女の声には、抗うことを許さないような、超然とした響きがあった。
ああ、やはりこの人は……。
ツクスナは瞳を伏せ、すっと片膝を折った。
突然目の前に跪いたツクスナを見て、留以花が我に返る。
「え、な、なに? なんでこんな……ちょっと、立ってよ」
慌てふためいて、ツクスナの腕を両手で掴んで引っぱり、立たせようとする。
「とりあえず、帰りましょう。そのままでは風邪をひいてしまいます」
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