女神様の悪戯で、婚約者と中身が入れ替わっています。

緋田鞠

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<6/マクシミリアン>

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 予想通り、グロリアーナが話していた「付き合って欲しい所」とは、大神殿だった。
 ラウリントン家の馬車を返し、マクシミリアンは、グロリアーナと二人、王家の馬車に乗る。
 自然と、いつもの定位置――進行方向を向いてグロリアーナ、向かい側にマクシミリアン――に腰を下ろした事に気がついた。
 身分から考えれば、マクシミリアンが進行方向に向かって座るべきなのだが、王家では常にエスコートする女性を優先するよう指導されている。
「反対、の方がよろしいでしょうか」
 中身がグロリアーナだからなのか、その動作も発言もゆったりと優雅だ。
 鏡でいつも見ていた顔と同じなのに、別人なのだと言う事がよく判る。
「いっその事、並んで座ってみてはどうでしょう」
 そうすれば、ついうっかり、いつもと異なる行動を取っても誤魔化せるのでは。
 そう付け加えると、グロリアーナは戸惑うような顔をした後、小さくこくりと頷いた。
 揺れる車内を気にせず立ち上がったマクシミリアンは、体がいつもよりもふらつく事に気が付いた。
 グロリアーナの体では、走行中の車内の移動はなかなかに厳しいようだ。
 ふらついたマクシミリアンを心配して、咄嗟に差し出されたグロリアーナの手に手を重ねる事で、二人の手の大きさの違いが如実になる。
 幼い頃は、さして体格差もなかったけれど、互いに十八にもなれば、体格差も体重差も想像していたよりもついていた。
「…漸く、話ができますね」
「えぇ…」
 学園にいる間、ずっと気の抜ける事はなかった。
 教室の座席は、大体定位置があるとは言え、固定ではないから誤魔化しが効くけれど、トイレはうっかり間違えるわけにはいかない。
 昼食も、時には友人を交えて食堂で取る事もあるものの、今日ばかりは中庭の東屋に避難した。
 話し声が聞こえない程度に離れているが、唇の動きで会話が読める王家の護衛が何処からか見ている事を思うと、迂闊な話も出来なかった。
「…チェスター大神官様…大叔父上には、ご相談する必要があるでしょうね…」
 漸く、周囲を気にせず会話できるようになったが、自分の口から出て来るのがグロリアーナの澄んだ声と言うのは、違和感しかない。
 同時に、グロリアーナの口調で話す自分の顔を見るのも、落ち着かない。
 自分の顔など、鏡を覗いた時しか見る機会もないけれど、それでも『自分の顔』と認識はしているのだから。
「やはり、そうなりますでしょうか…」
 問題は、こんな荒唐無稽な話を信じて貰えるか、と言う事だ。
「女神の悪戯は、過去の記録によれば、短くて三日、長くて一ヶ月程続いたようです」
「できる限り、短いお遊びに留めて頂きたいですけれど…一ヶ月と言う前例があるのですね」
「一ヶ月の間、王都に虹の橋が架かっていたそうです」
「それは、美しい光景でしたでしょうね」
「どうでしょう。虹と言うのは偶然出会えるからこそ、嬉しいものかもしれません。一ヶ月が過ぎる頃には、誰も見向きもしなかったそうですから」
「…まぁ、贅沢なお話ですわね」
 グロリアーナの顔が漸く綻んで、ホッとする。
 彼女は朝からずっと、張りつめた空気でいたから。
 それはそうだろう。
 彼女は、誰が見ても完璧な淑女。
 男性らしく、それも王子らしく振る舞え、と言われても、戸惑う事ばかりの筈だ。
 勿論、それはマクシミリアンとて同じ事。
 気を抜くと雄々しく歩いてしまいそうで、意識して歩幅を小さくし、肩の力を抜いている。
 ヒールのあるブーツは、力の入れ具合が難しい。
 妙に足が痛むのは、不自然に力が入ってしまった所があるからだろうか。
 苦労した事で、グロリアーナは常に背筋を伸ばし凛と前を見て、堂々と、それでいながら不遜ではない絶妙なバランスで歩いていたのだ、と気が付いた。
 歩き方一つとっても、王子妃教育の賜物なのだ。
「大神殿までは少しありますから、今のうちに情報を擦り合わせておきましょう」
「はい」
「私は今朝、エイミーに三十分寝坊したと六時に起こされました。貴方は、普段の起床時刻が五時半なのですね?」
「えぇ。起床しましたら、二十分のストレッチと筋力トレーニングを行います。身支度を整えてから朝食、食後は七時四十五分の出発まで自由時間です。新聞を読んだり、その日の授業で当てられる事が判っていれば予習をしたり…」
 夜更かしは美容の敵なので、エイミーに厳しく指導されるのですよ、と付け加えると、マクシミリアンは、フフッと声を上げて笑った。
「お粥を一口三十回咀嚼するのは、なかなかに難しかったです」
「殿下は、執務の傍ら、詰め込むように朝食を召し上がっているのですね。それだけ、お忙しいと言う事でしょうか」
「昨夜、ベッドに入ったのは深夜の二時過ぎでした。それでも、仕事が終わりません」
 溜息を吐いた後、一転して真剣な顔を向ける。
「今朝も仕事が残っていたでしょう?どうでしたか?」
「はい、私がこれまでの王子妃教育で学んで来た内容で対応できるものでしたので…」
 差し戻したものと、そのまま進めるよう指示したものの詳細に伝えると、マクシミリアンはホッとしたように頷いた。
「私も同じ判断を下したと思います」
「ですが、筆跡ばかりはどうにもできそうにありません。署名を求められる文書はございますか?」
「署名の必要なものは、父上か母上に回るから大丈夫です。が…」
「?」
「三日でもどうかと思うのに、一ヶ月もあの量の仕事を任せるわけにはいきません」
 ただでさえ、本来はグロリアーナの目に入る事のないものなのだから。
「…そう、ですね…」
 車内に、重苦しい沈黙が満ちる。
 相手は女神。
 非難もできなければ、詰る事もできない。
「エイミーとケビンに、女神の悪戯に巻き込まれたと伝えるべきでしょうか…咄嗟に、今朝は誤魔化してしまったのですが」
「…難しい問題ですね」
 今朝のエイミーの発言を思い出して、マクシミリアンが顔を強張らせると、グロリアーナは気が付いたのか、
「…エイミーが、何か不躾な事を申しましたでしょうか…?」
と恐る恐る問い掛けて来る。
(無神経、はなかなか堪えたな。グロリアーナ嬢が心配すると言う事は、エイミーは普段から、俺の悪口を言っているのかもしれない)
 恐らくは、何か思う所があっても口に出せないグロリアーナを代弁するつもりで。
 エイミーがマクシミリアンを貶す事で、グロリアーナの不満のガス抜きをしているのだとすれば、一概に不敬と決めつける事もできない。
 そんな不満を抱かせてしまっているのは、マクシミリアンなのだから。
「あぁ、いや…私は気にしていないのですが、エイミーは、発言相手が私だったと知ると気に病むかもしれません」
「申し訳ございません」
「ケビンも同じでしょう?」
 ケビンは人前では従順な従者の素振りを見せているけれど、マクシミリアンと二人の時は、手の掛かる弟の面倒を見ているように振る舞う。
 エイミーに献身的に尽くされているグロリアーナは、面食らう筈だ。
「あの、いえ、その…っ」
 珍しくあたふたとするグロリアーナを見て、マクシミリアンは頬を緩めた。
 こんな時だと言うのに、いや、こんな時だからか、グロリアーナの反応に肩の力が抜ける。
「その辺りも、大叔父上にご相談してみましょう」
「はい」
 馬車が止まり、大神殿へと到着した事を知らせる御者の声を聞いて、二人は顔を見合わせると表情を作った。
 すなわち、マクシミリアンは『グロリアーナ』に、グロリアーナは『マクシミリアン』に。
 扉を開けた御者は、二人が並んで腰を掛けている事に驚いた顔を一瞬見せたものの、何事もなかったかのように後ろに下がる。
「『グロリアーナ嬢』」
 先に降りたグロリアーナが、マクシミリアンに手を差し伸べる。
 常にエスコートされる側ではあっても、周囲を見ていればそれらしく動く事はできるのだ。
 大神殿は、王都の中心部にある。
 ひと際高い鐘楼の左右に尖塔を持ち、白大理石の柱廊がぐるりと建物を一巡りしているのが特徴だ。
 大地の女神であるフロリーナを奉る神殿である為、屋内と屋外が自然と地続きになるように、日中は広い開口部を持った扉が何か所も解放されている。
 その結果、昨日の発光現象は、大神殿の外からもよく見え、王都中が大騒ぎになったのだが。
「ようこそおいでくださいました、マクシミリアン殿下、ラウリントン公爵令嬢」
 二人を出迎えたのは、白髪が混じり始めた橙色の頭髪を丁寧に後ろに撫でつけ、年齢を思わせない整った容姿に温和な笑みを浮かべた壮年の男性だった。
 大神官自ら出迎えた事に、二人が驚いた顔を見せたその時。
「マクシミリアン様!」
 こんな場所で聞く筈のない声に、ぎくりと二人は背を震わせた。
 僅かに舌足らずな、甘えるような声。
 ――アシュリー・ハミルトンだ。
(…まさか、また出くわすとは…!)
 アシュリーは、以前にも公にしていなかったマクシミリアンの訪問先に現れた事がある。
 「運命ですねっ」とか何とか言いながら。
 こうなると、後を付けられているようで不気味だ。
「…ハミルトン男爵令嬢、どうして此処に?」
 グロリアーナが咄嗟に返事をすると、アシュリーは口先を尖らせた。
 拗ねたような表情を可愛らしいと思う者もいるだろうが、到底、貴族令嬢のする仕草ではない。
「マクシミリアン様、何だか他人行儀ですね。寂しいです」
 学園内では、『ハミルトン嬢』と家名のみで呼んでいるのに、そこに爵位までつけられれば、距離を感じて当然だろう。
「礼を尽くしているつもりなのだが」
「っでも、学園では、」
「学園では確かに、生徒は皆平等と謳っています。けれど、此処は学外なのです。フローニカの社交ルールに則って、行動して頂かなくてはなりません」
 アシュリーの言葉を、マクシミリアンが遮る。
「ハミルトン男爵令嬢。先程の『殿下』の問いに、まだお答えになっていませんよ」
「えぇと…?あぁ、何で此処にいるか、ですか?」
 一瞬、アシュリーは苛立たし気にマクシミリアンを睨みつけたが、直ぐにグロリアーナに笑みを向けた。
「勿論、大神殿に用があるからです」
 予想外の言葉に、マクシミリアンとグロリアーナは顔を見合わせる。
「昨日、女神フロリーナの像が光ったんですよね?それ、私の事のお告げです」
「…お告げ…?」
「私、女神の愛し子ですから」
 『愛し子』と言う言葉にグロリアーナの肩がぴくりと動いたのを視界の端で確認して、マクシミリアンは首を傾げる。
「女神の愛し子、ですか…?」
(ありえない)
「だって、女神像が光ると、何か特別な事が起きるんでしょう?私が愛し子だって公表しなさい、って事なんだなって」
 二人が困惑していると、
「私にも、話を聞かせて頂けますか?」
 やんわりと言葉が挟まれた。
「私は今、マクシミリアン様とお話してるんです!」
「ハミルトン男爵令嬢、この方は大神官様ですよ」
「え?」
 マクシミリアンの言葉に、アシュリーは、ぽかんと口を開けると、
「何で…?大神官も、…なのに……どう言う事…?」
と、小声でブツブツと言い出した。
 何と言っているのか聞き取れないけれど、アシュリーの想像していた大神官とは違う、と言う事らしい。
 大神殿に顔を出していたのに、大神官を見掛けた事が一度もないのだろうか。
「女神、とは、フロリーナ様の事ですよね。女神の愛し子とは、神職にとって大変興味深いお話です。是非とも、詳しく聞かせて頂けますか?」
「…あ、はい、あの、私は、女神の愛し子なんです。愛し子がいる間、女神フロリーナの加護で、フローニカは平和になるんですよ。だから、フローニカの平和の為に、私はマクシミリアン様と結婚すべきで、」
「続きは、こちらの者にお聞かせください」
 神殿の外であるにも関わらず、人目も気にせずにペラペラと話し出したアシュリーを遮ったチェスターが、背後に控える神官に目配せをすると、指示を受けた神官がにこやかに彼女を誘導する。
「ご令嬢、どうぞ、こちらへ」
「あの、でも、私、マクシミリアン様にまだお話がっ」
「殿下は、大神官様と大切なお話がございますので」
「マクシミリアン様っ」
 やんわりとした、けれど厳然とした態度でアシュリーを連れて行く後姿を見送り、チェスターは困ったように眉を下げ、
「殿下、ラウリントン嬢、何だか大変な事態に巻き込まれていらっしゃるようですな」
と労わるように声を掛けた。
「その件について、是非とも、大神官様にご相談が」
 『グロリアーナ』――マクシミリアンが口を開いた事に、チェスターは、「おや」と表情を変えたが、特に何も言う事なく、二人を神殿の最深部である大神官の私室まで誘う。
 大神官とは言え、神に仕える身であるチェスターの私室に華美な物はない。
 質は良いがシンプルなソファを二人に進めると、マクシミリアンとグロリアーナは、チェスターと向き合うように腰を下ろした。
 チェスターは、側仕えがお茶を用意して下がるなり、話を切り出す。
「何か、ございましたか」
「大神官様。…いえ、チェスター大叔父上」
 そう声を掛けたのが『グロリアーナ』である事に、チェスターは首を傾げる。
「…ラウリントン嬢…?」
「いいえ、マクシミリアンです、大叔父上」
 マクシミリアンは一旦深く息を吸い込むと、グロリアーナの顔を一瞬見てから、チェスターに向き直った。
「荒唐無稽なお話と思われるでしょうが…今朝、起床した時点で、グロリアーナ嬢と中身、と言えば良いのか、心、と言えばいいのか、肉体と精神が入れ替わってしまったようなのです」
「……何と?」
「証拠を、と言われると、何が証になるのか判らないのですが…」
 もどかし気に眉を寄せる『グロリアーナ』。
 そんな彼女を心配そうに見つめる『マクシミリアン』。
 容姿は見慣れた大甥とその婚約者であると言うのに、浮かべている表情がそぐわない。
 『グロリアーナ』は決して険しい顔をしないし、『マクシミリアン』は決して弱みを見せない。
「…女神の悪戯…」
 思わず漏れた声に、二人はコクリと頷いた。
「そうなのではないか、と考えております」
「フロリーナ様が、過去に同様の悪戯をなさった記録はございますか?」
 大甥の顔と声でありながら、その口調はチェスターも良く知るラウリントン公爵令嬢そのものだ。
「…女神フロリーナ様の悪戯は、その多くがフロリーナ様のご威光を讃える為に国民に広く周知されます。しかし、内容によっては公にしがたいものもあり、それらは秘され、大神官のみが閲覧可能な書物に記録されております…ですが、私の把握する中に、そのようなものはありません」
 フロリーナは気まぐれな女神。
 基本的に温厚ではあるけれど、人の身でない彼女と、人間の善悪の基準は異なる。
 その為、人間には受け入れがたい悪戯をする事もあるのだ。
 がっくりと肩を落とす二人に、チェスターは声を掛ける。
「お二人が、このような埒もない嘘を吐いて私を揶揄うとは思いませんが、念の為に、確認してもよろしいでしょうか」
「はい、何なりと」
 答えたのは、『グロリアーナ』だ。
「では、マクシミリアン殿下。貴方が三歳の時、私との間に作った『二人だけの秘密』を教えてください」
 『二人だけの秘密』と聞いて、カッと頬を染めたのは『グロリアーナ』。
 きょとんとした顔をしたのは『マクシミリアン』。
「…大叔父上…何も、グロリアーナ嬢のいる前で…」
「三歳の時ですよ。時効ではありませんか。あの秘密ならば、貴方は決して誰にも打ち明けていないでしょう?」
 『グロリアーナ』はグッと唇を噛むと、『マクシミリアン』の顔を見ないで、
「…大叔父上の膝に抱かれている時、粗相をしました」
と早口で告げた。
「あの時のマクシミリアンは可愛かったね。オズワルドの誕生に皆が掛かりきりになっている間、一人で寂しさに耐えていた君が、私の膝の上でトイレに行きたいと言えずに粗相をして、涙目で『チェスターおじちゃま、みんなにはないしょにして』と、」
 身内の顔でチェスターがにっこりと笑うと、
「大叔父上!おやめください!」
 真っ赤になった『グロリアーナ』――マクシミリアンが大声を上げて遮る。
「おや、いいのかな、そんな事を言って。誰にも内緒で着替えさせたのは私だよ」
「~~~だからっ、グロリアーナ嬢の前でそう言う恥ずかしい話は…っ」
「ラウリントン嬢の前でなければいいのか」
 楽しそうにマクシミリアンを揶揄うチェスターに、予想外の話を聞かされたグロリアーナの微笑が少し固いものになっている。
「っともあれ、信じて頂けたと言う事でよろしいですか」
「あぁ」
 チェスターは、ふと表情を改めると、深刻な顔になる。
「しかし…このような悪戯は、到底公表するわけには参りません。人の精神が入れ替わるなど、先程殿下も仰ったように、証立ての難しいものです。今後、罪を犯しながら『女神の悪戯によって、他人と入れ替わっていた。だから、それは自分の罪ではない』と嘯く者が出る可能性があります」
「!それは…」
 その可能性に思い至らなかった二人は、ハッと顔を見合わせた。
 マクシミリアンとグロリアーナは、知己の間柄での入れ替わりだったが、それが偶然だったのか、フロリーナの狙い通りなのか、誰にも判らないのだ。
「よって、この『悪戯』の内容は、大神官のみの閲覧に留めるべきです。また、可能な限り、秘した方がよろしいでしょう。秘密と言うものは、知る人が増える程、何処かで漏れるものですから」
「では…父上や従者にも伏せておいた方が無難でしょうか」
「えぇ。少なくとも暫くは、その方がよろしいかと。もしかすると、明日には元に戻っているやもしれませんし」
 誰よりも傍にいるケビンとエイミーを巻き込めない以上、マクシミリアンもグロリアーナも、この秘密を一人で何とか守り通さねばならないと言う事だ。
「では、そのように致します」
 チェスターは、マクシミリアンの返答に一つ頷くと、姿勢を改めた。
「ところで…先程のご令嬢が話していた『女神の愛し子』と言う言葉ですが、ラウリントン嬢は聞き覚えがあるのですか?」
「え、えぇ」
 グロリアーナは、一瞬躊躇った後、思い切ったように口を開いた。
「以前、私がハミルトン男爵令嬢の言動を注意した時に、仰っていたのです。『私は女神フロリーナの愛し子。マクシミリアン様にとって、私は特別な存在なんです。だから、私は何をしても許されるんです。その私に注意をするなんて、後でどうなっても知りませんよ。例えば、国外追放とか』と。フローニカの法に、国外追放になる罰則はありません。ですから、ハミルトン男爵令嬢は何か勘違いをなさっているのだと思う反面…余りにも確信を持って仰るので、『女神の愛し子』とはどのような存在なのか、図書館でフロリーナ様に関連する書籍を探し、調べようとしておりました」
 図書館の一般書架で調べられる女神フロリーナの情報は、王子妃教育で得たものと変わらず、愛し子についての記載もなかった。
 ならば、と閲覧制限書籍の閲覧申請をしていたのだ、と続けてグロリアーナは告白した。
 マクシミリアンが司書に伝えられた「閲覧制限書籍の閲覧許可」は、女神フロリーナに関する書籍のものだったのだ。
「どれ程調べても、愛し子についての記録はございませんでした。けれど、記録がないからと言って、愛し子が存在しないと言う証拠にはなりません。殿下がハミルトン男爵令嬢を特別扱いなさるのは、やはり、何か理由があるのでは。もしも、フロリーナ様の愛し子が存在するのであれば、フローニカの為にその方が王妃になるべきだ、と考えていらっしゃるのではないか、と思いまして…」
 次第に声が小さくなっていったのは、マクシミリアンが厳しい顔をしていたからだろうか。
 マクシミリアンは、はぁ、と溜息を吐いた。
「ハミルトン男爵令嬢が私に対して、愛し子と言う言葉を使った事はありませんでしたが…彼女の言動に気になるものがあったのは事実です。何をどれだけ知っていて、どのような意図で私に近づいたのかが気に掛かり、敢えて遠ざけずに彼女の本意を探ろうとしていました。ただ、誤解しないで頂きたいのですが、彼女に個人的な興味はありません。その…所謂、恋情、のようなものは」
 グロリアーナが、ホッとしたような顔をしたのは、気のせいだろうか。
 今では、マクシミリアンも理解している。
 もっと早い時点でグロリアーナに相談していれば、互いの情報を擦り合わせて、アシュリーが自分を『女神フロリーナの愛し子』だと信じているからこそ、あんなにも自信に満ちていたのだと判っただろうに。
 だが、アシュリーが『女神の愛し子』だなんて、それだけはありえない。
 同時に、何故、公にされていない『愛し子』と言う呼び名を知っているのか、疑問に思う。
 一つ、謎が解けたようでいて、不明な点がまた増えてしまった。
 やはり、彼女は何かを隠している。
 マクシミリアンが考え込んでいると、チェスターが穏やかに口を挟んだ。
「何故、あのご令嬢が『愛し子』を名乗ったのか。何を持って『愛し子』だと主張するのか。先程、彼女につけた部下は、言葉を引き出す術に長けております。近いうちに、ご報告差し上げられるかと」
「助かります」
「つまり、」
 チェスターは、マクシミリアンとグロリアーナの顔を順繰りに見遣ると、呆れた顔をした。
「この所、二人の関係がぎこちないものになっている、との噂の原因は、あのご令嬢なんだね?」
 気まずい顔をする二人に、神官の顔から身内の顔に変化したチェスターは、はぁ、と溜息を吐く。
「独身の私が言うのもなんだが、二人は会話が絶対的に不足しているよ。君達は、婚約者なんだ。それも、国を支える関係なんだよ。半年後には夫婦となるのだから、心の内を開いて、もっと言葉で伝える努力をすべきではないのかな?」
 祖父と同世代のチェスターの言葉に、二人は何も言い返す事もできず、黙って頷くしかなかった。
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