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黒馬の騎士の疑惑(2)
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まばらに生えた広葉樹の間をすり抜けるように、レナエルは駁毛を駆っていく。
背後から黒い馬が追ってくる気配は全く感じられない。
あの、むかつく怪しい男を、まんまと出し抜くことができて、気分は高揚していた。
「やったわ! ルカ、さすがね!」
自分と一体となって風を切る愛馬は、遊びだと思っているらしい。
いつもより速い速度と複雑な進路を命じる主に楽々と応じ、たてがみの三つ編みを跳ね上げながら、楽しげに土を蹴っている。
やがて、まばらだった木々が密度を増してきた。
レナエルは愛馬の速度を落とし、慎重に先に進む。
ひんやりとした空気を肌に感じる鬱蒼とした森をしばらく進むと、ぽっかりと円形に開けた草地に出た。
ここが目的地だと知っているルカは、自然と脚を止めた。
「ルカ、お疲れさま。よくやったわ。少し休憩していいよ」
レナエルは愛馬の首をねぎらうように叩くと、ひらりと草地に飛び降りた。
ルカがのんびりと草を食み始めるのを確認して、大木の木陰に腰を下ろした。
『ジジ、聞こえる?』
眼を閉じて、ジネットに声をかける。
昨晩も、今朝目覚めてからも、何度も姉に呼びかけたが、返事が返ってくることはなかった。
オーシェルを発ってから今までは、姉に呼びかける余裕がなかったから、前回呼びかけてから、かなり時間が経過している。
だから、今度こそはと祈るような思いでいた。
『ジジ、お願い。返事して!』
しかし、しんと静まり返った頭の中に、自分の声だけがむなしく反響するだけだった。
一言でも声が聞ければ、安心できるのに……。
ジネットの行方は依然として分からない。
生死すら不明だ。
怪しい騎士からの逃亡に成功し、高揚していた気持ちは、あっという間に冷え、暗い霧に包まれていく。
「ジジ……。お願い、無事でいて」
レナエルはきつく抱えた膝に顔を伏せた。
眼の奥が熱くなり、嗚咽がこみ上げてくるが、泣いたらジネットが戻ってこない気がして、きつく唇を噛んでこらえた。
草を踏む微かな足音が近づいてきた。
しかし、押しつぶされそうな不安と戦うレナエルには、それが聞こえなかった。
「決して俺から離れるなと、言ったはずだがな。その程度で、俺をまいたつもりか」
いきなり聞こえてきた低い声に、びくりと顔を上げた。
少し離れた正面に、腕を組んだジュールが見下すように立っていた。
レナエルは、跳ねるように立ち上がり、後ずさろうとしたが、大木の堅い幹に背中がぶつかった。
しまった!
逃げられない。
ジュールが片頬を上げて、にやりと笑った。
吊り気味の黒い瞳は、獲物を見つけた猛禽類のそれだ。
視線でがんじがらめになったレナエルに、ゆっくりと一歩一歩近づいてくる。
「ここまで近づいても、気づけないとはな。俺が敵なら、あんたはもう捕まっている」
小馬鹿にするような口調に、レナエルは奥歯をぎりりと噛んだ。
ここで捕まったら、ジジを助けに行けない。
負けられない!
その強い思いが、こわばった身体を動かした。
レナエルは覚悟を決めた強い眼で相手を見据えると、腰に差していた短剣を勢いよく引き抜いた。
柄を両手で握りしめ、刃先を真っすぐ正面に向ける。
「来ないで!」
大声で叫ぶと、彼はむっとしたように眉をひそめて立ち止まった。
「そんなものを向けられるような理由はないが」
「しらばっくれないでよ! あんただって、あたしを狙ってるんでしょ」
「どういう意味だ」
「だって、おかしいじゃないっ! どうしてあんな夜中に、セナンクール家の近くにいたのよ。あたしたちのことを、しつこく探ろうとした理由は何? 旦那様と奥様をまんまと丸め込んで、ほくそ笑んでたんでしょ? あたしをどこへ連れて行こうというの!」
一気にまくしたてるレナエルを前に、呆気にとられていた彼は、しばらくして余裕たっぷりに腕を組んだ。
「……なるほどな。そう考えたのか。確かにこの状況なら、あらゆるものを疑って慎重になるべきかもしれんな。あんたのその姿勢は正しい。褒めてやる。だが、この俺が疑われたことには腹が立つ」
そう言って、また一歩近づく。
「来ないでって、言ってるでしょ! この短剣が見えないの!」
「ふん。俺の腰にあるのは長剣だ。そんな逃げ場のない状態で、長剣の男に、短剣の小娘が敵うはずがない」
ジュールは左手で軽く、長剣の柄に触れてみせた。
右手は身体の横に下ろしたままで剣を抜く様子はないが、明らかに脅しだ。
背後から黒い馬が追ってくる気配は全く感じられない。
あの、むかつく怪しい男を、まんまと出し抜くことができて、気分は高揚していた。
「やったわ! ルカ、さすがね!」
自分と一体となって風を切る愛馬は、遊びだと思っているらしい。
いつもより速い速度と複雑な進路を命じる主に楽々と応じ、たてがみの三つ編みを跳ね上げながら、楽しげに土を蹴っている。
やがて、まばらだった木々が密度を増してきた。
レナエルは愛馬の速度を落とし、慎重に先に進む。
ひんやりとした空気を肌に感じる鬱蒼とした森をしばらく進むと、ぽっかりと円形に開けた草地に出た。
ここが目的地だと知っているルカは、自然と脚を止めた。
「ルカ、お疲れさま。よくやったわ。少し休憩していいよ」
レナエルは愛馬の首をねぎらうように叩くと、ひらりと草地に飛び降りた。
ルカがのんびりと草を食み始めるのを確認して、大木の木陰に腰を下ろした。
『ジジ、聞こえる?』
眼を閉じて、ジネットに声をかける。
昨晩も、今朝目覚めてからも、何度も姉に呼びかけたが、返事が返ってくることはなかった。
オーシェルを発ってから今までは、姉に呼びかける余裕がなかったから、前回呼びかけてから、かなり時間が経過している。
だから、今度こそはと祈るような思いでいた。
『ジジ、お願い。返事して!』
しかし、しんと静まり返った頭の中に、自分の声だけがむなしく反響するだけだった。
一言でも声が聞ければ、安心できるのに……。
ジネットの行方は依然として分からない。
生死すら不明だ。
怪しい騎士からの逃亡に成功し、高揚していた気持ちは、あっという間に冷え、暗い霧に包まれていく。
「ジジ……。お願い、無事でいて」
レナエルはきつく抱えた膝に顔を伏せた。
眼の奥が熱くなり、嗚咽がこみ上げてくるが、泣いたらジネットが戻ってこない気がして、きつく唇を噛んでこらえた。
草を踏む微かな足音が近づいてきた。
しかし、押しつぶされそうな不安と戦うレナエルには、それが聞こえなかった。
「決して俺から離れるなと、言ったはずだがな。その程度で、俺をまいたつもりか」
いきなり聞こえてきた低い声に、びくりと顔を上げた。
少し離れた正面に、腕を組んだジュールが見下すように立っていた。
レナエルは、跳ねるように立ち上がり、後ずさろうとしたが、大木の堅い幹に背中がぶつかった。
しまった!
逃げられない。
ジュールが片頬を上げて、にやりと笑った。
吊り気味の黒い瞳は、獲物を見つけた猛禽類のそれだ。
視線でがんじがらめになったレナエルに、ゆっくりと一歩一歩近づいてくる。
「ここまで近づいても、気づけないとはな。俺が敵なら、あんたはもう捕まっている」
小馬鹿にするような口調に、レナエルは奥歯をぎりりと噛んだ。
ここで捕まったら、ジジを助けに行けない。
負けられない!
その強い思いが、こわばった身体を動かした。
レナエルは覚悟を決めた強い眼で相手を見据えると、腰に差していた短剣を勢いよく引き抜いた。
柄を両手で握りしめ、刃先を真っすぐ正面に向ける。
「来ないで!」
大声で叫ぶと、彼はむっとしたように眉をひそめて立ち止まった。
「そんなものを向けられるような理由はないが」
「しらばっくれないでよ! あんただって、あたしを狙ってるんでしょ」
「どういう意味だ」
「だって、おかしいじゃないっ! どうしてあんな夜中に、セナンクール家の近くにいたのよ。あたしたちのことを、しつこく探ろうとした理由は何? 旦那様と奥様をまんまと丸め込んで、ほくそ笑んでたんでしょ? あたしをどこへ連れて行こうというの!」
一気にまくしたてるレナエルを前に、呆気にとられていた彼は、しばらくして余裕たっぷりに腕を組んだ。
「……なるほどな。そう考えたのか。確かにこの状況なら、あらゆるものを疑って慎重になるべきかもしれんな。あんたのその姿勢は正しい。褒めてやる。だが、この俺が疑われたことには腹が立つ」
そう言って、また一歩近づく。
「来ないでって、言ってるでしょ! この短剣が見えないの!」
「ふん。俺の腰にあるのは長剣だ。そんな逃げ場のない状態で、長剣の男に、短剣の小娘が敵うはずがない」
ジュールは左手で軽く、長剣の柄に触れてみせた。
右手は身体の横に下ろしたままで剣を抜く様子はないが、明らかに脅しだ。
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