【完結】百年に一人の落ちこぼれなのに学院一の秀才をうっかり消去しちゃいました

平田加津実

文字の大きさ
上 下
26 / 43
大魔術師フリードリヒ・クラッセン

あ、ありがとう、ユーリ

しおりを挟む
「ご飯、食べてくる」

 すっくとベッドから立ち上がり、扉を開けて廊下に出た。

『おいっ! ティルア、待てよ!』

 そんな声が扉の向こうから漏れ聞こえたが、無視して歩き始めた。

 二つも年下の生意気な子ども相手に、こんなにムキになって馬鹿みたい……。

 そう自分に言い聞かせて、目頭に溜まった水分をぐしぐしと拭った。

 休日だから帰省している生徒も多く、寮の中は普段より静かだ。
 惨めな気分でとぼとぼと廊下を歩いていると、同じように食堂に向かう生徒たち数人が、後ろから追い抜いていった。

 寮から中庭に出ると、遠くの時計塔が目に入った。
 鐘が鳴ったばかりだから、辺りはまだそれほど暗くない。
 しかし、西陽の名残を受けた塔の裏側に黒々と張り付いた影は、死者の世界へと続く隙間のように見えた。

 「しまった」と思ったが、恐怖で地面に縛り付けられた足は、もうそれ以上動かなかった。

 庭の中ほどを歩くさっきの女生徒に追いつけば、食堂までたどり着けるかもしれない。
 けれども、すくんだ足は一歩も踏み出せなかった。
 喉が張り付いて声をかけることもできぬまま、彼女たちの背中が遠ざかっていく。
 あっという間に、魔法円が描かれた中庭に一人取り残された。

「どう……しよう……」

 ティルアはその場にへなへなと座り込んだ。
 遠くの時計塔の影が、こちらをじっと見つめている気がして、怖くて仕方がなかった。

「誰か、助けて……」

 身を縮めて震えていると、すぐそばを誰かが通り過ぎる気配がした。

 この人についていけば、大丈夫かも——。

 はっと顔を上げると、思いがけない人物が目の前をゆっくり歩いていた。
 そして、ティルアから十歩ほど離れた場所で立ち止まる。

「え? ユーリ……」

 両目をごしごし擦ってもう一度よく見てみたが、男子の制服をまとった金色の髪の華奢な後ろ姿は、やはり彼だった。

 フリーデル・プラネルトの事件の後遺症で、日が落ちた後は時計塔の近くを通れなくなってしまったティルアを、彼は毎日食堂まで送り迎えしてくれていた。

 もともと不機嫌だった彼に、枕を投げつけた上に、あんな捨て台詞を吐いた。
 だから彼が今、目の前にいることが信じられなかった。

 慌てて立ち上がると、彼の三歩ほど後ろまで近づいてみた。

 すると彼は背を向けたまま、また、ゆっくりと歩きだす。
 ティルアを導くように——。

 並んで歩く勇気はさすがにないから、ティルアはそのままの距離を保ってついていく。

 ティルアがすぐ後ろにいることは分かっているはずなのに、彼は何も言わない。
 振り返りもしない。
 けれど彼の華奢な背中は、自分を守ってくれる盾のように見えた。




 夕食後も、ユーリウスはいつの間にか、寮に戻ろうとするティルアの前を歩いていた。
 時計塔を避けて他の生徒たちより遠回りする上、どういう訳か彼が普段よりゆっくり歩くから、いつしか周囲には誰もいなくなってしまった。

 薄い雲に霞んだ月が、辺りの木々や草や、前を歩く彼の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
 怒りに任せて部屋を出たから上着を着ていなかったが、ふわりとまとわりつく春の夜風は優しく、寒さは感じなかった。

 けれども、二人きりで黙ったまま歩く夜道は、とてつもなく気まずい。
 彼に対する怒りはとっくに消えていたから、この状況をなんとかしたかった。

 明るい場所で面と向かってでは、きっとうまく話せない。
 寮に着く前に切り出したい。

 お守りのペンダントをぎゅっと握りしめてきっかけを探すが、二人とも黙ったままではどうにもならなかった。
 土を踏む二人の足音が、残り時間を刻んでいた。

 もうすぐ寮の裏口。
 もう、今しかない。

「あ、ありがとう、ユーリ。あの……送ってくれて」

 思い切って口を開くと、彼は足を止めてちらりと振り返った。
 しかし、すぐさま顔を背けると、右手で前髪をぐしゃりと握る。

『ああっ……くそっ』

 かすかに聞こえた声は、そんな風に聞こえた。
 薄暗くて表情がよく見えないが、彼はまだ、怒っているのかもしれない。

 それはそうだ。
 あんなことをしたのだから。
 だから、謝らなきゃ。

「枕をぶつけたことは謝るわ」
『…………別に。あんなの、痛くも痒くもなかった』

 ずいぶん間を置いてから、ぶっきらぼうな答えが返ってきたが、そこに刺々しさは感じられない。
 だから、思い切ってもう少し。

「あと、ばかって言ったことも」
『……んなこと、どうでもいい』

 ぼそりと低く呟く声。
 前髪を握って俯いたまま、こっちを見ようともしない。

 せっかく人が謝っているのに、この態度はなんだろう。

「でも、それ以外のことでは、謝らないわよ。あたしは何も悪くないもの」

 ふて腐れたような彼の様子に腹が立ち、下から顔を覗き込んで言い放つと、ようやく目が合った。
 彼は、今度はその視線を外さなかった。

『それは……分かってる』
「え?」

 反論されると思って身構えていたから、思いがけない言葉に拍子抜けした。

『分かってんだよ! あれは、ただの八つ当たりなんだ。クリスタが見つけた本を読めなかったことが、悔しかっただけなんだ。彼女が俺の知らないことを得意げに説明していたことに、むかついたんだ。だってそうだろ? この俺が、七年生に何かを教えてもらわなきゃならないなんて、あり得ない!』
「ユーリ……」

 ティルアは呆気にとられた。

 彼の弁明は、あまりにも正直で、あまりにも傲慢だった。

『でも……だからって、あんたに当たるのは間違ってた。ごめん。俺が悪かった』

 そこまで一気に言うと、彼は口を結んだ。

 悔しいのか恥ずかしいのか、奥歯をきつく噛み締めているらしく、ほっそりと整った顔の輪郭が歪んでいる。
 薄暗い中でもはっきりと分かる——彼の顔は真っ赤だ。

 あのプライドの高いユーリウス・オスヴァルトが、こんな風に謝るなんて……。

 不思議な感動を覚えて、彼の顔を見つめていると、彼はばつが悪そうに顔を背けた。

『なんでティルアが先に言うんだよ。俺が、謝ろうと思ってたのに』

 拗ねたような言葉に、ティルアはぷっと吹き出した。

 なんて、かわいい。

 きっと彼もティルアと同じように、謝罪の言葉を切り出すことができず、ひりひりとした焦りを胸に抱えて、ここまで歩いてきたのだろう。

「こんなことにまで、負けず嫌いなの?」
『……うるさい!』

 ちょっと意地悪を言ってみると、彼は払いのけるような言葉を吐いて、裏口の向こうにするりと消えた。
 彼を追って扉を開けて寮の中に入ると、廊下を足早に遠ざかっていく彼の姿が見えた。

「ふふ……。これ以上の意地悪はやめておこうかな」

 ティルアはあえてゆっくりと自室に向かった。
 ちょっと、スキップでもしてみたい気分だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

異世界転生ファミリー

くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?! 辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。 アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。 アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。 長男のナイトはクールで賢い美少年。 ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。 何の不思議もない家族と思われたが…… 彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

蓮華

釜瑪 秋摩
ファンタジー
小さな島国。 荒廃した大陸の四国はその豊かさを欲して幾度となく侵略を試みて来る。 国の平和を守るために戦う戦士たち、その一人は古より語られている伝承の血筋を受け継いだ一人だった。 守る思いの強さと迷い、悩み。揺れる感情の向かう先に待っていたのは――

迷い人と当たり人〜伝説の国の魔道具で気ままに快適冒険者ライフを目指します〜

青空ばらみ
ファンタジー
 一歳で両親を亡くし母方の伯父マークがいる辺境伯領に連れて来られたパール。 伯父と一緒に暮らすお許しを辺境伯様に乞うため訪れていた辺境伯邸で、たまたま出くわした侯爵令嬢の無知な善意により 六歳で見習い冒険者になることが決定してしまった! 運良く? 『前世の記憶』を思い出し『スマッホ』のチェリーちゃんにも協力してもらいながら 立派な冒険者になるために 前世使えなかった魔法も喜んで覚え、なんだか百年に一人現れるかどうかの伝説の国に迷いこんだ『迷い人』にもなってしまって、その恩恵を受けようとする『当たり人』と呼ばれる人たちに貢がれたり…… ぜんぜん理想の田舎でまったりスローライフは送れないけど、しょうがないから伝説の国の魔道具を駆使して 気ままに快適冒険者を目指しながら 周りのみんなを無自覚でハッピーライフに巻き込んで? 楽しく生きていこうかな! ゆる〜いスローペースのご都合ファンタジーです。 小説家になろう様でも投稿をしております。

召喚されたら無能力だと追放されたが、俺の力はヘルプ機能とチュートリアルモードだった。世界の全てを事前に予習してイージーモードで活躍します

あけちともあき
ファンタジー
異世界召喚されたコトマエ・マナビ。 異世界パルメディアは、大魔法文明時代。 だが、その時代は崩壊寸前だった。 なのに人類同志は争いをやめず、異世界召喚した特殊能力を持つ人間同士を戦わせて覇を競っている。 マナビは魔力も闘気もゼロということで無能と断じられ、彼を召喚したハーフエルフ巫女のルミイとともに追放される。 追放先は、魔法文明人の娯楽にして公開処刑装置、滅びの塔。 ここで命運尽きるかと思われたが、マナビの能力、ヘルプ機能とチュートリアルシステムが発動する。 世界のすべてを事前に調べ、起こる出来事を予習する。 無理ゲーだって軽々くぐり抜け、デスゲームもヌルゲーに変わる。 化け物だって天変地異だって、事前の予習でサクサククリア。 そして自分を舐めてきた相手を、さんざん煽り倒す。 当座の目的は、ハーフエルフ巫女のルミイを実家に帰すこと。 ディストピアから、ポストアポカリプスへと崩壊していくこの世界で、マナビとルミイのどこか呑気な旅が続く。

処理中です...