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人間は、贅沢に慣れるのが早いと思う。
ノーレイン家にお世話になったばかりの頃は、自宅よりもずっと柔らかな布団にも美味しい食事にも、
「贅沢過ぎて慣れる気がしない…」
とか思っていたのが、嘘のようだ。
ミカが、
「生活レベルを上げるのは簡単でも、下げるのは難しい」
と、離婚に踏み出すまでになかなか踏ん切りがつかなかった理由が判る気がする。
ミカの夫タカユキは、稼ぎだけは良かったから。
けれど。
これには、慣れる気がしない。
「ミカエラ様、仕立て屋が参りました」
ノーレイン家にお世話になり始めて二ヶ月。
何故だか、既に仕立て屋に二回、お世話になっている。
勿論、私が呼んだわけではない。
ウェインズ家では、傷んで着られなくなった衣類を新調する為に仕立て屋を呼ぶのは、年に一度だった。
それが月に一度って…多過ぎるでしょう。
勿論、呼び出すのは王家の御用も伺っている一流職人だ。
先月は、通勤用ドレスを仕立てるように、と、ダリウス様に指示された。
ノーレイン公爵邸から、ノーレイン公爵家の馬車に乗って、王城に通勤するのだから、ノーレイン家に恥を掻かせないように相応のドレスを着なさい、と言うダリウス様からの命令なのだと思って、素直に仕立てを依頼したけれど。
一体、今日は何を作れと言うの?
「えぇと…レベッカ?私、聞いてなかったのだけど」
レベッカの前でも、淑女らしく振る舞っていたのだけれど、ダリウス様と仕立ての件でやり合っているのを聞かれてしまってからは、擬態解除している。
幼少期を知っている人の前は、どうにもやりにくい。
その上、ノーレイン家に居候するようになってから、レベッカを『レベッカさん』と、さん付けで呼ぶ事を咎められるようになった。
彼女は子爵家出身。ノーレイン家の侍女とは言え、私よりも上の爵位なのだから当然なのに、「旦那様のご指示です」の一言で一蹴…。
「旦那様から、茶会用と夜会用のドレスを、それぞれ仕立てるように、とのご指示です」
あぁ、また、「旦那様のご指示です」だ。
懐具合が…とか言うと、「金は出すから気にするな」と言われてしまうので、却って何も言えなくなってしまった。
「…聞いてない…って言うか、お茶会も夜会も出る予定ないんだけど」
「招待されてから仕立てるのでは、間に合いませんから」
招待される予定もないんだけどなぁ…。
正直な所、着飾る事への関心がない私にドレスの仕立ては荷が重いので、全面的にレベッカにお任せして、私は心を無にする。
ここからが、長いのだ。
「ミカエラさん、お邪魔するわね」
「フェリシア様!」
ダリウス様は独身なので、家政を担う女主人がいない。
その為、ユリシーズ様が襲爵した際に一度隠居されたフェリシア様が、ダリウス様の襲爵に合わせて、現役復帰なさった。
武門で名高いキャンビル辺境伯家のご令嬢だったフェリシア様は、六十が見えようとしている今も、背筋がぴんと伸び、引き締まった体の持ち主で、私の憧れでもある。
「今日は、茶会用と夜会用のドレスですって?どれどれ、わたくしに見立てさせてちょうだい」
フェリシア様とは体形が似ているけれど、フェリシア様の髪色は赤茶、私は水色がかった灰色なので、似合う色が違う。
以前、お借りした(と言いつつ、返せないでいるのだけれど。勿論、返そうとしたのよ?でも、「もう着ないから」と受け取って頂けなかった…)ブルーグレーのドレスは、フェリシア様には珍しい色合いだったらしい。
「あぁ、ミカエラさん。断らないでちょうだいね?オーレリアが嫁いでからと言うもの、わたくし、華やかなドレスを見立てる機会がなくて、寂しいのよ」
オーレリア様は、外交官をなさっている侯爵家に嫁がれて、今は国外にいらっしゃる。
ちょっと気軽に顔を見る、と言うわけには行かない距離だ。
「あら、このクリーム色はいい色味ね。あぁ…でも、ミカエラさんにはもう少し濃い黄色が似合うかしら。寒色を選びがちのようだけれど、たまには冒険してみるのもいいのではなくて?あ、でも、この深いブルーは綺麗だわ」
次から次に肩に布を当てられ、あれよあれよと言う間に、積み重なっていく生地の山…。
…まさか、あれ全部を仕立てるわけではないよね…?
「ミカエラさんは姿勢がいいから、縦のラインを強調した方がいいでしょう。引き締まったボディラインを魅せるような…このデザイン、いいわね」
仕立て屋が持参したデザイン画を示しながら、あれこれと指示を出すフェリシア様。
「大人の女性なのだから、装飾は控えめに、でも、生地はいいものを使いましょう。ふふ、楽しいわ」
「ソレハ、ヨカッタデス…」
声に疲労が滲み出てしまうのは、仕方がないと思う。
着る予定のないドレスなんて、作った所で箪笥の肥やしだ。
「これで、お茶会用と夜会用は取り敢えず、何とかなりそうね」
やっと解放されたと思いきや、
「明日は、宝飾品を選びましょう」
聞いてない…。
「こうしていると、ダリウスがミカエラさんに誕生日プレゼントを選んだ時の事を思い出すわ」
色とりどりの生地で、賑やかになった室内を見回しながら、フェリシア様が微笑む。
「え…」
「ミカエラさん、覚えているかしら。いつの誕生日だったか…あの子が兎のぬいぐるみを贈ったのを」
「はい、勿論です。五歳の誕生祝に頂きました」
ふかふかの黒い毛皮に、赤い糸で目を刺繍してある兎は、それまで、ぬいぐるみやお人形を持っていなかった私の、初めてのぬいぐるみだったのだ。
長い事、私の添い寝の友だった兎は、二十年以上が経ち、今では大切に宝箱の中にしまわれている。
「あの兎のぬいぐるみを何色にするかで、ダリウスは何時間も、生地を前にして悩んでいたのよ。『兎と言えば白だろう』とユリシーズは言うし、『ピンクも可愛いわ』とオーレリアは言うし、周りがあれこれ口を挟むのだけど、ダリウスは耳を貸さなくてね」
…知らなかった。
とても手触りのいいぬいぐるみだったけれど、既製品だとばかり、思っていた。
当時の私に、家に職人が来る、と言う発想がそもそもなかったのもある。
「『ミカエラはきっと、何処にでも連れて行きたがるから、汚れが目立たない方がいい』と言って、最終的に黒にしたの」
「…流石、わたくしの事をよくご存知で…」
実際に、私は初めての、そして大好きなダリウス様に頂いたぬいぐるみが嬉しくて、何処にでも連れていっていた。
家の中だけではなく、外を冒険する時も、兎の手を握っていれば、私は無敵になれたのだ。
「職人には赤の硝子ビーズの目を勧められたのに、刺繍にして欲しい、と言ったのもダリウスなの。その少し前に、わたくしの弟の所に赤ちゃんが生まれた時、赤ちゃん用の玩具を作らせた事を、覚えていたのでしょうね。『硝子ビーズが、ミカエラを傷つけたら困る』と、安全なぬいぐるみを頼んでいたのよ」
「ダリウス様が…」
何だか胸が一杯になって、言葉に詰まる。
ダリウス様が、ずっとずっと昔から、私の事を守ってくれていた事を、改めて実感させられて。
「それ位、当時のミカエラさんがお転婆だったと言う事でもあるのだけれど?」
ちら、と、フェリシア様が揶揄うように私の顔を見て来て、思わず赤面する。
全く持って、否定出来ない。
「当時のお気に入りは、海賊ごっこだったわね」
「よく覚えていらっしゃいますね」
「海を見た事がないのに、『ゆけ!おおうなばらを!』とドレスの腰に手を当てて勇ましく叫ぶのが、可愛くて可愛くて、何度吹き出しそうになった事か」
可愛くて笑う、と言う気持ちは、アルフォンス様のお傍に控えるようになって、理解出来るようになった。
余りにも愛おしくて、笑みが零れるのだ。
…でも、フェリシア様が吹き出しそうになった、と言うのは、ちょっと意味合いが違う気がするけれど。
「いつもは、懸命にユリシーズを真似ようと背伸びしているダリウスが、ミカエラさんと海賊ごっこをしている時は、年齢相応の男の子の顔をしていたのが、嬉しかったのよ。ミカエラさんは船長で、ダリウスは水夫長。船長に振り回されながら、声を上げて笑って、一緒になって転げ回って、敵役のランドンに戦いを挑んで…懐かしいわ」
父が買って来てくれた本が、少年向けの冒険物語だった為に、当時の私のお気に入りは、海賊ごっこだった。
物語の展開もよく判らないまま、挿絵の躍動感に惹かれて、ダリウス様を巻き込んで海賊ごっこに興じていた。
ノーレイン公爵邸の広い庭を縦横無尽に駆け回り、お茶をするテーブルを海賊の根城の小島に、生垣の迷路を海原に、シンボルツリーのマグノリアを宝物の隠し場所に見立てて遊んだ、幼い日の思い出。
父は文章を読むのが得意ではなかったし、母も寝付いている事が多かったので、私はノーレイン邸に本を持ち込んでは、ダリウス様に単語を教わりながら少しずつ読み進めていた。
「そして、ふねは、お、お…?」
「大海原、だよ」
「おおうなばら、を、すすむ。おおうなばら、ってなに?」
「広い海の事だよ。海はずーっと広がっているけれど、見渡す限り海!と言う場所を、大海原と言うんだ」
「へぇ!あにさま、すごい!むつかしいことば、いっぱいしってるのね!」
当時の私にとって、ダリウス様は、聞けば何でも教えてくれる人だった。
遊びに行った時に、家庭教師に出された宿題をしている時もあったけれど、勉強を終えるまでの間、真剣に取り組んでいる横顔を眺めているのが好きだった。
難しい言葉が出て来ると、噛み砕いて易しく教えてくれるのが頼もしかった。
「あにさま、すごい!」
そう言う私の目は、いつもキラキラしていたと思う。
私にとって、ダリウス様は英雄だったから。
ダリウス様はいつも、少しだけ照れたような、はにかんだような、誇らしそうな顔で、笑ってくれた。
海賊ごっこの仲間には、いつしか黒い兎のぬいぐるみが加わって、私達と一緒に、想像上の海賊船の上を跳ね回った。
飛んで、跳ねて、転がって。
確かに、黒以外なら汚れが目立った事だろう。
海賊らしい眼帯が欲しくなって、レベッカに兎用に作って貰った記憶もある。
「お転婆だったミカエラさんが、今では王城にお勤めの淑女ですものね」
「フェリシア様に淑女と呼んで頂けるとは、光栄です。とは言え、ドレスを着る機会がいつ巡ってくるのか、判らないのですけれど…」
「あら、それこそ、王城にお勤めなのだもの。いつ、機会が来てもいいように、備えておきなさいな」
ノーレイン家にお世話になったばかりの頃は、自宅よりもずっと柔らかな布団にも美味しい食事にも、
「贅沢過ぎて慣れる気がしない…」
とか思っていたのが、嘘のようだ。
ミカが、
「生活レベルを上げるのは簡単でも、下げるのは難しい」
と、離婚に踏み出すまでになかなか踏ん切りがつかなかった理由が判る気がする。
ミカの夫タカユキは、稼ぎだけは良かったから。
けれど。
これには、慣れる気がしない。
「ミカエラ様、仕立て屋が参りました」
ノーレイン家にお世話になり始めて二ヶ月。
何故だか、既に仕立て屋に二回、お世話になっている。
勿論、私が呼んだわけではない。
ウェインズ家では、傷んで着られなくなった衣類を新調する為に仕立て屋を呼ぶのは、年に一度だった。
それが月に一度って…多過ぎるでしょう。
勿論、呼び出すのは王家の御用も伺っている一流職人だ。
先月は、通勤用ドレスを仕立てるように、と、ダリウス様に指示された。
ノーレイン公爵邸から、ノーレイン公爵家の馬車に乗って、王城に通勤するのだから、ノーレイン家に恥を掻かせないように相応のドレスを着なさい、と言うダリウス様からの命令なのだと思って、素直に仕立てを依頼したけれど。
一体、今日は何を作れと言うの?
「えぇと…レベッカ?私、聞いてなかったのだけど」
レベッカの前でも、淑女らしく振る舞っていたのだけれど、ダリウス様と仕立ての件でやり合っているのを聞かれてしまってからは、擬態解除している。
幼少期を知っている人の前は、どうにもやりにくい。
その上、ノーレイン家に居候するようになってから、レベッカを『レベッカさん』と、さん付けで呼ぶ事を咎められるようになった。
彼女は子爵家出身。ノーレイン家の侍女とは言え、私よりも上の爵位なのだから当然なのに、「旦那様のご指示です」の一言で一蹴…。
「旦那様から、茶会用と夜会用のドレスを、それぞれ仕立てるように、とのご指示です」
あぁ、また、「旦那様のご指示です」だ。
懐具合が…とか言うと、「金は出すから気にするな」と言われてしまうので、却って何も言えなくなってしまった。
「…聞いてない…って言うか、お茶会も夜会も出る予定ないんだけど」
「招待されてから仕立てるのでは、間に合いませんから」
招待される予定もないんだけどなぁ…。
正直な所、着飾る事への関心がない私にドレスの仕立ては荷が重いので、全面的にレベッカにお任せして、私は心を無にする。
ここからが、長いのだ。
「ミカエラさん、お邪魔するわね」
「フェリシア様!」
ダリウス様は独身なので、家政を担う女主人がいない。
その為、ユリシーズ様が襲爵した際に一度隠居されたフェリシア様が、ダリウス様の襲爵に合わせて、現役復帰なさった。
武門で名高いキャンビル辺境伯家のご令嬢だったフェリシア様は、六十が見えようとしている今も、背筋がぴんと伸び、引き締まった体の持ち主で、私の憧れでもある。
「今日は、茶会用と夜会用のドレスですって?どれどれ、わたくしに見立てさせてちょうだい」
フェリシア様とは体形が似ているけれど、フェリシア様の髪色は赤茶、私は水色がかった灰色なので、似合う色が違う。
以前、お借りした(と言いつつ、返せないでいるのだけれど。勿論、返そうとしたのよ?でも、「もう着ないから」と受け取って頂けなかった…)ブルーグレーのドレスは、フェリシア様には珍しい色合いだったらしい。
「あぁ、ミカエラさん。断らないでちょうだいね?オーレリアが嫁いでからと言うもの、わたくし、華やかなドレスを見立てる機会がなくて、寂しいのよ」
オーレリア様は、外交官をなさっている侯爵家に嫁がれて、今は国外にいらっしゃる。
ちょっと気軽に顔を見る、と言うわけには行かない距離だ。
「あら、このクリーム色はいい色味ね。あぁ…でも、ミカエラさんにはもう少し濃い黄色が似合うかしら。寒色を選びがちのようだけれど、たまには冒険してみるのもいいのではなくて?あ、でも、この深いブルーは綺麗だわ」
次から次に肩に布を当てられ、あれよあれよと言う間に、積み重なっていく生地の山…。
…まさか、あれ全部を仕立てるわけではないよね…?
「ミカエラさんは姿勢がいいから、縦のラインを強調した方がいいでしょう。引き締まったボディラインを魅せるような…このデザイン、いいわね」
仕立て屋が持参したデザイン画を示しながら、あれこれと指示を出すフェリシア様。
「大人の女性なのだから、装飾は控えめに、でも、生地はいいものを使いましょう。ふふ、楽しいわ」
「ソレハ、ヨカッタデス…」
声に疲労が滲み出てしまうのは、仕方がないと思う。
着る予定のないドレスなんて、作った所で箪笥の肥やしだ。
「これで、お茶会用と夜会用は取り敢えず、何とかなりそうね」
やっと解放されたと思いきや、
「明日は、宝飾品を選びましょう」
聞いてない…。
「こうしていると、ダリウスがミカエラさんに誕生日プレゼントを選んだ時の事を思い出すわ」
色とりどりの生地で、賑やかになった室内を見回しながら、フェリシア様が微笑む。
「え…」
「ミカエラさん、覚えているかしら。いつの誕生日だったか…あの子が兎のぬいぐるみを贈ったのを」
「はい、勿論です。五歳の誕生祝に頂きました」
ふかふかの黒い毛皮に、赤い糸で目を刺繍してある兎は、それまで、ぬいぐるみやお人形を持っていなかった私の、初めてのぬいぐるみだったのだ。
長い事、私の添い寝の友だった兎は、二十年以上が経ち、今では大切に宝箱の中にしまわれている。
「あの兎のぬいぐるみを何色にするかで、ダリウスは何時間も、生地を前にして悩んでいたのよ。『兎と言えば白だろう』とユリシーズは言うし、『ピンクも可愛いわ』とオーレリアは言うし、周りがあれこれ口を挟むのだけど、ダリウスは耳を貸さなくてね」
…知らなかった。
とても手触りのいいぬいぐるみだったけれど、既製品だとばかり、思っていた。
当時の私に、家に職人が来る、と言う発想がそもそもなかったのもある。
「『ミカエラはきっと、何処にでも連れて行きたがるから、汚れが目立たない方がいい』と言って、最終的に黒にしたの」
「…流石、わたくしの事をよくご存知で…」
実際に、私は初めての、そして大好きなダリウス様に頂いたぬいぐるみが嬉しくて、何処にでも連れていっていた。
家の中だけではなく、外を冒険する時も、兎の手を握っていれば、私は無敵になれたのだ。
「職人には赤の硝子ビーズの目を勧められたのに、刺繍にして欲しい、と言ったのもダリウスなの。その少し前に、わたくしの弟の所に赤ちゃんが生まれた時、赤ちゃん用の玩具を作らせた事を、覚えていたのでしょうね。『硝子ビーズが、ミカエラを傷つけたら困る』と、安全なぬいぐるみを頼んでいたのよ」
「ダリウス様が…」
何だか胸が一杯になって、言葉に詰まる。
ダリウス様が、ずっとずっと昔から、私の事を守ってくれていた事を、改めて実感させられて。
「それ位、当時のミカエラさんがお転婆だったと言う事でもあるのだけれど?」
ちら、と、フェリシア様が揶揄うように私の顔を見て来て、思わず赤面する。
全く持って、否定出来ない。
「当時のお気に入りは、海賊ごっこだったわね」
「よく覚えていらっしゃいますね」
「海を見た事がないのに、『ゆけ!おおうなばらを!』とドレスの腰に手を当てて勇ましく叫ぶのが、可愛くて可愛くて、何度吹き出しそうになった事か」
可愛くて笑う、と言う気持ちは、アルフォンス様のお傍に控えるようになって、理解出来るようになった。
余りにも愛おしくて、笑みが零れるのだ。
…でも、フェリシア様が吹き出しそうになった、と言うのは、ちょっと意味合いが違う気がするけれど。
「いつもは、懸命にユリシーズを真似ようと背伸びしているダリウスが、ミカエラさんと海賊ごっこをしている時は、年齢相応の男の子の顔をしていたのが、嬉しかったのよ。ミカエラさんは船長で、ダリウスは水夫長。船長に振り回されながら、声を上げて笑って、一緒になって転げ回って、敵役のランドンに戦いを挑んで…懐かしいわ」
父が買って来てくれた本が、少年向けの冒険物語だった為に、当時の私のお気に入りは、海賊ごっこだった。
物語の展開もよく判らないまま、挿絵の躍動感に惹かれて、ダリウス様を巻き込んで海賊ごっこに興じていた。
ノーレイン公爵邸の広い庭を縦横無尽に駆け回り、お茶をするテーブルを海賊の根城の小島に、生垣の迷路を海原に、シンボルツリーのマグノリアを宝物の隠し場所に見立てて遊んだ、幼い日の思い出。
父は文章を読むのが得意ではなかったし、母も寝付いている事が多かったので、私はノーレイン邸に本を持ち込んでは、ダリウス様に単語を教わりながら少しずつ読み進めていた。
「そして、ふねは、お、お…?」
「大海原、だよ」
「おおうなばら、を、すすむ。おおうなばら、ってなに?」
「広い海の事だよ。海はずーっと広がっているけれど、見渡す限り海!と言う場所を、大海原と言うんだ」
「へぇ!あにさま、すごい!むつかしいことば、いっぱいしってるのね!」
当時の私にとって、ダリウス様は、聞けば何でも教えてくれる人だった。
遊びに行った時に、家庭教師に出された宿題をしている時もあったけれど、勉強を終えるまでの間、真剣に取り組んでいる横顔を眺めているのが好きだった。
難しい言葉が出て来ると、噛み砕いて易しく教えてくれるのが頼もしかった。
「あにさま、すごい!」
そう言う私の目は、いつもキラキラしていたと思う。
私にとって、ダリウス様は英雄だったから。
ダリウス様はいつも、少しだけ照れたような、はにかんだような、誇らしそうな顔で、笑ってくれた。
海賊ごっこの仲間には、いつしか黒い兎のぬいぐるみが加わって、私達と一緒に、想像上の海賊船の上を跳ね回った。
飛んで、跳ねて、転がって。
確かに、黒以外なら汚れが目立った事だろう。
海賊らしい眼帯が欲しくなって、レベッカに兎用に作って貰った記憶もある。
「お転婆だったミカエラさんが、今では王城にお勤めの淑女ですものね」
「フェリシア様に淑女と呼んで頂けるとは、光栄です。とは言え、ドレスを着る機会がいつ巡ってくるのか、判らないのですけれど…」
「あら、それこそ、王城にお勤めなのだもの。いつ、機会が来てもいいように、備えておきなさいな」
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