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「エディス様!この度は、お願いを聞いて頂き、有難うございます!」
きらきらと輝く瞳、薔薇色に染まった頬、薄桃色の段フリルのドレス。
可愛いなぁ、と思いながら、エディスはにこりと微笑んだ。
「お誘い頂き、光栄です、エルミナ様」
豊かなアルトの声は、夜会のざわめきの中でもよく通る。
「わたくし、エディス様にエスコートして頂けるなんて、とっても幸せです!」
エディス・ラングリード。
紛う事なき、貴族令嬢である。
けれど、今日のエディスは、礼装用の騎士服に身を包み、社交界デビューから間もないご令嬢をエスコートしていた。
背の中程まで伸ばした艶やかな黒髪を、うなじで一つにまとめ、細い革紐で縛っている。
化粧っ気のない顔立ちは、魔獣討伐で野外に立つ事が多い為、貴族令嬢としてはあり得ない位に健康的に焼けているが、体質的なものか、しみや皺にはなっていない。
切れ長の双眸は、透き通るような緋色。
黒髪に赤瞳と言えばラングリード一族、と言われる位に、特徴的な色合いだった。
通った鼻筋、紅を塗ったわけでもないのに血色の良い唇、すらりと高い背に長い手足が、黒一色の騎士服によく映える。
実用的な筋肉のついた引き締まった体は、骨格のせいか、平均的な騎士と比べると、華奢だろうか。
だが、整列する騎士団員の中にいても、違和感を覚える者はいるまい。
ただ立っているだけでも姿勢が良くて見栄えがする為、先程から、エディスを見かけたご令嬢達が、ほぅ、と熱い溜息を零している事に、本人だけが気づいていない。
知らない者が見れば、エディスは見目麗しい騎士である。
東域の夜会に参加する者で、知らない者はいない、と言うだけで。
社交界デビューのご令嬢が、うっかり、エディスに見惚れてしまうと、周囲の親切な誰かが、
「あの方は、とても凛々しくて素敵だけれど、女性でいらっしゃるから、結婚相手にはなれないわ」
と、こっそり教えてあげている。
今日の、と言うか、ここ数年の、と言うか、社交界デビューの時以外の、と言うか。
エディスが夜会に参加する時は、基本、エスコートをする側、だ。
社交界デビューの時は、長兄アーサーがエスコートしてくれた(次兄イネスと三兄ウォルトと三つ巴の争いになり、アーサーが権利を勝ち取ったのだと言う事を、エディスは知らない)。
社交界デビューの令嬢は皆、白のドレスを身に着ける約束となっている。
色が白であれば、デザインはどのようなものでもよいのだが、基本は、襟ぐりを広く開け、スカート部分にたっぷりと襞を取ったスタイルだ。
勿論、ラングリード家でもエディスの為に、ドレスを仕立てた。
その年の流行りは、ふっくらと膨らませた袖と、キラキラと光を反射するビーズを縫いつけたものだった。
トマスが張り切って奮発し、王都のデザイナーに仕立てさせたドレスは、とても迫力があり、単品で見れば素晴らしい出来栄えだったと言えるだろう。
雪のように真っ白な絹は最高級品、袖は透けるレースで仕立てられていた。
カットの素晴らしい硝子ビーズは、僅かな動きで眩い輝きを放つ。
その高級ビーズをたっぷりと縫い付けられたドレスは、ずっしりと尋常ではなく重い。
エディスは、侍女達が余りの重さにヒィヒィ言いながら着付けてくれる間、じっとよろめく事もなく立ちながら、「折れそうに細いご令嬢達も、こんなに重いドレスを着られると言う事は、意外に体幹がしっかりしているのだな。これはいい筋トレになる」、と考えていたのだが…勿論、そんなわけもなく。
単に、トマスとデザイナーの行き違いで、実際に人が着るドレスだと思われていなかった、と言うのが原因だった。
何しろ、魔獣討伐に多忙だったエディスは、一度もデザイナーと顔を合わせていない。
採寸表だけを渡して作らせた為、デザイナー側はまさか、こんな長身でしっかりとした体格のご令嬢が存在すると、思いもしなかったらしい。
夜会の目玉になるような展示物として、芸術品らしくインパクトのあるドレスを求められた、と、勘違いした結果、重量度外視のドレスが出来上がったのだ。
エディスが着用する事を想定せずに作られたドレスは…恐ろしい位に、エディスに似合わなかった。
透けるレースの袖は、筋肉で引き締まった二の腕をより太く強調したし、長い足を覆うたっぷりとしたスカートは、裾周りだけで十メートル。
膨張色である白も相俟って、見る者を圧迫する存在感があった。
四苦八苦しながら着せ付けてくれた侍女達が、疲労困憊の状態で姿見を見せてくれた時、エディスだって、何だかちょっと思ってたのと違うな、とは思ったのだ。
確かに、ドレスは素晴らしかった。
けれど、どれだけ、トマスや兄達が褒めそやしてくれても、自分に似合っているか?となると、自信を持って頷く事は出来なかった。
とは言え、エスコートがアーサーだったから、会場に足を踏み入れるまで、そこまで大きな問題だとも思っていなかった。
何しろ、エディスはドレスを着慣れていない。
どんなデザインが似合うのかすら、考えた事がなかったのだから。
――会場に足を踏み入れた瞬間、耳が痛い位にしん…と静まり返った事だけは、十年経った今でも忘れられない。
アーサーは、その時、二十四歳。
身長は二メートルを越えるまでに成長し、横幅は細身の男性の二倍はあるだろう。
ゴツゴツと筋肉質な体を包む礼装用騎士服の肩周りが、ミチミチと不穏な音を立てているのを聞いて、「羨ましい。また、筋肉増量したんだな。仕立て直さなきゃ」と思ったのを覚えている。
その隣に立っているから、意識した事がなかったものの、エディスの身長は百八十センチある。
縦が大きい分、そうは見えないが、触れたら折れそうな令嬢方に比べると横幅もしっかりとある。
サンクリアーニ王国の女性の平均身長は、百六十センチ程度。
男性の平均身長は、百八十センチに僅かに届かないだろうか。
騎士になる事は不可能と知りながらも、騎士団に入団する男達と同レベルに戦えるエディスは…貴族令嬢としては、余りにも規格外だった。
正に、壁としか言えないアーサーと、ドレスの分、同じだけの質量を持つエディス。
エディスの白ドレスを見て、卒倒するご令嬢、声にならない悲鳴を上げる保護者、怖いもの見たさでちらちらとこちらを見て来るエスコートの男性陣。
現場は、阿鼻叫喚となった。
それ以降のエディスの記憶は、ない。
気づいたら、ドレスを脱いで、屋敷の自室でベッドに潜り込んでいた。
それまでのエディスは、ラングリード家に生まれた者として、何時如何なる時でも魔獣に相対する事が出来るように、動きやすい兄達のお下がりばかり、着ていた。
ドレスに限らず、令嬢らしい服装など、殆ど着た事がない。
討伐が多忙で、少女同士の交流会にも参加していなかったから、子沢山ラングリード家は、全員男の七人兄弟だと認識されていた、と知ったのは、後の話。
男しかいないと思っていたのに、そのうちの一人がドレスを着て夜会に現れたのだから、それは、パニックにもなるだろう。
ましてや、見るからにご令嬢と判る華奢な娘ではなく、女だと主張されても疑いの目しか向けられないエディスなのだから。
それ以来、エディスは必要に駆られて夜会に出席する際は、騎士服を纏うようになった。
似合う服さえ着ていれば、誰も驚かないし、何も言わなかった。
男性を装っているつもりはないけれど、東域の婦女子の皆様に男装の騎士様と認識されている自覚はある。
本来ならば、男装の令嬢など非難の対象となるだろうに、誰も何も言わないと言う事は、ドレスよりもマシと言う事なのだろう、と、エディスは理解している。
最初のうちは、遠巻きに眺められている事が多かったが、次第に何故か、エスコート役を頼まれるようになった。
社交界デビューするまでの貴族令嬢は、身内以外の男性と話す機会がない(と言う事も、エディスは知らなかった。何しろ、幼い頃から魔獣討伐していれば、年上の男性に教えを乞う機会も多いわけで)。
夜会は婚活市場だから、出来るだけ出席したいけれど、身内にも予定と言うものがある。
サンクリアーニ王国では少子化が問題となっているので、そもそも、頼める身内の数が限られている。
だからと言って、多少、見知った位の男性相手にエスコートを頼むのは、色んな意味で怖い。
そこで、エディスだ。
エディスならば、見た目は騎士様でも中身は女性なのだから、怖くない。
心の中のハードルが、二段階位、下がるのだそうだ。
エディスのエスコートを受け、ダンスをリードして貰い、次第に男性との距離感に自信を持てるようになって、リアルな婚活市場に乗り込み、婚約、結婚する。
この十年、こうしてエディスは、数多くの令嬢を送り出してきた。
愛想がよくても女癖の悪い男相手ならば壁になり、不愛想でも情に厚い男相手ならば間を取り持ち。
そんな姿に、ご令嬢方の親御さんも、安心して任せてくれる。
自分で言うのも何だが、なかなかの仲人振りだと思う。
…エディス自身に、ご縁が巡って来ないだけで。
エルミナもまた、エディスを見込んだ彼女の父親から託されている令嬢だった。
子宝に恵まれなかったダンレッド家に、長年の夢が叶って授かったエルミナを、彼女の両親は目に入れても痛くない程に可愛がっている。
愛娘には、心の傷一つ負わせたくない。
政略ではなく、彼女自身が愛する人と添うて欲しい、と願う両親が、「人を見る目を養わせて頂きなさい」と、エディスに学ぶように教えているのだ。
エルミナもまた、初対面の時から、エディスを素直に慕ってくれている。
「エディス様、次の夜会もエスコートをお願いしてよろしいですか?」
ダンスを踊るべく、エルミナに手を差し伸べたエディスは、そう問われて首を傾げた。
当然、エディスが男性パートだ。
女性パートのダンスなど、すっかり忘れてしまった。
「次…と言うと、二週間後ですか?」
「はい。アンティーナ伯爵様の催されるものなのですが」
「申し訳ございません。暫く、東域を離れるのです」
「まぁ!」
「父から、仕事を言いつかりまして。任期が定まっておりませんもので、いつまでに帰宅が叶うか判らないのです」
「そう、ですか…残念ですわ…。あ、あの…でしたら、キム様は…?」
「キムですか?」
エディスは、ちらり、と視界の端で騎士仲間と談笑しているキムを確認する。
エディスはエルミナをエスコートするべく夜会に参加しているが、そのエディスの護衛として、誰かしらが必ずラングリード家からついてくるのがお決まりだった。
エディスからすれば、女と見られていない自分が一人になった所で、何が問題なのだろうと思うのだけれど、本来、貴族女性は一人きりになってはいけないものだ。
こんな行かず後家の自分でも、女性として扱ってくれる家族の好意は有難い。
今日は、キムがその当番になっていた。
「恐らくは、問題ないかと。確認の上、エルミナ様にお返事を差し上げるのでよろしいですか?」
「はい!」
エルミナもまた、キムを確認して、頬を染めた。
その様子を見て、エディスは、キムに春が来たかな、と嬉しくなる。
魔獣の出没が少ない王都とは違い、魔獣討伐を主な任務にしている辺境の騎士は、怪我が絶えないし、命の危険だって大きい。
だが、民を守る素晴らしい職だとして、特に深淵の森に近い領に住むご令嬢は、騎士に対する憧れが強い。
一方で、それまでに接した事のない人種だから、尻込みしてしまうご令嬢は少なくない。
そこで、エディスで慣れてから、実際の騎士にアプローチしていくのである。
直ぐ上の兄ウォルトも、二人の弟達、オリバー、カーティスも、エディスがエスコートしたご令嬢と結婚もしくは婚約している。
ラングリード家の後継ぎは、長兄アーサーに決まっているから、他の兄弟は家を継ぐ事はない。
しかし、騎士であれば、一代とは言え騎士爵を授かるので食いっぱぐれる事はないし、少子化に悩む貴族には、婿入り希望の家も多い。
既婚者である兄イネスとウォルトもまた、婿として先方の家を継ぐ事になっている。
これで、キムも結婚相手が決まれば、母親代わりを務めて来たエディスとしては、一つ、大きな肩の荷が降りる事になる。
一曲踊り終えた時、遅参の予定だったエルミナの父、ダンレッド伯爵がこちらを見ているのに気づいて、エディスはエルミナに声を掛けた。
「お父上が、エルミナ様のお相手をなさりたいようですよ」
「まぁ、お父様ったら!エディス様に焼餅を焼いているんですのよ」
「おや、それは光栄ですね」
くすりと笑うと、エディスはエルミナをエスコートして、ダンレッド伯爵の元へと誘った。
「エディス殿、エルミナの相手を有難う。どうしても外せない所用があったものでな、助かった」
「お役に立てて光栄です」
エディスはエルミナを無事に保護者に引き渡すと、明日の準備の為に、一足早く、夜会を辞する事にした。
本来ならば、貴族令嬢としては、夜会で出会いを見つけたり、交流を深めて伝手を作ったりしなければならないのだが…ここは、エディスの戦場ではない事を、もう十二分に思い知っている。
「姉さん、もう、帰るの?」
「キム。そうだね、明日の事もあるから。ポチの上で寝たら洒落にならない」
「ポチは、姉さんを落したりしないと思うけど」
「人生に絶対はないよ」
軽口を叩きながら馬車に向かうと、今夜の護衛であるキムもついてきた。
「あぁ、そうだ。ダンレッド伯爵家のエルミナ様から、二週間後のアンティーナ伯爵の夜会で、キムにエスコートして欲しいとお申し出があったけど、どうする?」
「え、エルミナ様?!」
キムの頬が、夜目にも鮮やかに染まるのが見えて、エディスはにこにこと笑うと、自分よりも随分大きくなってしまった弟の頭を撫でた。
キムはキムで、エディスが撫でやすいように少し屈む辺り、十八になったとは言え、まだまだ可愛いのだ。
「う、うん…是非、お願いしたい…」
「じゃあ、早速、お返事を書くといい」
「判った」
真剣な顔で、一生懸命、
「二週間後…」
とブツブツ呟く弟のいじらしさに、エディスは一層、笑みを深くした。
恐らく、休暇の調整を考えているのだろう。
「我が家は恋愛結婚を推奨しているのだから、待っていても縁談はないよ。お前もこれで成人したのだし、自分で幸せを探してごらん。意気投合するお相手と、直ぐに出会えるかは判らないけどね」
「姉さん…俺の事より、姉さんは?姉さんはいっつも、周りの人の事ばかりだ」
「私は、」
言い掛けて、エディスは苦笑した。
「父さんが、婚約を結んで来たのだから、その結果次第じゃない?上手くいってもいかなくても、私には大差ない気がする」
どうせ、美女と野獣と自分達で笑って言っていた父さんと母さんみたいに、仲睦まじい夫婦にはなれそうにないのだから。
「姉さん…」
キムの途方に暮れたような顔を見て、エディスはまた、にこりと笑うと、弟の頭を撫でた。
「私は、皆が幸せなら、それで幸せだよ」
きらきらと輝く瞳、薔薇色に染まった頬、薄桃色の段フリルのドレス。
可愛いなぁ、と思いながら、エディスはにこりと微笑んだ。
「お誘い頂き、光栄です、エルミナ様」
豊かなアルトの声は、夜会のざわめきの中でもよく通る。
「わたくし、エディス様にエスコートして頂けるなんて、とっても幸せです!」
エディス・ラングリード。
紛う事なき、貴族令嬢である。
けれど、今日のエディスは、礼装用の騎士服に身を包み、社交界デビューから間もないご令嬢をエスコートしていた。
背の中程まで伸ばした艶やかな黒髪を、うなじで一つにまとめ、細い革紐で縛っている。
化粧っ気のない顔立ちは、魔獣討伐で野外に立つ事が多い為、貴族令嬢としてはあり得ない位に健康的に焼けているが、体質的なものか、しみや皺にはなっていない。
切れ長の双眸は、透き通るような緋色。
黒髪に赤瞳と言えばラングリード一族、と言われる位に、特徴的な色合いだった。
通った鼻筋、紅を塗ったわけでもないのに血色の良い唇、すらりと高い背に長い手足が、黒一色の騎士服によく映える。
実用的な筋肉のついた引き締まった体は、骨格のせいか、平均的な騎士と比べると、華奢だろうか。
だが、整列する騎士団員の中にいても、違和感を覚える者はいるまい。
ただ立っているだけでも姿勢が良くて見栄えがする為、先程から、エディスを見かけたご令嬢達が、ほぅ、と熱い溜息を零している事に、本人だけが気づいていない。
知らない者が見れば、エディスは見目麗しい騎士である。
東域の夜会に参加する者で、知らない者はいない、と言うだけで。
社交界デビューのご令嬢が、うっかり、エディスに見惚れてしまうと、周囲の親切な誰かが、
「あの方は、とても凛々しくて素敵だけれど、女性でいらっしゃるから、結婚相手にはなれないわ」
と、こっそり教えてあげている。
今日の、と言うか、ここ数年の、と言うか、社交界デビューの時以外の、と言うか。
エディスが夜会に参加する時は、基本、エスコートをする側、だ。
社交界デビューの時は、長兄アーサーがエスコートしてくれた(次兄イネスと三兄ウォルトと三つ巴の争いになり、アーサーが権利を勝ち取ったのだと言う事を、エディスは知らない)。
社交界デビューの令嬢は皆、白のドレスを身に着ける約束となっている。
色が白であれば、デザインはどのようなものでもよいのだが、基本は、襟ぐりを広く開け、スカート部分にたっぷりと襞を取ったスタイルだ。
勿論、ラングリード家でもエディスの為に、ドレスを仕立てた。
その年の流行りは、ふっくらと膨らませた袖と、キラキラと光を反射するビーズを縫いつけたものだった。
トマスが張り切って奮発し、王都のデザイナーに仕立てさせたドレスは、とても迫力があり、単品で見れば素晴らしい出来栄えだったと言えるだろう。
雪のように真っ白な絹は最高級品、袖は透けるレースで仕立てられていた。
カットの素晴らしい硝子ビーズは、僅かな動きで眩い輝きを放つ。
その高級ビーズをたっぷりと縫い付けられたドレスは、ずっしりと尋常ではなく重い。
エディスは、侍女達が余りの重さにヒィヒィ言いながら着付けてくれる間、じっとよろめく事もなく立ちながら、「折れそうに細いご令嬢達も、こんなに重いドレスを着られると言う事は、意外に体幹がしっかりしているのだな。これはいい筋トレになる」、と考えていたのだが…勿論、そんなわけもなく。
単に、トマスとデザイナーの行き違いで、実際に人が着るドレスだと思われていなかった、と言うのが原因だった。
何しろ、魔獣討伐に多忙だったエディスは、一度もデザイナーと顔を合わせていない。
採寸表だけを渡して作らせた為、デザイナー側はまさか、こんな長身でしっかりとした体格のご令嬢が存在すると、思いもしなかったらしい。
夜会の目玉になるような展示物として、芸術品らしくインパクトのあるドレスを求められた、と、勘違いした結果、重量度外視のドレスが出来上がったのだ。
エディスが着用する事を想定せずに作られたドレスは…恐ろしい位に、エディスに似合わなかった。
透けるレースの袖は、筋肉で引き締まった二の腕をより太く強調したし、長い足を覆うたっぷりとしたスカートは、裾周りだけで十メートル。
膨張色である白も相俟って、見る者を圧迫する存在感があった。
四苦八苦しながら着せ付けてくれた侍女達が、疲労困憊の状態で姿見を見せてくれた時、エディスだって、何だかちょっと思ってたのと違うな、とは思ったのだ。
確かに、ドレスは素晴らしかった。
けれど、どれだけ、トマスや兄達が褒めそやしてくれても、自分に似合っているか?となると、自信を持って頷く事は出来なかった。
とは言え、エスコートがアーサーだったから、会場に足を踏み入れるまで、そこまで大きな問題だとも思っていなかった。
何しろ、エディスはドレスを着慣れていない。
どんなデザインが似合うのかすら、考えた事がなかったのだから。
――会場に足を踏み入れた瞬間、耳が痛い位にしん…と静まり返った事だけは、十年経った今でも忘れられない。
アーサーは、その時、二十四歳。
身長は二メートルを越えるまでに成長し、横幅は細身の男性の二倍はあるだろう。
ゴツゴツと筋肉質な体を包む礼装用騎士服の肩周りが、ミチミチと不穏な音を立てているのを聞いて、「羨ましい。また、筋肉増量したんだな。仕立て直さなきゃ」と思ったのを覚えている。
その隣に立っているから、意識した事がなかったものの、エディスの身長は百八十センチある。
縦が大きい分、そうは見えないが、触れたら折れそうな令嬢方に比べると横幅もしっかりとある。
サンクリアーニ王国の女性の平均身長は、百六十センチ程度。
男性の平均身長は、百八十センチに僅かに届かないだろうか。
騎士になる事は不可能と知りながらも、騎士団に入団する男達と同レベルに戦えるエディスは…貴族令嬢としては、余りにも規格外だった。
正に、壁としか言えないアーサーと、ドレスの分、同じだけの質量を持つエディス。
エディスの白ドレスを見て、卒倒するご令嬢、声にならない悲鳴を上げる保護者、怖いもの見たさでちらちらとこちらを見て来るエスコートの男性陣。
現場は、阿鼻叫喚となった。
それ以降のエディスの記憶は、ない。
気づいたら、ドレスを脱いで、屋敷の自室でベッドに潜り込んでいた。
それまでのエディスは、ラングリード家に生まれた者として、何時如何なる時でも魔獣に相対する事が出来るように、動きやすい兄達のお下がりばかり、着ていた。
ドレスに限らず、令嬢らしい服装など、殆ど着た事がない。
討伐が多忙で、少女同士の交流会にも参加していなかったから、子沢山ラングリード家は、全員男の七人兄弟だと認識されていた、と知ったのは、後の話。
男しかいないと思っていたのに、そのうちの一人がドレスを着て夜会に現れたのだから、それは、パニックにもなるだろう。
ましてや、見るからにご令嬢と判る華奢な娘ではなく、女だと主張されても疑いの目しか向けられないエディスなのだから。
それ以来、エディスは必要に駆られて夜会に出席する際は、騎士服を纏うようになった。
似合う服さえ着ていれば、誰も驚かないし、何も言わなかった。
男性を装っているつもりはないけれど、東域の婦女子の皆様に男装の騎士様と認識されている自覚はある。
本来ならば、男装の令嬢など非難の対象となるだろうに、誰も何も言わないと言う事は、ドレスよりもマシと言う事なのだろう、と、エディスは理解している。
最初のうちは、遠巻きに眺められている事が多かったが、次第に何故か、エスコート役を頼まれるようになった。
社交界デビューするまでの貴族令嬢は、身内以外の男性と話す機会がない(と言う事も、エディスは知らなかった。何しろ、幼い頃から魔獣討伐していれば、年上の男性に教えを乞う機会も多いわけで)。
夜会は婚活市場だから、出来るだけ出席したいけれど、身内にも予定と言うものがある。
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だからと言って、多少、見知った位の男性相手にエスコートを頼むのは、色んな意味で怖い。
そこで、エディスだ。
エディスならば、見た目は騎士様でも中身は女性なのだから、怖くない。
心の中のハードルが、二段階位、下がるのだそうだ。
エディスのエスコートを受け、ダンスをリードして貰い、次第に男性との距離感に自信を持てるようになって、リアルな婚活市場に乗り込み、婚約、結婚する。
この十年、こうしてエディスは、数多くの令嬢を送り出してきた。
愛想がよくても女癖の悪い男相手ならば壁になり、不愛想でも情に厚い男相手ならば間を取り持ち。
そんな姿に、ご令嬢方の親御さんも、安心して任せてくれる。
自分で言うのも何だが、なかなかの仲人振りだと思う。
…エディス自身に、ご縁が巡って来ないだけで。
エルミナもまた、エディスを見込んだ彼女の父親から託されている令嬢だった。
子宝に恵まれなかったダンレッド家に、長年の夢が叶って授かったエルミナを、彼女の両親は目に入れても痛くない程に可愛がっている。
愛娘には、心の傷一つ負わせたくない。
政略ではなく、彼女自身が愛する人と添うて欲しい、と願う両親が、「人を見る目を養わせて頂きなさい」と、エディスに学ぶように教えているのだ。
エルミナもまた、初対面の時から、エディスを素直に慕ってくれている。
「エディス様、次の夜会もエスコートをお願いしてよろしいですか?」
ダンスを踊るべく、エルミナに手を差し伸べたエディスは、そう問われて首を傾げた。
当然、エディスが男性パートだ。
女性パートのダンスなど、すっかり忘れてしまった。
「次…と言うと、二週間後ですか?」
「はい。アンティーナ伯爵様の催されるものなのですが」
「申し訳ございません。暫く、東域を離れるのです」
「まぁ!」
「父から、仕事を言いつかりまして。任期が定まっておりませんもので、いつまでに帰宅が叶うか判らないのです」
「そう、ですか…残念ですわ…。あ、あの…でしたら、キム様は…?」
「キムですか?」
エディスは、ちらり、と視界の端で騎士仲間と談笑しているキムを確認する。
エディスはエルミナをエスコートするべく夜会に参加しているが、そのエディスの護衛として、誰かしらが必ずラングリード家からついてくるのがお決まりだった。
エディスからすれば、女と見られていない自分が一人になった所で、何が問題なのだろうと思うのだけれど、本来、貴族女性は一人きりになってはいけないものだ。
こんな行かず後家の自分でも、女性として扱ってくれる家族の好意は有難い。
今日は、キムがその当番になっていた。
「恐らくは、問題ないかと。確認の上、エルミナ様にお返事を差し上げるのでよろしいですか?」
「はい!」
エルミナもまた、キムを確認して、頬を染めた。
その様子を見て、エディスは、キムに春が来たかな、と嬉しくなる。
魔獣の出没が少ない王都とは違い、魔獣討伐を主な任務にしている辺境の騎士は、怪我が絶えないし、命の危険だって大きい。
だが、民を守る素晴らしい職だとして、特に深淵の森に近い領に住むご令嬢は、騎士に対する憧れが強い。
一方で、それまでに接した事のない人種だから、尻込みしてしまうご令嬢は少なくない。
そこで、エディスで慣れてから、実際の騎士にアプローチしていくのである。
直ぐ上の兄ウォルトも、二人の弟達、オリバー、カーティスも、エディスがエスコートしたご令嬢と結婚もしくは婚約している。
ラングリード家の後継ぎは、長兄アーサーに決まっているから、他の兄弟は家を継ぐ事はない。
しかし、騎士であれば、一代とは言え騎士爵を授かるので食いっぱぐれる事はないし、少子化に悩む貴族には、婿入り希望の家も多い。
既婚者である兄イネスとウォルトもまた、婿として先方の家を継ぐ事になっている。
これで、キムも結婚相手が決まれば、母親代わりを務めて来たエディスとしては、一つ、大きな肩の荷が降りる事になる。
一曲踊り終えた時、遅参の予定だったエルミナの父、ダンレッド伯爵がこちらを見ているのに気づいて、エディスはエルミナに声を掛けた。
「お父上が、エルミナ様のお相手をなさりたいようですよ」
「まぁ、お父様ったら!エディス様に焼餅を焼いているんですのよ」
「おや、それは光栄ですね」
くすりと笑うと、エディスはエルミナをエスコートして、ダンレッド伯爵の元へと誘った。
「エディス殿、エルミナの相手を有難う。どうしても外せない所用があったものでな、助かった」
「お役に立てて光栄です」
エディスはエルミナを無事に保護者に引き渡すと、明日の準備の為に、一足早く、夜会を辞する事にした。
本来ならば、貴族令嬢としては、夜会で出会いを見つけたり、交流を深めて伝手を作ったりしなければならないのだが…ここは、エディスの戦場ではない事を、もう十二分に思い知っている。
「姉さん、もう、帰るの?」
「キム。そうだね、明日の事もあるから。ポチの上で寝たら洒落にならない」
「ポチは、姉さんを落したりしないと思うけど」
「人生に絶対はないよ」
軽口を叩きながら馬車に向かうと、今夜の護衛であるキムもついてきた。
「あぁ、そうだ。ダンレッド伯爵家のエルミナ様から、二週間後のアンティーナ伯爵の夜会で、キムにエスコートして欲しいとお申し出があったけど、どうする?」
「え、エルミナ様?!」
キムの頬が、夜目にも鮮やかに染まるのが見えて、エディスはにこにこと笑うと、自分よりも随分大きくなってしまった弟の頭を撫でた。
キムはキムで、エディスが撫でやすいように少し屈む辺り、十八になったとは言え、まだまだ可愛いのだ。
「う、うん…是非、お願いしたい…」
「じゃあ、早速、お返事を書くといい」
「判った」
真剣な顔で、一生懸命、
「二週間後…」
とブツブツ呟く弟のいじらしさに、エディスは一層、笑みを深くした。
恐らく、休暇の調整を考えているのだろう。
「我が家は恋愛結婚を推奨しているのだから、待っていても縁談はないよ。お前もこれで成人したのだし、自分で幸せを探してごらん。意気投合するお相手と、直ぐに出会えるかは判らないけどね」
「姉さん…俺の事より、姉さんは?姉さんはいっつも、周りの人の事ばかりだ」
「私は、」
言い掛けて、エディスは苦笑した。
「父さんが、婚約を結んで来たのだから、その結果次第じゃない?上手くいってもいかなくても、私には大差ない気がする」
どうせ、美女と野獣と自分達で笑って言っていた父さんと母さんみたいに、仲睦まじい夫婦にはなれそうにないのだから。
「姉さん…」
キムの途方に暮れたような顔を見て、エディスはまた、にこりと笑うと、弟の頭を撫でた。
「私は、皆が幸せなら、それで幸せだよ」
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