9 / 69
時の彼方に消えた姫巫女
金木犀の葬送(二)
しおりを挟む
玄関から外に出ると、職員用の駐車場やグランドに、パトカーや消防車、報道機関の車が止まっていた。
学校の敷地内には生徒の姿はなく、作業服やスーツ姿の男たちが慌ただしく行き来している。
校舎に目を向けると、三階の自分の教室の窓だけに、ブルーシートが張られていた。
校舎の他の部分には、全く損傷はない。
風をはらんだ青い色が不気味にはためいている。
「わたしの教室……だけ?」
違う。
狙われたのはわたしだけ、だ。
留以花は背筋がぞくりとして、自分で自分の肩を抱いた。
「ああ、よかった。まだ残っている生徒さんがいたんだね。ちょっと、話を聞かせてもらえないかな?」
スーツ姿の中年の男が二人に駆け寄ってきた。
腕に新聞社の腕章をしている。
「君たち何年生? 事故が起きたときの様子を教えてくれないかな?」
「え? ……あの……」
「たくさんの怪我人が出たんでしょう? どう思う?」
記者の言葉は容赦なく現実を突きつける。
自分を狙った不気味な力が、周りの人々を巻き込んだのだ。
「どうしたの? そんなに怖かった?」
青ざめる留以花の顔を、記者が無遠慮に覗き込んでくる。
「…………や……」
両手で顔を覆いその場に座り込みそうになったところを、ぐいと腕を引かれた。
「ルイカ。行きましょう」
ツクスナが留以花の耳元でそう囁くと、強引に手を取って走り出した。
「おい、君たちっ!」
後ろから追いかけてきたのは記者の声だけだった。
二人は校門を出たところまで走ると、足を緩めた。
留以花は、手を引かれるまま無言で歩いた。
ツクスナも無言だった。
そのまま十分ほど歩き、街路樹の向こうに川の水面に反射する光が見えたとき、留以花が突然立ち止まった。
ツクスナが振り返ると、留以花は眼をぎゅっと閉じて首を横に振った。
ツクスナの手に、微かな震えが伝わってくる。
「……怖い」
あの川で、恐ろしい経験をしたのだ。
トラウマになっても不思議ではない。
「そうですね。ここから離れましょう」
二人は来た道を少し戻った。
そこに、小さな公園があった。
爽やかな秋風が、金木犀の芳香を運んでくる。
平日の午後の公園は砂場で遊ぶ小さな子どもと母親しかおらず、静かでゆったりとした時間が流れていた。
さっきの恐ろしい出来事が嘘のようだ。
二人は公園の隅のベンチに腰をおろした。
「ルイカ。落ち着いて聞いてください」
座ってからもしばらく黙っていたツクスナが、ようやく重い口を開いた。
俯いていた留以花が、ゆっくり顔を上げる。
「この身体は、コウ自身のものです。しかし、彼の魂は、この身体にはありません。彼の魂は、あの川で……消えました」
「消えた……って、それは……それは、死んだっていうこと?」
衝撃的な言葉に、彼の腕を思わず強く掴む。
彼は辛そうに一度目を伏せて、それから留以花の目をまっすぐ見た。
「……そういうことに、なります」
「うそよ! なんで! ここに、いるじゃない。コウ!」
留以花の瞳に、みるみる涙が溢れてくる。
その雫は、その場に留めておくことができず、頬を伝いベンチに丸い跡をつける。
「いいえ、私は……コウではありません。コウのように振る舞っているだけです。彼はもう……」
皓太の顔で、皓太の声で、自分はもういないのだと告げる。
皓太とは違う表情、違う眼差し、違う口調で告げるのだ。
留以花も、目の前の人物が幼なじみとは別人であることは、とっくに分かっていた。
けれども、皓太はきっとどこかにいるのだと信じていた。
それなのに……。
「わたしの……せい……だ。わたしが、あのとき……」
「ルイカ、あなたのせいではありません」
「だってコウは……わたし……を助けようと、して……」
皓太は自分を助けるために死んだのだ。
留以花は両手で顔を覆った。
罪悪感が胸を強く締め付け、息をするのも難しかった。
「泣かないでください。コウはどうしても、あなたを守りたかった。あのとき、それしか考えていなかったのです」
「なんで、そんなこと……」
「分かります。この身体には、彼の記憶が残っていますから」
驚いて涙に濡れた顔を上げると、彼は静かな瞳でその視線に応える。
「彼の記憶は『ルイカを助けたい』という想いを最後に、途切れています。今、あなたは生きている。それはコウの強い想いが、遂げられた証拠です」
「でもっ、それでコウが死んじゃったら、しょうがないじゃない! だったら、わたしが死ねば、よかっ……た」
水に引きずり込まれたのは、わたしだけだったのに……。
コウがどう思っていようと、わたしのせいで死んでしまったことには変わりがない。
留以花は自分を責めずにはいられなかった。
「そんな風に考えないでください。コウは自分の命より、あなたのほうが大事だったのですよ。悲しい結果ですが、これは彼が望んだことなのです。だから、あなたは彼のためにも、自分を責めたりはしないでください」
「コウ……」
優しく諭すような言葉に、留以花がまた顔を伏せ肩を震わせた。
学校の敷地内には生徒の姿はなく、作業服やスーツ姿の男たちが慌ただしく行き来している。
校舎に目を向けると、三階の自分の教室の窓だけに、ブルーシートが張られていた。
校舎の他の部分には、全く損傷はない。
風をはらんだ青い色が不気味にはためいている。
「わたしの教室……だけ?」
違う。
狙われたのはわたしだけ、だ。
留以花は背筋がぞくりとして、自分で自分の肩を抱いた。
「ああ、よかった。まだ残っている生徒さんがいたんだね。ちょっと、話を聞かせてもらえないかな?」
スーツ姿の中年の男が二人に駆け寄ってきた。
腕に新聞社の腕章をしている。
「君たち何年生? 事故が起きたときの様子を教えてくれないかな?」
「え? ……あの……」
「たくさんの怪我人が出たんでしょう? どう思う?」
記者の言葉は容赦なく現実を突きつける。
自分を狙った不気味な力が、周りの人々を巻き込んだのだ。
「どうしたの? そんなに怖かった?」
青ざめる留以花の顔を、記者が無遠慮に覗き込んでくる。
「…………や……」
両手で顔を覆いその場に座り込みそうになったところを、ぐいと腕を引かれた。
「ルイカ。行きましょう」
ツクスナが留以花の耳元でそう囁くと、強引に手を取って走り出した。
「おい、君たちっ!」
後ろから追いかけてきたのは記者の声だけだった。
二人は校門を出たところまで走ると、足を緩めた。
留以花は、手を引かれるまま無言で歩いた。
ツクスナも無言だった。
そのまま十分ほど歩き、街路樹の向こうに川の水面に反射する光が見えたとき、留以花が突然立ち止まった。
ツクスナが振り返ると、留以花は眼をぎゅっと閉じて首を横に振った。
ツクスナの手に、微かな震えが伝わってくる。
「……怖い」
あの川で、恐ろしい経験をしたのだ。
トラウマになっても不思議ではない。
「そうですね。ここから離れましょう」
二人は来た道を少し戻った。
そこに、小さな公園があった。
爽やかな秋風が、金木犀の芳香を運んでくる。
平日の午後の公園は砂場で遊ぶ小さな子どもと母親しかおらず、静かでゆったりとした時間が流れていた。
さっきの恐ろしい出来事が嘘のようだ。
二人は公園の隅のベンチに腰をおろした。
「ルイカ。落ち着いて聞いてください」
座ってからもしばらく黙っていたツクスナが、ようやく重い口を開いた。
俯いていた留以花が、ゆっくり顔を上げる。
「この身体は、コウ自身のものです。しかし、彼の魂は、この身体にはありません。彼の魂は、あの川で……消えました」
「消えた……って、それは……それは、死んだっていうこと?」
衝撃的な言葉に、彼の腕を思わず強く掴む。
彼は辛そうに一度目を伏せて、それから留以花の目をまっすぐ見た。
「……そういうことに、なります」
「うそよ! なんで! ここに、いるじゃない。コウ!」
留以花の瞳に、みるみる涙が溢れてくる。
その雫は、その場に留めておくことができず、頬を伝いベンチに丸い跡をつける。
「いいえ、私は……コウではありません。コウのように振る舞っているだけです。彼はもう……」
皓太の顔で、皓太の声で、自分はもういないのだと告げる。
皓太とは違う表情、違う眼差し、違う口調で告げるのだ。
留以花も、目の前の人物が幼なじみとは別人であることは、とっくに分かっていた。
けれども、皓太はきっとどこかにいるのだと信じていた。
それなのに……。
「わたしの……せい……だ。わたしが、あのとき……」
「ルイカ、あなたのせいではありません」
「だってコウは……わたし……を助けようと、して……」
皓太は自分を助けるために死んだのだ。
留以花は両手で顔を覆った。
罪悪感が胸を強く締め付け、息をするのも難しかった。
「泣かないでください。コウはどうしても、あなたを守りたかった。あのとき、それしか考えていなかったのです」
「なんで、そんなこと……」
「分かります。この身体には、彼の記憶が残っていますから」
驚いて涙に濡れた顔を上げると、彼は静かな瞳でその視線に応える。
「彼の記憶は『ルイカを助けたい』という想いを最後に、途切れています。今、あなたは生きている。それはコウの強い想いが、遂げられた証拠です」
「でもっ、それでコウが死んじゃったら、しょうがないじゃない! だったら、わたしが死ねば、よかっ……た」
水に引きずり込まれたのは、わたしだけだったのに……。
コウがどう思っていようと、わたしのせいで死んでしまったことには変わりがない。
留以花は自分を責めずにはいられなかった。
「そんな風に考えないでください。コウは自分の命より、あなたのほうが大事だったのですよ。悲しい結果ですが、これは彼が望んだことなのです。だから、あなたは彼のためにも、自分を責めたりはしないでください」
「コウ……」
優しく諭すような言葉に、留以花がまた顔を伏せ肩を震わせた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

海道一の弓取り~昨日なし明日またしらぬ、人はただ今日のうちこそ命なりけれ~
海野 入鹿
SF
高校2年生の相場源太は暴走した車によって突如として人生に終止符を打たれた、はずだった。
再び目覚めた時、源太はあの桶狭間の戦いで有名な今川義元に転生していた―
これは現代っ子の高校生が突き進む戦国物語。
史実に沿って進みますが、作者の創作なので架空の人物や設定が入っております。
不定期更新です。
SFとなっていますが、歴史物です。
小説家になろうでも掲載しています。
東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー
長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。
『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。
※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『神山のつくば』〜古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー〜
うろこ道
恋愛
【完結まで毎日更新】
時は古墳時代。
北の大国・日高見国の王である那束は、迫る大和連合国東征の前線基地にすべく、吾妻の地の五国を順調に征服していった。
那束は自国を守る為とはいえ他国を侵略することを割り切れず、また人の命を奪うことに嫌悪感を抱いていた。だが、王として国を守りたい気持ちもあり、葛藤に苛まれていた。
吾妻五国のひとつ、播埀国の王の首をとった那束であったが、そこで残された后に魅せられてしまう。
后を救わんとした那束だったが、后はそれを許さなかった。
后は自らの命と引き換えに呪いをかけ、那束は太刀を取れなくなってしまう。
覡の卜占により、次に攻め入る紀国の山神が呪いを解くだろうとの託宣が出る。
那束は従者と共に和議の名目で紀国へ向かう。山にて遭難するが、そこで助けてくれたのが津久葉という洞窟で獣のように暮らしている娘だった。
古代日本を舞台にした歴史ロマンスファンタジー。
ラスト・シャーマン
長緒 鬼無里
歴史・時代
中国でいう三国時代、倭国(日本)は、巫女の占いによって統治されていた。
しかしそれは、巫女の自己犠牲の上に成り立つ危ういものだった。
そのことに疑問を抱いた邪馬台国の皇子月読(つくよみ)は、占いに頼らない統一国家を目指し、西へと旅立つ。
一方、彼の留守中、女大王(ひめのおおきみ)となって国を守ることを決意した姪の壹与(いよ)は、占いに不可欠な霊力を失い絶望感に伏していた。
そんな彼女の前に、一人の聡明な少年が現れた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる