【完結】百年に一人の落ちこぼれなのに学院一の秀才をうっかり消去しちゃいました

平田加津実

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大魔術師フリードリヒ・クラッセン

教えてあげたかった……な

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 部屋の扉を開けると『遅い!』と声が飛んできた。
 狭い部屋の真ん中で、ユーリウスが腕組みをして立っている。

 彼は怒ったような顔をしていたが、ティルアがじっと見つめると、ぷいと視線をそらせた。

 仲直りはしたものの、その直後というのは、なんとなく気恥ずかしい。
 きっと彼もそうなのだろう。

 ティルアはそそくさと彼の前を横切ると、壁際に落ちていた枕を拾って、ベッドに腰掛けた。
 手持ち無沙汰に枕を抱きしめてみたものの、沈黙に耐えきれなくなって口を開く。

「ね、ねぇ……」

 その一言で、彼の肩からふっと力が抜けた。

「フリードリヒ・クラッセンの子どもは、死んだことになってるはずよね?」
「そうだな。女性と赤ん坊の同時消去が、消去呪文の最大記録とされているからな」
「だったらどうして、ユーリが拾った紙に名前があるのかしら。彼が生きていることを、知っている人がいるってこと?」

 その言葉に、彼はポケットを探る。
 そして、ティルアには見えない紙を開くと、書かれている文字に目を走らせた。

 紙のいちばん上にはフリーデル・クラッセン。
 二番目はユーリウス。
 以下、この学院きっての成績優秀者の名前が続いている。

『いや、そうじゃない。彼が生きていることは、おそらく誰も知らない』
「どういうこと? だって、名前が……」
『やっぱりこれは、魔術統括省の名簿の写しなんだ。それなら、書かれているのは半年後の事実だから、現在、消息が分からない人間の名前があってもおかしくない』
「あぁ……そっか。ユーリは今、行方不明ってことになっているけど、名簿には名前が残っているらしいもんね」
 
 自分の名前が出て、ユーリウスはむっと眉をひそめた。

 いつものように『あんたのせいだ』と言い出すかと、ティルアは枕を抱きしめて身構えたが、彼は冷ややかな視線をちらりと向けただけだった。

『だけど、魔術統括省に入れるのはこの学院の新卒者に限られるのに、フリーデル・クラッセンだと思われる生徒はいない。この秋に卒業できる生徒で、かつ、この俺より優秀じゃなきゃならないんだぜ? そんな奴、どこにいるっていうんだ』

 しかも、既に名前が書かれている生徒を除いて考えなければならないのだ。
 どう考えても、そんな生徒は存在しない。

 しいていえば……。

「やっぱり、フリーデル・プラネルトがそうだったのかなぁ」

 少なくとも彼は、自分が名簿に載るかもしれないと心配し、両親も魔術統括省入りを期待するほどの成績を納めていた。
 特に魔術薬の分野においては、ユーリウスもその実力を認めているほどだった。

『単純に成績だけでは決まらないから、あいつの名前が俺の上に書かれていても、それなりに納得…………できるかもしれない。名前も同じフリーデルだしな』
「きっとそうよ。彼しか思いつかないもの」
『だったらあいつは、生きていたとしても魔術薬学者にはなれなかったのか……』

 ユーリウスが無念そうに唇を噛んだ。

「でも、魔術統括省に入っても薬草の研究はできるんじゃない? きっと、そういうことだったのよ」

 二人の間では、フリーデル・プラネルトがフリーデル・クラッセンであるという結論に落ち着きつつあった。

「だけど、フリーデルは自分の生い立ちのことを知っていたのかしら」

 図書館で聞こえた夫婦の会話を思い返す。
 息苦しいほどに苦悩に満ちた、そして胸が痛くなるほど子どもへの愛情に溢れた声だった。

 彼はそのとき赤ん坊だったから、そのやり取りは知らないはずだ。

 彼にも、彼の死を嘆き悲しむ両親がいた。
 もし、彼がフリーデル・クラッセンであるとすれば、その両親は血の繋がった親ではなかったことになる。

 彼が自分の出生の秘密を知らずに育ったのならいいが、もし、本当の父親が犯罪者なのだと告げられていたとしたら、そうではないと教えてあげたかった。
 子どもを手放したことは苦渋の選択だったのだと、いつか迎えに来るつもりだったのだと、教えてあげたかった。

「でも、死んでしまったら、教えてあげられないわね」

 無関係の自分が真実を独り占めしているようで、フリーデルに申し訳なかった。

「教えてあげたかった……な」

 ティルアは胸元を探り、ワンピースの上からネックレスを握りしめた。
 体温で温まった石と、その周囲に巻かれた細い金属の感触を布越しに確かめる。
 このネックレスが、ティルアにとっては両親との繋がりを表す唯一の品だ。

 ——愛しているわ。

 優しい女性の声が耳の奥に甦る。
 自分に向けられた言葉でもないのに、母親が子どもに向ける愛情は、こんなにも甘く心地よい。

「わたしの両親も、あんな風に思ってくれたの……かな」

 自分を孤児院の前に置き去りにした両親にも、やむにやまれぬ事情があったのだろうか。
 手放したくないと、少しでも思ってくれたのだろうか。
 愛してくれていたのだろうか。

 そうだといい。そうだと……。

 昼間、街まで歩いた疲れもあって、ティルアの意識がふうっと遠くなった。

『おい、ティルア。寝るなよ!』

 そんな声も、もう聞こえない。
 ベッドにくたりと崩れ落ち、あっという間に眠りに引きずり込まれていく。

『ああ、もう……。この後、消去呪文の練習をするつもりだったのに』

 取り残されてしまったユーリウスは、面白くない。

 腕を組み、ぶつぶつと文句をいいながら、無防備に眠り込むティルアを見下ろしていると、目頭に丸く溜まった透明な雫が目に入った。

 そっと指を伸ばすと、なぜかドキドキする。

 しかし、涙に触れたように見えた指先には、何の感触もない。
 そのままもう少し指を差し出すと、第二関節まで彼女の鼻の横に埋もれてしまい、びくりと手を引っ込めた。

 すぐ目の前にいるのに、触れられないことがもどかしい。
 自分が、とてつもなく遠い場所にいることを思い知らされる。

『頼むから……早く俺を元に戻してくれよ』

 両手で頭を抱えて呻くと、その耳に、安らかな寝息が聞こえてきた。

 春物のワンピースの袖が短くて、彼女の細い手首がむき出しになっている。
 その白い肌が寒そうだ。

『ったく、世話の焼ける……』

 思わず、ベッドの隅に丸まっていた毛布に手を伸ばしたが、それに触れられるはずもない。

『くそっ』

 ベッドを蹴り付けても、足はなんの感触もないままベッドを通り抜け、かすかな音すら起きなかった。
 ただただ空しくて、腹立たしくて、寂しかった。

 ユーリウスはティルアの耳元に唇を寄せた。

『おいっ、ティルア! 起きろっ!』
「ひあっ!」

 心地よくまどろんでいたところに、いきなり聞こえてきた雷のような大声に、ティルアは悲鳴を上げて飛び起きた。

 普通なら、思いっきり頭突きをくらわしていただろうが、ユーリウスとそうなることは決してない。
 寝ぼけた目に一瞬映った奇妙な光景が、彼を突き抜けてしまったせいだと気付かないまま、ティルアはきょろきょろと辺りを見回した。

「な、な……に?」
『寝るんだったら、毛布ぐらい着ろ! 風邪ひくだろ!』

 彼はそう言い捨てると、くるりと背を向けた。

「う……ん」

 いつもと同じ命令口調で怒鳴られたのに、どこか優しく感じたのは、寝ぼけて感覚が麻痺いるせいだろうか。
 ティルアは素直に足元の毛布を引き寄せ、それに丸まった。

「ありがと」

 その言葉に、扉へと歩いていくユーリウスの足が止まった。
 けれど、『ああ』と応えただけで、振り返りもせずにするりと扉を抜けていった。
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