上 下
30 / 43
さらなる悲劇

気持ちの整理がつくまで、ずっと持っていればいい

しおりを挟む
 魔術学院に戻った翌日。

『何度言ったら分かるんだよ! そんなに急がなくてもいいだろ!』

 部屋の扉を開けたティルアの前に、ユーリウスがするりと先回りしてきた。
 怒った顔で、両手を広げて目の前に立ちふさがる。

「どいてよ」
『だめだ』
「片付けないと、前に進めないの! どいてって言ってるでしょ!」
『俺はだめだって言ってるんだ!』
「止められるものなら、止めてみなさいよ!」

 ディルアはそのまま真っすぐ進むと、ユーリウスの体をするりと通り抜けた。

 背後から、ちっと舌打ちする音が聞こえた。

 よく遊びに来ていたクリスタの部屋を、ぐるりと見回す。
 部屋の隅には大きな木箱が二つ準備されていた。
 少女らしく整えられた部屋の中で、それは異質な存在だった。

 ティルアは、本来なら身内がする遺品整理を、ザビーネから依頼された。
 彼女の私物の中で、自分が使えそうなものは形見に、それ以外の品は孤児院に送る物と処分する物とに分けて、箱に入れるのだ。

 整えられたベッドの上には、几帳面に畳まれた夜着が置かれていた。
 彼女が好んで着ていた空色のワンピースと、茶色の古い帽子が壁にかかっている。
 勉強机の片隅には、あの日の前夜に勉強していたであろう教科書やノートが、きちんと積まれている。
 その奥には、苺のジャムが詰まった花の形のクッキーが入った瓶があった。
 事前にザビーネに片付けてもらったが、窓にはさっきまで、緑色の生物の日干しがぶら下がっていた。

 主の帰りを待っているかのような、居心地よく整理された部屋に胸が詰まる。

 クリスタだって、この部屋にもう戻ってこられないなんて、思ってもみなかったはずだ。

「……よしっ!」

 じっとしていると、悲しみと寂しさで身動きできなくなってしまうから、浮かびかけた涙を気合いで振り払い、片開きのクローゼットの取っ手に手をかけた。

『やめろよ! まだ、無理だ』
「放っといてよ!」

 伸びてきた彼の手は、クローゼットを開けようとするティルアの手首を捕らえられず、彼を振り払おうとしたティルアの手も空を切る。

 二人は扉の前で睨み合った。

「大丈夫だって言ってるじゃない! ユーリったら、心配しすぎ」
『大丈夫なはずないだろ! そんなに震えてるじゃないか』

 見ると、自分では意識していなかったが、取っ手に掛け直した手が小刻みに震えていた。
 慌てて、もう一方の手を重ねて押さえつける。

「震えてないからっ!」

 ティルアは強がりを言うと、彼の制止を無視して、勢い良くクローゼットを開けた。
 ふわりと、石けんの香りが漂う。

「女の子のクローゼットなんだから、そんなところで見てないでよ! いやらしいわね」
『な……っ』

 一旦開けたクローゼットの扉を半分閉めて睨みつけると、彼は顔を赤らめて目をそらした。
 こういう部分は十五歳の少年らしく純情だ。

「そこから見られていたら片付けられないから、あっち行って!」
『分かった。早く片付けろよ』

 不機嫌な声で言いながらも、彼は素直に従った。
 窓際に移動すると、こちらに背中を向けて外を眺めている。
 怒って出て行くかもしれないと思ったが、どうやら、このまま部屋に残るつもりらしい。

 ティルアはほっと胸を撫で下ろした。
 このまま一人きりで、この部屋で遺品を整理することはできそうになかったのだから。

「ありがと」

 彼の背中に相手に聞こえないほど小声で呟くと、作業に取りかかった。

 クリスタもティルアと同じ孤児だから、経済的には恵まれていない。
 ハンガーにかかっている衣類は少なく、古ぼけた地味なものばかりだ。
 ティルアが以前着ていた、お下がりも何枚かあった。

 ティルアはハンカチや手袋などの小物だけを形見として取り分け、残りはすべて孤児院行きの箱に入れた。

「もう、いいわ」

 衣類の整理はあっという間に終わった。
 空っぽになったクローゼットの扉を閉めて、背中を向けたままのユーリウスに声をかける。

『大丈夫か? もう部屋に戻ろう』

 てっきり文句を言われると思っていたから、心配そうな顔でそう言われて面食らう。

「へ……平気よ。今日中に、この部屋にあるもの全部、片付けてしまいたいから」

 今度は、机の隅に積まれていた教科書やノートをまとめて手に取った。
 中には、クリスタの几帳面な文字がびっしり書き込まれているはずだから、今は開く勇気がない。
 ノートの表紙に書かれた、彼女の筆跡による名前を見るのも辛かった。

「これ……どうしよう。捨てるのはかわいそう」

 机の上だけではない。
 本棚にも大量の本やノートが、びっしり詰まっている。

 その全てが、クリスタの努力の跡。
 彼女が生きた証なのだ。

『だったら、全部あんたが持っていればいいだろ? 気持ちの整理がつくまで、ずっと持っていればいい』
「そ、そうよね、持っていてもいいよね?」
『あんたが進級できれば、役にも立つこともあるかもしれない。ま、奇跡でも起きない限り、無理だけどな』

 最後の一言が余計だったが、彼が自分の思いに寄り添ってくれたことが嬉しい。
 思わず、彼の顔をじっと見つめると、『なんだよ』とそっぽを向かれてしまった。

 本棚に入っていた教科書類もすべて取り出して、机の横に積み上げた。
 引き出しの中身も整理して、そろそろ片付けも終わるという時、ユーリウスが机の下を指差した。

『ティルア。あそこに何か落ちてる』
「え? どこ?」

 片付けの途中で何かを落としたのかと思い、腰を屈めて覗き込んでみた。
 しかし、隅っこの暗がりに綿埃が少しあるぐらいだ。他に何も見あたらない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒隼の騎士のお荷物〜実は息ぴったりのバディ……んなわけあるか!

平田加津実
恋愛
王国随一の貿易商に仕えるレナエルとジネットは双子の姉妹。二人は遠く離れて暮らしていても、頭の中で会話できる能力を持っていた。ある夜、姉の悲鳴で目を覚ました妹のレナエルは、自身も何者かに連れ去られそうになる。危ないところを助けてくれたのは、王太子の筆頭騎士ジュールだった。しかし、姉のジネットは攫われてしまったらしい。 女ながら巨大馬を駆り剣を振り回すじゃじゃ馬なレナエルと、女は男に守られてろ!という考え方のジュールは何かにつけて衝突。そんな二人を面白がる王太子や、ジネットの婚約者を自称する第二王子の筆頭騎士ギュスターヴらもそれぞれの思惑で加わって、ジネット救出劇が始まる。

亡国の系譜と神の婚約者

仁藤欣太郎
ファンタジー
二十年前に起こった世界戦争の傷跡も癒え、世界はかつてない平和を享受していた。 最果ての島イールに暮らす漁師の息子ジャンは、外の世界への好奇心から幼馴染のニコラ、シェリーを巻き込んで自分探しの旅に出る。 ジャンは旅の中で多くの出会いを経て大人へと成長していく。そして渦巻く陰謀、社会の暗部、知られざる両親の過去……。彼は自らの意思と無関係に大きな運命に巻き込まれていく。 ☆本作は小説家になろう、マグネットでも公開しています。 ☆挿絵はみずきさん(ツイッター: @Mizuki_hana93)にお願いしています。 ☆ノベルアッププラスで最新の改稿版の投稿をはじめました。間違いの修正なども多かったので、気になる方はノベプラ版をご覧ください。こちらもプロの挿絵付き。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています

平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。 生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。 絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。 しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?

隣人は不愛想な警部!大人の階段登りたい男性恐怖症のわたしはロマンチックを所望しています

はなまる
恋愛
念願の保育士になった胡桃沢はつね。彼女は高校生の時乱暴されて以来男性恐怖症だ。それでもやっと念願の一人暮らし。これからは新しい出会いもあると期待していた。ところがある日チャイムが鳴りモニター越しに見えた男性はなんとも無愛想な人で‥‥そしてひょんなことから彼を夕食に招くことになって、なぜか彼には恐い気持ちは浮かばない、それよりもっと別の気持ちが沸き上がる。これってもしかして‥‥でも兄の友人が訪ねて来た。彼がそれを目撃してからは、メールの一つもなくなった。そんなある日はつねは暗い夜道で襲われる。ちょうど通りかかった彼が助けてくれて…はつねは彼に縋りつく。もうわたしからずっと離れないでと…   再投稿です。設定はすべてフィクションになっています。警察組織関係は特に架空設定です。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...