16 / 22
<15>
しおりを挟む
フェリシア様の仰る通り。
余所行きのドレスがいずれ必要になるのは、確かかもしれない。
「御機嫌よう、ウェインズ男爵令嬢」
何故なら、王城での勤務中もしくは勤務後に、声を掛けられる事が増えたからだ。
今日も、勤務を終え通用口を出て馬車溜まりに向かう途中、名を呼ばれた。
振り返ると、着飾ったご令嬢が三人、微笑みの仮面を張り付けて立っている。
年の頃は、成人したばかり。お肌の張りが羨ましい。
「…御機嫌よう」
社交界に殆ど顔を出さない私は知らない顔だけれど、高級そうなドレスから推測するに、高位貴族のご令嬢方に違いない。
「今度、お茶会を開きますの。ウェインズ男爵令嬢にも出席して頂きたくて、招待状を持参致しましたのよ。是非とも、お近づきになりたいのですわ」
中央に立っていた令嬢が、封筒をちら、と見せた。
名乗る事すらしないのは、自分を知らない人間などいない、との自信からか。
勿論、彼女達の目的は、私と親しくなる事ではない。
私を足掛かりにして、『お近づきになりたい』人がいるのだ。
年齢一桁の子供がいる人ならばアルフォンス様狙いだろうけれど、彼女達の年齢から考えて、ダリウス様狙いだろう。
ダリウス様と共に王城に出勤して以来、私への注目度は段違いに大きくなった。
これにより、私を密かに闇に葬る事は難しくなった一方で、別の目的で近づこうとする人間が増えた。
何とかダリウス様との縁を繋ぎたくて、ノーレイン公爵邸でお世話になっており、ノーレイン公爵の後ろ盾がある私に口利きさせようとしているのだ。
…そんな目的が透けて見えるお茶会の招待状が、実はノーレイン邸にはたくさん届いている。
ダリウス様は現状、公務が忙しいとして社交の場に殆ど顔を出さないものだから、数あるご令嬢方からのお誘いを一切受けていない。
それもあって、私宛の招待は増加する一方だ。
将を射んとする者はまず馬を射よ、と言うけれど、正にそれを実行しようとしていると言う事だ。
一応、私は独身令嬢なのだけれど、二十代半ばの末端男爵令嬢は、彼女達にとっては道端の石と同じ。
ライバルとして認識される筈もなく、ダリウス様への踏み台扱いされている。
屋敷に送られてくる招待状に関しては、ダリウス様の鶴の一声で、不参加のお返事を出しているものの、対面でのご招待をお断りするのは、お相手が高位令嬢だけになかなかにハードルが高い。
「勿論、ご参加頂けるでしょう?少々話題が合わないかもしれませんけれど、わたくし達は気に致しませんから、ご安心なさって?」
圧が強い…。
私にとって、何の利益もないご招待だとは、思わないんだろうな。
どう答えたものか、と悩んでいると、
「遅いぞ、ミカエラ」
背後から、声を掛けられた。
目の前のご令嬢方の目が、輝き出したのが判る。
頻りに私に目配せしてくるのは、「紹介して!」と言う事なんだろうけど、名乗ってくれなかったから、一体、何処の何方なのか、判らない。
紹介しようがございません。
貴族は、身分が上の者に声を掛けられるまで、こちらから話し掛けてはならない。
彼女達は、お行儀よく口を閉じ、両手を胸の前で握り合わせる乙女なポーズとうるうるした瞳で、如何にも話し掛けて欲しそうにダリウス様を見つめている。
「今日の勤務は終わったのだろう?」
「はい、終了致しました」
「では、帰るぞ」
ダリウス様は、ご令嬢方の存在をまるっと無視すると、すっと私の前に肘を差し出した。
エスコートしてくれるつもりらしい。
近衛騎士団に異動になったダリウス様とは、勤務時間が合う日は、一緒に馬車通勤している。
余りにも目立つので、最初のうちは抵抗があったのだけれど、二台の馬車を出して貰う手間を考えたら、諦める他、なかった。
時間が合わない日は、普段よりも地味な(でも、公爵家の紋章入りの)馬車を出して貰っている。
当然だけど、平民用の乗合馬車よりもずっと乗り心地がいいし、便利だ。
…これもまた、贅沢に慣れると生活レベルを落とすのが大変と言う事例かと思うと、贅沢が恐ろしい。
ダリウス様が王城周辺に頻繁に顔を出し、人前でも気にせず私に話し掛ける事で、私を排除しようとする勢力は鳴りを潜めた。
私に傷をつけたら、ノーレイン公爵が黙っていない、と言うのが、行動から見て取れるからだ。
「失礼致します、皆様」
唖然としているご令嬢方に、取り敢えず、辞去の挨拶だけすると、ダリウス様の腕に手を添える。
最初のうちは緊張して手汗が凄かったけれど、こんな事も何度か続けば、慣れて来た。
今日のお相手に関しては、お茶会の招待状を受け取っていないのだから、参加の是非は誤魔化してもいいだろう。
あの、ちら見せが曲者で、
「呼んで欲しいでしょ?だったら言う事を聞きなさい」
と言う脅迫だと思っている。
別に、私は呼んでくれなくて構わない。
けれど、社交界に居場所が欲しいご令嬢なら、逆らえない事は判る。
「何で…っ」
悲鳴のような小さな叫びが聞こえたけれど、ダリウス様も私もそれには反応せずに、馬車溜まりへと悠然と歩き去った。
馬車に乗ったら、まずは本日の確認から。
「先程の令嬢達は?」
「お茶会の招待だったけど、何処の誰かはさっぱり。名乗らなかったし」
「自分を知らない人間などいない、と考えている辺り、傲慢だな。プライドの高い人間ならば余計に、俺にいないもの扱いされたのは堪えた筈だ」
ダリウス様の怖い所は、ちゃんと自分の行動の意味を理解している所だ。
近衛騎士団所属になり、王宮の敷地内勤務となった為に、偶然を装って王宮内でダリウス様を待ち伏せするご令嬢が増えたのだけれど、彼女達の誰一人として、挨拶出来た試しはない。
視界に入っているのは確かなのに、ダリウス様は、見えないもの扱いしているのだ。
ダリウス様も鬼ではないので、きちんとした手順に則って送られた招待状の類なら、無視はしない(全部、多忙を理由にお断りしてるけど)。
そうではなくて、正式な紹介のないまま、見え透いた下心を持った上で偶然の出会いを演出しようとしたり、私を出しにして知己を得ようとしたり、と言う行動を嫌っているのだ。
持ち込まれた縁談も、来る端から断っているから、ダリウス様と何とか面識を得たいご令嬢達の行動が過激化するのも理解出来なくはないのだけれど…。
ちら、と、向かいの座席に座るダリウス様を眺める。
近衛の騎士団服は、真っ白だ。
白地に金ボタンと金の飾緒が、栗色の髪のダリウス様によく似合う。
「他には?」
「アルフォンス様の家庭教師の一人に、ちょっとした嫌味を言われたくらい」
「嫌味?」
「そう。『アルフォンス殿下のお傍に仕えて、ノーレイン公爵に目を掛けられて、よもや、自分に力があると勘違いしているのではあるまいな。お前なぞ、幾らでも挿げ替えられる有象無象に過ぎんのだ』だって」
歴史学のスロース教授の狸顔を思い浮かべながら物真似すると、ダリウス様はあからさまに顔を顰めた。
「それを『ちょっとした嫌味』で済ますか」
「う~ん、あながち間違ってもないかな、って思って…」
「間違っている」
ダリウス様は、きっぱりと切り捨てる。
「お前の代わりなど、誰もいない」
「ありがと」
礼を言いつつも、曖昧な笑みになってしまうのは、私とダリウス様の関係性が判らないからに他ならない。
昔と変わらず、大切にされているのは、確かだ。
アルフォンス様の教育係として、マスカネル王家の実情を知る一人として、幼馴染として、これ以上なく大切にされ、甘やかされている。
強引に招いたのだから、と言う理由で、ノーレイン公爵邸滞在中の生活費すら、全く出させてくれない。
…けれど、私は飽くまで『可愛い妹分』。
再会した時に、ダリウス様にそう言われている。
つまり、勘違いさせずに傍に置ける、心安い存在、と言うだけだろう。
何しろ、ダリウス様に持ち込まれる縁談の数は尋常ではない。
今日の昼間だって、パウズ様経由でユリシーズ様にこっそりと呼び出されて、ダリウス様の縁談について聞かされたばかりだ。
「ミカエラちゃん、ダリウスをよく知る君なら、どっちの女性がダリウスに合うと思う?」
そんな言葉で、質問されて。
「一人目は、ブリジット・セラ・ボーディアン王女殿下。ボーディアンの第一王女だよ。御年十八歳。ボーディアンとの調印式で、ダリウスを見初めたと言って来てる。ボーディアンからすれば、王弟とは言え臣下である公爵家に第一王女を嫁がせる事で、和平を印象付けたいようだね」
パサ、と渡されたのは、ブリジット王女殿下の姿絵。
この手の姿絵は、実物よりも二割増位に描かれるのが常とは言え、高位貴族程、見目麗しい人が多い事を考えれば、美しい人なのだろう。
黒髪に緑の瞳、真っ白な肌。
十八と言う年齢よりも幼く見えるのは、描かれた時期によるのだろうか。
「二人目は、カタリナ・メディセ公爵令嬢。御年二十九歳。いやぁ、彼女も強気だよね。ハーヴェイとの姻族関係終了届は二年前に提出済みだけど、更に純潔証明まで添えて来たよ。一体、何処の医者を抱き込んだのやら。王太子の結婚だよ?夜の生活まで観察されてるって事を、知らないとは思えないんだけどねぇ」
つまり、純潔証明は偽物と言う事か。
カタリナ様は、王太子妃だった時代にお見掛けした事がある。
淡い金髪に水色の瞳は、アラベラ様と共通した色合いだけれど、何と言うか、お人形さんぽいと言うか、余り生気を感じさせない方だったように記憶している。
「カタリナ嬢本人の意思なのか、メディセ公爵家の考えなのか、読めないのが怖いなぁ」
アラベラ様によれば、メディセ一門はキャンビル辺境伯家の血を引いているユリシーズ様の即位を快く思っていないらしい。
であれば、弟であるダリウス様に好意的とは思えない。
けれど、だからこそ、婚姻歴のあるカタリナ様をあてがい、他の有力な家と繋がる事を防ごうとしている、とも見える。
「国内の他の令嬢達からの縁談は、ばっさりお断りしても何とかなるんだけど、この二人だけはね…理由なしにお断り~、ってわけにいかなくて…」
そもそも、何でダリウス様宛の縁談なのに、ユリシーズ様が管理しているのだろう?
疑問が顔に出たのか、ユリシーズ様は、苦笑して答えてくれた。
「ダリウスはね、既に『受ける気はない』って結論を出してるんだ」
「あぁ…なるほど」
ダリウス様ご本人に縁談を受ける気はないけれど、国として思案せずに済ませられる規模の話ではないから、ユリシーズ様が頭を悩ませている、と言う事か。
「と言う事で、改めて、ミカエラちゃんはどう思う?」
「どう思うも、何も…」
仕事中にわざわざ呼び出されて受ける質問が、これか。
隣国の王女と、国内の公爵令嬢。
どちらも、私から見れば雲の上の存在だ。
ダリウス様は、そんな人達との縁組を求められる存在。
そんな事、今更、釘を刺されなくても判っている。
バツイチの木っ端男爵令嬢が、将来を妄想出来るような相手じゃない。
勘違いなんかしていないのだから、放っておいて欲しい。
「どちらの方が相応しい、とかじゃなくて…頑固な方ですから、自分で『結婚する』と決めた相手以外とは、誰が何をどう言おうと、首を縦に振らないと思います」
「そうだよね~」
「結婚する気がゼロ、と言うわけではないんですから、気長に待てませんか?」
「う~ん、ほら、断るにしても、『もう既に相手がいるので』って理由と、『貴方とは結婚する気になれないので』って理由じゃ、全然相手の気持ちが違うでしょ?」
「それは…そうですね」
だからと言って、私に言われても困るのだけれど。
「ミカエラちゃん自身は、どう思うの?」
「何が、ですか?」
「ダリウスの結婚」
…やっぱり、釘を刺されてるんだろうな。
ノーレイン公爵邸でお世話になっている事を、ユリシーズ様はよく思っていないのかもしれない。
幼馴染とは言え、未婚の弟の周りを異性がうろうろしていたら、目障りだろう。
「あ、ちょっと待って、勘違いしないでね?!迷惑掛けないようにノーレイン邸から出てくとか、言わないでよ?!そんな事言われたら、私がダリウスに殺されるからっ」
「大袈裟な…」
幾らダリウス様でも、自分が許可した事を兄が反対した程度で、そこまで怒る事はない筈だ。
「私は…」
結婚、か。
「自分が結婚に失敗していますから…互いに向き合える方、心から望む方と、結婚して欲しいです。幸せに、なって頂きたいので」
「そっか。そうだよね。その通りだ。因みになんだけどね、うちは両親が恋愛結婚だから、私もダリウスには好きな相手と結婚して欲しいんだ。知ってる?両親はね、」
その後は、サディアス様とフェリシア様の『出会い編』から『激闘編』、紆余曲折を乗り越えての『求婚編』まで、しっかりと拝聴する羽目になった。
なかなかに壮大な物語だったけど、知っている人の恋愛話って、何でこんなに気恥ずかしいのだろう。
「ミカエラ」
ダリウス様に名を呼ばれて、ぼーっとしていた事に気が付く。
他の誰でもなくダリウス様の兄であるユリシーズ様に釘を刺された事が、想像以上に堪えたらしい。
いつもと同じように会話しようとするのに、何だか胸に錘が詰め込まれたようで、ずっしりと重い。
「はい」
「来月、兄上の即位一年を祝して、記念式典と園遊会が催される」
「?はい」
その関係で、アルフォンス様の予定が流動的になる。
来月は、それを踏まえた上で『遊び』を入れるタイミングを見計らわないとならない。
「俺と共に、園遊会に出て欲しい」
「え?」
記念式典に出席するのは、国の重鎮と国外からの貴賓のみ。
園遊会には、記念式典の参加者と高位貴族当主及び同伴者が出席すると聞いている。
ノーレイン公爵の同伴者として、私に出席しろと言う事…?
「え、でも、園遊会はパートナーの同伴必須ではない筈じゃ」
「夜会とは異なるから、必須ではないな。だが…俺が一人だと、面倒な事が色々起きる」
「あぁ…」
同伴者は何も配偶者に限ったものではないし、常識的な人数であれば、子世代を連れて来る人も少なくないだろう。
ノーレイン公爵として、ダリウス様が園遊会に出席しない事はあり得ないのだから、何とか面識を得ようとするご令嬢方が、大挙して押し寄せて来るかもしれないのか。
パートナーが居れば、挨拶だけならともかく、長話を断る理由をつけやすい。
でも。
「…私じゃあ、虫除けにはならないよ?」
「何故だ?」
「え、だって、高位貴族のご令嬢達にとって、私はいてもいなくても大差ない、って言うか。彼女達が私をお茶会だ何だに招待しようとするのは、きっかけ作りの為であって、目の前に標的がいるなら、私自身はどうでもいいわけだから」
「…」
ダリウス様は、何か言いたげな顔で私を見たけれど、結局、口を噤む。
「当主に紹介されたら、ご令嬢を無視出来なくなっちゃうけど、そこでボーディアンのお姫様とか、メディセ公爵令嬢との縁談が持ち上がってる事を匂わせれば、諦めると思うよ?」
その二人の名前を聞いて、勝ち目がある!と胸を張れる令嬢が、何人いるやら。
寧ろ、それ位、勝気な人の方がダリウス様には向いてるんじゃないだろうか。
ズキ、と、胸が痛む。
「…何故、それを知っている」
「ユリシーズ様に、『どちらの縁談がいいと思う?』って聞かれたから」
「…それで、お前は何と答えたんだ」
「『どっちだろうと、本人が望む相手じゃなければ、頷かないですよ』って。ユリシーズ様もそれは判った上で、穏便にお断りする方法を考えてるんでしょう?」
ダリウス様は大きく溜息を吐いた。
「俺は政略結婚を受け入れる気は更々ないが、政略だとしても、あの二件の縁談はありえない」
「…そうなの?」
「先の戦争で勝利したのは、功を焦ったボーディアンの第二王子に、戦闘不能なまでの大打撃を与えられたからだ。彼は今もまだ、生死の境を彷徨っていると聞く。ボーディアンには側室制度があるが、第一王女は第二王子の同母妹。兄を死の淵に追い込んだ俺との縁談など、寝首を掻いてくれと言うようなものだろう?」
「それは…そうだね…」
所謂、敵と言うものなのだから。
それを踏まえた上で、『調印式でダリウス様を見初めた』とのエピソードを聞くと、薄ら寒いものを感じる。
「メディセ公爵令嬢は、問答無用で却下だ。死別した婦人の再婚は珍しいものではないが、喪明けと共に姻族関係終了届を提出し、以降、一度もハーヴェイ従兄上の追悼式典にすら出席していない。従兄上とノーレイン家の縁が薄いと高を括っているのかもしれんが、身内として気分のいいものではない。それに、彼女は自分の意思と言うものを感じられない女性だ。この縁談も、メディセ公爵家からの嫌がらせだろう。兄上は、メディセ家の影響を完全に排除出来ないから苦労しているのだろうが、ノーレイン家はメディセ家と繋がりがなくとも問題ない」
きっぱりと言い切ったダリウス様は、正面から私の顔を見据える。
「例え匂わせる程度だろうと、受ける気が砂一粒たりともない縁談を持ち出すわけにはいかない」
「で、でも、私が隣に立ってた所で、何の効果もないよ。寧ろ、カカシの方がマシかも。吹けば飛ぶような名も知れぬ男爵令嬢おまけに出戻りじゃ、余計にご令嬢方のやる気を刺激しちゃう」
「俺には、効果がある。お前が隣にいれば、何にでも立ち向かえる」
「え…」
唖然として言葉に詰まると、ダリウス様は、困ったような、慈しむような、これまでに見た事のない曖昧な表情を浮かべた。
「別に、返事は急いでない。お前以外を誘う気はないからな。だから、ゆっくり考えろ」
余所行きのドレスがいずれ必要になるのは、確かかもしれない。
「御機嫌よう、ウェインズ男爵令嬢」
何故なら、王城での勤務中もしくは勤務後に、声を掛けられる事が増えたからだ。
今日も、勤務を終え通用口を出て馬車溜まりに向かう途中、名を呼ばれた。
振り返ると、着飾ったご令嬢が三人、微笑みの仮面を張り付けて立っている。
年の頃は、成人したばかり。お肌の張りが羨ましい。
「…御機嫌よう」
社交界に殆ど顔を出さない私は知らない顔だけれど、高級そうなドレスから推測するに、高位貴族のご令嬢方に違いない。
「今度、お茶会を開きますの。ウェインズ男爵令嬢にも出席して頂きたくて、招待状を持参致しましたのよ。是非とも、お近づきになりたいのですわ」
中央に立っていた令嬢が、封筒をちら、と見せた。
名乗る事すらしないのは、自分を知らない人間などいない、との自信からか。
勿論、彼女達の目的は、私と親しくなる事ではない。
私を足掛かりにして、『お近づきになりたい』人がいるのだ。
年齢一桁の子供がいる人ならばアルフォンス様狙いだろうけれど、彼女達の年齢から考えて、ダリウス様狙いだろう。
ダリウス様と共に王城に出勤して以来、私への注目度は段違いに大きくなった。
これにより、私を密かに闇に葬る事は難しくなった一方で、別の目的で近づこうとする人間が増えた。
何とかダリウス様との縁を繋ぎたくて、ノーレイン公爵邸でお世話になっており、ノーレイン公爵の後ろ盾がある私に口利きさせようとしているのだ。
…そんな目的が透けて見えるお茶会の招待状が、実はノーレイン邸にはたくさん届いている。
ダリウス様は現状、公務が忙しいとして社交の場に殆ど顔を出さないものだから、数あるご令嬢方からのお誘いを一切受けていない。
それもあって、私宛の招待は増加する一方だ。
将を射んとする者はまず馬を射よ、と言うけれど、正にそれを実行しようとしていると言う事だ。
一応、私は独身令嬢なのだけれど、二十代半ばの末端男爵令嬢は、彼女達にとっては道端の石と同じ。
ライバルとして認識される筈もなく、ダリウス様への踏み台扱いされている。
屋敷に送られてくる招待状に関しては、ダリウス様の鶴の一声で、不参加のお返事を出しているものの、対面でのご招待をお断りするのは、お相手が高位令嬢だけになかなかにハードルが高い。
「勿論、ご参加頂けるでしょう?少々話題が合わないかもしれませんけれど、わたくし達は気に致しませんから、ご安心なさって?」
圧が強い…。
私にとって、何の利益もないご招待だとは、思わないんだろうな。
どう答えたものか、と悩んでいると、
「遅いぞ、ミカエラ」
背後から、声を掛けられた。
目の前のご令嬢方の目が、輝き出したのが判る。
頻りに私に目配せしてくるのは、「紹介して!」と言う事なんだろうけど、名乗ってくれなかったから、一体、何処の何方なのか、判らない。
紹介しようがございません。
貴族は、身分が上の者に声を掛けられるまで、こちらから話し掛けてはならない。
彼女達は、お行儀よく口を閉じ、両手を胸の前で握り合わせる乙女なポーズとうるうるした瞳で、如何にも話し掛けて欲しそうにダリウス様を見つめている。
「今日の勤務は終わったのだろう?」
「はい、終了致しました」
「では、帰るぞ」
ダリウス様は、ご令嬢方の存在をまるっと無視すると、すっと私の前に肘を差し出した。
エスコートしてくれるつもりらしい。
近衛騎士団に異動になったダリウス様とは、勤務時間が合う日は、一緒に馬車通勤している。
余りにも目立つので、最初のうちは抵抗があったのだけれど、二台の馬車を出して貰う手間を考えたら、諦める他、なかった。
時間が合わない日は、普段よりも地味な(でも、公爵家の紋章入りの)馬車を出して貰っている。
当然だけど、平民用の乗合馬車よりもずっと乗り心地がいいし、便利だ。
…これもまた、贅沢に慣れると生活レベルを落とすのが大変と言う事例かと思うと、贅沢が恐ろしい。
ダリウス様が王城周辺に頻繁に顔を出し、人前でも気にせず私に話し掛ける事で、私を排除しようとする勢力は鳴りを潜めた。
私に傷をつけたら、ノーレイン公爵が黙っていない、と言うのが、行動から見て取れるからだ。
「失礼致します、皆様」
唖然としているご令嬢方に、取り敢えず、辞去の挨拶だけすると、ダリウス様の腕に手を添える。
最初のうちは緊張して手汗が凄かったけれど、こんな事も何度か続けば、慣れて来た。
今日のお相手に関しては、お茶会の招待状を受け取っていないのだから、参加の是非は誤魔化してもいいだろう。
あの、ちら見せが曲者で、
「呼んで欲しいでしょ?だったら言う事を聞きなさい」
と言う脅迫だと思っている。
別に、私は呼んでくれなくて構わない。
けれど、社交界に居場所が欲しいご令嬢なら、逆らえない事は判る。
「何で…っ」
悲鳴のような小さな叫びが聞こえたけれど、ダリウス様も私もそれには反応せずに、馬車溜まりへと悠然と歩き去った。
馬車に乗ったら、まずは本日の確認から。
「先程の令嬢達は?」
「お茶会の招待だったけど、何処の誰かはさっぱり。名乗らなかったし」
「自分を知らない人間などいない、と考えている辺り、傲慢だな。プライドの高い人間ならば余計に、俺にいないもの扱いされたのは堪えた筈だ」
ダリウス様の怖い所は、ちゃんと自分の行動の意味を理解している所だ。
近衛騎士団所属になり、王宮の敷地内勤務となった為に、偶然を装って王宮内でダリウス様を待ち伏せするご令嬢が増えたのだけれど、彼女達の誰一人として、挨拶出来た試しはない。
視界に入っているのは確かなのに、ダリウス様は、見えないもの扱いしているのだ。
ダリウス様も鬼ではないので、きちんとした手順に則って送られた招待状の類なら、無視はしない(全部、多忙を理由にお断りしてるけど)。
そうではなくて、正式な紹介のないまま、見え透いた下心を持った上で偶然の出会いを演出しようとしたり、私を出しにして知己を得ようとしたり、と言う行動を嫌っているのだ。
持ち込まれた縁談も、来る端から断っているから、ダリウス様と何とか面識を得たいご令嬢達の行動が過激化するのも理解出来なくはないのだけれど…。
ちら、と、向かいの座席に座るダリウス様を眺める。
近衛の騎士団服は、真っ白だ。
白地に金ボタンと金の飾緒が、栗色の髪のダリウス様によく似合う。
「他には?」
「アルフォンス様の家庭教師の一人に、ちょっとした嫌味を言われたくらい」
「嫌味?」
「そう。『アルフォンス殿下のお傍に仕えて、ノーレイン公爵に目を掛けられて、よもや、自分に力があると勘違いしているのではあるまいな。お前なぞ、幾らでも挿げ替えられる有象無象に過ぎんのだ』だって」
歴史学のスロース教授の狸顔を思い浮かべながら物真似すると、ダリウス様はあからさまに顔を顰めた。
「それを『ちょっとした嫌味』で済ますか」
「う~ん、あながち間違ってもないかな、って思って…」
「間違っている」
ダリウス様は、きっぱりと切り捨てる。
「お前の代わりなど、誰もいない」
「ありがと」
礼を言いつつも、曖昧な笑みになってしまうのは、私とダリウス様の関係性が判らないからに他ならない。
昔と変わらず、大切にされているのは、確かだ。
アルフォンス様の教育係として、マスカネル王家の実情を知る一人として、幼馴染として、これ以上なく大切にされ、甘やかされている。
強引に招いたのだから、と言う理由で、ノーレイン公爵邸滞在中の生活費すら、全く出させてくれない。
…けれど、私は飽くまで『可愛い妹分』。
再会した時に、ダリウス様にそう言われている。
つまり、勘違いさせずに傍に置ける、心安い存在、と言うだけだろう。
何しろ、ダリウス様に持ち込まれる縁談の数は尋常ではない。
今日の昼間だって、パウズ様経由でユリシーズ様にこっそりと呼び出されて、ダリウス様の縁談について聞かされたばかりだ。
「ミカエラちゃん、ダリウスをよく知る君なら、どっちの女性がダリウスに合うと思う?」
そんな言葉で、質問されて。
「一人目は、ブリジット・セラ・ボーディアン王女殿下。ボーディアンの第一王女だよ。御年十八歳。ボーディアンとの調印式で、ダリウスを見初めたと言って来てる。ボーディアンからすれば、王弟とは言え臣下である公爵家に第一王女を嫁がせる事で、和平を印象付けたいようだね」
パサ、と渡されたのは、ブリジット王女殿下の姿絵。
この手の姿絵は、実物よりも二割増位に描かれるのが常とは言え、高位貴族程、見目麗しい人が多い事を考えれば、美しい人なのだろう。
黒髪に緑の瞳、真っ白な肌。
十八と言う年齢よりも幼く見えるのは、描かれた時期によるのだろうか。
「二人目は、カタリナ・メディセ公爵令嬢。御年二十九歳。いやぁ、彼女も強気だよね。ハーヴェイとの姻族関係終了届は二年前に提出済みだけど、更に純潔証明まで添えて来たよ。一体、何処の医者を抱き込んだのやら。王太子の結婚だよ?夜の生活まで観察されてるって事を、知らないとは思えないんだけどねぇ」
つまり、純潔証明は偽物と言う事か。
カタリナ様は、王太子妃だった時代にお見掛けした事がある。
淡い金髪に水色の瞳は、アラベラ様と共通した色合いだけれど、何と言うか、お人形さんぽいと言うか、余り生気を感じさせない方だったように記憶している。
「カタリナ嬢本人の意思なのか、メディセ公爵家の考えなのか、読めないのが怖いなぁ」
アラベラ様によれば、メディセ一門はキャンビル辺境伯家の血を引いているユリシーズ様の即位を快く思っていないらしい。
であれば、弟であるダリウス様に好意的とは思えない。
けれど、だからこそ、婚姻歴のあるカタリナ様をあてがい、他の有力な家と繋がる事を防ごうとしている、とも見える。
「国内の他の令嬢達からの縁談は、ばっさりお断りしても何とかなるんだけど、この二人だけはね…理由なしにお断り~、ってわけにいかなくて…」
そもそも、何でダリウス様宛の縁談なのに、ユリシーズ様が管理しているのだろう?
疑問が顔に出たのか、ユリシーズ様は、苦笑して答えてくれた。
「ダリウスはね、既に『受ける気はない』って結論を出してるんだ」
「あぁ…なるほど」
ダリウス様ご本人に縁談を受ける気はないけれど、国として思案せずに済ませられる規模の話ではないから、ユリシーズ様が頭を悩ませている、と言う事か。
「と言う事で、改めて、ミカエラちゃんはどう思う?」
「どう思うも、何も…」
仕事中にわざわざ呼び出されて受ける質問が、これか。
隣国の王女と、国内の公爵令嬢。
どちらも、私から見れば雲の上の存在だ。
ダリウス様は、そんな人達との縁組を求められる存在。
そんな事、今更、釘を刺されなくても判っている。
バツイチの木っ端男爵令嬢が、将来を妄想出来るような相手じゃない。
勘違いなんかしていないのだから、放っておいて欲しい。
「どちらの方が相応しい、とかじゃなくて…頑固な方ですから、自分で『結婚する』と決めた相手以外とは、誰が何をどう言おうと、首を縦に振らないと思います」
「そうだよね~」
「結婚する気がゼロ、と言うわけではないんですから、気長に待てませんか?」
「う~ん、ほら、断るにしても、『もう既に相手がいるので』って理由と、『貴方とは結婚する気になれないので』って理由じゃ、全然相手の気持ちが違うでしょ?」
「それは…そうですね」
だからと言って、私に言われても困るのだけれど。
「ミカエラちゃん自身は、どう思うの?」
「何が、ですか?」
「ダリウスの結婚」
…やっぱり、釘を刺されてるんだろうな。
ノーレイン公爵邸でお世話になっている事を、ユリシーズ様はよく思っていないのかもしれない。
幼馴染とは言え、未婚の弟の周りを異性がうろうろしていたら、目障りだろう。
「あ、ちょっと待って、勘違いしないでね?!迷惑掛けないようにノーレイン邸から出てくとか、言わないでよ?!そんな事言われたら、私がダリウスに殺されるからっ」
「大袈裟な…」
幾らダリウス様でも、自分が許可した事を兄が反対した程度で、そこまで怒る事はない筈だ。
「私は…」
結婚、か。
「自分が結婚に失敗していますから…互いに向き合える方、心から望む方と、結婚して欲しいです。幸せに、なって頂きたいので」
「そっか。そうだよね。その通りだ。因みになんだけどね、うちは両親が恋愛結婚だから、私もダリウスには好きな相手と結婚して欲しいんだ。知ってる?両親はね、」
その後は、サディアス様とフェリシア様の『出会い編』から『激闘編』、紆余曲折を乗り越えての『求婚編』まで、しっかりと拝聴する羽目になった。
なかなかに壮大な物語だったけど、知っている人の恋愛話って、何でこんなに気恥ずかしいのだろう。
「ミカエラ」
ダリウス様に名を呼ばれて、ぼーっとしていた事に気が付く。
他の誰でもなくダリウス様の兄であるユリシーズ様に釘を刺された事が、想像以上に堪えたらしい。
いつもと同じように会話しようとするのに、何だか胸に錘が詰め込まれたようで、ずっしりと重い。
「はい」
「来月、兄上の即位一年を祝して、記念式典と園遊会が催される」
「?はい」
その関係で、アルフォンス様の予定が流動的になる。
来月は、それを踏まえた上で『遊び』を入れるタイミングを見計らわないとならない。
「俺と共に、園遊会に出て欲しい」
「え?」
記念式典に出席するのは、国の重鎮と国外からの貴賓のみ。
園遊会には、記念式典の参加者と高位貴族当主及び同伴者が出席すると聞いている。
ノーレイン公爵の同伴者として、私に出席しろと言う事…?
「え、でも、園遊会はパートナーの同伴必須ではない筈じゃ」
「夜会とは異なるから、必須ではないな。だが…俺が一人だと、面倒な事が色々起きる」
「あぁ…」
同伴者は何も配偶者に限ったものではないし、常識的な人数であれば、子世代を連れて来る人も少なくないだろう。
ノーレイン公爵として、ダリウス様が園遊会に出席しない事はあり得ないのだから、何とか面識を得ようとするご令嬢方が、大挙して押し寄せて来るかもしれないのか。
パートナーが居れば、挨拶だけならともかく、長話を断る理由をつけやすい。
でも。
「…私じゃあ、虫除けにはならないよ?」
「何故だ?」
「え、だって、高位貴族のご令嬢達にとって、私はいてもいなくても大差ない、って言うか。彼女達が私をお茶会だ何だに招待しようとするのは、きっかけ作りの為であって、目の前に標的がいるなら、私自身はどうでもいいわけだから」
「…」
ダリウス様は、何か言いたげな顔で私を見たけれど、結局、口を噤む。
「当主に紹介されたら、ご令嬢を無視出来なくなっちゃうけど、そこでボーディアンのお姫様とか、メディセ公爵令嬢との縁談が持ち上がってる事を匂わせれば、諦めると思うよ?」
その二人の名前を聞いて、勝ち目がある!と胸を張れる令嬢が、何人いるやら。
寧ろ、それ位、勝気な人の方がダリウス様には向いてるんじゃないだろうか。
ズキ、と、胸が痛む。
「…何故、それを知っている」
「ユリシーズ様に、『どちらの縁談がいいと思う?』って聞かれたから」
「…それで、お前は何と答えたんだ」
「『どっちだろうと、本人が望む相手じゃなければ、頷かないですよ』って。ユリシーズ様もそれは判った上で、穏便にお断りする方法を考えてるんでしょう?」
ダリウス様は大きく溜息を吐いた。
「俺は政略結婚を受け入れる気は更々ないが、政略だとしても、あの二件の縁談はありえない」
「…そうなの?」
「先の戦争で勝利したのは、功を焦ったボーディアンの第二王子に、戦闘不能なまでの大打撃を与えられたからだ。彼は今もまだ、生死の境を彷徨っていると聞く。ボーディアンには側室制度があるが、第一王女は第二王子の同母妹。兄を死の淵に追い込んだ俺との縁談など、寝首を掻いてくれと言うようなものだろう?」
「それは…そうだね…」
所謂、敵と言うものなのだから。
それを踏まえた上で、『調印式でダリウス様を見初めた』とのエピソードを聞くと、薄ら寒いものを感じる。
「メディセ公爵令嬢は、問答無用で却下だ。死別した婦人の再婚は珍しいものではないが、喪明けと共に姻族関係終了届を提出し、以降、一度もハーヴェイ従兄上の追悼式典にすら出席していない。従兄上とノーレイン家の縁が薄いと高を括っているのかもしれんが、身内として気分のいいものではない。それに、彼女は自分の意思と言うものを感じられない女性だ。この縁談も、メディセ公爵家からの嫌がらせだろう。兄上は、メディセ家の影響を完全に排除出来ないから苦労しているのだろうが、ノーレイン家はメディセ家と繋がりがなくとも問題ない」
きっぱりと言い切ったダリウス様は、正面から私の顔を見据える。
「例え匂わせる程度だろうと、受ける気が砂一粒たりともない縁談を持ち出すわけにはいかない」
「で、でも、私が隣に立ってた所で、何の効果もないよ。寧ろ、カカシの方がマシかも。吹けば飛ぶような名も知れぬ男爵令嬢おまけに出戻りじゃ、余計にご令嬢方のやる気を刺激しちゃう」
「俺には、効果がある。お前が隣にいれば、何にでも立ち向かえる」
「え…」
唖然として言葉に詰まると、ダリウス様は、困ったような、慈しむような、これまでに見た事のない曖昧な表情を浮かべた。
「別に、返事は急いでない。お前以外を誘う気はないからな。だから、ゆっくり考えろ」
20
お気に入りに追加
434
あなたにおすすめの小説
お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】
私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。
その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。
ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない
自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。
そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが――
※ 他サイトでも投稿中
途中まで鬱展開続きます(注意)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。


結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?
秋月一花
恋愛
本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。
……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。
彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?
もう我慢の限界というものです。
「離婚してください」
「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」
白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?
あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。
※カクヨム様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる