女神様の悪戯で、婚約者と中身が入れ替わっています。

緋田鞠

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<4/マクシミリアン>

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 グロリアーナが、マクシミリアンよりも早く登校している事は、王家が彼女に密かにつけている護衛の報告で知っていた。
 彼女は毎朝、判で押したように同じ行動を取っている。
 八時過ぎに学園に到着し、それから四十五分に馬車寄せでマクシミリアンを出迎えるまで、図書館で過ごすのだ。
 几帳面な性質なのだろうとばかり思っていたが、授業開始まで時間の余裕があるにも関わらず、寝坊したと言って朝のルーティンを変更してまで登校時間を守ると言う事は、別の理由もあるのかもしれない。
 図書館での過ごし方は日によって異なるようだが、グロリアーナの体に入った事で思いがけず自由時間の取れたマクシミリアンは、図書館の書棚を端から確認してみる事にした。
 普段の調べ物は、内容の詮索を避ける為に王宮にある図書室を利用しているので、入学して五年目になると言うのに、学園の図書館の蔵書には詳しくないのだ。
 目で背表紙をなぞりながら歩いていると、司書に声を掛けられる。
「ラウリントンさん」
 眼鏡を掛けた穏やかな雰囲気の司書は、二十代後半か三十前後だった筈だ。
 物柔らかな口調に整った顔立ちの彼を見て、マクシミリアンは内心、眉を顰めた。
 学園内では、生徒は皆平等。
 教職員は、王族以外、爵位に関係なく、「さん」をつけて家名で呼ぶ。
 判ってはいるけれど、妙に親し気な空気を感じてしまうのは、気のせいだろうか。
「先日、ご要望のあった閲覧制限書籍の確保ができましたから、お時間のある時にお声掛けください」
「有難うございます」
 マクシミリアンは、グロリアーナが普段浮かべるような、控えめな微笑を浮かべた。
 長い歴史を誇る王立学園には、貴重な古書も多く残されている。
 グロリアーナが要望した閲覧制限の書籍とは、そう言った類のものだろうか。
「それから、」
 司書は、不意に声を低めて、マクシミリアンに一歩近づいた。
 マクシミリアンが現在、『グロリアーナ』である事を考えると、婚約関係にない男女に許されるぎりぎりの距離だ。
 この男は、フィールダー子爵家の三男と記憶している。
 貴族の常識がないわけではないから、余程、他人に聞かれるとまずいのか…それとも、二人が本当にのか。
 いや、護衛は、そんな報告をしていない。
 だが、この男の視線は…。
 マクシミリアンは、司書を要注意人物のリストに入れる。
 明らかに下心があるのに、グロリアーナは気づいていないのだろうか?
「お尋ねの件ですが、未だ、有力な情報は得られておりません。ご期待に添えず、申し訳ありません」
「いえ、私こそ、難しいお願いを」
 小声で告げられたのが何の話かは判らないが、ここは合わせておく方がいいだろう。
「ですが、ラウリントンさんならば、あのお方にお願いすればお調べになれるのでは。こう言った事は、王宮の方が資料がありそうですが」
 グロリアーナがお願いできる『王宮に伝手のあるあのお方』。
 それは、マクシミリアンの事に他ならない。
 グロリアーナから何か「お願い」された覚え等一度もないマクシミリアンは、曖昧な笑みを返す。
「殿下にお尋ねする前に、もう少し情報が必要ですので…」
「なるほど。…ラウリントンさんも、難しいお立場ですからね。私でよろしければ、いつでもお力になりますよ」
「有難うございます」
 思わせぶりな視線に気づかない振りをして、マクシミリアンは礼を言う。
 護衛からの報告で、最近、グロリアーナに声を掛ける男が増えている、と知っていた。
 知ってはいたけれど、学園内で他者の目のある中での話だ。
 護衛も密かにつけているのだし、問題はない、と判断していたのに、いざ、実際にグロリアーナに声を掛ける男が目の前にいると、胸の中が波立つ。
 苛立ちの理由が自分でも判らず、マクシミリアンは司書と別れた後、再度蔵書の確認をしながら、考えを巡らした。
 グロリアーナは、欠点らしい欠点の見当たらない令嬢だ。
 美しい容姿、明晰な頭脳、高い生家の身分。
 その彼女に懸想する男が存在する事には、何の疑念もない。
 表立って行動する男がいないのは、ひとえに彼女の婚約者がフローニカ王国王子マクシミリアンだからに他ならない。
 王家の結んだ婚約を妨害すれば、貴族社会での将来はないのと同じ事なのだから。
 だが、最近、グロリアーナの身辺が騒がしい様子なのは、二人の婚約が解消間近なのでは、との根も葉もない噂のせいだろう。
 それもこれも全て、あの令嬢のせいだ。
 アシュリー・ハミルトン男爵令嬢。
 エアリンド帝国からの留学生だ。
 王立学園には、他国からの留学生も少数とは言え、存在している。
 だが、何しろ、隣国がエアリンドと言う大国なので、敢えて小国フローニカを留学先に選ぶ外国人には、それなりの理由がある。
 例えば、身近な親族がフローニカ人である、とか。
 生家の仕事の関係で、フローニカで生活している、とか。
 大地の女神フロリーナへの信仰が篤く、国教として定めているフローニカを選んだ、とか。
 しかし、アシュリー・ハミルトンには、判りやすい理由がない。
 彼女の両親は、共に先祖代々エアリンド人。親族にもフローニカ人はいない。
 男爵領の運営の為、ハミルトン男爵夫妻はエアリンド帝国で生活しており、アシュリーは一人、寮生活を送っている。
 また、ハミルトン男爵領は、エアリンド帝国内でもフローニカとは真反対の方角に位置するので、フローニカと国境を接する領地の人々のように馴染みがあるとは思えない。
 女神フロリーナを祀る神殿にも顔を出しているようだが、熱心な信者と言える程の頻度でもない。
 最上級生に進級する時、留学生が来る、と聞いても、マクシミリアンは大して気に掛けなかった。
 何しろ、相手は男爵令嬢。
 留学生とは言え、国と国の関係に配慮せねばならない高位貴族の息女ではない。
 特待クラスの同級生にはなったが、同じクラスに在籍していると言うだけでマクシミリアンにとって、他の女子生徒と変わりはない。
 だが、何故だか、アシュリーは頻繁にマクシミリアンに話し掛けて来る。
「マクシミリアン様は、既に王族としてのお務めを果たしてるんですね。お仕事を頑張ってて、偉いです!」
(別に、お前に褒められたくて励んでいるわけではない)
「王家に生まれると、生涯の伴侶も自分では選べないんですね…何だか、寂しくないですか?」
(王家に生まれたからこそ、優秀な資質を示すグロリアーナ嬢との縁談が組まれたんだ。何の問題がある?)
「どうしてあの方は、婚約者のマクシミリアン様に対して、他人行儀なんでしょう…愛が感じられません」
(妙に馴れ馴れしいお前よりも、余程いいだろう)
「マクシミリアン様は、もうたくさんの努力をしてるじゃないですか。無理なんてしなくていい。そのままで、いいんですよ」
(どうしてこうも上から目線なんだ?)
「私じゃ、マクシミリアン様のお心を癒せませんか?」
(お前に、俺の何が判る)
 否定も肯定もせずに受け流していたら、アシュリーは自分に都合のいいように受け止めたようだ。
 マクシミリアンを上目遣いに見上げながら、
「私なら、そんな顔をさせないのに…」
と瞳を潤ませる。
 鉄壁の笑顔の仮面に、一体、何を見たつもりなのか。
 ストロベリーピンクの髪は、確かに珍しい。
 アメジストの瞳も、色白の肌も、艶やかな唇も、美しいと言えるだろう。
 だが、それがどうした。
 美しい令嬢ならば、マクシミリアンは見慣れている。
 アシュリーの言葉は迂遠だが、要するにグロリアーナとの婚約を破棄し、彼女を選べ、と言う事なのだと思う。
 王女ならばともかく、単なる貴族、それも、フローニカ国内では全く影響力のない他国の男爵令嬢が、ここまで堂々と婚約に嘴を挟んで来るとは考えてもみなかったから、呆れるよりも驚いた。
 確かに、アシュリーは特待クラスに在籍出来るだけの学力を備えている。
 グロリアーナと並べても見劣りしない美貌も持っている。
 しかし、それだけだ。
 グロリアーナを上回るものは、何もない。
 グロリアーナとアシュリーを天秤に掛けた所で、その均衡がアシュリーに傾く要素は一つもない。
 隣国の男爵令嬢と婚姻を結んで、一体、フローニカ王国に何の益があると言うのか。
 アシュリーはあたかも、
「私は貴方を理解しています。貴方の悩みに寄り添います。貴方の全てを受け入れます」
と言いたそうに、こちらの心をくすぐる言葉を繰り出してくる。
 人によっては、己の理解者を得られた、と勘違いする者もいるかもしれない。
 人間誰しも大なり小なり悩みはあり、そのままの自分を認めて欲しいと言う承認欲求があるからだ。
 だが、アシュリーの言葉は、誰にでも当てはまる言葉をそれらしく言い繕っているだけで、マクシミリアンが理解されていると感じる事はなかった。
 そもそも、他人を完璧に理解できると思う方がおこがましい。
 貴族令嬢とは思えない話し方も、意図的なスキンシップも、大きなマイナスでしかない。
 だから、何の落ち度もないグロリアーナを切り捨て、王子妃教育どころか、淑女教育すら満足に身に付いていないアシュリーを選ぶ理由など、万に一つもないのだ。
 『そんな事はありえない』と判らない令嬢を、何故、マクシミリアンが選ぶと思っているのか、それこそ、理解できない。
 マクシミリアンは、フローニカ王国の王子だ。
 それも、王太子となる王子だ。
 国を、民を支える為に生まれた彼が、国の不利益になる事を選ぶ筈もない。
 グロリアーナの生家ラウリントン公爵家は、フローニカ王国建国当時からの臣だ。
 過去に何度も王家から降嫁しており、繋がりも強い。
 ラウリントン公爵は公明正大、謹厳実直な人柄で、グロリアーナがマクシミリアンの婚約者に選ばれて以降、「王家とラウリントン公爵家との関係が必要以上に強固になっては、国益に反する」として領地に引っ込み、領地運営に専念しているが、王宮内での影響力は未だに大きなものがある。
 グロリアーナの弟であるジャレッドも優秀な人物で、いずれは王宮に出仕して欲しいと望んでいるが、グロリアーナが王族となる事を考えると、ラウリントン公爵と同じ理由で固辞されてしまうかもしれない。
 彼等は、既に十分な権力をその手に握っているからこそ、王族との結びつきに執着がないのだ。
 ラウリントン公爵家にとって大切なのは、国の安寧と家族の幸福。
 マクシミリアンの私心で婚約を解消するような事があったら、愛する娘に傷をつけたマクシミリアンに牙を剥く事は容易に想像できる。
 ――だから。
 マクシミリアンは、アシュリーに対して引っ掛かりを覚えた。
 マクシミリアンとグロリアーナの婚約は、政略的なものではあるが、誰もが横槍を入れようのない完璧な条件のもとに成立している。
 内心でどう思っていようと、グロリアーナに対抗しようと表立って動く令嬢がいないのが、その証拠だ。
 王家と公爵家の間で結ばれた婚約に、他国の、それも男爵家の令嬢が意見するなど、ありえない。
 そのありえない事をする彼女は、何者なのか。
 単に考えなしの夢見がちな娘ならば、それでいい。
 自分で言うのも何だけれど、マクシミリアンは異性に恋焦がれられる事には慣れている。
 このまま、放っておけば、マクシミリアンの反応の薄さに、勝手に落胆して去っていくだろう。
 しかし、アシュリーは、余りに己の行動の正当性を疑わず、必ず自分が選ばれるとの自信に満ちている。
 その姿は、マクシミリアンに『アシュリー・ハミルトンは単なるエアリンドの男爵令嬢ではないのではないか』との疑念を抱かせた。
 他の令嬢と何処か違う彼女が気になっていたその時、彼女は会話の中で何気なく、フローニカ王族しか知らない筈の情報を口にした。
 婚約者であるグロリアーナにも、結婚までは伝えられない話だ。
 何故、そんな特級の秘匿事項を、他国の一男爵令嬢が知っているのか。
 エアリンド帝国がフローニカ王国建国以前からある国である事を考えると、エアリンド皇族が、フローニカ王家の秘匿事項を知っている可能性は否めない。
 ならば、アシュリーはエアリンド皇族と縁があるのか…?
 それ以来、アシュリーから少しでも情報が引き出したくて、彼女との接触を制限して来なかった。
 気分良く情報を吐かせる為に、多少のスキンシップには目を瞑り、ペラペラと意味のない言葉の羅列を聞き流した。
 マクシミリアンの側近候補となっている同年代の令息達にも、暫く、彼女の事を観察したいから、思う所があっても我慢して欲しい、と伝えてある。
 アシュリーは、マクシミリアンだけではなく、彼等にも親しく声を掛けていた。
 それもまた、マクシミリアンの疑念を後押しする。
 マクシミリアンの側近候補とはすなわち、フローニカの次代を担う若者だ。
 彼女は、権力の中枢に近い人間をターゲットに、ハニートラップを仕掛けようとしているのではないだろうか。
 エアリンドの令嬢が、フローニカの権力者を狙う意図とは?
 一体、何を望んでいる…?
 幸いにも、友人達は皆、マクシミリアンの思惑を理解した上で協力してくれている。
 だが、現時点では疑惑でしかない為、彼等の行動について何も説明できなかった結果、友人達の婚約者やグロリアーナとの関係がギクシャクし始めてしまった。
 身近な所ではないが、下位貴族の中で、アシュリーに傾倒した結果、婚約者との関係が悪化して破談となった生徒の話も数組聞いている。
 こんなにも長い事、調査に時間が掛かるとは想定もしていなかった。
 単なる貴族令嬢だと思っていたアシュリーが、なかなか尻尾を掴ませないのだ。
 この半年。
 エアリンドに手の者をやり、アシュリーの背景を調べさせているものの、往復するだけで三週間掛かるハミルトン男爵領からは、決め手になるような証言も証拠も取れていない。
 けれど、違和感は日が経つにつれ、増すばかりだ。
 僅かに出て来た証言は、彼女が留学前に在籍していたエアリンドの皇立学園の生徒によるもので、
「美貌をひけらかす事なく、控えめな令嬢」
「将来は両親が認めた男性に嫁ぎ、家庭を支えたいと聞いていただけに、突然の留学に驚いている」
「アシュリー嬢は養子だが、男爵夫妻とは実の親子のように仲が良い。しかし、夫妻が引き留めるのを振り切って留学した」
と言う、マクシミリアンの疑念を後押しするものばかり。
 貞淑で控えめな令嬢、と言う言葉は、マクシミリアンの見るアシュリーとは大きく異なる。
 確かに、ストロベリーピンクの髪にアメジストの瞳の美しい令嬢と言う特徴は合致するが、余りにも印象が違う。
 まるで、人が変わったような…と考えて、マクシミリアンは思わず、自分の手を見た。
 小さな手。
 グロリアーナは常に姿勢良く立っているから大きく見えていただけで、実際の彼女は、こんなにも華奢だった。
 ――もしや、マクシミリアンと同じように、アシュリーもまた、と入れ替わっているのだろうか?
 だが、過去に女神フロリーナの悪戯が他国人に及んだとの記録はない。
 アシュリーの両親はエアリンドで一般的な太陽神アピメルを信仰していると報告されているし、信仰の及ばない相手に悪戯を仕掛ける程、フロリーナが節操なしとも思えない。
 一つ頭を振って、マクシミリアンは再び、図書館を歩き始めた。
 考えるには、情報がまだ足りていない。
 マクシミリアンが、自分の入れ替わりに気づいたのは今朝の事。
 だから、グロリアーナが司書に尋ねた件は、入れ替わりとは別件だろう。
 一体、彼女は何を調べていたのか。
 司書の思わせぶりな口調からすると、恐らくは、アシュリーに関連する事なのだろうが…。
 そこまで考えたマクシミリアンは、時計の針が八時四十分を指している事に気づいて、慌てて馬車寄せへと足を向けた。
 マクシミリアンが普段登校するのは、八時四十五分頃。
 入学してから毎朝、グロリアーナはマクシミリアンを出迎えている。
 特に会話をするわけでもなく、朝の挨拶を交わすだけ。
 同じクラスなのだから教室でも構わないだろうに、彼女は毎朝、暑かろうと寒かろうと、雨が降ろうと雪が降ろうと、マクシミリアンを待っている。
 恐らくは、登校時間同様、グロリアーナが己に定めたルールなのだ。
 出迎えてはいても会話がない事をあれこれ言われているのも知っているが、マクシミリアンは朝に弱く、頭を使う会話はできそうにないから、グロリアーナが話し掛けて来ない事に感謝している。
 そして、グロリアーナが傍にいるからこそ、他の生徒からの余計な声掛けがない事にも助かっている。
 馬車寄せから教室までの十分弱の僅かな時間で、学業へと意識を切り替えるのが、マクシミリアンにとっての朝のルーティンだった。
 完璧な王子と周囲に思われていようと、実際のマクシミリアンは天才ではない。
 多くの不足を自覚している。
 次の王太子として、常に王族に相応しくあるべく必死に努力を続けて、水面下で必死に足を掻く白鳥のように、その努力を周囲に見せないよう努めているだけだ。
 グロリアーナは、そんなマクシミリアンに気づいているのだろうか。
 馬車寄せに向かう途中で、何人かの男子生徒に挨拶をされた。
 グロリアーナを真似て控えめな微笑で挨拶を返すと、頬を染めて喜ぶ。
 その姿にモヤモヤしたものがまた湧き上がって来て、マクシミリアンは無意識に、深く溜息を吐く。
 その憂いを帯びた表情を見た生徒達が目を離せなくなっている事など、彼は気づいていない。
 グロリアーナは、人前で常に凛とした姿を見せている。
 彼女が毎朝、マクシミリアンを出迎える事は学園の生徒であれば誰もが知っている事で、馬車寄せに向かう彼女が溜息を吐いていたら、出迎えが憂鬱になっているのだと思われても仕方がない。
 何しろ、二人の関係に隙間風が吹いている事は、広く知れ渡っているのだから。
 到着して直ぐに、見慣れた王家の通学用馬車が近づいて来た。
 掌にじわりと汗を感じて、マクシミリアンは自分が緊張している事に気づく。
 まだ、マクシミリアンが事態に気づいてから三時間も経っていない。
 未だに、自分でも何が起きたのか判っていないのだ。
 本当に、グロリアーナと入れ替わっているのか。
 だが、心配は杞憂に終わる。
 馬車から降りて来た『マクシミリアン』の姿を見て、彼は確信を抱いた。
 すっと視線を左下に流して足元を確認する癖。
 あれは、グロリアーナだ。
 深紅の髪をうなじでまとめ、エメラルドの瞳は何処か緊張感を孕んでいる。
 鏡で見慣れた顔の筈が、何か印象が違うのは、グロリアーナの視点から仰ぎ見ているからか。
「おはよう、『グロリアーナ嬢』」
 『マクシミリアン』が、口を開く。いつものように。
 自分は、こんな声をしていただろうか。
 挨拶と言う以上の色の籠っていない平坦な声だ。
「ご機嫌よう、『殿下』」
 毎朝の遣り取りをなぞりながら、グロリアーナから『殿下』としか呼ばれた事がない、と改めて気が付いた。
 アシュリー・ハミルトンは、許しも得ずに名で呼ぶと言うのに。
 いつもなら、グロリアーナは黙って半歩下がり、マクシミリアンに道を譲る。
 だが、マクシミリアンは、敢えて『マクシミリアン』に近づくと、顔を伏せて周囲に聞こえないよう小声で、
「女神の悪戯」
と囁いた。
 『マクシミリアン』が、驚いたようにマクシミリアンを見つめて来る。
 その表情に見慣れたグロリアーナの表情が重なって、マクシミリアンは僅かに眉を下げた。
 自分で思っていたよりも、グロリアーナの細かな表情まで、よく覚えているものだ、と思いながら。
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