推定聖女は、恋をしない。

緋田鞠

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 普通の落ち人の振りをする上で最大の難関が、ニーナの翻訳能力だった。
 意識せずに、こちらの言葉を話してしまうニーナだ。
 言葉の練習中と見せ掛ける為には、相手の声掛けに対して、ガルダ語で答えてはいけない。
 更に、相手の使うガルダ語を真似て発音する必要もある。
 だが、これがなかなかに難しい。
 ニーナの耳にはガルダ語は日本語に聞こえているし、日本語を話しているつもりでガルダ語を話しているのだから。
 しかし、聖女でござい、と出て行く事ができないのも、重々判っている。
 ディーンが何と慰めてくれようと、どう考えても、『魅了』なんて特殊能力が備わっているわけがない。もし、仮にそれっぽい能力があったとしても、戦意高揚の為に使われるなんてまっぴらごめんだ。
 平時ならともかく、今は隣国との関係にきな臭いものがあると言うのだから。
 それに、他の『異能』とやらも、さっぱり持ち合わせている気がしない。下手に期待されないように、そして、戦争の旗印にされないように、聖女である可能性は徹底的に秘すべきだ。
 結局、あれこれ試行錯誤した上で、『日本語ではない言語』で話すと自動翻訳されない事が判明した。
 中高大と十年間勉強してきたけれど片言しか話せない英語で話すと、どうやら、ディーンには全く理解できないらしい。
 恐らく、ニーナ自身の言葉ではなく、頭の中で組み立ててから話さないといけないからだろう。
 英語を話す事に集中すると、ディーンの言葉も日本語ではない言語…ガルダ語として聞き取れるようになってきた。
 幸いにもガルダ語の文法は日本語に極めて近い為、単語を覚えれば何とかなる…ような気がする。
 聞き取りが難しい時には、日本語で考えるようにすれば自動翻訳される。
 この方法を見つけ出してから、ニーナはディーン相手に熱心に言葉の勉強をしていた。
 何しろ、ニーナは推定聖女。
 いつ、翻訳能力の恩恵が消えてしまうか判らない。
 元の世界に帰れない以上、この世界で生きていく為にはまず、言葉を覚えなければ。

 ヒースが再び訪れたのは、訪問から一週間後の事。
 ハッとした顔で、荷物をまとめていたディーンが、顔を上げる。
「…結界が解かれた…」
 ニーナも、変化を肌で感じた。
 植物の青臭い匂い、じっとりとした湿気、そんなものが、一気に窓から流れ込んで来る。
「ディーン、ニーナ」
 ヒースは、鈴の音などの前触れなく、部屋の隅に現れた。
 結界が解かれた事で、転移魔法を自在に使えるようになったのだ、と、ディーンがニーナに説明してくれる。
「ニーナが、ディーンの塔に現れたと言う事実は伏せておいた方がいい。まずは、ディーンだけを王宮に呼び戻す」
「…王宮に、呼び戻す?」
 不穏な言葉を聞き咎めて思わず問い返すと、ヒースがディーンの顔を見た。
「…説明していないのか?」
「…申し訳ありません…どう言えばいいのか、判らなくて」
 ヒースは溜息を一つ吐くと、ニーナに、椅子に掛けるよう勧める。
「私達の事情に巻き込んだのだ。話しておくべきだろう」
 重々しく切り出したヒースの顔を、ニーナは緊張と共に見つめ返した。
「私の名は、ヒースクリフ・ディ・オ・ラ・ガルダ。ガルダ王国の国王を務めている」
「…へ?」
 何か偉そうな人だな、とは思っていたけれど、まさか、一般庶民が国王だなんて人種と間近に接する事があると思った事がなかったニーナは、ぴきり、と固まった。
「そして、ディーンは、ジェラルディン・ドゥ・オ・ラ・ガルダ。母親違いの弟だ」
 
 ヒースの話は、こうだった。
 ヒースは、先代国王とガルダ王国公爵家出身の正妃の間に生まれた第一子。
 現在、二十五歳。
 ディーンは、先代国王と側妃となったアイル王国第五王女の間に生まれた第二子。
 現在、二十三歳。
 母親が違う二人だが、兄弟仲は良好。
 但し、周囲の大人には、様々な思惑がある。
 そもそも、和平の為に嫁いだ自国の王女が正妃ではなく側妃になった時点で、アイル王国側からすれば面白い話ではない。
 だが、先に婚姻していたのは正妃である公爵令嬢であり、アイル王国王女は両国の友好の証として一方的に送り込まれた政略結婚だった為、このような形になったのだそうだ。
 ディーンの母は虚弱で、ディーン出産後、間を置かずに亡くなっている。
 その為、ディーンはヒースと共に、正妃の手で育てられた。
 正妃は公正な人で、父親である先王も二人を平等に扱った。
 それもあって兄弟仲がいいのだが、二人の関係性を穿って見る者は少なくない。
 ヒースは幼少期より頭角を現しており、年齢的にも正妃の実子である点からも、王太子となる事が決定していた。
 ヒースもディーンもそのつもりで、それぞれ、邁進していたのだが、国の意見が二分する事態が起きる。
 それは、ディーンが十二歳となり、魔力の全国民検査を受けた時の事。
 王族なのだから、魔力量が他の貴族より多いのは特筆すべき点ではない。
 ヒースの魔力量も、歴代の王族の中ではかなり多い。
 扱いの難しい転移魔法を容易に操れるのは、生来の魔力量の多さと魔法を扱うセンスによるものだ。
 けれど、ディーンの魔力量は異常と言える位に多く、歴代の王族の中で頭一つ飛びぬけていたのだ。
 結果、正妃の子であり、王としての素質を示しているヒースを次代の王として推す一派と、両親共に王族であり、魔力量が類を見ないディーンを次代の王として推す一派が、本人達の意思と関係なく争うようになる。
 この争いに分け入ろうとしたのがアイル王国で、アイル王族の血を引くディーンを王位に就ける事で、ガルダ王国の覇権を掌握しようとしているのだと言う。
 事態を更にややこしくしているのが、政を司る貴族達が、「アイル王国に内政干渉される前に攻め入り、併合すべきだ」と考える強硬派と、「アイル王国との和平を推進し、ガルダの発展のみを考えるべきだ」と考える穏健派に二分してしまった事だ。
 強硬派にも穏健派にもヒース派とディーン派がそれぞれ存在している事が、問題を一層複雑にしている。
 事態を憂えた王族は、ディーン自身の申し出もあり、彼を誰の手も届かない塔へと匿う事となった。
 当時、ディーン十三歳。
 善意を装った悪質な偏向教育がなされる事を恐れた結果、「引き篭もり」となった。
 塔から出られないのは、例え魔力に恵まれていようと未成熟なディーンの身を守る為。
 膨大な魔力は諸刃の剣だ。
 使いこなす事ができればこれ以上ない武器にも防具にもなるが、魔力暴走する子供が後を絶たないように、己の身を内側から焼き尽くす危険性も高い。
 魔法石に登録されている人間以外、塔に入れないよう結界を張ったのもまた、ディーンを守る為。
 暗殺や拉致と言った身体的な危険だけではなく、真実ではない妄言を吹き込んで、ディーンの心を乱す輩の侵入を警戒しての事だ。
 世間には、
「膨大な魔力を自身で制御できるようになるまで、人前には姿を見せない」
として来た。
 
「ところが、一年前に状況が変わった。父…先王が亡くなったんだ」
「それは…お悔やみを申し上げます」
 ヒースの言葉を聞いて、ニーナが反射的に、日本人らしくお悔やみの言葉を口にすると、二人は不思議そうに首を傾げた。
「ニーナは、父に会った事があるのか?」
「いえ、ないですけど。でも、お二人のお父様でしょう?」
「あぁ…私達の父と言う事で、悼んでくれるのか」
 本当に心の底から悼ましいと思っているのか、と問われると答えられないだけに、何だか感じ入ってくれている事が、居心地悪い。
 こう言う一言は、あくまで潤滑油的な言葉なのでは。
 これもまた、文化間の相違と言うものか。
「ともあれ…家族で話し合っていた通り、私が王位を継ぐ事になったのだがな。先程、国王と自己紹介したが、実際の所は喪明けする来月までは、国王代理に過ぎない。天月節の時期と重なった事も、影響したのだろうな。加熱する強硬派と穏健派、そして私を支持する者とディーンを支持する者の争いに終止符を打つ為に、世論の均衡を崩そうと聖女召喚を目論んだ者がいるのだろう」
 ディーンの力を悪用されないよう、人前に姿を見せなかった結果、実際の能力以上に誇張している者もいれば、矮小化する者もいて、王宮はそれぞれの派閥が覇権を争う場になってしまっている。
 正式な戴冠前にディーンが姿を見せるべきなのか、それとも、ヒースの地位が確固たるものとなってからの方がいいのか。
 この一年は、月に一度の短い面会の中で、繰り返し、その話題を掘り下げていたのだ。
 ニーナからすれば、登録者しか転移できないなら、もっと頻度なり時間なりを増やすべきではないのか、と思うのだけれど、頻度や時間を制限する事で、王位継承者が二人揃っている場を襲撃される可能性を下げているのだとか。
 確かに、王宮内なら護衛もいるけれど、ここにはいない。
 結界は可能な限り、強固に作ってあるとは言え、完璧なものなど存在しないのだから。
「ニーナが聖女として召喚された以上、悩む余地はもうない。ディーンは王弟として王宮に戻り、私の補佐をするのだと内外に見せるべきだろう。勿論、アイルへの侵攻などありえん。五百年前の聖女のように、ニーナを戦争の旗印にする事など、絶対にあってはならん事だ。私はガルダの一層の発展こそ願っているが、そこに破壊は不要なのだから」
 ヒースの強い語調に、ディーンも頷く。
「なるほど…背景は理解しました。だからこそ、私は、推定でも似非でも何でも、『聖女』と言う名称をつけられてはまずいわけですね?」
「理解が早くて助かる。ニーナは賢いのだな」
 そりゃ、社会人も長いですしね。
 年齢を言うと落ち人としての知識を求められるかもしれないから、それはもう少しこの国の文化水準を知ってからでないと、困る。
 だからと言って、自分が望む以上に若く、いや、幼く認識されるのは、尻の据わりが悪い。
 自分への言い訳として、尋ねられないから答えていないのだ、としているけれど、やはり、欺瞞だろう。
 ニーナは、必殺「日本人の曖昧な笑み」を浮かべた。
 外国では、日本人が事を荒立てない為に浮かべる曖昧な微笑みが、一層の問題を引き起こす事も少なくないと聞くけれど、これ以外にどう言った方法があるのかが、判らない。
「そう言う事だから、ディーンは一足早く、王宮に戻す。ニーナは暫く、ここで一人暮らしできるか?これまで通り、食事や洗濯は魔法石で転移するし、結界も張り直すから、身の安全は保障する」
 きょとん、と、ニーナは目を丸くした。
 だが、確かにディーンとニーナが二人同時に現れれば、幾ら関係ない振りをしても、何らかの憶測を呼ぶかもしれない。
「ディーンは塔を出るのに、食事や洗濯を用意して貰って大丈夫なんですか?」
「問題ない。ディーンの存在が目立たぬように、王宮に勤める独身官吏に同様の制度を利用させているのだ。用意している者達は、どれが誰の部屋に転移するかなんて、興味もないし、調べようもない」
「でしたら、是非。使い方は、大分覚えたと思いますし」
 何しろ、一人暮らし歴は十年を越える。
 洗濯も炊事もしなくていい一人暮らし、その上、会社に行かなくてもいいなんて、やっぱり、天国じゃないだろうか。
「ニーナ…大丈夫?」
 黙ってヒースの話を聞いていたディーンが、心配そうにニーナに声を掛ける。
「え、大丈夫だよ。もう、水道の使い方もコンロの使い方も覚えたし」
「そうじゃなくて…寂しくない?突然、元の世界から引き離されて……家族にも、会えなくなっちゃって」
 初めて、ディーンが家族について触れた。
 恐らくは、ディーンとヒースの複雑な家庭環境についての説明ができたからだろう。
 気遣うようなディーンの視線、そして、恐らく召喚の実行者達の事を考えたのだろう、険しい顔つきのヒースの顔を見て、ニーナはまたしても、曖昧な笑みを浮かべた。
「大丈夫。私、家族がいないから」
「え」
「十年前に、おばあちゃんが亡くなってからは一人なの。だから、一人暮らしにも慣れてるし。あっちの世界に心残りもない。勿論、私の意思に関係なく拉致された、って言う怒りはあるよ?半端な召喚をした人間に会ったら、『ふざけるな!』って頭の一つでも叩いてやりたい、って思うけど、それ位。寧ろ、何もしてないのに衣食住の保障をして貰って有難う」
「ニーナ…」
 ニーナは、気が付いていない。
 この国では二度目の成人もまだの少女に見える彼女の「一人暮らし歴十年」と言う言葉が、ヒースとディーンに大きな衝撃を与えた事を。
 日本人らしい曖昧な微笑みが、悲しみや寂しさを必死に押し殺した顔に見えた事を。
 同時に彼等が、国の上に立つ者として、ニーナを絶対に守らねば、と、決意を新たにした事を。
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