女神様の悪戯で、婚約者と中身が入れ替わっています。

緋田鞠

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<11/グロリアーナ>

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 木の曜日。
 マクシミリアンのベッドで目覚めたグロリアーナは、自分が想像していたよりもずっと大きな衝撃を受けていた。
 過去の女神の悪戯は三日から一ヶ月と聞いていた為に、根拠もなく、入れ替わりから三日経てば、元の体に戻れるように思っていたからだ。
(…本当に、これは女神の悪戯なの…?私は、自分の体に戻れる?まさか…ずっと、このまま、なんて事は…)
 ゾッと背筋が凍って、グロリアーナは小さく息を飲んだ。
 そう遠くない未来に、自分の体に戻れると信じていたから、『マクシミリアン』を演じられているのだ。
 ケビンにすら疑われないように振る舞えていると言う事は、彼はグロリアーナの前だけではなく、使用人の前でも品行方正で完璧な王子だと言う事。
 一瞬たりとも気を抜かず、学園生活を送ると同時に王子としての執務を担うのは、並大抵の能力ではできない。
 期間限定だと信じているからこそ、グロリアーナは全力でもって臨んでいるのだ。
 未来永劫、周囲の目を欺きながら、彼の肩に乗っている責任を負えるとは思えない。
 グロリアーナは、あくまで貴族令嬢。
 王子妃としての教育は受けていても、王子の、国王の責任を負うだけの知識も決意もない。
(…こわい…)
 マクシミリアンと心が入れ替わって、訳も判らず混乱の中で過ごした三日。
 どうにかやり過ごさねば、と気を張って来たが、四日目になって、少し、冷静になってしまったのかもしれない。
 ガクガクと自然に震え出す肩を、必死に抑え込む。
(…大丈夫、大丈夫よ。女神の悪戯は気まぐれによって起きると言うけれど、フロリーナ様には、きっと何か私の考えの及ばない思惑がおありなのよ…ならば、この入れ替わりにも、期間にも、意味がある。大丈夫、ちゃんと戻れるわ…)
「おはようございます、殿下」
 ノックの後、ケビンに声を掛けられて、ハッとグロリアーナは顔を上げた。
「あ、あぁ、おはよう」
「おや、今日はまだベッドの中ですか。ここ数日、早起きされていましたが、三日坊主って所ですかね」
「…たまたまだ」
 余程、長い間、考え込んでしまっていたらしい。
 マクシミリアンの姿とは言え、夜着姿をケビンの目に晒すのが恥ずかしく、さり気なく上掛けを引き寄せる。
「チェスター大神官様より、書簡をお預かりしております」
「そうか、判った」
 チェスターからの書簡は、随分と分厚かった。
 アシュリーの聞き取りに関する報告書が入っているのだろう。
(…これで、ハミルトン男爵令嬢の行動の理由が、判るといいのだけれど…)



「おはよう、『グロリアーナ嬢』」
「ご機嫌よう、『殿下』」
 毎朝恒例の出迎えに来たマクシミリアンの姿を見て、グロリアーナは少し首を傾げた。
 違う。
 決定的に、何かが違う。
(…あ)
 いつものグロリアーナとは、化粧も、髪型も違う。
 会話する為に肘を差し出すと、マクシミリアンはグロリアーナの意図を悟って、そっと腕を絡めてくる。
「髪を…巻くのを止めたのですね」
「たまには、気分転換しようかと思いまして…似合いません、でしょうか?」
「いえ、そんな事は。…お似合いだと思います」
(髪型を変えるなんて、考えた事もなかったわ…)
 貴族令嬢は、髪を伸ばすのが一種のステータスだ。
 長い髪は手入れが必要である為、それができる余裕がある、と示す意味があるからだ。
 グロリアーナのふわふわの癖毛は、きっちりと巻かねば奔放に跳ねてしまうから、このように大人しく背に収まっているのが不思議で仕方ない。
「香油をしっかりと馴染ませました」
 グロリアーナの疑問に気づいたのか、マクシミリアンが小さく笑う。
 髪を巻く時にも香油をたっぷりと使うから、グロリアーナは香りが控えめでサラサラとしたものを好んでいた。
 余りにも量が多いと、いい香りであっても却って不快に感じるし、べたつくのも嫌だからだ。
「なるほど…」
 髪型が違うだけで、見慣れた筈の『自分の』顔が、違って見える。
「お化粧も、変えられたのですか」
「はい。は、気に入っているのですが…『殿下』はいかがですか?」
 目尻の上がった猫のような目。
 目力がある、と会う人々皆に言われて、それが特徴なのだろう、と大きな目を強調するような化粧をして来た。
 その結果、きつい性格に見える顔になっていたのは、事実だ。
 生まれ持った顔なのだから…と諦め半分に受け入れていたけれど、もしかしたら、違うのかもしれない。
 グロリアーナはずっと、威儀のある王族になる事が大切だと思っていたし、それも一つの正解の筈だ。
 けれど、誰にでも親しみを持たれるアシュリーを王子妃に望む人々がいる事もまた、事実。
 そして、マクシミリアンがこのような挑戦をしたと言う事は、彼はグロリアーナの持つイメージを変えようとしているのだろう。
「…素敵だと、思います」
(…変われる、だろうか)
 いや、違う。
 変わるのだ。
 マクシミリアンの肩に乗る責任を正しく理解した今、グロリアーナにはやるべき事がはっきりと見えた気がする。
 これまでは、与えられた責任と期待に応える為に努力してきた。
 努力はして来たけれど、それが受動的なものであった事は否めない。
 これからは。
 きちんと、自らの意思でマクシミリアンの隣に立とう。
 その為にできる努力は、きっともっと、たくさんある筈だ。

 チェスターからの報告書をマクシミリアンに渡せたのは、昼休みになってからだった。
 執務に関する書類は、マクシミリアンの許可を得てグロリアーナが先に読んでいるけれど、アシュリーに関する事は、グロリアーナの独断で判断できない。
 きっとマクシミリアンは、先にグロリアーナが目を通しても良いと言うだろうけれど、グロリアーナ自身がそれを許せない。
 その為、報告書に何が記載されているのか、グロリアーナもまだ知らなかった。
 報告書を手に、連れ立って東屋へと向かう。
 学園の中庭に設置された東屋は、在校生の中で最も身分の高い者専用との暗黙の了解がある。
 大事な用件だから、王家が使用している小部屋を使う事も考えたものの、二人の関係がギクシャクしていると言われている今、敢えて、全校生徒の前に二人が共に過ごしている姿をさらすべきだ、と判断した。
 明日は、春花祭。
 久し振りに、公の場でパートナーとしての姿を見せる事になる。
 人々の穿った目で見られる前に、少しでも印象を変えておきたい。
「チェスター大神官様からの報告です。貴方にも、関係のある話ですので」
 王家の護衛が会話をいる可能性を考慮して、言葉を選ぶ。
「拝見します」
 分厚い報告書に目を通し始めたマクシミリアンは、安心したように溜息を吐いた。
「…考え過ぎだったようです」
 渡された報告書に、グロリアーナも目を通す。
「…これは…」

『アシュリー・ハミルトン男爵令嬢の主張は、以下の通りです。

 この世界は、神々の力によって創造され、神々の力によって平穏を保たれている。
 神々は時に人と交わり、その血を引くヒトが大きな力を得て、国を興して来た。
 フローニカ王家もまた、母なる女神フロリーナによって守られているが、長い年月を経て、王族の血筋に掛けられた加護に綻びが生まれている。
 その結果、フローニカ王国は、未曽有の大災害に遭い、人々は苦難の時代を迎えるだろう。
 それらの危機を回避するには、女神フロリーナに愛されし愛し子アシュリー・ハミルトン男爵令嬢を王家に迎え入れるしかない。
 愛し子が王族と真実の愛によって結ばれ、フローニカ王家の血に連なる時、女神フロリーナの加護が蘇り、フローニカに平穏が訪れる。
 フローニカの国と民を守る為に、アシュリー・ハミルトン男爵令嬢の存在が必須である』

 建国神話にも、王族は女神フロリーナの血筋に連なる、とは書かれていない。
 アシュリーはエアリンド人であり、フローニカの建国神話に詳しいとは考えにくい。
(フローニカの民には想像もつかない、随分と大胆な妄想ね…)
 グロリアーナは、呆れる前に感心した。
 しかし、マクシミリアンはその箇所を指して、
「…ここは、事実です」
と短く述べた。
「……え?」
(事実?事実って、何が…え、本当に、王族の皆様にはフロリーナ様の血が受け継がれているの?!)
「詳しくは、後日」
「はい…」
 どう言う事なのか気になるけれど、後日、と言われたからには、マクシミリアンは今、話すつもりはないのだ。
 チェスターの報告書には、続きがあった。

『まず、女神フロリーナ様の加護に綻びはありません。
 今後、少なくとも百年は強固な守りが続くでしょう。この一点に置いても、ハミルトン男爵令嬢の主張を認める事はできません』
『愛し子の定義について尋ねてみましたが、【愛し子】と言う言葉のみを重視しているようで、それ以上の詳細は引き出せませんでした。そもそも、愛し子とは何か、と考えた事もないようです』
『また、何故、ハミルトン男爵令嬢がご自身を愛し子と思っておられるのか、と言う点についても、納得のいく説明はございませんでした』
『結論を申し上げれば、ハミルトン男爵令嬢の主張は、根拠のない荒唐無稽な夢物語、妄想と断定致します。
 ただし、ハミルトン男爵令嬢の中では、真実です』

「妄想、ですか…」
「人は誰しも、『自分は選ばれた特別な存在』と思いたいのかもしれません。何か確たる根拠があるわけではなく、『もしも、自分が選ばれた存在ならば』との妄想を、次第に事実だと思い込むようになった者の話を、聞いた事があります。私の元にも、伝説の賢者の生まれ変わりや、亡国の姫を名乗る者が幾度か訪れました」
 淡々と語るマクシミリアン。
「何がきっかけになったのかは判りませんが、彼女の生まれを聞く限り、『もしも、神に選ばれし特別な娘だったならば』と妄想するのは、不思議な事ではないように思います」
 グロリアーナは、頷いた。
 アシュリーが、エアリンド貴族の養女であり、生みの両親を知らない事は、本人が隠す事なく話しているので、グロリアーナも知っている。
 だから、アシュリーにとって、両親と血が繋がっていない事実は然程重要な問題ではないのだと思っていた。
 グロリアーナは、父譲りの顔立ちと、母譲りの髪と瞳の色をしている。
 誰が見ても、ラウリントン公爵夫妻の娘であると判るだろう。
 けれど、アシュリーは。
 他国の貴族である為、グロリアーナとハミルトン男爵夫妻の面識はない。
 しかし、養親である以上、アシュリーと顔立ちは似ていないのだろう。
 家族とは、血の繋がりよりも、いかに互いを思い合っているかが重要なのだと思っていたけれど、どれだけ愛され、大切にされていたとしても、自分の素性が不明である、と言うのは不安を与えるのかもしれない。
 ラウリントン公爵家に生まれ、ラウリントンの血に連なる者として育ったグロリアーナには、想像しかできないけれど。
 アシュリーが己の素性に悩み、その結果として、『神に選ばれし特別な娘』の妄想をするようになったのならば。
「大神官様が、彼女がフロリーナ様と無関係と断定してくださった事は大きな収穫です。これからは、はっきりと拒めると言う事ですから」
「これまでは…」
「えぇ、この点が」
 マクシミリアンは、報告書の『フローニカ王家もまた、母なる女神フロリーナによって守られている』との記載をトントン、と指した。
「以前、私は彼女がこの話をするのを聞いた事があります。何故、外部に知る者のない筈の情報を、エアリンドの民である彼女が口にしたのかが気になって、裏を探っていたのですが…全てが妄想の産物だったとするならば、」
 考えるように手を顎に当てると、重い溜息を吐く。
「策を弄するのではなく、直接、本人に問い質す方が良かったのかもしれません。もしかすると、私が捉えている程、深い意味合いで口にしたのではない可能性がありますから」
 グロリアーナにも、マクシミリアンが慎重であった理由は理解できた。
 建国時からの臣であるラウリントン家の娘グロリアーナですら耳にした事もない話を、他国の男爵令嬢が口にしたのだから、何か裏があるのではないか、もしや、何処かの高位貴族や王族と繋がっているのではないか、と疑うのは当然だ。
 例え、現在、良好な関係を築いている国が相手だとしても、高位貴族や王族の息の掛かった人物の接触は、好ましいものとは考えがたい。
 探りを入れた所で、正面切って問い質せば、尻尾を掴ませない可能性が高いだろう。
 徐々に懐柔する一方で、調査の為の時間稼ぎをしていたと考えれば。
 入れ替わった当初、ケビンが『調査の為にエアリンド帝国に送った第三陣は、近日帰還予定との連絡が入っております』と口にしていた事を思い出す。
 エアリンドの中でも、フローニカから遠いハミルトン男爵領に調査に赴いているのであれば、時間が掛かる筈だ。
「…今後は、私にもお手伝いさせて頂けますか」
「当然です。寧ろ…ご協力ください」
「はい」
 マクシミリアンは、一瞬、俯いた後、席を立った。
 一人分の座席を空けて対面に座っていたのを、一つずれて、グロリアーナの隣に腰を下ろす。
「どう、なさいましたか」
「私達は、」
 マクシミリアンは躊躇するように言葉を切ると、落とした視線を、真っ直ぐにグロリアーナへと向ける。
「家の定めた婚約者です」
 判り切っている言葉に、それでも、ズキ、とグロリアーナの胸が痛んだ。
「……はい」
「ですが、私は…それ以上の関係になりたいと、思っています」
 口調だけは淡々と、けれど、確かな熱量のある言葉に、グロリアーナは顔を上げる。
「それは…どう言う…」
「私は、貴方の事を『知っている』と思っていました。けれど、この数日で、それが大いなる勘違いであったと理解しました。そして…貴方の事を、『もっと知りたい』と思っています」
 それは、グロリアーナも同じ。
 もっと、マクシミリアンの事を知りたい。
「可能ならば…誰よりも近くで、貴方の事を知りたいのです。国の政策に関してだけではなく、互いの考えを、ほんの些細な事であっても、親しく言葉を交わしたい。心の壁を取り払い、貴方を名で呼ぶ許しが欲しいのです。そして、貴方にも、名で呼んで頂きたいと思っています」
 グロリアーナの頬が、赤く染まる。
(名で呼び合う許しが欲しい、とは、つまり…)
「よろしいの、ですか…?」
 婚約者以上の関係に…心を通じ合わせた恋人に、なって欲しいと言う事。
 マクシミリアンは、大きく息を吸い込むと深く頷いて、緊張した顔に微笑みを浮かべた。
「私の、心からの願いです」
「有難う、ございます…嬉しいです」
 グロリアーナの顔が、恥ずかしそうに、それでいて、抑えきれない喜びを得たように綻ぶ。
 マクシミリアンは、思わず、その顔に見惚れた。
 鏡の中で見慣れた己の顔の筈が、二重写しのようにグロリアーナの顔が透けて見えたからだ。
「本当に、嬉しい…」
 じわり、とグロリアーナの目が潤む。
 マクシミリアンの婚約者になってから、ずっと気を張っていた。
 条件で選ばれた婚約者なのだから、求められている条件を十分に満たさなくては。
 誰もが認める能力を示さなくては。
 ――マクシミリアンが、この婚約を後悔しないようにしなくては。
 この三日間で、グロリアーナもこれまでに知らなかったマクシミリアンの姿を知った。
 もっと知りたいし、側にいたい。
 彼を支えたいし、彼に信頼されたいし、彼を癒したい。
 王子妃となる為の決意が、マクシミリアンと言う一人の男性を幸せにしたいとの決意に変わるとは、自分でも思っていなかった。
 彼を幸せにするのは、他の誰でもなく、自分でありたい。
 ――…これはきっと、恋なのだろう。
 愛読していた小説の主人公達のように、マクシミリアンの事を思うと、胸がホッと温かくなり、ドキドキと鼓動が高鳴る。
 すっと、マクシミリアンの手がグロリアーナの頬に伸びた。
 親指で優しく目元を拭われて、涙が零れ落ちそうになっていた事に気付く。
 恥ずかしそうに俯いて、濡れた目元を隠そうとするグロリアーナを、マクシミリアンが優しく抱擁した。
 生まれた時から常に周囲の目を意識している二人が、初めて、彼等の目を忘れた。
 目に映るのは、互いのみ。
 だから、気づかなかった。
 驚きと同時に将来の王太子夫妻を温かく見守る生徒達の中に、唯一人、ぎりぎりと拳を握り締める令嬢がいた事に。
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