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「ジェレマイア!」
王都から五時間。
ウェルト領ユーキタス邸の厩舎で、ヴァージルとポチを休ませた二人は、大勢の使用人に出迎えられた。
騎獣に跨っての長時間の移動の為、二人とも、騎士服を纏っている。
恭しく玄関の扉を開く侍従に促されホールへ入ると、ジェレマイアの名を呼ぶ女性が、急いだ様子で出迎えに出た。
「母上、只今帰りました。急な帰宅となり、申し訳ありません」
「何を言っているの。ここは、貴方の家。いつでも好きな時に帰って来てちょうだい」
ジェレマイアに軽く抱擁された女性――ケイトリンは、小柄で二十五の息子がいるとは思えない程に若々しい、少女のような人だった。
とても、四十を越えているようには見えない。
顔立ちがよく似ているので、ジェレマイアの姉、と言われても頷くだろう。
淡いパステルカラーのドレスが、よく似合う。
エディスとは、真逆だ。
「母上、ご紹介致します。エディス・ラングリード侯爵令嬢です。手紙でご報告しました通り、俺は、エディスとの婚姻を、陛下にお許し頂きました」
「ジェレマイアの母の、ケイトリン・ユーキタスですわ」
「お目に掛かれて光栄です。エディス・ラングリードと申します。騎獣で参りましたので、このような姿でのご挨拶となり、申し訳ございません」
エディスは、騎士服のまま、令嬢としての礼を執る。
付け焼き刃感は否めないものの、エディスの姿勢がいいので、傍目にはそうは見えない。
ケイトリンは、二人を見て、目を細めた。
「わたくしは騎獣に乗れないのだけれど、王都までの往復はさぞお疲れでしょう。ジェレマイア、今日はどれ位、いられるのかしら?」
「余り余裕はないのです。無理を押して王都に参りましたので、直ぐに兵営に戻らねば」
「ティボルト様は?」
「後、数日でこちらに戻る予定です」
「判りました。では、残念だけど、今日はお茶だけに致しましょう。後日、改めて場を設けてくれるのでしょう?」
「勿論です」
にこやかな応対に、エディスの肩から僅かに力が抜ける。
第一声から否定される事は、なかった。
「ほら、大丈夫だろう?母上が心配していたのは、俺が結婚しない事だったんだから」
準備をするから、と、屋敷の奥にケイトリンが去った後、ジェレマイアはエディスを安心させるように声を掛ける。
「そう、ですね…」
だが、余りにもケイトリンは、エディスと違う。
強敵と対する時のように、深呼吸して気合を入れ直すと、エディスはジェレマイアに導かれるまま、温室へと足を運んだのだった。
暖かな陽射しの入る温室には、ケイトリンの趣味だと言う南国の植物が植わっていた。
「一人でいる時間が長いものだから、植物のお世話ばかりしているの」
朗らかに笑うケイトリン。
急な訪問にも関わらず、ユーキタス家の厨房は優秀で、以前から念入りに準備されていたかのように、ティータイムのテーブルは完璧なものだった。
「ジェレマイア。王都はどうだったかしら?」
「そうですね…」
久し振りの親子水入らずの会話を、エディスは黙って聞いていた。
思えば、ラングリード家のお茶の時間は、マナーとは縁遠いものだった。
決められた個数を皿に分けておいても、奪い合いが始まるのだ。
茶菓子よりも軽食が中心になっていたのだが、食べ盛り育ち盛りばかりの万年腹ペコ兄弟にマナーを守らせるのは、至難の業だった。
だから、いざ、他家の席に座ると、自分のマナーに自信が持てない。
淑女教育と呼ばれるものを受けてはいたが、実践する機会など、なかったのだから。
公爵家に連なるのであれば、改めて、勉強し直さなくてはならないだろう。
「まぁ、エディスさんは、お菓子作りがお得意なの?」
ケイトリンに名を呼ばれて、エディスは思考の淵から浮上した。
「手の込んだ物は作れませんが、母がよく作ってくれた焼き菓子は、弟達の為に焼いておりました」
咄嗟に返す事が出来たのは、夜会でご婦人方のお相手をしていた経験からだ。
「エディスの焼くクッキーは、騎士団でも争奪戦ですよ」
「素敵ね!ラングリード家は、ご兄弟が多いのよね?」
「はい。私の上に三人、下に三人おります。男ばかりですから、このような穏やかなお茶の時間に驚いております。ラングリード家では、食事の時間もお茶の時間も、正に戦場でしたもので」
いずれ、知れる事なのだから、取り繕っても仕方がない。
ケイトリンの望むような楚々とした令嬢ではない事など、短時間の滞在だからと騎士服のままなのを見れば、判る。
「ジェレマイアは一人息子ですし、わたくしも兄と二人兄妹なものだから、興味深いわ」
コロコロと笑うケイトリンには、邪気がない。
だが、ユーキタス家と言う大貴族家の家政を任されている女性なのだ。
見た目通りの無邪気な夫人とは、思えなかった。
ご令嬢やご婦人が、完璧な笑顔の下で相手をこき下ろす事を、エディスはよく知っている。
笑顔は必ずしも、好意と一致するものではない。
彼女の本音は、何処にあるのか。
「あぁ、王都では、伯父上にもお会いしました」
「まぁ、お兄様に?ご相談する前に婚約を決めたから、拗ねていらしたのではなくて?ジェレマイアの縁談は、自分に任せて欲しい、なんて仰っていたから」
ジェレマイアは返事はせずに、苦笑を返す。
なるほど、当たりが強かったのは、それも理由なのか、と、エディスは納得する。
ドロイリー侯爵のお眼鏡に叶ったご令嬢を、可愛い甥に縁づかせたかったのだろう。
「こちらにも、俺宛の手紙が届いている筈ですね。ちょっと整理をして来ます。エディス、すまないが、母上のお相手をして差し上げてくれないか。なるべく早く戻る」
「承知しました」
そのまま、慌ただしく出て行くジェレマイアの背を見送った所で、くすり、と、ケイトリンの笑い声に視線を戻す。
「ごめんなさいね、エディスさん。ティボルト様もジェレマイアも、我が家だと言うのに、家にいても少しも落ち着けないの。わたくしは、もう慣れたけれど…驚いたでしょう?」
「いえ…幼い頃の父が、そうでした。ある程度成長してからは、私も騎士団に同行しておりましたので、父と過ごす時間は長かったのですが…思えば、母はケイトリン様と同じく、父や兄達に合わせてくれていたのですね」
「まぁ、嫌だわ、エディスさん。お義母様、と呼んで下さらないの?」
「え…」
言葉に詰まるエディスの顔を見て、ケイトリンは微笑んだ。
「だって、エディスさんは、ジェレマイアと結婚してくれるのでしょう?わたくしの、義理の娘になるのよ」
「あ、の…」
エディスは一瞬、視線を下げた後、思い切ったように正面からケイトリンの顔を見つめる。
勝負所を間違えてはいけない。
「不躾な事をお尋ね致します。私は、ご覧の通り、騎士として騎士団で任務に当たっております。頑健さには自信がありますが、多くの貴族令嬢のように、家政や社交に関する学びを十分に身に着けているとは、到底申し上げる事が出来ません。…ケイトリン様は、私とジェレマイア様の結婚を、どうお考えですか」
貴族令嬢らしい、迂遠な物言いは出来ない。
真っ向からぶつかる以外の方法を、思い浮かばなかった。
じわり、と、握った掌に知らず汗が滲む。
エディスは、ケイトリンの望む嫁の姿とかけ離れている。
彼女の兄であるドロイリー侯爵のように、エディスを視界にも入れたくないかもしれない。
ケイトリンは驚いたように目を見開いた後、ゆったりと微笑んだ。
「あのね、エディスさん」
「はい」
「わたくしは確かに、ジェレマイアに多くのご令嬢を紹介しました。でも、それは、わたくしの思うようなご令嬢と結婚して欲しかったからではないの」
エディスが首を傾げると、ケイトリンは笑みを深くする。
「エディスさんのご両親は、貴方のお相手に、どのような条件をお求めなのかしら?地位?権力?資産?それとも、容姿?母親のわたくしが言うのも何だけれど、あの子は、そのいずれも持っていると思うわ」
「母は亡くなっておりますが、父は母と、私を『大切にしてくれる方』に縁づかせるよう、約束したそうです」
たった一つ。
けれど、とても難しい、一つの条件。
「そうなのね。ねぇ、エディスさん。それは、わたくしも同じなの。ジェレマイアを大切に想ってくれる方。そして、ジェレマイアが大切に想う方と、結婚して欲しいのよ」
ケイトリンは、そう言うと、ふぅ、と溜息をついて、小首を傾げた。
「幸いな事に、ジェレマイアを想って下さるご令嬢はたくさんいらしたわ。でも…あの子の関心を惹く方は、いなかった。わたくしも、騎士の妻。想い合うお相手がいる事が、どれだけ大切なのか、判っているつもりなの。副団長と言う責任ある地位に就いて、一層の危険に身を置く事になって。特に今年は、例年よりも強敵が現れたのでしょう?民の為に立つ息子を誇りに思うと同時に、母として、生き急いでいるように見えて不安になってしまったの」
言葉を一度切って、ケイトリンは、真っ直ぐにエディスの顔を見た。
「想う方がいればこそ、あの子は命を大切にしてくれるでしょう。…だから、ね、エディスさん。あの子が、『この方こそ』と思う方が出来たのですもの。わたくしには、歓迎こそすれ、反対など、する理由がないのよ」
そう、にこりと微笑まれて、エディスの肩から力が抜ける。
あぁ、彼女は、母なのだ。
息子を何よりも大切に思い、誇りにしている、一人の母。
「ましてや、ティボルト様が、『是非に』と望まれた方なのよ?あの方は、わたくし以上にジェレマイアの事をよく理解しているの。ティボルト様が、ジェレマイアと添うて欲しいと願う方にお会い出来て、とても嬉しいわ」
「有難う、ございます…」
ケイトリンはまだ、エディスの為人を知らない。
けれど、夫を、息子を信頼しているから、エディスを歓迎する、と明言した。
息子の選んだ人なのだから、と。
「ふふ、あれだけ、ご令嬢に目を向けなかったジェレマイアが、『心から望む方がいる』なんて手紙を寄越したのよ?熱烈な恋文を貰ったみたいで、年甲斐もなくはしゃいでしまったわ。エディスさんも…ジェレマイアの事を、慕って下さっているのでしょう?」
「ぅ、え、あの…」
真っ赤になったエディスの顔を見て、ケイトリンは穏やかに笑う。
「確かに、ユーキタス家が社交界で担ってきた役割は、決して小さなものではありません。でもね、別に、何もかもをわたくしと同じ形で継ぐ必要はないのよ。したい事、出来る事をすればいいの。エディスさんが学びたいと思う事があるならば、わたくしは協力を惜しまないわ。ですから、気軽に相談して欲しいの。そしてね、」
キラリ、と、ケイトリンの目が光る。
「是非とも、エディスさんのドレスは、わたくしに見立てさせて頂戴。あぁ、腕が鳴るわ!何て素晴らしい素材なの!」
「え、あの、ケイトリン様…?」
「お義母様、って呼んで頂戴。…待って、ケイトでもいいわね」
きゃあきゃあと歓声を上げるケイトリンに、エディスがおろおろしていると、ノックの後に、ジェレマイアが顔を出した。
助けを求めるように、エディスは彼の名を呼ぶ。
「ジェレマイア、ご用事は済みましたか?」
「あぁ。夜会の招待状と身上書以外のものは、騎士団に持ち帰る。残りは、執事に返信を一任した」
「そうですか」
道理で、戻りが早かったわけだ。
「母上、慌ただしいですが、これで失礼致します」
「楽しい時間は過ぎるのが早いわ…ジェレマイア、一日でも早く、エディスさんとゆっくりお話出来る時間を作って頂戴ね」
「はい」
「わたくしね、エディスさんの事が、とても気に入りました。早く我が家にお迎えしたいわ」
「えぇ、俺もです」
「その為にも、一層、励まなくてはね」
ケイトリンは、別れの抱擁をするジェレマイアの耳元で、小さな声でこう告げる。
「よくやったわ、ジェレマイア。そんじょそこらの小娘を連れてきたらどうしようかと思っていたけれど、流石、わたくしの息子。絶対、逃がしてはいけませんよ」
「勿論」
よく似た顔の二人は、不敵な笑みを浮かべたのだった。
王都から五時間。
ウェルト領ユーキタス邸の厩舎で、ヴァージルとポチを休ませた二人は、大勢の使用人に出迎えられた。
騎獣に跨っての長時間の移動の為、二人とも、騎士服を纏っている。
恭しく玄関の扉を開く侍従に促されホールへ入ると、ジェレマイアの名を呼ぶ女性が、急いだ様子で出迎えに出た。
「母上、只今帰りました。急な帰宅となり、申し訳ありません」
「何を言っているの。ここは、貴方の家。いつでも好きな時に帰って来てちょうだい」
ジェレマイアに軽く抱擁された女性――ケイトリンは、小柄で二十五の息子がいるとは思えない程に若々しい、少女のような人だった。
とても、四十を越えているようには見えない。
顔立ちがよく似ているので、ジェレマイアの姉、と言われても頷くだろう。
淡いパステルカラーのドレスが、よく似合う。
エディスとは、真逆だ。
「母上、ご紹介致します。エディス・ラングリード侯爵令嬢です。手紙でご報告しました通り、俺は、エディスとの婚姻を、陛下にお許し頂きました」
「ジェレマイアの母の、ケイトリン・ユーキタスですわ」
「お目に掛かれて光栄です。エディス・ラングリードと申します。騎獣で参りましたので、このような姿でのご挨拶となり、申し訳ございません」
エディスは、騎士服のまま、令嬢としての礼を執る。
付け焼き刃感は否めないものの、エディスの姿勢がいいので、傍目にはそうは見えない。
ケイトリンは、二人を見て、目を細めた。
「わたくしは騎獣に乗れないのだけれど、王都までの往復はさぞお疲れでしょう。ジェレマイア、今日はどれ位、いられるのかしら?」
「余り余裕はないのです。無理を押して王都に参りましたので、直ぐに兵営に戻らねば」
「ティボルト様は?」
「後、数日でこちらに戻る予定です」
「判りました。では、残念だけど、今日はお茶だけに致しましょう。後日、改めて場を設けてくれるのでしょう?」
「勿論です」
にこやかな応対に、エディスの肩から僅かに力が抜ける。
第一声から否定される事は、なかった。
「ほら、大丈夫だろう?母上が心配していたのは、俺が結婚しない事だったんだから」
準備をするから、と、屋敷の奥にケイトリンが去った後、ジェレマイアはエディスを安心させるように声を掛ける。
「そう、ですね…」
だが、余りにもケイトリンは、エディスと違う。
強敵と対する時のように、深呼吸して気合を入れ直すと、エディスはジェレマイアに導かれるまま、温室へと足を運んだのだった。
暖かな陽射しの入る温室には、ケイトリンの趣味だと言う南国の植物が植わっていた。
「一人でいる時間が長いものだから、植物のお世話ばかりしているの」
朗らかに笑うケイトリン。
急な訪問にも関わらず、ユーキタス家の厨房は優秀で、以前から念入りに準備されていたかのように、ティータイムのテーブルは完璧なものだった。
「ジェレマイア。王都はどうだったかしら?」
「そうですね…」
久し振りの親子水入らずの会話を、エディスは黙って聞いていた。
思えば、ラングリード家のお茶の時間は、マナーとは縁遠いものだった。
決められた個数を皿に分けておいても、奪い合いが始まるのだ。
茶菓子よりも軽食が中心になっていたのだが、食べ盛り育ち盛りばかりの万年腹ペコ兄弟にマナーを守らせるのは、至難の業だった。
だから、いざ、他家の席に座ると、自分のマナーに自信が持てない。
淑女教育と呼ばれるものを受けてはいたが、実践する機会など、なかったのだから。
公爵家に連なるのであれば、改めて、勉強し直さなくてはならないだろう。
「まぁ、エディスさんは、お菓子作りがお得意なの?」
ケイトリンに名を呼ばれて、エディスは思考の淵から浮上した。
「手の込んだ物は作れませんが、母がよく作ってくれた焼き菓子は、弟達の為に焼いておりました」
咄嗟に返す事が出来たのは、夜会でご婦人方のお相手をしていた経験からだ。
「エディスの焼くクッキーは、騎士団でも争奪戦ですよ」
「素敵ね!ラングリード家は、ご兄弟が多いのよね?」
「はい。私の上に三人、下に三人おります。男ばかりですから、このような穏やかなお茶の時間に驚いております。ラングリード家では、食事の時間もお茶の時間も、正に戦場でしたもので」
いずれ、知れる事なのだから、取り繕っても仕方がない。
ケイトリンの望むような楚々とした令嬢ではない事など、短時間の滞在だからと騎士服のままなのを見れば、判る。
「ジェレマイアは一人息子ですし、わたくしも兄と二人兄妹なものだから、興味深いわ」
コロコロと笑うケイトリンには、邪気がない。
だが、ユーキタス家と言う大貴族家の家政を任されている女性なのだ。
見た目通りの無邪気な夫人とは、思えなかった。
ご令嬢やご婦人が、完璧な笑顔の下で相手をこき下ろす事を、エディスはよく知っている。
笑顔は必ずしも、好意と一致するものではない。
彼女の本音は、何処にあるのか。
「あぁ、王都では、伯父上にもお会いしました」
「まぁ、お兄様に?ご相談する前に婚約を決めたから、拗ねていらしたのではなくて?ジェレマイアの縁談は、自分に任せて欲しい、なんて仰っていたから」
ジェレマイアは返事はせずに、苦笑を返す。
なるほど、当たりが強かったのは、それも理由なのか、と、エディスは納得する。
ドロイリー侯爵のお眼鏡に叶ったご令嬢を、可愛い甥に縁づかせたかったのだろう。
「こちらにも、俺宛の手紙が届いている筈ですね。ちょっと整理をして来ます。エディス、すまないが、母上のお相手をして差し上げてくれないか。なるべく早く戻る」
「承知しました」
そのまま、慌ただしく出て行くジェレマイアの背を見送った所で、くすり、と、ケイトリンの笑い声に視線を戻す。
「ごめんなさいね、エディスさん。ティボルト様もジェレマイアも、我が家だと言うのに、家にいても少しも落ち着けないの。わたくしは、もう慣れたけれど…驚いたでしょう?」
「いえ…幼い頃の父が、そうでした。ある程度成長してからは、私も騎士団に同行しておりましたので、父と過ごす時間は長かったのですが…思えば、母はケイトリン様と同じく、父や兄達に合わせてくれていたのですね」
「まぁ、嫌だわ、エディスさん。お義母様、と呼んで下さらないの?」
「え…」
言葉に詰まるエディスの顔を見て、ケイトリンは微笑んだ。
「だって、エディスさんは、ジェレマイアと結婚してくれるのでしょう?わたくしの、義理の娘になるのよ」
「あ、の…」
エディスは一瞬、視線を下げた後、思い切ったように正面からケイトリンの顔を見つめる。
勝負所を間違えてはいけない。
「不躾な事をお尋ね致します。私は、ご覧の通り、騎士として騎士団で任務に当たっております。頑健さには自信がありますが、多くの貴族令嬢のように、家政や社交に関する学びを十分に身に着けているとは、到底申し上げる事が出来ません。…ケイトリン様は、私とジェレマイア様の結婚を、どうお考えですか」
貴族令嬢らしい、迂遠な物言いは出来ない。
真っ向からぶつかる以外の方法を、思い浮かばなかった。
じわり、と、握った掌に知らず汗が滲む。
エディスは、ケイトリンの望む嫁の姿とかけ離れている。
彼女の兄であるドロイリー侯爵のように、エディスを視界にも入れたくないかもしれない。
ケイトリンは驚いたように目を見開いた後、ゆったりと微笑んだ。
「あのね、エディスさん」
「はい」
「わたくしは確かに、ジェレマイアに多くのご令嬢を紹介しました。でも、それは、わたくしの思うようなご令嬢と結婚して欲しかったからではないの」
エディスが首を傾げると、ケイトリンは笑みを深くする。
「エディスさんのご両親は、貴方のお相手に、どのような条件をお求めなのかしら?地位?権力?資産?それとも、容姿?母親のわたくしが言うのも何だけれど、あの子は、そのいずれも持っていると思うわ」
「母は亡くなっておりますが、父は母と、私を『大切にしてくれる方』に縁づかせるよう、約束したそうです」
たった一つ。
けれど、とても難しい、一つの条件。
「そうなのね。ねぇ、エディスさん。それは、わたくしも同じなの。ジェレマイアを大切に想ってくれる方。そして、ジェレマイアが大切に想う方と、結婚して欲しいのよ」
ケイトリンは、そう言うと、ふぅ、と溜息をついて、小首を傾げた。
「幸いな事に、ジェレマイアを想って下さるご令嬢はたくさんいらしたわ。でも…あの子の関心を惹く方は、いなかった。わたくしも、騎士の妻。想い合うお相手がいる事が、どれだけ大切なのか、判っているつもりなの。副団長と言う責任ある地位に就いて、一層の危険に身を置く事になって。特に今年は、例年よりも強敵が現れたのでしょう?民の為に立つ息子を誇りに思うと同時に、母として、生き急いでいるように見えて不安になってしまったの」
言葉を一度切って、ケイトリンは、真っ直ぐにエディスの顔を見た。
「想う方がいればこそ、あの子は命を大切にしてくれるでしょう。…だから、ね、エディスさん。あの子が、『この方こそ』と思う方が出来たのですもの。わたくしには、歓迎こそすれ、反対など、する理由がないのよ」
そう、にこりと微笑まれて、エディスの肩から力が抜ける。
あぁ、彼女は、母なのだ。
息子を何よりも大切に思い、誇りにしている、一人の母。
「ましてや、ティボルト様が、『是非に』と望まれた方なのよ?あの方は、わたくし以上にジェレマイアの事をよく理解しているの。ティボルト様が、ジェレマイアと添うて欲しいと願う方にお会い出来て、とても嬉しいわ」
「有難う、ございます…」
ケイトリンはまだ、エディスの為人を知らない。
けれど、夫を、息子を信頼しているから、エディスを歓迎する、と明言した。
息子の選んだ人なのだから、と。
「ふふ、あれだけ、ご令嬢に目を向けなかったジェレマイアが、『心から望む方がいる』なんて手紙を寄越したのよ?熱烈な恋文を貰ったみたいで、年甲斐もなくはしゃいでしまったわ。エディスさんも…ジェレマイアの事を、慕って下さっているのでしょう?」
「ぅ、え、あの…」
真っ赤になったエディスの顔を見て、ケイトリンは穏やかに笑う。
「確かに、ユーキタス家が社交界で担ってきた役割は、決して小さなものではありません。でもね、別に、何もかもをわたくしと同じ形で継ぐ必要はないのよ。したい事、出来る事をすればいいの。エディスさんが学びたいと思う事があるならば、わたくしは協力を惜しまないわ。ですから、気軽に相談して欲しいの。そしてね、」
キラリ、と、ケイトリンの目が光る。
「是非とも、エディスさんのドレスは、わたくしに見立てさせて頂戴。あぁ、腕が鳴るわ!何て素晴らしい素材なの!」
「え、あの、ケイトリン様…?」
「お義母様、って呼んで頂戴。…待って、ケイトでもいいわね」
きゃあきゃあと歓声を上げるケイトリンに、エディスがおろおろしていると、ノックの後に、ジェレマイアが顔を出した。
助けを求めるように、エディスは彼の名を呼ぶ。
「ジェレマイア、ご用事は済みましたか?」
「あぁ。夜会の招待状と身上書以外のものは、騎士団に持ち帰る。残りは、執事に返信を一任した」
「そうですか」
道理で、戻りが早かったわけだ。
「母上、慌ただしいですが、これで失礼致します」
「楽しい時間は過ぎるのが早いわ…ジェレマイア、一日でも早く、エディスさんとゆっくりお話出来る時間を作って頂戴ね」
「はい」
「わたくしね、エディスさんの事が、とても気に入りました。早く我が家にお迎えしたいわ」
「えぇ、俺もです」
「その為にも、一層、励まなくてはね」
ケイトリンは、別れの抱擁をするジェレマイアの耳元で、小さな声でこう告げる。
「よくやったわ、ジェレマイア。そんじょそこらの小娘を連れてきたらどうしようかと思っていたけれど、流石、わたくしの息子。絶対、逃がしてはいけませんよ」
「勿論」
よく似た顔の二人は、不敵な笑みを浮かべたのだった。
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よろしくお願いいたします。
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